――病院

 あれからすぐに救急車が駆けつけ、唯先輩は病院へ担ぎ込まれ私もそれに付き添った。
 途中救急隊員の人が事故の概要とか先輩との関係なんかを色々聞いてきたけど、憔悴しきってた私はそれに答える事もなく、ただ俯いて声を出さず泣いているだけだった。
 ちなみに私の怪我は擦り傷とちょっとした打撲だけで何も問題はないそうだ。
 だけど、その代わりに唯先輩が……。

 結局、病院に到着したのとほぼ同時に唯先輩は息を引き取った。
 私はただ病院のベッドの上に横たえられてる唯先輩の傍で立ち尽くしている事しか出来なかった。

梓「先輩……どうして……折角会えたのに、こんなのって……こんなのってないですよ……」

梓「うぅっ……ぐすっ……」

 やっと会えることになって、ようやく会えるその日がまさか唯先輩の命日になってしまっただなんて、私には到底受け入れられない。
 大切な人が目の前でいなくなったせいで、私の心は絶望感で満たされていた。

 だがここでふと壁にかけられてる時計に目が行く。
 ここで私はあることに気付いた。

梓「今9時22分……てことは電話の先の唯先輩の時間はまだ8時22分……」

梓「私が事故に会うまで、まだあと8分残ってる!今なら……今ならまだ間に合う!!

 居ても立ってもいられず、すぐに頭の中の電話回線を開く。
 もうなりふりなんて構っていられない、少しでも可能性が残っているならそれに賭けるしかない!

梓(お願い!電話に出て……唯先輩……出て)

 呼び出し音が続き中々電話が繋がらない。
 藁にもすがる思いでひたすらコールを続ける。

唯『もしもしあずにゃん?』

梓『先輩っ!』

 電話の向こうの唯先輩は、もうすぐ自分が死んでしまうのも知らずに、いつものように抜けたような声で電話に出た。
 その声を聞いて少しほっとする私。

唯『どうして電話を?もう1時間後の私には会えたんだよね?』

梓『それは……』

唯『あーっ!そうかぁ、もしかして苦情の電話?想像してた人と違いました!とかだったりしてー』

 笑いながらそうジョークを飛ばしてくる先輩。
 今私の目の前で冷たくなって眠っている先輩とは全く真逆だ。
 その顔を見ながら私はある覚悟を決める……こうする以外にあの人を助ける手段がない。

梓『そうですよ……会わなきゃよかった。あなたになんて……』

 電話の向こうの唯先輩の声が止まった。
 そりゃあそうだろう、誰だってこんなこと言われればこうなるもの。
 でも止めるわけにはいかない。
 心の中で唯先輩への謝罪の言葉を何度も繰り返しながら感情を殺してさらに続ける。

梓『……だから、このまま帰ってください!お願いします!』

唯『理由はやっぱり私が……?』

梓『すいません……とにかくお願いします、会いたくないんです!』

唯『どうして?いきなりそんなこと言われてもさ……もうすぐ着いちゃうし』

梓『これだけ言ってもまだ分からないんですか!?平沢先輩なんて大嫌い!!その顔も!髪も!指も――』

梓『――あなたの声も!』

 涙声になりそうなのを誤魔化しながらとにかく思いついたままの暴言をひたすら並べ、つき慣れてない嘘を吐き続ける私。
 もう嫌われてもいい、そうする事で唯先輩が死なずに済むんならこんなの安いもんだもの。
 だけど……唯先輩の反応は私の想定を裏切るものだった。

唯『声!?嘘だよ!あずにゃんは嘘をついてるよ!あずにゃんに私の声が聞こえる筈ないもん!』

梓『嘘なんかついてません!!最低でした……幻滅しました!こんな筈じゃなかった!!』

唯『嘘だよ!だって私は……私は……話せないんだから!』

梓『……え?』

 余りの衝撃発言に私の頭の中は真っ白になる。
 いきなりすぎて理解できない……唯先輩が喋れない!?どういうこと!?

唯『私は5歳の頃から耳が聞こえないんだ。話すことも出来なくてね。だから、あずにゃんが私の声を聞けるはずがないんだよ』

梓『そんな……』

 不用意な発言であっさりと嘘を見抜かれ、その場にへたりこむ。
 やっぱりつき慣れてない嘘なんてつくもんじゃないんだ。見ての通りすぐボロが出るし。

唯『あずにゃん、どうして嘘なんかついたの?ワケを聞かせて?』

梓『それは……それは……っ!ぐすっ……ひっく……うぅ』

唯『あずにゃん、何があったの?どうして私を帰らせようとするの?』

梓『お願いします!とにかくすぐに帰ってください!』

唯『あずにゃんが私と会って何が起きたのかは知らないけど……でも……でも必ずあずにゃんに会いに行くから!』

 電話の向こうの唯先輩の発音が変わった。
 多分走り出してその状態で会話してるからかも。
 止めなきゃ……何とかしなきゃ……もう時間がない!

梓『どうして分からないんですかっ!!来たら……死ぬんですよ!?』

唯『え――』

 真相を聞かされた唯先輩が唖然とした声で呟く。
 いきなり死亡宣告をされれば誰だって同じ反応をするだろう。
 全力疾走状態だった先輩の足は今は完全に止まっているようだった。
 このまま怖くなって逃げてほしいと心の中で願う。

唯『死ぬ?私が?――もうっ!冗談にしちゃ悪ふざけがすぎるよ?』

梓『冗談なんか言ってません!先輩は私と会うと死ぬんです。私を助けて……だからお願い!このまま帰ってください!』

唯『だめだよ。あずにゃんが言ってることが正しければ、私が行かないとあずにゃんが……』

 それは私も十分分かっている。
 唯先輩があの場にいなかったら今頃死んでいるのは私の方だ。
 でも私はそれでいい。
 唯先輩がただ生きていてくれるだけで私にとっては何よりの幸せなんだから。

梓『私ならきっと助かります。だから――』

唯『私は行くよ!』

 私の懇願を遮るように唯先輩の言葉が割り込んでくる。
 どうやらまた走り出したみたいだ。
 逃げ出して欲しいという私のささやかな希望は断たれてしまった。

梓『ダメです!来ないで!来ないでってば……うぅっ……ぐすっ……ずずっ……』

唯『泣かないであずにゃん、私なら大丈夫だから……大好きなあずにゃんを残して死んだりなんか絶対しないから』

梓『……』

唯『ねえ、前に私にギター教えてくれた時のこと覚えてる?あずにゃんは鼻歌を歌ってくれたよね』

唯『10年ぶりだった。音楽の音色ってどんな物なのか忘れかけてた私の記憶をあずにゃんは蘇らせてくれたんだよ?』

唯『あずにゃんと初めて電話が繋がった時も驚いたな。誰かと手話や筆談なんかじゃなくって声で直接お話したいな……そう思ってたらあずにゃんの声が聞こえてきて……すっごく楽しかった』

唯『自分の気持ちを相手に伝えられる。そして聞いてくれる人がいる。それがこんなにも素晴らしいことなんだなーって……』

唯『だから……だからもう2度とあんなこと言わないで!!』

梓『え……?あんなこと……って?』

唯『自分のこと、居なくなっちゃえばいいなんて……そんな……そんな悲しいこと言っちゃダメだよ!!』

梓『分かりました!もうそんなこと言いませんから!だから本当にやめて……お願いだから……』

唯『うん、分かった。でもね、私は行くよ?必ずあずにゃんを助けるから。何度だって同じ選択をするよ!1時間先の私がしたように!』

唯『今コンビニの前に着いたよ!あずにゃん!あずにゃんはどこなの!?』

梓(このままじゃ唯先輩が……どうしよう……あっ、そうだ!)

 唯先輩は私の顔を見た事ないし服装もただ制服と言っただけでどんな格好なのか知らない。
 ここでさっき電車の中で隣に座っていたツインテールの制服姿の女の子がいたことを思い出した。
 私はここで最後の嘘をついた。

梓『白い制服!白い制服でツインテールの女の子が私です』

唯『白い制服ね、分かった。大丈夫、大船に乗ったつもりで見てなさい!』

 これで白い制服の子が私だと唯先輩が思い込んでくれるならそれで大成功だ。
 祈るような気持ちで私は目の前の唯先輩の亡骸の冷たくなった手を両手で強く握る。
 そうだ、あっちの時間で私が轢かれたら、今ここにいる私はどうなるんだろ。
 このまま消滅しちゃうのかな、どうなのか分からないけど、1つだけはっきりと分かることがある。
 それが今度こそ本当の、唯先輩とのお別れになるということだ。

唯『あっ!横断歩道の向こうに白い制服の子が見えた!ちゃんとツインテールだし、あずにゃんみっけたよ!』

唯『それじゃ、1時間後にまた会おうね、今度こそ』

梓『はい、また1時間後にきっと……』

梓(最後の最後まで騙すようなことしてすいませんでした……先輩)

梓(でも、こうするしかないんです……今までありがとうございました唯先輩。本当は直接言いたかったですけど……大好きです……どうかお元気で、さようなら――)

 私は心の中で唯先輩に最後の感謝の気持ちと別れを告げる。
 と同時にこの半年間の唯先輩との思い出が走馬灯のように駆け巡った。

 初めて電話が繋がって保健室で会話した時、電話を切ろうとした私をあなたは慌てて止めて半ば強引に話を進めましたよね……
 でもあれがなかったら、今の私は無かったんじゃないかなって、今になってそう考えるんです。

 その夜、公園でお話した時のこと覚えてますか?
 私にあずにゃんなんて変な名前を付けてきて正直呆れましたよ。
 でも初めてあの人を「唯先輩」と呼んだんですよね、私。

 テストの答えを教えてって泣きついてきた事もありましたね。
 結局成り行きでズルに加担しちゃったんですけど、放っておけないいんです……
 カンニングよりずるいですよ、あなたのその声――

 時間差で流れ星にお願いしたあの日の夜、覚えてますか?
 ……きっと私達、同じ願いをしてたんだろうな、今になってそう思えるんです。
 そう、「会えたらいいな」って――

 落ち込んでる私を励まそうと遊びに誘ってくれたこともありましたね。
 鎌倉で電話越しだけど一緒に遊んで、海岸で見た夕日、私はずっと忘れません。

 河原で音も合わせられないのに暗くなるまでギターを練習もしましたね。
 とても嬉しそうにしてくれて、お陰で私は音楽の楽しさを再認識することが出来ました。
 なんだか全てが昨日の事のようですね……

 もうすぐ死ぬかもしれませんけど不思議と怖さはないです。
 目を閉じてじっとその時を待つ私。


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最終更新:2011年09月16日 03:25