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結局こうなってしまう。
ベッドの上で横たわる自分とさわちゃん。
もちろんお互い服なんて着ていない。
話をするだけなら前みたいにどこかのファミレスででも待ち合わせたらよかったのかもしれない。
だけど、この部屋に来てしまった。
そこに理由なんてない。
それにまた、憂に嘘を吐いて家を飛び出してきた。
嫌悪感に襲われて、ぼんやりとする頭を抱えるように前髪を掻き上げる。
ふうっと大きく溜め息を吐くとさわちゃんが寝返りを打って私を見た。
「唯ちゃんはどうしたいの……?」
元々、自分の中に不安はあった。
いつか誰かにばれてしまうんじゃないかって。
だけどなるべく気にしないようにして過ごした。
学校でも、外でも、家でもずっと。
それに、さわちゃんがいつも『大丈夫』って言ってくれてたから気にする必要なんてなかった。
まるで心の中を見透かされているような質問に思わず眉を顰めてしまう。
「一緒にいたいに決まってるよ……」
そう言って縋りつくようにさわちゃんに抱き着くと、優しく髪を撫でられた。
だけどしばらくして髪を撫でる手が止まった。
「前と比べるとね、唯ちゃん変わった。大人っぽくなったし、それに……」
私の目を見ながらさわちゃんは言う。
「嘘吐くの上手になった」
どくんどくんと心臓が鳴る。
ぎゅっと目を瞑って違う違うと何度も自分に言い聞かせる。
初めはそれでよかった。
嘘が上手くならないとさわちゃんと一緒にいられない。
だから、いつの間にかそのことばかりに気を取られていたんだと思う。
私は不器用だし、何より二つのことを上手くできないから。
だけど、嘘が上手くなっていく自分が怖かった。
そしてもしこれまで積み重ねてきた嘘がばれたとき、私とさわちゃんは一体どうなるんだろうという不安。
全部、私の我儘だ。
わかっているのに、我慢できそうにない。
自然と涙が溢れてくるのがわかった。
「私もね、初めはそれでいいって思ってた。だけど、今の唯ちゃん見てると……駄目ね。何だか無理してる気がする」
さわちゃんは私の涙を拭う。
強く抱き締められて、私の嗚咽がくぐもった。
「たくさん嘘吐かせちゃってごめんね……、辛かったでしょ」
私がどうしたいかなんて、さわちゃんにはお見通しなんだ。
さわちゃんだって、私にどうしてほしいかなんてわかってる。
「……しばらく会わないほうがいいと思うの」
近いところで聞こえるさわちゃんの声は少し震えていた。
ああ、そっか。
さわちゃんも辛いんだ。
「さわちゃん……、ごめんね……」
私たちはもう次に会う約束をしなかった。
学校の外で次に会えるのは一体いつになるんだろう。
まだまだ長い休みが続くというのに、私の心は憂鬱だった。
憂鬱だったけど、失ったものを取り戻さないといけないという気持ちもあった。
それに、さわちゃんと天秤にかけられない大切なものがたくさんあるということも知った。
「私と居ることに使った時間……、これからはみんなに使いなさい」
多分、相手がさわちゃんだったから気付けたんだと思う。
【9月1日】
始業式のために講堂に向かう。
ぐるりと周りを見渡して、先生たちの列を目で追っていく。
夏休みが明けてもさわちゃんは何一つ変わっていなかった。
式の間は校長先生の長い話をぼうっとしながら聞き、たまにちらりとさわちゃんを見ていた。
さわちゃんはじっとその長い話を聞いていた。
時折、長い髪を耳にかける仕草がたまらなく綺麗だった。
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「あー、長えよ。そもそも校長の話なんていらないよな。もうちょっと短くまとめられないのか?」
「まあまあまあまあ」
「……4回」
教室に戻る途中でりっちゃんが始業式の愚痴を漏らしていた。
ムギちゃんはにこにこしながらそんなりっちゃんを宥めている。
「あ、さわちゃんじゃん」
心臓がどくんと跳ねる。
りっちゃんが指差した先からさわちゃんが名簿を持って歩いてきた。
「さわちゃん、久し振りー」
「久し振りね。みんな元気だった?」
さわちゃんに会うのは一ヶ月……いや、それ以上ぶりだ。
かける言葉が何にも見つからない。
「今日は部活にくるの?」
「もっちろんよ。ムギちゃんのお菓子が久し振りに食べたいわ」
「うふふ。ちゃんと用意してまーす」
私はさわちゃんと目を合わせることができなかった。
りっちゃんとムギちゃんが話をしているのをただじっと聞いていた。
なんでだろう。前はこんな感じじゃなかったのに。
「唯ちゃん?」
「は、はっ、はい!?」
急に名前を呼ばれたものだから驚いて声が裏返る。
「おーい、どうしたんだ唯、慌てちゃって」
「な、なんでもないよぉ……」
「久し振りに私と会えたから嬉しいのよね~」
「ちっ、違います!」
「あらあらまあまあ」
本当はとっても嬉しかった。
何より、さわちゃんから声を掛けてくれたことが。
だけど、やっぱり一ヶ月以上会ってなかったから。
嬉しいよりも恥ずかしいっていう気持ちの方が大きくて。
「唯、顔真っ赤だぞ」
「え、う、嘘?あ、暑くない?ここ」
「そうか?」
それに、以前の私に戻れたような気がした。
そう思ってちらりとさわちゃんを見ると、さわちゃんも笑っていた。
これでよかったんだ。
私はそう自分に言い聞かせてみんなと笑うさわちゃんを見ていた。
【9月13日】
ギー太を背負って家を出る。
今日から学祭の練習だ。
さわちゃんとは連絡の取らない日が続いていた。
元々、さわちゃんはあんまり連絡をしてこない人だったから特別寂しいとは思わなかった。
それに連絡してしまえば、甘えてしまうことを自覚していたから。
だけど、これが日常になりつつあるのが怖い。
どこかで期待している自分がいる。
距離を置いているだけ、って。
さわちゃんなら大丈夫だ、って。
ずっと待っていてくれる、って。
私の勝手なこの期待は一体いつまで持つんだろう。
それにさわちゃんは私のこと、今はどう思っているんだろう。
せっかく元の私に戻れた気がするのに、何だか変だ。
さわちゃんとの距離が徐々に開き始めているような気がする。
部室に着いて皆といても不安は拭えなかった。
あんなに楽しいはずのお喋りも上の空だ。
「あー、ちょっとすごい話があるんだよ」
りっちゃんが何やら新しいネタを提供してくれるらしい。
私は気を紛らわそうと「なになに?」といかにも興味深く尋ねてみる。
「この間、学校の帰りにさわちゃん見たんだ」
嫌な予感がした。
カップを持つ手が震える。
「何か知らない男の人と楽しそうに喋っててさ、とてもじゃないけど声掛けられなかったよ」
私は口をつけていたティーカップから唇を離し、「嘘」と呟いた。
その声は誰にも聞こえていなかったみたいで、私は震える指先を隠すように両膝の上に置いた。
「それ本当なんですか?」
「もっちろん。この目で見たからな」
嫌だよ。
「彼氏かな?」
やめて。
「多分そうじゃないか?あの年じゃ彼氏いないほうがおかしいくらいだよ」
聞きたくない。
「まあ、さわ子先生美人だしな」
どうして。
ねえ、さわちゃん。
「ちょっ……、唯?!」
きつく握り締めた両手が両膝の上で震えていた。
涙が零れないように唇を噛み締めていたはずなのに、それでも次から次へと涙が溢れてくる。
「唯先輩、どうしたんですか?!」
駄目だ。
ずっと隠してきたんだ。
この二年間、ずっと。
「ご……ごめんね、お腹痛くなっちゃって……」
「おい、大丈夫なのか?」
「保健室行く?」
「ううん……、大丈夫……ありがとう」
また一つ、嘘を吐いた。
本当に痛むのははお腹じゃなくて胸だ。
胸のずっと奥深くにある温かい場所に一気に冷水を流し込まれたような感覚だった。
結局その日の部活はお開きになってしまった。
みんなは最後まで私を心配してくれていたけど、私はずっと上の空だった。
帰り際、りっちゃんに明日の予定を聞かれた。
何もないと答えると「少し話がしたい」と言われた。
【9月14日】
指定されたファミレスに向かうと、りっちゃんは予定よりも早く席に着いていた。
「ごめんな、急に呼びだして」
「ううん、私のほうこそ昨日はごめんね。みんなに迷惑かけちゃった」
「とりあえず何か頼めよ」と言われたので、ドリンクバーを注文した。
いつもより少し多く氷を入れてしまったアイスティーを持って席に戻った。
「あのな、ずっと聞きたかったことがあるんだ」
「何?」
「さわちゃんと何かあったのか?」
一瞬で口の中が渇いた気がした。
喉を潤そうとコップに手を掛けたけれど、結露で指が滑る。
りっちゃんと話をするのは二回目だ。
夏休みのあの日以来。
あのときは私の嘘が通じた。
だけど、今は。
「……やっぱり。黙ってるってことはそうなんだな。昨日も変だと思ったよ」
もう嘘の上手な私には戻れなかった。
せっかく今まで隠してきたのに。
私の頭の中にさわちゃんとの思い出が浮かんでいく。
だけど、終わらせたくないという思いの反面、終わらせるきっかけになるかもしれないとも思った。
――――さわちゃんに彼氏がいるかもしれない
私だけだったのかな。
私たちの関係がまだ「続いてる」って思ってたのは。
何だか悔しくて、窓の外を見ながら喉の奥から込み上げてくる震えをぐっと堪えた。
「実はさ、唯とさわちゃんが二人でいるとこ、今までにも何回か見てたんだ」
りっちゃんが私とさわちゃんを見たのはあの日だけではなかったらしい。
あの日はたまたま澪ちゃんと一緒にいたから直接確かめてみようということになったらしく、それ以外の日にも目撃はされていたようだった。
きっと、りっちゃんの目には楽しげに笑う私の姿が映っていただろう。
私はさわちゃんと一緒にいる時が何よりも幸せだったから。
「ねえ、りっちゃん……」
「大丈夫。誰にも言ってないよ。もちろん、澪にも」
「そっか……」
気休めにアイスティーを飲む。
氷を入れ過ぎていたせいか、その味は少し薄く感じた。
「なあ……すごく言いづらいんだけど、先生と休日まで関わるってあんまり良いことじゃないと思うぞ。さわちゃんは先生だし……」
「うん……」
「ギターの練習だけなら、学校でもできるだろ?それじゃダメなのか?」
「…………」
「あと……、まさかとは思うけどさ……そういう関係、ってわけじゃないよな」
そういう関係、という言葉に思わず眉を顰めてしまう。
りっちゃんの表現からしてあまり快く思っていないことがわかった。
「……どうして?」
「昨日、さわちゃんの話出したときの取り乱しっぷり、普通じゃなかったから。それで……もしかしたら、って」
「じゃあ、もし……もし、そういう関係だって言ったら……りっちゃんはどうするの?」
「どうする、って?」
「……『別れろ』って言うの?」
愚問だ。
りっちゃんは何にも関係ないのに。
りっちゃんは少し間を空けた後、静かに言った。
「言わないけど、そう思うかな」
りっちゃんは私とさわちゃんを擁護するような綺麗事を言わなかった。
私自身が何を求めていたのかは知らない。
だけど、何だか嬉しくて、悲しかった。
自分でもよくわからない。
「さわちゃんのためにも、唯のためにもそうしたほうがいいって思う。最低でも唯が学校を卒業するまでは」
りっちゃんはまっすぐに私の目を見て言った。
「私だって二人のことは大好きだし、できることなら力になりたいよ。だけど……他は、そう思わない人の方が多いんじゃないか?」
「うん……そうだよね」
「だけどまあ……これは二人の問題だから、二人で一回話合ったほうがいいと思う」
私はりっちゃんと別れてから、すぐにさわちゃんに電話した。
「さわちゃん、ちょっと話がしたいんだ」
『わかったわ。あ……でも今日は少し忙しいから、明日でもいい?』
「……うん、わかった」
ねえ、忙しいって何?
前はどんなに用事があっても、時間を空けてくれてたじゃん。
りっちゃんから聞いた話が頭を過ぎり、悔しさと悲しみが入り混じった感情が込み上げてきた。
あんなに大好きだった人の声なのに、前みたいにどきどきすることもなかった。
最終更新:2011年08月28日 23:10