梓「……ん……あつぃ……」

いつの間にか眠っていたらしい。
さっきまで日陰だったはずなのに、傾き始めた太陽の光がじりじり肌を焼いている。

梓「あーっ!焼けてる……。今年は絶対黒くならないようにって気をつけてたのに……」

ひりひりする鼻をちょっと触って、溜息を吐いて、えいやっと起き上がる。
かたわらに置いた飲みかけの缶ビールを一口含んでみる。

梓「……ぬる」

思わず顔をしかめて、缶を元の場所に戻した。
母に言いつけられた物置の片付けは、まだ半分くらいしか進んでいない。

梓「っていうかお母さん、ガラクタ溜め込み過ぎだよ」

アレ全部捨てちゃっていいんじゃない?と呟いて、
小さな庭の隅で開けっ放しの物置を睨んで、また溜息を落とす。

 「病欠のくせにビール飲んで昼寝とか、結構なご身分ですね中野君?」

わざとらしい作り声に顔を上げたら、
門扉からひょっこり顔を出した純がコンビニ袋を掲げて、よぅ、と口角を上げた。

梓「……純」

純「お邪魔していい?」

梓「うん、鍵開いてるから」

純「玄関の鍵は掛けておきなよ、不用心だなあ」

そう言いながら、純は遠慮なく玄関に入ってリビングを横切り、
庭に面した部屋ーー私がいま座っているココ、までやってきた。

純「ほい、お見舞い」

ぴと、と冷たい感触が首筋に触れて、にゃうっ!と声が出た。

純「はは、ほんと猫だね梓は」

梓「うるさい。っていうかビール?」

純「胃痛が治まってるなら一緒に飲んであげようと思って買ってきたのだよ」

梓「……それはどうも」

純は私と同じように掃き出し窓の桟に腰掛け、
ビニール袋からもう1本缶ビールを取り出した。

純「まいいや、んじゃおつかれー」

梓「……ん」

べこん、と缶をぶつけて、ちびちびと飲む。
いちばん近いコンビニで買ってきてくれたんだろう、ビールはよく冷えていた。

純「ぷはぁ!くぁーっ、うめえ!」

梓「オヤジくさいよ」

おっとこりゃ失礼、と言いながら手の甲で口元を拭って純が笑う。

純「ねえ、さっきのモノマネ似てた?」

梓「編集長でしょ……。胃が痛くなるくらい似てたよ」

純「う、なんかごめん」

梓「ううん……。っていうか純、まだ仕事中なんじゃないの?」

そう聞いたら、純は缶を持つ手を止めて私を見た。
ちょっと困った顔で言い淀んで、ふう、とひとつ息を吐いてから口を開く。

純「昨日できなかった唯先輩のインタビュー、さっき時間作ってもらって済ませてきたよ」

唯先輩。
その名前を聞いて、お腹の奥がきりりと痛んだ。


先輩たちの中で、唯先輩だけが音楽の道に進むことを選んだ。

大学時代、5人で出演したライブを偶然観に来ていたマネジメント会社の人が
メジャーデビューを視野に入れた活動を熱心にすすめてくれたのだけど、
5人で何度も何度も話し合って、澪先輩とムギ先輩は就職という堅実な道を選択した。

律先輩は就職せず、今もバイトでお金を貯めては色々な国を旅しているらしい。
いわゆるバックパッカーというやつだ。


先輩たちから1年遅れて大学を卒業した私も唯先輩と同様に音楽の道を選び、
父の音楽仲間に紹介していただいたスタジオミュージシャンに弟子入りした。

父より少しだけ年下のそのギタリストは私を娘のように可愛がってくれて、
「習うより盗め」が常識の業界にも関わらず、色々なことを教えてくれた。

お師匠さんの下で雑用をこなしながらギターの腕を磨く毎日。
貧乏暇無しの言葉通りだったけれど、それでも楽しかった。


そんな生活が1年半続いたある日、お師匠さんがアメリカのジャズバンドに誘われて
しばらく向こうで生活することになった。
ついて行くことは叶わず、その代わりにと沢山の知り合いに声を掛けて下さり、
私はまだ未熟ながらミュージシャンとして独り立ちをした。


その頃、インディーズレーベルで活動していた唯先輩は着実にファンを増やしていて、
インディーズチャート上位に名前を連ねるほどになっていた。


純「ねえ梓、今日のライブ行かないつもり?」

梓「……」

純「仕事抜きにしてもさ、唯先輩の地元凱旋ライブだよ?」

梓「……」

純「……。で、理由聞いていい?」

静かな声で問われ、缶ビールを持つ指に力が入る。

純「昨日、なんで急に帰ったりしたの?ていうかあれ、逃げ出してたよね?」

梓「……」

純「唯先輩びっくりしてたよ。梓、逢うの楽しみにしてたじゃん」

梓「……うん」

純「唯先輩と何かあった?」

ふるふると首を横に振る。
純はしばらく黙って、はあ、と大きな溜息を吐いた。

純「あのね梓、こういう質問形式ってものすごく面倒くさいんだよね」

梓「……」

純「だから、できれば、梓から話してほしいんだけど?」

ごもっともです。
ゴメンと口の中で呟いたら、謝んなくていいから、と純が苦笑いした。

梓「…………いたの」

純「へ? いた、って?」

梓「あのギターの人……」

きり、と胃が捻られた気がした。思わず眉をしかめてお腹を押さえる。

純「ギター?バックバンドの?」

声を出せず、頷いてこたえる。

純「あの人がどうかし……あっ!」

梓「……」

純「もしかして、梓がギター弾けなくなった原因の……?」

黙ったままもういちど頷く。
純は合点がいった様子で、それでか、と呟いて眉間に皺を寄せた。



ミュージシャンとして独り立ちしてすぐは、さすがに順風満帆とは言えなかった。

それでも小さな仕事をコツコツと受けていくうちに色々な人たちと知り合って、
少しずつだけれど、レコーディングやライブの単発サポートで声を掛けてもらえるようになった。

そんな折、ある歌手のライブツアーに同行することになった。
バックバンドはドラム、キーボード、ベース、リードギター、リズムギターの5人編成で、
私はリズムギターとして他のメンバーに紹介された。

初めてのライブツアーサポート。
どの会場もそんなに大きな規模ではないけれど、私にとっては初めての大きな仕事だった。

嬉しくて、純や憂、もちろん先輩方にも報告した。
特に唯先輩は自分のことみたいに喜んで、
近くの会場でやる時には絶対観に行くよ、と約束してくれた。


……けれど、ワクワクする心はすぐに打ちのめされてしまった。
私はギターを弾くことが出来なくなって、逃げるように桜が丘に戻ってきた。



純「あの人だったんだ」

梓「……うん」

純「そっか……。それなら、うん、納得した」

梓「……」


地元に帰ってからは誰とも連絡を取らず、ほとんど引き蘢り状態だった私に
救いの手を差し伸べてくれたのは純だった。

純は自身が編集者として働いている地元情報誌の編集長に頼み込んでくれて、
音楽コンテンツの編集アシスタントとして編集部に入れてもらえることになった。

資料の準備やインタビューの文字起こしといった、必要とされた時だけ働く
いわば雑用係だけれど、それでも、やっぱり音楽に関われるのは嬉しかった。

与えられた仕事をこなしていくうちに少しずつ心がほぐれてきて、しばらくして、
唯先輩の凱旋ライブの取材をすると純から告げられた。


梓「……ごめんね、純」

純「昨日のことはしょうがないよ。だから謝んなくていい」

梓「折角、編集部にも入れてもらったのに……ホントにごめん」

純「謝んないでってば。もっかいゴメンって言ったら叩くよ?」

梓「……」

純「今日のライブはやっぱり行けそうにない?」

梓「うん……ごめん無理」

ばしっ!
答えた瞬間、思い切り頭をはたかれた。

梓「ぁ痛ッ?!」

純「言ったでしょ、ゴメンって言ったら叩くって」

梓「うぅ……」

純「はぁ……。じゃあこれ」

そう言って、純は鞄のポケットからSDカードを取り出した。

純「唯先輩のインタビューが入ってるから。なるべく今夜中に文字起こししといて」

梓「今夜中? でも〆切はまだ……」

純「他の仕事が詰まってんの。なるはやで、頼んだよ?」

梓「……わかった」

頷いて、SDカードを受け取る。
純は残りのビールを一気に飲み干して、ぷは、と息を吐いた。

純「じゃ、私はそろそろ行くよ」

梓「うん。憂と、唯先輩によろしく伝えて」

純は一瞬だけ寂しそうな目をして、けれどすぐに笑顔を作って
お邪魔しました~とひらひら手を振りながら私に背を向けた。



ーーーーー



お風呂で汗を流して、冷えた麦茶を飲む。
鼻の頭がヒリヒリ痛んで、やっぱり日焼けしたなぁと少し落ち込む。

リビングの掛け時計を見ると、もうすぐライブが始まる時間を指していた。


梓「……やるか、文字起こし」

グラスに麦茶を注ぎ足してから自室に向かう。

SDカードに入った音声ファイルをPCにコピーする間、
キーボードの手前にメモ用のノートを置いて、ヘッドフォンを着ける。

ファイルをクリックして再生すると、ゴソゴソと擦れるような雑音のあと、
質問する純の声と、甘くて柔らかい唯先輩の声が耳をくすぐった。



ーー初の地元凱旋ライブということになりますが、今のお気持ちは

唯『嬉しいかな、やっぱり地元だもんね。
  友達もいっぱい来てくれるみたいで、私もすっごい楽しみにしてたよ。
  ……なんだか照れるねえ、純ちゃんにインタビューされるって』

ーーはい、私もなんだか変に緊張してます……コホン、
  先月3枚目のアルバムが出ましたが、今回のコンセプトを教えてください

唯『今回はねえ、ちょっと初心に戻ってみたんだ。
  5人で放課後ティータイムをやってた頃の事思い出して……あっ、
  放課後ティータイムのことは説明したほうがいい?』

ーーこちらで注釈を入れるから大丈夫ですけど、
  唯先輩……唯さんのほうからも紹介していただけると助かります

唯『そっか、うん。えと……放課後ティータイムっていうのは
  私が通っていた桜が丘高校の軽音部で結成したバンドで、
  りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃん、それからひとつ後輩のあずにゃんと
  私の5人で、私と同級生の3人が大学を卒業するまでやってました』

唯『高校の時は毎日部室でムギちゃんの淹れてくれたお茶を飲みながら、
  みんなでおしゃべりしたり、遊んだり、美味しいお菓子食べたり……』

ーーあの、練習は?

唯『あはっ、練習しろってよく澪ちゃんとあずにゃんに怒られてたなぁ。なつかし』

ーーあはは、その頃の話は梓からも聞いてます
  ……その頃のことを思い出しながら曲作りをされたんですか?

唯『うん、あの頃のこと思い出したら、毎日よく笑ってたなあって。
  それに、5人で音を合わせたら、なんていうか、世界がすっごくきらきらしたの。
  その、きらきらした感じを歌にできたら素敵だなって…………



いつの間にかキーを叩く手は止まってしまって、
ぽろぽろとこぼれる涙がノートに大きな染みを作っていた。
視界がひどく濡れて、モニタの文字を読むこともままならない。

それでも音声ファイルを止める気にはなれなくて、
しゃくり上げながら唯先輩の声を聞き続けた。



ーー……それでは、最後に読者へのメッセージをお願いします

唯『はぁい。
  地元でのライブ、嬉しいです。年に100回くらい、ココでやりたいです!
  んと、そんで、新しいアルバムはこの街で暮らしてた頃のワクワクとかきらきらを
  一杯詰め込みました。毎日楽しいって人も、今はちょっと元気が足りないって人も、
  これを聴いてワクワクッて楽しい気持ちになってくれるととても嬉しいです!』

ーー今日は本番前のお忙しいところ、ありがとうございました
  今夜のライブも楽しみにしていますね!

唯『いえいえこちらこそ!……そんでえっと、純ちゃん』

純『はい?なんですか?』

唯『これ、あずにゃんに聞いてもらうことってできる?』

純『このインタビューの文字起こしは梓に頼みますから、あの子も聞きますよ』

唯『そっか……。えっと、じゃあ、ちょっとひとりごと言ってもいいかな』

純『ひとりごと……ですか?』

唯『うん。インタビューじゃなくって、ひとりごと』

純『……あー、はいどうぞ。私ちょっと、10分くらいお手洗い行ってきますね』

唯『ありがと、純ちゃん』

唯『……。あずにゃん、聞こえてるかな』

梓「唯先輩……」

唯『昨日はどうしちゃったのかな。びっくりしたし、心配だよ』

梓「……」

唯『んと、そんでね。これはまだナイショの話なんだけど』

梓「……」

唯『実は、来年のあたまくらいに、メジャーデビューが決まりました!』

梓「!!」

唯『えへへ、家族以外に言うの、あずにゃんが初めてだよー』

梓「……」

唯『それでね、そのことであずにゃんに言いたいことがあったんだけど
  あずにゃん昨日、急に帰っちゃったから言えなくて……』

梓「……」

唯『あのね、もしあずにゃんがよかったらなんだけど』

梓「……」

唯『サポートしてくれるバンドのメンバーになってくれないかなって』

梓「!?」

唯『……あずにゃんが音楽やめちゃったって話は、憂からもちょっと聞いたよ。
  メールも電話も返してくれないから、どうしてなのかはわかんないけど……』

梓「……」

唯『新しい曲作っててね、みんなのこと思い出して、
  また5人で出来るといいなーなんて思っちゃったりもしたんだけど』

梓「……」

唯『でも、大学生の時、みんなでいっぱい話し合って決めたことだもんね。
  みんな自分で決めたことを一生懸命がんばってるし、私もそれを応援したいし』

梓「……」

唯『そんで……。あずにゃんもすんごくがんばってたの、私もよく聞かせてもらったよね』

梓「……」

唯『私もメジャーデビューしたら、今よりもっともっとがんばりたいし、
  もっともっといい歌をうたいたいから』

梓「……」

唯『一緒に音を合わせてきらきらできる人たちにね、演奏をお願いしたいの』

梓「……」

唯『だから……考えてみてくれないかな?あずにゃん』

梓「……」

唯『以上、ひとりごとでしたっ!
  ……って、コレどうやって止めるんだろう。んと……あれ?
  ……純ちゃんが戻ってくるまでこのまんまでいっか…………


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最終更新:2011年09月16日 22:10