大人唯「組んでた、だよ」
唯「そっかあ、どんなバンドだったのー?」
大人唯「えと、唯ちゃんたちと同じで5人組だったな。あ、やっぱりわたしたちも練習そっちのけでいつも遊んでばっかだったなあ」
唯「うんうん。やっぱり遊びは大切だよね」
大人唯「高校のときに結成して、わたしはギターだったんだけど最初はできなくてねー」
唯「あ、わたしもそうだったんだよー」
大人唯「一年たってかわいい後輩が入ってきて、五人がそろったんだ」
唯「あずにゃんみたいだねー」
大人唯「そ、あずにゃん」
唯「なんで解散しちゃったの?」
大人唯「なんでだろうねー。大学に行ってさ1年くらいは一緒にやってたのに。新しい友達もできて、バイトもはじめて、音楽以外の遊びも増えて、いつの間にか会う時間が減って、気づいたら終わってたんだよ」
唯「そんな……みんなとは今でも会ったりするよね?」
大人唯「それがぜんぜんなんだよ。大学の頃はまだバンドをやめても一緒に遊んだりしたけどね……仕事についてからはほとんど連絡もしなくなっちゃったよ」
唯「そっか……」
大人唯「でもわたしは思うんだ」
唯「うん?」
大人唯「やっぱりみんなといたあの頃が一番楽しくて、一番幸せだったなって」
唯「……わたしはみんなとずっと一緒にいたいな。永遠にバンドやろうって約束もしたし、あずにゃんもわたしたちと同じ大学に行くって言ってたし、きっとばらばらにならないよっ!……なりたくないよぉ」
大人唯「……そっか…」
だけどわたしも唯ちゃんの歳には同じことを思ってたんだよとは言えなかった。
彼女は変わらない未来を信じ、わたしは取り戻せない過去を憂いている。
電車が揺れるがたんごとんという音だけが響いていた。
終点になっていた町に降り立って、適当なホテルを探しそこに泊まった。憂には心配ないという連絡をいれた。
彼女は疲れていたのだろう、部屋に入るなりベッドに横になった。
わたしはしばらくの間外を見ていたが、何の気なしに彼女に目を移す。だらしなく口を開けて寝ていた。
まるで天使みたいな寝顔だと、自画自賛しておく。
朝が来た。
カーテンの隙間から漏れた光が眩しくて一度開けた目を閉じてしまう。
何故自分はこんなホテルにいるのだろう。少しずつ意識が覚醒して、その問に答えをあたえる。
横を見た。空っぽのベッドにはついさっきまで誰かが寝ていたあとがある。
わたしは飛び起きる。
彼女の姿は部屋から消えていた。
わたしが怪しい人だと思って逃げ出したのだろうか。それとも家に帰りたくなくなったのか。
わたしがベッドの上に座ってまだ寝ぼけた頭で考えていると、突然部屋のドアが開いた。
唯「おはようっ!」
大人唯「おはよ…」
唯「起きてたんだー。勝手にいなくなってごめんっ」
大人唯「どこへ行ってたの?」
唯「えへへ、ちょっと散歩ー」
大人唯「さんぽ?早起きなんて唯ちゃんのキャラじゃないよ」
唯「いやーせっかくだから町を見ておこうかなあって」
そうだった。
彼女は一応、悩みなり葛藤なりを持って家出した身なのだ。見知らぬ町を見て回りたいと思ってもおかしくないし、むしろ思うのが当然だろう。
大人唯「じゃあさ、今日一日はここを回ってみる?」
唯「え、ほんとっ?……で、でも」
大人唯「嫌ならいいけど」
唯「行きます行きます行かせてください」
大人唯「よしっ、決まり!」
わたしは憂に電話する。
最初は不安気にしていたが、姉の紆余曲折した思いを悟ったのか、最終的にはよろしくお願いしますと(たぶん)頭を下げた。もちろん、わたしは憂が許してくれることをわかっていた。
憂は結局のところ姉に甘かった。そしてそんな憂に甘やかされたわたしは自分に甘い。
早く行こうよと急かしてくる彼女を見て、わたしは苦笑した。
大人唯「あんなにいい妹は他にいないと思うから大切にしたほうがいいよ」
唯「自慢の妹だよー」
大人唯「ほんとだよ?妹を大事にしないと後悔するって」
唯「なんだか経験者は語るって感じだねっ」
憂は大学を優秀な成績で卒業し、今では就職した会社でもその才能を発揮しているらしい。
家から出てアパートで暮らすわたしとは違って、憂は実家で暮らしている。
しかし同じ桜ヶ丘にいながら最近ではなんとなく疎遠になってしまっていた。
大人唯「そうだよー。だから唯ちゃんはしっかりと妹孝行しましょう」
唯「はーい」
よしっ帰ったら皿洗いを手伝おう、なんて意気込んでいる彼女を見て、わたしも未来に戻ったら、久しぶりに実家に帰ろうと思った。
朝食を食べたあとホテルを出た。
見知らぬ町の空気というのはどこか新鮮で清々しい気分になる。
大人唯「どっか行きたいとこある?」
唯「ううーん、何があるかわからないし……とりあえずアイスが食べたいっ」
というわけでわたしたちはコンビニでアイスを買い、しかもそのチョイスが見事に一致したので笑いあった。
大人唯「そうだ携帯のメールくらい確認したほうがいいんじゃないかな?」
わたしは軽音部の誰かが彼女に謝ってきた可能性があるのではないかと考えていた。だとしたらメールを無視するのはまずい。
唯「見たけどメールはなかったよー」
アイスを食べながらのんきに彼女は答える。
唯「今日は土曜で部活は休みだからわたしが家出したこと、みんなは気づいてないんじゃないかな」
大人唯「あ、そうだね」
唯「あ、でも和ちゃんからはメールがあったよ」
わたしははっとした。
大学が別々になってからというもの和ちゃんに会う機会はめっきり減って、あげくには今何してるのかも知らないままだ。
大人唯「どんな?」
唯「仲直りしたほうがいいんじゃないかって」
大人唯「それはそうだねー」
唯「もう……お姉さんまで…わたしだってわかってるけどさ」
唯「おおげさにけんかしちゃったし……わたしがうまく言いたいことが言えなかったせいだけど……りっちゃんも怒っちゃったから」
そうだ、りっちゃんが怒ったんだっけ。
そういえばバンドの活動に最後まで熱心だったのはりっちゃんだったなとわたしは思い出す。
みんなに集合をかけたり、クリスマス会を開こうと計画したり、大学ライブをしたりして。
今は澪ちゃんと同じ会社に入っていると澪ちゃんが電話で話してくれた。
ちなみに澪ちゃんとは最近まで電話で話していたが、なんでも部署が変わったとかで忙しくなったらしく、それからは連絡も途絶えてしまっている。
大人唯「りっちゃんもさ唯ちゃんと同じ気持ちだったんだよ、きっと」
唯「りっちゃんが?」
大人唯「そうだよ。唯ちゃんが卒業ライブをしたら軽音部が終わってしまう気がしたように、りっちゃんは軽音部を続けるために卒業ライブがしたかったんじゃない?」
唯「……あ」
大人唯「……ほらっおしまいっ!せっかくのアイス溶けちゃうよ?」
唯「う、うん…」
しかし彼女はうつむいたまま何かを考えていた。手に持ったアイスが少しずつ溶けはじめている。
大人唯「……えいっ……うまいっ」
唯「ああっ!わたしのアイスぅ……」
大人唯「ぼうっとしているのが悪い」
唯「お、大人げないよっ」
大人唯「えへへっ」
唯「わたしも……えいっ」
わたしは後ろに身をかわした。
大人唯「ざんねーん。7年はやかったね」
しかしその拍子にアイスが棒からするりと落ちてしまう。
大人唯「あっ」
唯「ぷぷっ……あはははっ」
大人唯「………ふふっ……あははっ」
わたしたちはあてもなく町をぶらぶら歩いた。
その町の名物を食べたり、CD屋に立ち寄ってみたり、お菓子を買ったりした。
昼過ぎになってファミレスに入った。なんだか食べてばかりだが
平沢唯がふたりいればそうなってもおかしくはない。
客入りのピークの時間は過ぎていたが店内は混んでいた。人気急上昇中の若手バンドの曲が流れていて、それが店の雰囲気と全然合っていなかった。
唯「わたしこの歌好きなんだー」
わたしはそのバンドが3年もするとすっかり消えてしまうことを知っていたので、ちょっぴり切なくなった。
大人唯「若者向けって感じだね」
唯「じゃあお姉さんは好きじゃないんだねー」
大人唯「ひどいっ」
店員がやってきて席に案内された。
わたしはあまりお腹がすいているわけではなかったので軽いものを頼んだが、彼女は意気揚々とボリュームのあるものを選んでいて、時の流れを感じ苦笑する。
大人唯「そういえばわたしの後輩のバンドがねプロになったんだよ」
唯「ほんとっ?」
大人唯「うん。テレビとかにも出てるらしくてねー」
唯「すごいっ!なんていうバンドなのー?」
大人唯「ええーと……忘れた」
唯「そんなのってないよー」
大人唯「いやあー」
唯「ねえねえどういうバンドなの?カッコいい?」
大人唯「実は……ちゃんと聴いたことはないんだー……テレビに出たのも見てないし」
唯「ええっーわたしはあずにゃんがプロデビューしたら絶対CDも全部買うし、テレビだって見逃さないのになあー」
あずにゃんは放課後ティータイムが解散したあといつからかは知らないが、新しいバンドを組んでプロになった。
なんでも今じゃ若者にすごい人気らしくCDは売れるわテレビは出るわで、毎日のように抱きついていたあの頃に比べずいぶん遠い存在になってしまった。
わたしはまだあずにゃんのCDを聴くこともテレビに映る姿を見ることもできていない。
でも、例えばわたしに子どもができたりなんかして、その子どもに「お母さんは昔あの
中野梓と一緒にバンド組んでたんだよ」なんて言いたくはなかった。
唯「ねぇ?バンドもう一回やろうってみんな誘わないの?」
大人唯「言えないよ…みんなそれぞれ忙しいし……」
唯「でも……」
大人唯「たぶん怖いんだよ」
唯「こわい?」
大人唯「そう」
唯「なんで?」
大人唯「大人になればわかる」
唯「ずるいよお」
大人唯「あはは」
そこでわたしは気づいてしまう。
わたしはまだあの夢のような日々を取り戻せると信じているんだということに。
なにか奇跡でも起きて、またあの頃のようにみんなで笑ったりはしゃいだりできると思っているんだということに。
彼女がデザートを食べたいと言ったので再びメニューを開く。わたしはあるものを見つけて嬉しくなった。
大人唯「わたしこれっ!」
唯「えーそれわたしが食べようとしたのにー。じゃあこれでいいや」
大人唯「いや、こっちにしたほうがいい」
わたしは半ば無理やり彼女に同じものを注文させる。
そのパフェ(正式:ビックチョコレートアンドスノウクリームゴールデンバナナパフェ)はわたしたち平沢唯の大好物だった。値がはるためふだんはあまり食べらなかったが、よく自分へのご褒美にした。
しかしそれはこの時代から一年後、つまり平沢唯大学一年のときに廃止されてしまう。
だからわたしはもちろん、彼女にもこれを食べさせておきたかったのだ。
数十分して、その巨大なパフェがやってきた。
わたしは久しぶりに見るその姿にはしゃいだ。彼女も喜んでスプーンを突き刺している。
しかしながら半分くらい食べたあたりで、わたしたちは後悔した。
食べ過ぎて前に突き出た腹をさすりながらわたしたちはファミレスを出た。
唯「次はどこ行こうかー?」
大人唯「や、休もうよ?」
唯「もうわたしは大丈夫だよっ!若いからねっ」
大人唯「あ、わたしも平気」
唯「見てゲームセンターがあるよっ」
大人唯「ゲーセンなんていつでも行けるじゃん」
唯「でもお姉さんと行きたいんだよー」
大人唯「そっかあ、じゃあ行きますかー」
唯「レッツゴー」
大人唯「ゴー」
最終更新:2011年09月21日 22:51