野良猫「不憫だね。猫って以外と饒舌なのにさ」

野良猫「まぁなにかあったらこっちへおいで。野良暮らしも悪くはないよ」

野良猫「おいしいものはなかなか見つからないけどね」

梓「遠慮します。私は元の姿に絶対にもどるから」

野良猫「そうかい。人になれたら是非飼ってくれると嬉しいな」

梓「野良がいいって言ったくせに」

野良猫「猫はお天気よりきまぐれなのさ」

梓「……」

野良猫「君もきまぐれに生きるといい。人のように未来を憂うことは猫には必要ないのだから」


ナレーション:野良は梓の心に揺さぶりを与え、去っていった。

ナレーション:唯の腕に抱かれ、梓は考える。

ナレーション:『このまま自分はどうなるのだろうか』『自分とって幸せとは何か』と。

ナレーション:そして一行は平沢家へと辿り着く。


唯「おいでやす」

憂「いまお茶用意しますね」

律「いやー気つかわずに、ご飯もいただいちゃうんだし」

紬「ほんとできた妹さんね」

憂「あ! またどろんこ猫連れてきて!」

唯「いいじゃん! 私のお友達だよ!」

憂「その子なんなの?」

唯「さぁ……? 妙になつかれてるんだよね」

梓「……」


ナレーション:人々の記憶から、中野梓という存在は消えた。

ナレーション:いや、現在進行形で薄れていっていると言った方が正しいだろう。

ナレーション:梓はもはや人間として、誰かに知覚されることはない。

ナレーション:それほどまでに猫らしい猫なのだ。


ナレーション:あれはほんの数週間前のこと。猫耳に取り憑かれて数日後。



梓『ねぇ、唯先輩』

唯『なぁに?』

梓『最近よく眠たくなったり、やけに爪をとぎたくなったり』

梓『虫をつかまえてみたり、水が怖かったりするんです』

唯『それって?』

紬『猫みたいになってるってこと……?』

梓『そうとしか……』

唯『あずにゃん猫になっちゃうの?』

梓『私……どうなるんですか?』

唯『……あずにゃん……可哀想』

梓『うぅ……最悪です。相変わらず猫耳は恥ずかしいし』

唯『でも可愛いよ』

梓『えっ』

唯『でさぁ、ムギちゃん! いまね、駅前で工事してるトコあるでしょ?』

紬『うんうん、それが?』

梓(あれ……?)

唯『なんとなんとー! ケーキ屋さんなんだよ!』

紬『へぇ~! できたら早速行こうね!』

梓『あの! 唯先輩!! ムギ先輩!!』

唯『にゃあにゃあ♪ あずにゃんこは甘えん坊』ナデナデ

唯『あずにゃんもいこうねー』

梓『あれ……あれれ?』

紬『楽しみね♪』


ナレーション:梓は着実な変化を肌で感じていた。

ナレーション:そして、変化とはいつでも自らのみに起こることではないと理解した。

ナレーション:やがて梓は、けいおん部ではなくなる、生徒ではなくなる、人ではなくなっていく。


唯『じゃーん! 今日のケーキは?』

紬『モンブランとー、カスタードプリンとー、ビターチョコケーキとー、苺タルトとー、チーズケーキ!』

澪『じゃあ先生はビターチョコでいいかな』

梓『えっ』

律『おっし、私モンブランもーらい!』

唯『えーずるい! じゃあ私苺タルト!』

梓『あ、あの……私は』

紬『あれ? あ、そっか』

澪『そうだよな。先生の分は今日は無しっと』

紬『バカね私。お茶もなんで4人分しか入れてないんだろう……ごめんね梓ちゃん』

梓『……いえ』


ナレーション:だんだんと、だんだんと薄れていく。変わっていく。

ナレーション:人にとって関わりのない猫や犬は、所詮背景である。人同士ですらも。


梓『ただいまー』

梓母『あら梓おかえり。どうしたの?』

梓『……』

梓母『泣いてるの?』

梓『……』

梓母『学校で嫌なことあった?』

梓『ううん……』

梓母『ここのところちょっと調子が悪そうね。風邪でも引いた?』

梓『……別に。それよりさ、この耳、どう思うかな』

梓母『耳? 耳がどうかした? 耳鼻科いく?』

梓『ううん……私ちょっと頭いたいからもう寝る』

梓母『梓……おかあさん心配よ……』

梓『……うぅぅぅうう、あ゛ぁあああ』

梓『なんで……こんなことに……』

梓『私は……どうなってしまうの』

梓『猫になんてなりたくないよ……』

梓『あ、爪とぎたいような気がする』

ガリガリガリガリガリ


ガチャ

梓母『梓うるさい! なにしてるの!』

梓『……』ガリガリガリ

梓母『ってなんだ……爪といでるだけなのね、びっくりしたわ』

梓『……』ガリガリガリガリガリ

梓母『晩ご飯は食べるでしょ? おかゆにしとく?』

梓『……うん』

梓(私っていま、どっちなんだろ)

梓『ごめんちょっと散歩してくる』

梓母『そう……大丈夫なの?』

梓『ご飯にはもどるよ。いってきます』

梓母『窓からいくの?』

梓『あ。ううん……』

梓母『気をつけてね』


ナレーション:梓はだんだんわからなくなっていった。

ナレーション:自分がなにものなのか、猫なのか人間なのか。



梓『だれか私のことしりませんか』

梓『だれか私のことしりませんか』

梓『だれか私のことしりませんかー』

野良猫『やぁやぁ。どうしたみっともない。君のことは君が一番よくしってるだろう?』

梓『あなたは……』

野良猫『君は中途半端だね』

梓『中途半端……・って私……猫としゃべってる!!』

野良猫『おかしなことを言う。だって君は猫じゃないか』

梓『違う私は猫じゃない!!!!』

野良猫『だから中途半端なんだ。まず自分で自分をしろうとしなきゃ』

梓『……猫にバカにされるなんて』

野良猫『やれやれ。つまらないな君は。じゃあね。日課の途中なんで』

梓『日課?』

野良猫『木の上から夕陽を眺めるだけさ。それだけで満たされるんだ』

梓『へぇ……猫もそういうのあるんだ』

野良猫『?』 


ナレーション:梓はたちよった川辺で自分の姿をのぞきこんだ。

ナレーション:はっきりとは見えなかったが、すこし、猫に似ているなと思った。

ナレーション:その日を境に梓は急激に猫になっていった。


……


憂「はい召し上がれ」

唯「いただきまーす!」

律「おお、うめぇ!!」

澪「ほんとにおいしい」

憂「えへへ。猫ちゃんはどうする? キャットフードとかないんだけど」

梓「オムライス食べたい」

唯「うーん。どうしようかな。ホットミルクとか?」

梓「オムライス食べたいですけど」

唯「ミルクあったかなー」

梓「頂きます!!」クワッ

唯「うわわわ! あずにゃんだめだよー!!」

梓「はむはむはむ!!」

紬「きゃっ、飛び散ってるわ!!」

澪「あ、ちょっ! こらっ」

梓「はむはむはむはむ!!」

律「散らかすなって! おい! 唯、確保だ!!」

唯「あずにゃんやめてー」

梓「がうがぐあうがうが!」

憂「……」



唯「あずにゃん、ここでおとなしくしといてね」

梓「……」

唯「いい子だからね。いい子いい子」ナデナデ

梓「……ごめんなさい、許してください」

唯「いい子いい子」

梓「うっく……唯先輩……私……」

唯「じゃあねー。ご飯の間だけだからねー♪」

梓「……」



澪「さて、ミーティングを続けようか」

律「おう。議題は次の曲についてな」

紬「私もう頭の中にメロディできてるの!」

澪「ほんと!? すごいなムギは」

唯「澪ちゃんは歌詞って考えてる?」

澪「いや……あんまり思いつかないかな」

律「まぁ澪とムギに任せとくか」

唯「それでさ……これもう一個議題」

律「おう……知ってる」

澪「あぁ、あの件か」

紬「……」

唯「これらの譜面の、リズムギターって、何だろうね」

紬「……私がつくったはずなんだけど」

唯「私がリードギターになってて……澪ちゃんがベース、りっちゃんがドラム、ムギちゃんがキーボード」

唯「ねぇ、リードギターって? ギターは私しかいないよ?」

紬「さわ子先生のパートだったかしら……あれれ……」

唯「絶対変だよ! さわちゃんは顧問だもん!」

紬「ごめん……全部消しておくね……」

澪「でもなんか頭にひっかかってるような……」

律「あたしもー。最近変な感じ」

唯「なんかさぁ、家を出てしばらくしてから鍵かけたかかけてないかわからなくなるアレに似てるよね」

澪「全然似てない……」

唯「なにか忘れごとしてるんだろうけど、ほんとにそうなのかもわからなくってさ」

紬「でもそういう時って必ずなにか忘れてるのよね」

澪「人間ってそういうところが結構鋭敏だからな」

唯「んぅー…………あ!!」

律「わかったのか?」

唯「あずにゃん閉じ込めたままだった。連れてこよ♪」

澪「猫……また暴れたりしないか……」

唯「抱っこしとくから大丈夫!」

唯「あずにゃん寝てるー……」ナデナデ

澪「……ふぅ、よかった」

律「澪、猫苦手だっけ?」

澪「もしひっかかれたりしたら……猫の爪には菌がいっぱいなんだぞ」

紬「そういえば、その子猫さんは唯ちゃんとどういう関係なの?」

唯「さぁ?」

律「さぁって……平沢家で飼ってるわけじゃないんだろ?」

唯「飼ってないよ?」

澪「いつぐらいからいるっけ」

唯「わかんない……気づいたらひょこひょこ周りを歩いててね。可愛いから抱っこしてるの」

紬「名前は唯ちゃんがつけたの?」

唯「たぶんそう」

澪「あずにゃんって、一体何にかかってあずにゃんなんだ……」

唯「んー……んー……? 」

唯「あず……あず……わかんなーい」

澪「適当?」

唯「かもねぇ。まぁ私のことだし」

律「おいおい。適当な名前つけられた猫もたまったもんじゃねぇな」

紬「でも可愛いとおもうわその名前」

唯「でしょー! あずにゃんはちっこくて暖かくて怒りっぽくて優しいんだよ!」

律「あはは、唯に猫のなにがわかるんだよ」

唯「あとねー、ギター教えるがうまくて」

澪「は?」

唯「ほえ? あれ……ギター?」

律「お前がいったんじゃん」

唯「あずにゃんはギターが……あっヅヅヅ、頭痛い」

律「お、おい!?」

紬「唯ちゃん?」

唯「痛い痛い痛い! 助けて!」

梓「にゃむ……唯先輩?」

唯「痛い痛いの! あずにゃん助けて!!」

澪「何言ってるんだ」

律「おい大丈夫か唯」

唯「痛い……」

唯「あずにゃんのことを考えると、頭がいたいの」

紬「……」

澪「……」

唯「どうしてかな……」

律「わからない。私もその猫のことを考えると、たまに頭が痛む」

律「だからやめたんだ。考えることを。猫は猫だろって」

澪「うん」

紬「唯ちゃんも、もうほうっておいたほうがいいんじゃない……頭割れちゃうよ」

唯「……でも」

梓「……私のせいで、みんな……」

澪「びしって頭蓋骨にひびが入ったみたいな痛みなんだ。みんなも?」

唯「うん……」

律「かなり痛い」

紬「怖いわ……」

梓「私のこと、思い出そうとしてくれたんですね……」

梓「でも、もういいですよ……」

梓「ほんとは私もなんです。人間だった頃のことを鮮明に思い出そうとしたら」

梓「頭が割れちゃいそうになります」

梓「いえ、今でも人間のつもりですけどね」

唯「あずにゃんは不思議な猫さんだね。私たちのこともこうも困らせる」

唯「えへへ、困った子」

梓「……寂しい、寂しいです」


ナレーション:その夜、唯は梓を抱いて眠りについた。

ナレーション:梓は目が冴えてどうにも眠れなかった。

ナレーション:窓から吹きこむ涼しい風を浴びてると、ふと、月を見上げたくなった。

ナレーション:隙間から器用に網戸をあけ、梓は屋根の上へ駆け上がった。


野良猫「やぁ」

梓「またあなた」

野良猫「どうやら君は飼い猫じゃなかったみたいだね」

梓「聞いてたんだ。趣味悪」

野良猫「悪いね。だけど君が中途半端な理由もわかった気がするよ」

梓「えっ」

野良猫「ききたい?」

梓「……」コクッ

野良猫「じゃあ少しだけ教えてあげるよ。こっちも暇じゃないんでね」

梓「暇なくせに、嘘つき……」


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最終更新:2011年09月04日 20:25