わたし―平沢唯―が運転する車は道路を順調なペースで進んでいた。

フロントガラスごしに見える世界はすでに見馴れてしまったもの、建ち並ぶ規格化された住居、ソーラーパネルののった屋根、その切れ間にあるいくつかの昔ながらの家、大きなデパート、小さなコンビニなどで埋め尽くされていた。
わたしはそれらすべてに向けてため息をつく。

もう少しで家に帰ることができる。
学校勤めで疲れた体を癒してくれるのは、たとえ誰もいなくても、我が家だけだった。


すると、どこで道を間違ったのかいつもと違う道に出てしまい、右手に桜が丘高校が見えてきた。
今までの人生の中で最も輝いていた青春時代を過ごしたあの場所だ。

懐かしさと切なさが同時に込み上げてきて胸が締め付けられた。ふとみんなのことを考えてしまう。

たぶん高校生の頃のわたしだったら涙していただろう。でも25歳のわたしにはそれができないし、そのことがいいことなのかどうかさえわからなくなっている。

わたしたちはいつから道を違えてしまったのだろう。それとも最初からその道は別の方向を向いていたのだろうか。

そんなふうに感傷に浸っていると突然車内に音楽が鳴り響いた。
わたしはそれがビートルズのyesterdayだとわかったので、ポケットに入れてある携帯をとった。

運転中の相手に電話をかけるなんて非常識極まりないと勝手に思いながら、憂鬱な気分で電話に出る。

教師「唯先生、実はですね。明日は緊急の職員会議がはいったんですよ」

唯「え…わかりました」

教師「休みの日に大変だろうとは思いますが……」 

唯「いえいえ、大丈夫です」

教師「ではそういうことで」

それで電話は切れた。

わたしはなんだかやりきれない気持ちになって思い切りアクセルを踏んだ。

今思えばそれが問題だったのだ。

目の前が不思議な光に包まれて、事故かなんかかと思って瞼を閉じて、開いたら見知らぬ場所にいた。


 気づくとベンチに座っていた。どこにでもあるような緑色をしたベンチだ。太陽光が照りつけてきて屋外にいるのだとわかる。

自分がまだ車に乗ったままの格好、ハンドルを持つみたいに手をのばしている、ことに気づきあわてて姿勢を戻す。
周囲を見回したが幸いこちらを見ている人はいないみたいだった。

わたしは公園にいた。
中心に噴水が置いてあり、その周囲を取り囲むように4つベンチが置いてあるだけの簡素な公園だった。人はあまりおらず、鳩が我が物顔で公園を占有している。

不意にどこからか嗚咽混じりの泣き声が聞こえた。はじめは噴水の音かと思ったが、やはり誰かが泣いてるようだ。

わたしは改めて、今度は注意深く辺りを眺めまわす。
すると一人の少女が目に入った。俯いたまま、両手でその顔を押さえている。どうやらあの栗色の髮の少女が泣き声の正体みたいだ。

わたしはその少女からなんだか奇妙な感じを受けた。そのせいもあったのか、わたしは少女のほうへ近より、その肩を叩いていた。

唯「ねぇ、大丈夫?」

少女「ひぃぐ…えぐっ……あっ」

少女がこちらを振り向いた。その顔を見た瞬間、全身に驚愕が走る。数十秒そのままそこに突っ立っていた。

――それはわたしだった。

いやこれでは語弊がある。

――それは昔のわたしだった。

まさか自分を見間違えるわけもなし。
しかしその少女、平沢唯の方はわたしに対しなんの驚きも得ないみたいだった。

これはどういうことだろう?

考え出すと頭がパンクしそうなのでいったん疑問をわきに押しやり、持ち前の気楽さをもって彼女に意識を向ける。

大人唯「ほらっ、ハンカチで涙拭きなよっ」

唯「ぐすん…ありがとうございます……」
彼女は涙を拭き終えてしまうと、ぐちょぐちょになったハンカチを申し訳なさそうにわたしに返す。

大人唯「泣き止んだ?」

唯「…うん……もう大丈夫です」

大人唯「敬語なんか使わなくてもいいよー」

自分自身に敬語を使われるのはなんとも気持ちが悪い。

大人唯「さてと……」

どうしたものか。
とりあえず今の状況を把握する必要がある。
だからわたしは尋ねた。

大人唯「今って西暦何年?」

唯「……へっ?」

彼女はきょとんとしている。
それもそうだろう。普通の人が西暦何年?なんて尋ねる人を見かければ、キチガイだと思うか、未来人乙と軽くあしらうはずだ。
わたしは本当に未来人なわけだけど。

唯「……えーとね、2011年だよ?」

ということはここは7年前の世界?
7年前といえばわたしがまだ高校3年の頃だ。

あの光に包まれたときに過去にワープしたってことなのだろうか。あの車で。

そんなバックトゥーザヒューチャーがあっていいのかな?


もうひとつ新たな疑問が浮かんできた。ここはどこなのだろう。
バックトゥーザヒューチャー理論を用いれば過去に戻るはずの地点は同じなはず。なのにわたしはこの場所を知らない。
ここは桜ヶ丘ではない。


大人唯「……ここはどこ?」

唯「お姉さん、次にはわたしは誰って言いそうだねー」

大人唯「あ、あはは…」

唯「ここはね〇〇県なんだって」

桜ヶ丘からはかなり遠い場所だ。

大人唯「えっ?じゃあなんで君はこんなところに?」

言った後でしまったと思った。
わたしは彼女が桜ヶ丘に住んでいることを知っているからそう思うが、そんな疑問を抱くことは普通ない。

けれども彼女はそんなことに気づいてないようすだった。あるいは誰かに話を聞いてもらいたがっていたのかもしれない。

唯「けんかしちゃったんだ……」

大人唯「けんか?なんでまた」

唯「わたし高校の友達とバンドやっててね、卒業ライブをすることになったんだけどわたしがやりたくないって言ったから」

大人唯「……」

思い出した。
あの頃、わたしは卒業ライブがしたくなくてみんなと口論になった。それでこんなところまでやってきたのだ。

唯「ライブをしたらね、終わっちゃう気がしたんだ……」

わたしは卒業するのが嫌だった。
同じ大学にいくとわかっていてもなんとなく今までのままじゃいられない気がした。大人になりたくなかった。

唯「……わたしってわがままなのかなあ?」

大人唯「うーんそうかも……でもその気持ちはすごくよくわかるな」

だけど今のわたしは別のこともわかっている。
終わりというのは何かをきっかけにぶつりと切れてしまうのではなくて、音楽がフェードアウトするみたいに徐々に消えていくものだということが。

大人唯「こういうのは誰かにぶつけちゃうのが一番いいよ」

あの頃のわたしも誰かすべてぶちまけられるような人を心の奥で欲していた。
だから彼女は話し出した。
部活のこと、それが失われてしまう気がしたこと、みんなには悪いと思ってること、だけどなんだか謝ってしまいたくないこと。


――わたしたちのバンドは放課後ティータイムっていうんだ

――いつもお菓子たべてばっかりなんだけどね

――でも演奏は誰にも負けてないんだよ

――あ、その部長ていうのがりっちゃんって言ってね、すごく一緒にいると楽しいんだ

――うん。みんなとはいつも一緒だから、よけい不安なのかなあ

――そうそう澪ちゃんはかっこよくてしっかりしてるって言ったけどすごく怖がりなんだ

――ムギちゃんはいつもはおしとやかなのにそこでは一番やる気だったんだよー

――あずにゃんをぎゅっとするとさ柔らかくてやめられないよ、えへへ

――うーん、そうかも。あずにゃんひとりになっちゃうもんね

――わたしから謝ったほうがいいよね。でもさ……ううんなんでもない

――誰かひとりでも欠けたら放課後ティータイムは成り立たないんだよっ


彼女は話している間ずっと生き生きとした顔をしていた。だからそのぶん時折見せた悲しげな姿が、さらにやるせないように感じられた。
ふと空を見上げるとすっかり赤くなっていた。少し話し込みすぎたみたいだ。

大人唯「帰れるの?」

彼女がほとんどお金を持っていないことを知りながら尋ねる。たしかわたしのときは警察にお世話になった。


唯「えっと、その、あ……だいじょうぶ……かな?」

大人唯「…わたしが桜ヶ丘までならついていこっか?」

唯「えっ、でも……」

大人唯「いやいや大丈夫だよー。実はわたしも桜ヶ丘に用事があるから」

これは本当だった。
わたしがワープしたはずのその地点に行けば、どうにかなるのではないかと考えていた。

唯「あ、ありがとうございますっ」

彼女はおおげさに頭を下げてみせる。

大人唯「いいっていいって。そうと決まればさっそくいこうかー」

こうしてわたしたちは駅に向かうことになった。

路上にはゴミが落ちていて、懐かしいなと思う。未来ではポイ捨ては法律で固く禁止になりゴミを路上に捨てる人はいなくなった。

大人唯「そういえば君はなんていう名前?」

唯「平沢唯だよ。お姉さんはー?」

大人唯「わ、わたし?わたしは……お姉さんって呼んでくれればいいかな」

唯「ええーずるいっ。だったら、わたしもお姉さんって呼ばれたいよー」

大人唯「もっと年とるまでがまんだね」

唯「ちぇっー」

駅についた。
あまり混んではいなかった。

大人唯「そうだ。一応家の人とかに連絡しといたほうがいいんじゃないかな?」

唯「お父さんお母さんは旅行中だし……」
大人唯「妹がいるじゃない」

唯「えっ?」

大人唯「あっ…」

唯「もしかして……」

大人唯「」

唯「超能力っ?」

大人唯「あ、はは……勘だよー、勘!」

唯「怪しい……」

大人唯「と、とにかく電話しないと」

唯「で、でもぉ……きっと憂怒ってるよ、なんて言ったら…」

大人唯「怒ってるわけないって、逆にとても心配してるしてるんじゃないかなあ。……だから電話しなさい」

唯「そっか、そうだよねっ」

彼女が電話している間に売店行ってチョコレートを買う。わたしはブラックで彼女のはミルクにしておいた。

わたしは彼女にミルクチョコレートを渡して、代わりに電話を受け取った。

大人唯「もしもし……お電話かわりました」

憂「す、すいませんっ。おねえちゃんが迷惑かけて……」

大人唯「あはは、大丈夫ですよ」

憂「あのお名前は?」

憂の声にどこか猜疑的な響きが混じる。
わたしは憂に怪しまれないよう嘘の名前をでっち上げた。

大人唯「わたしは…豊崎愛生っていいます。あの大丈夫です、怪しいものじゃないですから」

憂「えっ、あ、すいません」

大人唯「えっと、今日は電車で行けるところまで行って、ホテルに泊まるつもりです。ホテルについたらまた連絡しますね」

憂「あの…いろいろとありがとうございます」

大人唯「いえいえ平気ですよ、では唯さんにもどします」

わたしが女だったのもあり、憂も少しは安心してくれたようだった。
当の本人は、というとおいしそうにチョコレートを頬張っていた。

わたしはなんてお気楽なやつなんだと呆れたが、過去にタイムワープしたのに桜ヶ丘につけばなんとかなると思ってる自分も、同じようなものなんじゃないかということに気づく。

わたしたちはどうやら似ているみたいだ。まあ、当然なんだけど。

電車の中はすいていて楽々席に座ることができた。窓の向こうを走っていく景色がなんだか新鮮な気がした。

わたしは一度友達にも連絡したほうがいいんじゃないかと勧めたが、彼女は曖昧な返事で濁すだけだった。その気持ちはわからなくはなかったので、わたしはそれ以上何も言わなかった。

唯「……ライブって楽しいものだったのになあ」

大人唯「まあライブにもいろいろあるんじゃないかな」

唯「お姉さんは大人だねー」

大人唯「そりゃ大人だもん」

唯「もしかして、ライブとかしたことあるー?」

大人唯「あるよ」

唯「じゃあバンド組んでるんだね?」

彼女の質問はわたしの心の深くをえぐった。
みんなの顔が脳裏に張り付いてとれなくなってしまう。
わたしが思い浮かべる放課後ティータイムのメンバーの姿は、彼女がさっき話していた桜高軽音部時代のものではなく、もう少し大人びた彼女たちだった。


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最終更新:2011年09月21日 22:50