己を見失いそうになっていた私だったけど、唯先輩の優しくて、そしてどこか心強い声を聞いている内に、段々と気分がほぐれてきていた。
直接リアルタイムで話していないし、お互いの顔も知らないのに、その声だけで暖かい気持ちになってくる。
同時に私の中である想いが湧き出てきてきた。
――ちゃんと生きて笑ってくれてる唯先輩に会いたい。
――唯先輩と同じバンドでツインギターで同じステージに立ちたい。
――今度は2人で鎌倉の海岸に遊びに行きたい。
――一緒に同じ高校で毎日楽しく過ごしたい。
私の願望は心の中でより強くイメージされ、祈るように病院の外に広がる青空を見上げる。
唯『あっ!』
突然素っ頓狂な声をあげる唯先輩。
もしかして……いや、そのまさかだった。
唯『見つけたよあずにゃん!今横断歩道の反対側で信号待ちしてる!』
梓『本当ですか!?でも、どうやって私の居場所を!?』
唯『あずにゃん、前にQBのストラップ気に入ってて鞄に付けてるって言ってたよね?』
そういえば少し前にそんな会話をしていたな……取るに足らない与太話で私はすっかり忘れてたけど、唯先輩はしっかりと覚えていたんだ。
時計を見ると長針は丁度真下を向いていた。
唯『横断歩道の向こう側で青い鞄を前に出して中をガサゴソしてる子が見えたの。その子の鞄にQBが付いてた……間違いない!あれはあずにゃんだ!』
梓『先輩!もう30分です!時間がありません!』
唯『もうそんな時間!?あずにゃん、私行くよ!』
梓『で、でも赤信号じゃないですか。危ないです、待ってください!』
頭の中に唯先輩が今何をしているのか鮮明に映像に映し出される。
赤信号なのに、唯先輩は車が来るのも眼中にないかのように1時間前の私の元へ駆け寄るのが見えた。
反対側の信号が赤信号になり、もうすぐ目前の信号が青に切り替わろうとしてるようだ。
それと同時に、私の中では忌まわしい記憶として脳内に焼きついているあの車のボディが遠くから迫っているのが分かった。
1時間前の私がゆっくりと横断歩道に足を踏み出し、唯先輩がそこへ無我夢中で駆け寄る。
その全てが頭の中でスローモーションで展開されているようだった。
まだ電話は切れていない……私は必死に呼びかける。
梓『唯先輩!返事をしてくださいっ!!せんぱあぁぁいっ!!』
つーつーつーつー
時計の針は31分を差していた――
――あれから半年後
この日私は鎌倉に足を伸ばした。
今は駅の前で1人で佇んでいる最中だ。
もう9月だというのにまだまだ残暑が厳しく、私は何度もタオルで額の汗を拭う。
どれ位たっただろう、ふと手提げ袋の中からピンクのSoftbankの携帯電話を取り出しモニターを覗き見る。
梓「9時10分、か……はぁ」
携帯のモニターで時間を確認した私は小さくため息をついた。
梓「うん?メールが着てる……純と律先輩からだ」
梓「2人共同じようなメール送ってきて……全くもうっ!」
2人のメールを見た私はその内容に顔を紅潮させ恥ずかしがるように俯く。
と同時に、背後から柔らかい感触が私の全身を包んだ。
梓「にゃあっ!?」
思わず叫び声をあげ背後を振り向くと、もう見慣れたあの人が私に満面の笑みで抱きついていた。
梓「もう!唯先輩10分遅刻ですよ!折角のデートなのに困ります」
私は少し怒ったような表情を見せながら手話でそう伝える。
1時間時差のある電話じゃリアルタイムでの会話は出来ない、だから私は手話を覚えようとして今勉強中だ。
学校等で直接会っている時は手話だけど、家にいる時とか離れている状態では相変わらず電話を使ってるんだけどね。
唯【ごめんごめん、途中で可愛いお犬さんがいて遊んでたらつい遅れちゃった♪】
梓「待っている身にもなってください!それからいい加減離れてください、暑いですから」
唯【えー、今日最初のあずにゃん分補給なんだよぉー、もう少しこのままでー】
梓「はいはい、分かりましたから離れてください。ほら、みんな見てる前で恥ずかしいじゃないですか」
唯【えー】
梓「えーもだってもありません!さ、行きますよ」
――――――
――――
――
1年前に1度ここに来た道程を、今また同じように歩いている。
ただ去年と違うのは、隣に唯先輩がいてくれている。
唯【なんだか私、夢を見てるみたいだなぁー】
梓「夢、ですか?」
唯【うん、こうやってあずにゃんと出会って2人で遊びに行けるなんて、本当に夢みたいなんだよ】
梓「そうですね。でも夢じゃないんですよ?私と先輩が同じ高校に通って同じ部活で一緒にお茶や演奏をしたり……今もこうやって2人きりでお出かけしてるのも全部現実なんです」
唯【だよねー。だけど半年前のあの日、あずにゃんには偉そうなこと言ってたけどさ……今になって白状すると、「私もうすぐ死んじゃうのかな」って内心怖くてしょうがなかったんだ】
あの事故のあった8時30分、私と唯先輩の通話が途切れた瞬間、先輩は横断歩道に踏み出そうとする私に無我夢中で飛びついたらしい。
1時間前の私はいきなり初対面の人に飛びつかれて動転してたそうな。
その直後に1時間前の私がいた場所を暴走した車が走り抜けて、交差点の向こうのビルの壁に勢いよく突き刺さっていったそうだ。
唯先輩の怪我は押し倒した時に少し顔と腕と足を擦り剥いただけで済んだ。
あの時通話が切断されたのは、飛びついた時に頭を打ってしまったショックからだった。
でももしあと1秒遅れてたらどうなっていたか……考えただけでも恐ろしい。
梓「あの時いきなり電話切れちゃうんですもの。もしかしたら駄目だったのかな、って私本気で心配したんですから!」
唯【私は約束は守る子だって言った筈だよ?それにあずにゃんには貸した借りを返してもらう約束もしてたからねっ!】
梓「そういえばそんな事いいましたね……」
唯【それじゃ、今ここでその貸しを耳揃えて返してもらいますっ!】
梓「ええっ!?な、何を!?」
唯先輩は私に何を要求するんだろう……
個人的には一生かけても返せないような大きな物だと思っていたから想像もつかず怪訝な表情をする私。
唯先輩が人差し指である場所を指し示す。
そこにはワラビ餅屋さんがあった。
唯【ここで休んでいこうよー。私今月お小遣いあんまないからあずにゃん払いでっ!】
梓「へ!?」
唯【貸しは返して貰うよ?それに私、あずにゃんと一緒にここに来たかったんだー】
思わず拍子抜けする私。
でも見返りを求めず、損得勘定も無視していつも私の事を第一に想ってくれてるこんな人だからこそ私も惹かれる物があったんだろう。
改めてそう実感する。
梓「本当に食いしん坊ですね、唯先輩は」
唯「……」テレテレ
――――――
――――
――
足を休めて一服を済ませた私達は茶店を後にして今度はあの海岸へと向かった。
海水浴シーズンの過ぎた海岸は1年前と同じように人影はなく、私達専用のプライベトビーチ状態だ。
梓「うーん、やっぱり海の側は風が涼しくて気持ちがいいです」
唯【だねー。ここってさ、前にあずにゃんが私に贈ってくれたテープの声を録音してくれた場所だよね?】
梓「ええ、そうですよ」
唯【やっぱりね。ま、立ち話も何だから座りんしゃい】
梓「は、はい」
唯【私さ、あずにゃんから貰ったテープね、毎日何度も何度も聞いてたんだよ?】
梓「でも唯先輩、耳が……どうやって聞いてたんですか?」
唯【憂に頼んで聞いてもらってたんだ。あずにゃんがどんな感じで何を言ってくれてたのか……それを憂から手話で教えてもらってたの】
梓「そうだったんですか、憂が……」
唯【あずにゃん、私ね……すっごく嬉しかったんだよ?テープの最後にあずにゃんが言ってくれた一言がさ】
梓「最後に?私何言ったんだっけ……」
唯【思い出せないの?】
梓「ええ……正直自分でも何を考えてたか分からなくて。それで、私は何と?」
唯【「あなたに会いたいです」って……あずにゃんが私と同じ事想ってくれてて感激しちゃって……そこだけ何度も何度も聞きなおしてたの】
梓「何か……ちょっと恥ずかしいです、ね」
唯【前にあずにゃんさ、私が魔法を持ってるって言ってたけど、それはあずにゃんも同じなんだよ?】
梓「私も?」
唯【あずにゃんも魔法を持ってるんだよ。あずにゃんがいてくれたから、あずにゃんが私の声を聞いてくれたから……私は楽しくやってこれたの】
梓「先輩……」
今日はここに来る前から心に決めていたことがあった。
それは半年前……いや、それより前から私の中にあった「ある気持ち」に決着をつけるという事だ。
本当なら半年前に永遠に告げる機会が無くなっていたかもしれない私の気持ちをぶつける時が来たんだと、そう確信し話を切り出す。
梓「その……唯先輩、今日は大事な話があるんです、少しいいですか?」
唯「……」コクリ
私は唯先輩の目をじっと見つめる。
するとさっきまでほんわかしていた唯先輩の表情が何時の間にか真剣な表情になっていた。
その眼はじっと私の眼を見つけ続けている。
水平線に沈む夕陽に照らされ神秘的に映る唯先輩の顔を見て、私の心臓は大きく波打つ。
それは収まる事なく、まるで音が直接耳に聞こえてくるかのようだった。
こんな感情、今まで生きてきて初めての経験だ。
梓「半年前、タクシーの中で私が唯先輩に言った言葉覚えてますか?」
唯「……」
梓「あの時はゴタゴタしててハッキリと伝え切れなかったので……改めて唯先輩に聞いてもらいたいんです」
梓「その……」
こうやって落ち着いた場で改まって話そうとすると却って言葉に詰まってしまい口が動かない。
そんな私を見ている唯先輩は、何も態度には出さず、ただニコッと微笑んでくれる。
それはまるで、私を励ましてくれてるような……そんな表情を見て私はもう1度自分を奮い立たせた。
正直照れ臭い……けど、勇気を出してずっと胸の奥にしまってきた正直な想いを唯先輩に――
もう2度と離れたくない……ずっとずっと傍にいて欲しい……いつまでもあなたの笑顔を見ていたい――
――だから!
梓「唯先輩!私、先輩のことが大好きです!世界中の誰よりも……あなたのことが!」
梓「だから……これからもずーっと!ずーっと一緒にいてください!」
想いの全てを吐露した私、正直もう思い残す物はない。
しばらくの間、この場に重い沈黙が続く……聞こえてくるのは波の音だけ。
時間にして僅かだろうけど、私にとってはそれがまるで永遠に続くようにも感じられた。
――その沈黙を破ったのは唯先輩だった。
唯【私もあずにゃんの事が大好きだよ!他の誰よりも……私にとっては大切な人だから……こんな私でよければこれからもよろしくお願いします!】
梓「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いしますね、唯先輩♪」
唯【うんっ!】
私は唯先輩の胸元に飛び込んでぎゅっと強くその身体を抱きしめ、先輩はそんな私の背中に両腕を回りこませ更に強く抱きしめてきてくれた。。
私の全身を暖かい感触が包み込む――
唯【ねえ、あずにゃん】
梓「どうしました?先輩」
唯【今度の学園祭ライブ、私達5人で絶対成功させようね!】
梓「はい!私達なら絶対出来ますって!」
唯【それじゃもう遅い時間だし、そろそろ帰ろっか】
梓「そうしましょうか」
唯【また来ようね?あずにゃん】
梓「ええ、またいつか」
あの絶体絶命の危機を乗り越えた私達は結果的に前より強く結ばれた……今ならハッキリとそう断言できる。
これから先も色んな困難が待っているかもしれない……けど、唯先輩と一緒なら何が起きても怖くないし乗り越えていける確信がある。
いや……唯先輩だけじゃない――
律先輩、澪先輩、ムギ先輩、憂、純、和先輩、さわ子先生――
今の私にはこんなにたくさんの人が付いていてくれて見守ってくれてる……
――私はもう、1人じゃないんだ
梓「ほら唯先輩、早く行きますよ♪」
今度こそThe End
最終更新:2011年09月16日 03:30