憂「お姉ちゃん、見て。梓ちゃんと一緒に作ったんだよ」

梓「唯先輩の為にがんばっちゃいました」

唯も笑顔で返す。

唯「おいしそう。ありがとう憂、あずにゃん」

唯は梓の隣に車椅子のままテーブルに着くと
和も唯の向かい側の椅子に腰を下ろした。

いただきます──揃って言うと
食卓の料理に箸を運んだ。

梓は唯の為に小皿に料理を盛り付け
スプーンで掬うと、それを唯へ向けた。

梓「唯先輩、あ~んしてください」

唯「自分で食べれるってばぁ」

梓「わがまま言わないで下さい。はい、あ~ん」

唯「わがままって・・・」


唯は渋々、あ~んと言って口を開けて
梓に食べさせてもらった。

梓「美味しいですか?唯先輩」

唯「うん、凄く美味しいよ」

梓は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

憂「それ、梓ちゃんが一人で作ったんだよ」

唯「ホント?凄いねあずにゃん」

梓「私だってやれば出来るんですよ」

和「どれ?私も頂こうかしら」

その日の食卓は何時にも益して賑やかだった。

唯は食後の紅茶をすすりながら梓に聞いた。

唯「あずにゃん、今でもギター弾いてるの?」

梓は少し間を置いてから答えた。

梓「いえ、もうやってませんけど」

唯「え?どうしてやめちゃったの?」

梓「それは、その・・・元から親の影響で始めただけですし・・・」


梓「それに、私には才能ないかなって思って」

唯「そんなこと無いよ。あずにゃんのギター、私好きだよ」

梓「でも良いんです。特に思い入れがあるわけでも無いですから」

唯にはそうは見えなかった。
──もしかして、私の所為?
口を吐いて出そうになった言葉を飲み込んだ。

唯「私に、聞かせて欲しいな」

そう言って梓の目を見つめると
梓は視線を逸らした。

梓「その内、機会があれば・・・ね」

多分、もう二度と梓はギターを弾くことは無いのだろうと唯は確信した
──私がいる限り。
ならばと、唯はもう一度やり直そうと考えた。
あの事故の日に戻って、今度は梓と自分自身を助けようと──。

唯「和ちゃん、私の日記どこに仕舞ったっけ?」

和「あんた、日記なんて付けてたの?」

憂「多分、お姉ちゃんが引越しするときにダンボール箱に入れて持って行った気もするけど」

唯「憂、悪いけど探してきてくれないかな?」


和「私が探してくるわ。確か開けてないダンボール箱が一つあったの見たと思う」

唯「ごめんね、和ちゃん」

和「いいわよ、唯はゆっくりしてて」

数分後、和が一冊のノートを手にして戻ってきた。

唯「和ちゃん、それだけ・・・?」

和「うん、日記らしいのはこれ一冊しか無かったわ。もちろん、中は見てないから安心して」

唯は愕然とした。
そうだった、事故の後から一度も日記を付けた記憶が無い。
あの事故の記憶を記したものが無ければ過去に戻ることが出来ない。
唯は和に手渡されたノートを捲る。
日記は事故の当日に軽音部の部室で書いた記述を最後に
それ以降は白紙だった。

唯は自分の頭の中にある記憶を必死で探った。
記憶が途切れた時の事を
その状況で事故を回避できるか否かを
日記に記された状況を頼りにして。

──無かった。あの事故を回避できる状況はこの日記には記されていない。

唯は絶望に胸を穿たれた。

──もう、・・・しか無いじゃない。


唯はお風呂に入ってくると言って浴室へ向かう。
梓は手伝いますと言って付いて来ようとしたが
あずにゃんのエッチ──などと言うと
顔を赤らめて、勝手にしてください──と怒ったように言い
リビングへ引き返して行った。

──これでいい。

唯は浴室まで車椅子で入り浴槽に溜まったお湯を見つめる。
車椅子から浴槽の淵に体を移すと
右手で右足を持ち上げ湯船に浸け
次に左足を浸すと
手摺りに掴まって体をゆっくりと沈めていく。
水面から顔だけを出して暫く思いを巡らせた。

──きっとこの方が良いに決まっている。

唯は自身の体を醜いと感じることは無かったが
梓がギターを弾かなくなった原因が自分にあることを酷く悔やんだ。
梓はきっと、ギターを弾けなくなった体の唯を傷つけまいと
自身もギターを辞めたのだろう。

──私の所為で

憂も和も唯の助けとなってくれてはいたが
負担になっているのではないかと唯は思っていた。

──みんなに迷惑を・・・。



最後の希望も絶たれた。
もう、変える事は出来ない。
自分の我侭が、あるべき未来を捻じ曲げ
行き着いた先には不幸が待ち受けていた。

──ごめんね。みんな・・・。

唯は体を支えていた右手を手摺りから離した。

──さようなら。

顔が湯船に沈み頭が浴槽の底に付いた。
水面を見つめる。
浴室の照明が水面の波に反射してきらきらと輝いていた。

何か黒い影が光を遮った。

水面から腕が差し込まれ唯の方へ伸びてくる。
小さな手が唯の体を確りと掴み
細い腕で唯を湯船から引き上げた。

梓「唯先輩っ!大丈夫ですかっ!?」

梓は涙を流して叫んでいた。
多分、唯が何をしようとしていたのか判ったのだろう。

梓の声を聞きつけて憂と和も浴室へと駆けつけた。
二人とも一目見て状況を飲み込んだ。


3人は唯を抱きしめ声を上げて泣いた。

ごめんなさい──と誰かが言う。
馬鹿ね──と誰かが呟く。
死んじゃだめ──と誰かが叱ってくれた。

唯は3人に抱きしめられて漸く理解した。
唯のしようとしていた行為が何を齎すのか。
誰も喜ばない
誰も救えない、救わない、救われない
誰かを、みんなを傷つけるだけなのだと。

唯は大粒の涙を流し
ごめんね、ごめんね、と泣きながら謝った。


唯は自室に戻ると暫く一人で考えていた。
死ぬことではなく、元に戻すことを
今の状況から皆を救い出す方法を

ふと唯の中にある考えが浮かんだ。

──もし、私が軽音部に居なかったら

──もし、軽音部そのものが無かったとしたら

梓は入部せずに事故に遭う事も無いだろう。
では、他の皆はどうなるのだろうか?


澪は音楽への道を諦め切れないと思う。
軽音部のバンド活動が与えた影響は大きい
それは、律にも紬にも言えることだった。
しかし、長い時間を掛ければ決して取り戻せないものではない。

律は、どんな状況でも上手く立ち回る事ができるだろう。
別の世界でクスリに手を出したのも
もとより、唯が澪との時間を奪ったのが要因だった。

紬は、高校入学時から本人に自立と成長を望む意思があった。
軽音部とは別の環境でも一歩ずつ前進していくはずだ。
平凡な、詰まらない毎日からでも紬にとっては新しい発見があるだろう。

唯は自分自身に目を向ける。
軽音部が無かったら、自分はどうなってしまうのだろうか
ただ流されるような毎日を送るのだろうか
別のことに心を惹かれてそれに打ち込む日々を送るのだろうか

唯は、自分を信じることしかできなかった。
──どんな結果になろうとも私は、私だ。
それを恥じたり悔やむことはしないと心に誓った。

唯は日記を開いた。


あれは、唯が高校一年の冬

見慣れた、懐かしい場所だった。
唯は炬燵に当っている。
咄嗟に立ち上がるとキッチンへと足を向けた。
──何をすればいいのだろうか?
──そうだ、軽音部を辞めるんだ。
──でも、どうやって?
唯の手はシンクに置かれた包丁を掴んでいた。
──壊すんだ──何を?
──ギターだ。

──ギー太を・・・壊すんだ。


はっとしてキッチンを見ると唯が包丁を手にして佇んでいた。

憂「お、お姉ちゃん・・・」

唯は虚ろな目で憂を見る。

唯「うい・・・」

憂「お姉ちゃん、落ち着いて・・・ゆっくり包丁を置くの・・・ね?」

唯は驚いた様子で自らの手元を見つめると
目に涙を浮かべその場に膝から崩れ落ちた。

憂「お姉ちゃんっ!」

唯「憂っ・・・私・・・どうして・・・」

憂「落ち着いて、大丈夫だから・・・大丈夫」

憂は喉に絡む声で唯を慰める。
落ち着いて、落ち着いて、と自分に言い聞かせるように。



決意は固まった。
唯は扉の向こう側にいるであろう和に声を掛けた。

唯「和ちゃん、いるんでしょ?」

唯のことが心配だったのだろう
和は扉のすぐ前で聞き耳を立てていた。

和「ばれてた?」

唯「和ちゃんは優しいから」

和「ありがとう。それで、私に何か頼みごと?」

唯「うん。1年の時の学園祭ライブの映像を見せて欲しいの」

和「ごめん、唯。唯が辛い思いをするだけだからって、
  憂ちゃんと梓ちゃんに止められてるの」

唯「どうしても?」

和「二人との約束よ。そう簡単に破るわけにはいかないわ」

和「ただ、何で急にそんなこと言い出すのか
  納得できる理由を聞かせてくれたら見せてあげてもいいわよ」

唯「わかった。全部話すよ」

唯は語った。
高校の時から表れだした記憶の途切れる症状を
その時から付け始めた日記のことを
その日記の記述を見ると記憶の途切れていた間の過去へ戻れることを
その過去から未来を変えられることを

事故で死ぬはずだった梓を救うために自分が犠牲になったことも話した。

和は信じられないと云った表情をしていた。
当たり前だろうと唯も思う。

唯は日記の一番最初のページを捲ると和に言った。

唯「和ちゃん、私の掌見てて」

唯はそう言って和に掌を向ける。
和が頷いたのを確認すると
唯は日記の記述を見つめる。

一番最初、日記に書いた美術の授業での出来事。

唯がきょろきょろと周りを見回していると
教師が絵を描くようにと唯を注意した。
唯は、素早く適当に絵を描き上げて
それを提出するために立ち上がる。
唯は教卓に置いてある彫刻刀に目を留めた。


唯は教卓の上に絵を伏せて置くと
教師の目を盗んで彫刻刀を掴み上げ
右手の掌に深く突き刺した。

光に包まれると和の声が聞こえた。

和「唯・・・手・・・」

驚いた表情で唯の手を見つめていた。
唯の手にはくっきりと彫刻刀で刺した傷跡が残っていた。
和にとっては突然傷跡が浮かび上がったようにしか見えなかっただろう。
それを見て唯の言葉を信じたのか
学園祭ライブのDVDを持ってくると言って部屋を出て行った。


8
最終更新:2010年01月22日 22:58