――しかし


唯『――違う』

梓『え!?』

唯『あれはあずにゃんじゃない!』

 唯先輩が何を言っているのか理解出来なかった。
 違うって……もしかして私の嘘がバレたっていうの!?
 次の瞬間、目には見えない筈なのに唯先輩がまた走り出す姿が鮮明に映ったような、そんな気がした。

唯『白い制服の子、目の前で携帯を取り出したんだ。本物のあずにゃんだったら携帯持ってない筈だからこの子は違う、あずにゃんじゃない』

 この時程携帯を持っていなかったのを心底後悔したことはない。
 でも、これだけの人がいる中で私を探し出すのは難しい筈だ。
 朝なんだし制服姿の女の子なんていっぱいいるんだから。
 唯先輩が私を発見するのは、私が車に轢かれて大騒ぎになった時……そう思った、が。

唯『車が来てる……すっごいスピードで』


 1時間前の私に避けられないスピードで車が突っ込む。
 もうどうすることもできない。
 でも直前になってあの人が私を横から突き飛ばす。
 聞こえないはずなのに、またあの車が大破して金属が歪む音とフロントガラスが飛散する音が聞こえたような、そんな感覚に襲われる。

梓『唯先輩っ!!』

 私は助けてくれた恩人の名前を叫ぶ。
 今回だけじゃない、去年初めて会った時からずっと、この人には助けられっぱなしだったのを改めて知った。
 時計を見ると、針は丁度私が事故を起こした1時間後を示していた。


梓『先輩っ!唯先輩!!返事してくださいっ!!』

唯『えへへ……聞こえてるよあずにゃん……』

梓『先輩……どうして……どうして私だって分かったんですか』

唯『私見ちゃったんだ……横断歩道で赤い腕時計見ながら歩いてる子を……確かあずにゃん前にそう言ってたからさ』

梓『そ、そんな……』

唯『あ……あずにゃん今立ち上がって私の方を見てる……強く押しちゃったけど……怪我……なかった?』

梓『平気です。それより私なんかより唯先輩の方が……っ』

唯『そっか……良かった……あずにゃんに……何も……なくて……』

梓『せんぱぁい……嫌だ……嫌だよ……死んじゃ嫌だ……』

唯『へへ、ありがと……そう言ってもらえて……嬉しいよ……ああ、あずにゃんてこんな……顔をしてたんだ……ね……とっても……可愛いな、一度抱きついて……みたかった……よ……』

梓『いくらでも抱きついてくれて構いません!だから……だから……っ!』

唯『だから……さ……もっと自分に……自信を持ちな……よ、ね?』

唯『あ、名前だ……私の名前を呼んでる……唯先輩って……よかった、ちゃんと聞こえた……きっと、きっといい声で』

梓『ううっ……どうして!?どうしてこんなにしてまで私を助けようと……』

唯『何言ってるの……助けてくれたのはさ……あずにゃんの方……なんだよ。ありがとね……あずにゃん、大好きだよ』

梓『唯先輩っ!』

唯『ねえ……あずにゃん……私はさ……あずにゃんと会えたお陰で……私達は……もう……』

 何かを言おうとしてたけど、最後迄伝えきる事なく力尽きたかのように唯先輩の声はここで途絶えた。

 つーつーつー……

 そして電話は途切れ空しい音だけが鳴り響く。

梓『先輩……唯先輩……うわああぁぁあっ!!』



――その後

 頭の中の電話がもう誰にも繋がらなくなってから1ヶ月半が過ぎた。
 事故を起こした車の運転手は飲酒運転をしていて即死だったそうだ。
 そして私に待っていたのは警察の事情徴収や親への説明等での慌しい日々だった。
 高校入試の方は学校側が事故の件を考慮してくれて後日再試験という形で受けさせてもらうことができた。
 もっとも、自分達の学校の生徒がその事故の被害者で亡くなっているというのもあって、大変だったらしい。

 そして私は入学試験に合格を果たし、この春から桜高の制服を着ることになった。
 でも……この晴れ姿を一番最初に見せてあげたかったあの人はもういない。

 引越しも済ませ入学式まであと数日と迫ったある日、私はある場所を訪れた。

――――――

――――

――

 こんこん

憂「いらっしゃい梓ちゃん。さ、あがってあがって」

梓「はい……お邪魔します……」

 そう、私はこの日平沢家に来ていた。
 玄関に現れたのは唯先輩の妹の憂さんだ。
 もっとも、私達2人はこれが初対面じゃない。
 あの事故の日、病院で会ったのが初対面だった。
 私の事故が原因で実の姉を亡くして辛い筈なのに、それでも笑顔で私に応対してくれている。


 平沢家の玄関をまたいだ私は仏間へ通された。
 そこには真新しい仏壇が置かれていて、私は線香をあげて手を合わせる。

憂「神様ってせっかち過ぎだよね。こんなに早くお姉ちゃんを連れて行っちゃうなんて」

梓「憂さん、あの――」

憂「さん付けはやめて?敬語で話さなくてもいいよ。私達同い年なんだし」

梓「あ、うん……」

憂「そうだ、お姉ちゃんのお部屋まだ見たことなかったよね?よかったら見ていってくれないかな?」

――――――

――――

――

梓「ここが、唯先輩の……」

憂「うん、あの日からそのままにしてあるんだ」

 そこはよくある普通の女の子の部屋だった。
 ここで部屋の隅に置かれているギターが目に入る。

梓「あのギターは……」

憂「ああ、ギー太だね。お姉ちゃんがいつも自分の友達みたいに扱って大事にしてたギターだよ」

憂「それにしても、純ちゃんがよく話してくれてたお友達が梓ちゃんの事だったなんてね……私ちょっとびっくりしちゃった」

梓「うん、私も純からよく話は聞いてて、もしかしたらその子が唯先輩の妹じゃないのかなって推測してたけど、まさか本当だったなんて」

憂「やっぱりね。あの事故の前の晩、お姉ちゃん私に訊いてきたんだ。「憂のお友達に純ちゃんって子いる?」って」

梓「私と唯先輩の電話のことは知ってたの?」

憂「知ってたよ。前にお姉ちゃんが話してくれたから。大好きな子が出来たんだって嬉しそうにね」

梓「唯先輩が……私のことをそんな風に……」

憂「ねえ梓ちゃん」

梓「ん?」

憂「この部屋さ、不思議だよね。ここにいるとお姉ちゃんに見守られてるっていうのかな、そんな安心した気分になれるんだ」

梓「私も今迄唯先輩と頭の中の電話で繋がっていた時そう感じたな……いつも傍にいてくれてるような雰囲気がして、それだけですごく心が安らぐんだよね」

憂「ただ近くにいてくれるだけでとても幸せな気分になっちゃう……やっぱりすごいよ、私のお姉ちゃんは」

梓「きっと唯先輩は魔法が使えるんだよ」

憂「魔法?」

梓「どんな人にも元気や勇気を分けてくれて明るくしてくれる魔法かな」

憂「そうだね、魔法かー。確かにあるのかもね。でもね、梓ちゃんも魔法を持ってるんだよ?」

梓「え?私が?」

 ここで憂は部屋の机の引き出しの中から1本のテープを持ち出してきて私に見せる。
 それは前に鎌倉の海岸で私が自分の声を録音して唯先輩に贈ったテープだ。

憂「このテープ、お姉ちゃんは何度も聞いてたんだ」

梓「でも、唯先輩は耳が……」

憂「聞こえないけど何度も何度も。実はお姉ちゃんね、このテープを聴いてってせがんでたんだよ。何を言ってるのかどんな声なのか教えてって言って」

梓「それじゃこのテープ、憂が?」

憂「うん、私が可愛い声だよって言ったらとっても嬉しそうにしてたのはっきり覚えてるな。特に最後の部分なんて何度も聞いててね……」

梓「最後?私、何て言ったんだっけ……」

憂「あなたに会いたいですって何度も何度も。あんな嬉しそうな笑顔、本当に久しぶりで私まで嬉しくなっちゃったよ」

憂「お姉ちゃんね、5歳で耳と口が不自由になってからしばらく塞ぎ込んでてね……自分と同じ目線に立ってくれて受け入れてくれる和さんや軽音部の皆さんと出会ってようやく自分と向き合えるようになったんだ」

憂「でも……一番大きかったのは唯一直接自分の声でお話が出来て、声を聞くことが出来る梓ちゃんの存在だったんじゃないかな。お姉ちゃん、よく梓ちゃんの事話してくれててその度にすごく幸せそうな顔してたから」

憂「ここまでお姉ちゃんがずっと楽しそうにいられたのも梓ちゃんの魔法のお陰かもね。本当は自分の方が辛いのに、それでも相手の人のことばかり考えちゃって……こうやって――」

 ここで憂は右手の人差し指を私に向けて、自分に向ける手話を始める。
 この一連の動作を見てハッとなった。
 この手話はあの日、唯先輩が亡くなる直前にしたものと同じだからだ。

梓「憂!それってどういう意味なの!?」

憂「これ?これはね……」

憂「――きみは、1人じゃない」

梓「きみは1人じゃない……か」


 あれから桜高に入学をした私の周りでは色々なことがあった。
 純と憂も一緒に入学しクラスメートになって今じゃ3人共親友と呼べる仲だ。

 今になって思うことがある。
 純は私の電話の相手は唯先輩本人なのを薄々感ずいてたんじゃなかったのかな、って。
 最初にお互いの存在を確かめた時、家の電話番号を聞きだしてかけるだけで解決できたんじゃないのかなって……
 単純で確実な手段だけどあの時はそれが考え付かなかった。
 あえてそれを教えず回りくどい方法を薦めたのは、純は唯先輩が喋れないのを知っていたからなんじゃないだろうか。

 でも今となってはわざわざ聞き出す気もしないし、する意味もない。

 その後私は軽音部に入部し、そこで律先輩、澪先輩、ムギ先輩と出会った。
 入学と同時に本物の携帯電話も買った。
 軽音部ののんびりムードには最初こそびっくりしたものの、今じゃなんだかんだで溶け込んでしまっている。



――それから半年が過ぎた秋

 この日は学園祭。
 私達軽音部は講堂の舞台袖に来て本番を今か今かと待っている最中だ。

紬「梓ちゃん、本当にいいの?いきなりボーカルだなんて」

律「だよな、お前歌あんまり得意じゃないって前いってたもんな」

梓「いいんです。私どうしてもこのステージでボーカルを1度やってみたいんです。その為に特訓だってしました」

澪「さわ子先生のとこに通ってたのはその為だったんだな……」

梓「そうですよ」

澪「もしかしてさ、私に気を使ってるとかじゃないよな?」

梓「違いますよ。ただ……私にはまだこのステージで確かめたいことがある、それだけなんです」

紬「確かめたいこと?それって唯ちゃんの……」

梓「はい、私一度唯先輩と同じステージに立ってみたいんです。あの人がここで何をしてきたのか、何を見てたのか知りたいんです。そうする事であの人がより身近に感じられるような……そんな気がするんです」

律「分かった。それならお前は思いっきりやれ。後は私等がフォローするからさ。みんなもいいか?それで」

澪「ああ!」

紬「ええ」

 ここで場内放送の音声が流れて意識がそっちに向く。

「次は軽音楽部によるライブ演奏です」

律「よーし!みんな今日は派手にいくぞー!」

澪「梓、頼んだぞ!」

梓「はいです!私、精一杯頑張ります!」

 私達の目の前に垂れ下がっていた緞帳がブザーと共にゆっくりと上がっていく。
 その先には満席になった客席が広がっている。

 唯先輩、私の声聞こえますか?私は今学園祭のステージに立っています。
 あの時先輩がくれたライブCDを聞いて、あなたのギターに感動して、とうとうここまでやってこれました。
 色々ありましたけど、私はちゃんと元気に生きてます。だって――

 ――私はもう、1人じゃないから

梓「こんにちは!放課後ティータイムです!!」

Fin



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6 ※分岐点
最終更新:2011年09月16日 03:27