梓「純に話さなきゃいけないのは、これから先のこと」

梓「きいてよ、純」

純「やだ……やだっ」

梓「……女子高に入って、純を見たときは、ほんとに驚いたんだ」

梓「お姉ちゃんにそっくりだったんだもん。おもに、髪型がね」

梓「それだけならなんでもなかったのにな。純が私の髪を褒めたりするから……」

 私のせいなのでしょうか。

 そんなのってないよ。

 なにもかも、これじゃ私、ひとりよがりじゃないですか。

梓「……お姉ちゃんを、純に重ねちゃった」

梓「お姉ちゃんが戻ってきた気がしちゃった」

梓「ほんとにごめんね……好きだなんて言って」

 梓の訥々とした謝罪は冷酷で、私の心をえぐりだして、聞くに耐えない悲鳴をあげさせます。

 どうして私がこんなに辛い目にあわなければならないのでしょう。

 どうして梓に謝られなければならないのでしょう。

梓「……話したいことがあるって聞いてさ」

梓「このこと知られたか、それとも……もしかしたらかなって思った」

梓「わたし今まで、純に重ねたお姉ちゃんのこと、好き好き言ってた」

梓「もしそれで……純が、ちょっとでも、いいかなって気持ちを持っちゃったんだとしたら」

 聞きたくないです。

 私はそんな言葉に耐えられるほど強くありません。

梓「ごめん純……私は、純の気持ちにこたえちゃいけない」

梓「私には、純がお姉ちゃんにしか見えないんだもん」

 重い重い圧に耐えきれず、ねじ切るように心が潰される音がしました。

純「……」

純「ちょっとなんかじゃないよ……」

梓「純……」

純「すごくだよ……すっごくすっごく、梓のこと好きになってたよ!」

純「ずっと梓のことばっかり考えてた」

純「梓がいないと、早く会いに来てくれないかなって寂しくなってた」

純「最初はうっとうしかったよ」

純「人の風呂覗いて、タンス漁って、デリカシーもないし、何度もぶったことあるよね」

純「でもだんだん梓のことわかっていって、梓のこと気になっていって、そしたらどんどん好きになって」

純「自分がレズだって認めるのがすごい怖かった……だからいつまでも、梓にいいよって言えなかった」

純「……でも言わなくてよかった。言ってたら、梓こまっちゃうもんね」

梓「……ごめん」

 私はふらりと立ち上がりました。

純「あやまらないでよおっ……!」

純「謝られたって忘れられないんだから! こんなに好かれた気になって、好きになって!」

純「あ……梓にとってのね、お姉ちゃんぐらい……私は、梓が好きなんだよ」


 それは、絶対に私が言ってはいけない台詞でした。

 私には結局、梓が感じた気持ちなんて理解できはしません。

 それでも梓に言ってしまったのは、このやりきれない思いのあてつけでしょうか。

 それとも、この禁句さえ押さえきれないほど、梓のことが好きすぎるのでしょうか。

梓「……ごめん」

 梓はもう一度言いました。

梓「そう言ってくれてすごく嬉しいな……。お姉ちゃんの部屋、みていく?」

純「……嫌だよ」

梓「見ていって」

純「……」

 梓がドアを開けました。

 ほこり臭さが涙にしみついて、つまった鼻の奥に感じられました。

 カーテンを大きく開かれた中野家の長女の部屋は、

 薄くほこりを積もらせて、きらきら輝いていました。

梓「お姉ちゃん、ひさしぶり」

純「……」

 舞台上を闊歩するような足取りで梓はその部屋に入ると、天井にむかって嬉しそうに言いました。

梓「うん。純だよ。わたしの好きな人。あんまりお姉ちゃんには顔似てないけどね」

純「……梓」

梓「似てる? そうかな、髪型と目くらいだよ」

純「梓ってば」

梓「……」

純「梓は、私でお姉ちゃんが死んだことを忘れようとしたけどさ」

純「死んだお姉さんに対して、すごく失礼だから。それ……」

 私は押さえつけた声で言うと、階段のほうにむかって振り返りました。

純「……ごめんなさい、お姉さん」

 あなたの大事な妹の心をお借りしていました。

 いま、あなたにお返しします。

純「……ありがとう」

 夢を見させてくれてありがとうございました。

 梓に私を好きになる機会をくれてありがとうございました。

 あとは自分でがんばりますから、もうお休みください。

 私は、ふらふらと何時間も迷って、ようやく家へ帰りました。

 玄関で、やけに足が痛いと思えば履いていたのは梓の靴で、さすがに乾いた笑いが出ました。

 這いずるように部屋へ戻り、ベッドに沈みこみました。

 死にたいです。

 これから幸せなことなんて、ひとつだって訪れやしない気がしました。

 すごいなあ、と思います。

 恋して、ふられるって、こんな気持ちになるんですね。

純「……」

 泣き疲れて眠って、夜中に起きて、目が覚めないうちにまた眠って。

 何十時間も梓の夢を見ました。

 私が梓の髪を撫でて、梓が好きになっちゃうと言います。

 私は好きになっていいよ、私も梓が好きと答えます。

 そして梓と甘いキスをかわす夢でした。

 梓とキスをする夢は今までにも何度か見たことがありますが、

 それまででいちばん感触がはっきりしていて、とてもつらかったです。

 私は夢の世界に逃げ込み続けて、体が痛くなってもずっと眠っていました。

 硬直した体を揺らされて、目が覚めます。

  「起きてよー。起きてってば」

純「……あずさ?」

 私はあわてて顔を上げました。

トキメキ「……中野さんじゃないよ」

 そこにいたのは、にわかに不機嫌な顔になったときめきでした。

純「きゅん……」

 梓が来るはずありません。

 梓はもう、私を好いてなんかいないのですから。

トキメキ「わたしちょっと遅刻しちゃったのに、純ちゃんまだ起きてなくてびっくりしたよ」

トキメキ「ピンポン押しても反応なかったから、勝手に入っちゃったけど、いいよね?」

純「……いいよ。ごめん、昨日ちょっといろいろあって、疲れてた」

トキメキ「シャワー浴びないと。私、どこかで時間つぶしてようか?」

 それはありがたいのですが、どこかへ行かれたら迎えに行く気がなくなりそうです。

純「ううん、部屋にいていいよ……ありがと、シャワー浴びてくる」

 本当はシャワーも浴びたくありませんが、仕方ないです。

 下着と部屋着をつかんで、ふらふらと浴室に向かいました。


純「……」

 服を脱ぎながら、周囲の様子に気を配ってしまいます。

 今さら意味ないですが、これから生きていく上では有用なスキルかもしれないですね。

 ついでに護身術でも覚えておけばよかったでしょうか。

 でも護身術が身につくわけはありませんか。

 周りの察知だって、梓に帰ってほしいからじゃなくて、

 梓の顔が見たくてきょろきょろしてただけなのですから。

 梓をひっぱたくための護身術なんてほしくありません。

 さっさとシャワーを浴び、髪も結ばないまま服を着て、私の部屋に戻りました。

 ときめきは落ち着かない様子でベッドにかけていました。

トキメキ「ねぇ、純ちゃん……目すごいよ」

純「……うん」

トキメキ「なにがあったのか……聞いちゃダメ?」

純「……」

トキメキ「……昨日、中野さんに会ってたんだよね」

 少し唇をなめて、ときめきは言いました。

純「なんで……」

トキメキ「電話で言ったじゃん、土曜は中野さんとの約束だって」

純「……あぁ」

 適当に頷きました。

 ぜんぜん覚えてません。

トキメキ「中野さんって、純ちゃんのこと好きなんだよね。その……変なこととかされたの?」

 されてたらどんなによかったことか。

 私は小さく笑います。

純「ちがうよ。梓は関係ない……」

トキメキ「ほんとに?」

純「ほんとだよ……」

トキメキ「……」

 ときめきは私の目をじっと見つめました。

純「……っ」

 耐えきれなくて、目をそらしました。

トキメキ「嘘ついてる」

純「嘘じゃ……」

トキメキ「じーっと目をみたらね、純ちゃんはじーっと見つめ返すよ」

トキメキ「そうじゃなかったら、何か嘘ついてるってこと」

純「……」

 こういうところ、ときめきは鋭いです。

トキメキ「中野さんに、何かされたんだね」

トキメキ「それでこんなに……泣いてたんだよね」

 ときめきは、そっと私の目の下に触れました。

純「きゅん……お願い、なにも聞かないで」

トキメキ「……ごめん。純ちゃんをこんなに泣かされて、黙って忘れられるほど私お利口さんじゃないよ」

純「お願いだってば……」

トキメキ「中野さんになにされたの?」

 有無を言わさず、ときめきは同じ質問を繰り返します。

 もう、楽になってしまいましょうか。

 ときめきは、私が前からレズだと思っています。

 それでも付き合い続けてくれた女の子ですから、

 梓を好きになってしまったと話しても、引きはしないでしょう。

 私はためらいながら、口を開きました。

純「……梓には、ほんとのことを聞かされた」

トキメキ「ほんとうのこと?」

純「うん……レズになった理由と、私のまわりうろちょろしてた理由……」

 私は、梓に聞かされたことをみんなときめきに話しました。

 梓には私に似た姉がいたこと。

 その人は強姦殺人で3年前に死んでいること。

 梓はその姉が大好きだったことと、姉を私に重ねて愛していたということ。

 それが罪深いことと知っているから、もう私は愛せないということ。

 そして、私はそんな梓を、すでにくるおしいほど愛してしまっていたということ。

トキメキ「……」

トキメキ「中野さんは最低だよ」

 ときめきはそう切り捨てました。

純「そうかな……もし私が同じ立場だったら、同じことしちゃうよ」

 だから私は梓を恨みきれません。

 梓のお姉さんが生きていたなら、私は躊躇なく梓の頬を打てたのですが。


トキメキ「でも許せないよ。純ちゃんを好きにさせといて、そんなの……」

純「もういいんだって。きゅんが口出しすることでもないでしょ」

トキメキ「口出しすることだよ!」

 突然ときめきが大声を出して、私は傷ついていたのも忘れて飛び跳ねました。

純「な、なに!?」

トキメキ「私だってずっと純ちゃんが好きなのに! 心だけ奪ってハイサヨナラなんて卑怯すぎるよ!」

純「それは知って……え?」


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最終更新:2011年09月11日 02:09