…
……
………
――つまり。
私は、
やっぱりどこか、
皆に嫌に思われている面があったということで。
何よりも恐れていたその事実が、
誰よりも言われたくない人の口から明るみに出た時に、
私は。
唯「……あなたなんか、入部してこなければよかったのに」
私は――
………
……
…
梓「――プチ旅行、ですか?」
唯「そうそう。電車で一時間か二時間くらいのところにね、ちょちょいっと」
夏の暑さも忘れかけてきたある日のこと。目の前の先輩二人――唯先輩とムギ先輩は、受験生だというのにそんなことを言い出した。
そんなこと、すなわち「二泊三日のプチ旅行に行かないか」と。
紬「私と唯ちゃんがね、福引で当てちゃって」
唯「引いたのはムギちゃんだよ」
紬「でも福引券は唯ちゃんのだから」
話を聞くと、どうやらちょっとばかり有名な旅館に二泊できるチケット(有効期間は今年中)を一発で当ててしまったらしい。相変わらずいい運をお持ちですね、ムギ先輩。
で、今年中まで有効とはいえ受験生の先輩達は冬休みに遊ぶのはあまりよろしくない。だから秋休み――と勝手に呼んでいるほんのちょっとの連休――に行こう、となったわけだろう。
梓「はぁ……でしたらお二人で行ってくればいいじゃないですか。それとも三人までとか?」
紬「ううん、ペア招待。でも私、今年の秋休みはあまり暇な時間が無くて……そもそも券は唯ちゃんのだし、ってことで唯ちゃんに譲ったの」
唯「譲られたからにはあずにゃんを誘おう、とね」
梓「……先に憂を誘ってあげてくださいよ」
唯「もちろん誘ったよー。ねームギちゃん?」
紬「ねー♪」
……そこでムギ先輩に同意を求めるってことは、恐らくムギ先輩にも同じように釘を刺されたんだろう。
もっとも、それに唯先輩が何と答えたかまではわからない。本当に私達に釘を刺される前から憂のことを考えていた可能性だってもちろんある。そのくらいには仲良し姉妹だということは私だって身をもって知っているから。
だから、結局はここまでは特に意味の無いやり取り。様式美。
それでも理由をつけるなら、私が憂に遠慮している節がある、ということくらいか。私と同じように唯先輩を慕っていながらも、私と違って長い間ずっとそばで唯先輩を支えている憂に対して。
でも、憂という素晴らしい友人は唯先輩だけでなく、私の事もちゃんと想って行動してくれるものであって。
唯「あずにゃんを誘えば、って言ってくれたのは憂なんだよ」
梓「そう…ですか」
紬「だから何も気にせず、唯ちゃんに付き合って欲しいんだけど…」
唯「ねー? 行こうよあずにゃん」
梓「じゃあ…お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます、唯先輩、ムギ先輩」
……どこか憂やムギ先輩に気を遣われたような、そんな違和感を感じなかったこともないけれど。
それでも、私だって嬉しくなかったわけじゃない。誘って貰えたのだから光栄なこと。素直に甘えておこう。
……受験生なのにそんなことしてていいんですか、という言葉は電車の中まで取っておくことにする。
唯「じゃあ一時間後に出発だからね!」
梓「いや秋休みまだですし。あと一週間ありますし」
唯「あずにゃんと旅行なんて楽しみで夜も眠れないよー!」
梓「あと一週間寝ないつもりですか、すごいですね唯先輩」
――そうして寝不足で迎えた一週間後。秋休み開始日。
唯「はいあずにゃん、プレゼント」
梓「……?」
電車内で、小さめの紙袋に包まれた軽そうな何かを私に差し出す唯先輩。何だろう?
梓「プレゼントって…今日何かありましたっけ?」
唯「んー、二人っきりで旅行できる素敵な日だよ、今日は。そんな日にはプレゼントが必要なのです」
梓「……相変わらずよくわからない理屈ですけど、ただ貰うのは何か悪いですよ」
唯「いーのいーの、たいした値段じゃないし。それにプレゼントを受け取るということはその場で着けてみることが半ば義務だから!」
梓「じゃあ受け取りません」
唯「ああん、大丈夫だって! そんなに恥ずかしがるようなものじゃないし!」
平沢家の感覚は信用ならないけれど、実際小さめの袋に包まれているしそこまで目立つ物でもないのだろう。
それに、よほどの物でない限り、プレゼントを拒むというのは相手の好意を無碍にする行為。少なくとも嫌いではない相手に対してそんな事が出来るほど私は冷たく在れない。
……さっきのはジョークといいますか、その場のノリといいますか。うん。
とりあえず、唯先輩が取り繕っているうちに受け取ろう。悲しい顔はさせたくない。
梓「……まぁ、中身次第ですけど。開けていいですか?」
唯「むしろ開けてください!」
梓「はいはい……」
セロハンテープ一切れで止められただけの包装を丁寧に剥がし、中身を取り出す。
まぁ、受け取った時の音で中身は大体予想はついてしまっていたのだけど。
唯「はい! 猫ちゃんにぴったり、鈴付きチョーカーです!」
梓「………」
唯「無言で袋に戻さないで!」
梓「じゃあ聞きますけど、これを首につけろと?」
唯「他に何があるの?」
梓「何も無いから却下しようとしてるんですよ」
唯「えぇー!? 名実共にネコちゃんできっと可愛いよ?」
梓「それは 恥 ず か し い と言うんです! 首輪みたいじゃないですか!」
唯「でもでも、これであずにゃんがどこに行っちゃってもわかるはずだよ!?」
梓「大丈夫ですよ、はぐれたりなんてしません」
唯「あずにゃんはそのつもりでも何があるかわからないじゃん。私が見失う可能性もあるんだし!」
梓「偉そうに言うことですかそれ……」
本当にこの人は先輩なのだろうか。と、こうして呆れるのも何度目かはわからないくらいだ。
でも、明らかに取って付けたような理由とはいえ私の事に気を回してくれたのは少し嬉しい。どんな時でも見つけてくれるというのなら、多少の恥なら我慢しておまじない程度に信じて付けてみてもいいかな、という気持ちにはなる。
プレゼントをあらためて袋から取り出し、眺める。
銀色の綺麗な鈴と、それをぶら下げる小さな鉄の輪。そこに黒いリボン――ではなくバンドのようなものを通してあり、首に回して後ろで留めるのだろう――
梓「ってこれマジックテープじゃないですか! 雑!」
唯「実はそれ100均で買ったんだよね」
「たいした値段じゃない」ってカッコつけたのかと思ったら本当に大した値段じゃなかったようで。
いや、もちろんプレゼントは値段じゃないってわかってるんですけどね。大切なのは唯先輩の心遣いだってわかってるんですけどね。
でも、その、100円のものにあんなにマジメに逡巡してしまったというのは、なんか、こう、ちょっと落ち込みますよ。勿論嬉しくないわけじゃないんですけど!
唯「まぁそういうわけで安物だから遠慮しないで貰っちゃってよ」
梓「はい……まぁ安物とはいえプレゼントですから、ありがとうございます、一応」
唯「ホントに一応って感じだね」
梓「恥ずかしいことには違いないですし」
唯「マジックテープじゃなくてリボンか何かにしよっか。電車降りたら探してみよ?」
梓「気を遣わせてしまってすいません」
唯「いいよいいよ。あずにゃんのためだもん」
梓「どうせならもっと根本的な問題に気づいて欲しかったですけどね」
唯「ほえ?」
――電車を降り、駅の構内のお土産屋さんのような小物屋でリボンを買い、銀の鈴をぶら下げる輪に通す。
そして……それを左手首に結びつける。
唯「えー、なんで首につけてくれないのー?」
梓「恥ずかしいって言ってるじゃないですか……これでもちゃんと鈴は鳴るし、見つけてくれますよね?」
唯「うっ……も、もちろん。そうだね、別に首じゃなくても音がすれば安心だよね……」
……私は常識で判断したはずなのに、何故こんなにも罪悪感に襲われるのだろう。悪気のない相手というのは時にやりづらい。
でも、裏表のない人というのはそれだけで信頼に値する、とも言える。少なくとも私は嫌われてはいない。それだけで安心できる。
……嫌われたくない、と思ってしまう程度には、私はこの先輩のことを大切に思っている。
そして罪悪感を感じる程度には、この先輩との時間を大切にしたいと思っている。もうすぐ遠くに行ってしまう、この先輩との時間を。
極力考えないようにしているけど、夏に実感して以来、『孤独な未来』への不安はいつも私を蝕んでいる。
でも、それは表に出してはいけない。私のためにも、先輩たちのためにも。
だから考えないようにしている。もちろん今日も、そんなことなんて考えずに遊び倒すつもりで来た。せっかく誘ってもらえたんだから楽しまないと申し訳ない。
梓「……ほら、行きますよ唯先輩! まず何か食べましょう、早く早く!」
唯「おお、あずにゃんがテンション高い……しょうがないなぁーもう!」
――どうにか空気も持ち直し、そのまま駅の構内の軽食屋で遅い昼食を摂る事に。連れてきてもらった分、ということで昼食代くらいは私が出したかったのだけど、
唯「その理屈はおかしいよー。別に私があずにゃんより多くお金を払ったわけじゃないんだし」
確かに、宿泊費は二人とも無料だし、電車の切符はそれぞれで買ったし、むしろ100円の鈴に通すリボンの値段がお土産屋さん価格で少し上回った私のほうが多くお金を使ってはいる。
梓「ですけど……なんか悪いですよ」
唯「あずにゃんは真面目さんだねぇ。じゃあ気持ちかカラダで返してくれれば!」
梓「そういうノリは困るんですけど」
唯「身も蓋もない…」
とはいえ、この良くも悪くもお金に執着しない先輩には恩義をお金で返すのは確かに何か間違ってる気もする。
むしろ、そういう形の恩返しなんて求めていないだろう。もっと言うならば気持ちを踏みにじりかねない。
……だからといってカラダで返す、なんて笑えないジョークに乗るつもりも無いけど。どこかで気持ちを返せるような物を買って贈ろう。それがきっと一番。
――そう思っていたら、そのチャンスは意外と早くやって来た。
――駅から一歩出たところ、要するに駅の正面入り口の真横で、言い方は悪いが……みすぼらしい格好のお婆さんが、ござを広げて小物を売っていた。
駅の中にも小物屋さんはあったのに、と思ったけれど、値段はそちらより良心的だ。当然といえば当然だけど。
でも見る限り一つも売れていないようだ。というか、きっと皆避けているのだろう。お婆さんの外見が外見だから。
唯「わー、なんかいろいろあるー! ほらほら、あずにゃんもおいで!」
……この人以外は。
梓「……はいはい…」
正直言うと私も関わりたくは無かったけれど、この先輩を見ているとそんな考えを抱いた自分を責めたくなる。
外見で人を判断しない。臆せず人と関わることができる。それは間違いなくこの人の長所で、長所というのは見習うべきものなのだから。
広げられている商品をいろいろ見てみると、意外……といっては失礼かもしれないが丁寧な作りの物ばかりで、値段と照らし合わせると破格と言って差し支えない。誰一人見向きもしないのが実に勿体ないほど。
いや、見向きされたら駅内の小物屋さんが商売上がったりになるだろうし、これでいいのかもしれないけど。
唯先輩も私と同じように出来を非常に評価しているらしく、身を乗り出してもはや凝視といったレベルで観察している。
私も唯先輩ほどではないにしろ、他者からの目なんて忘れるくらいには熱中して様々なアクセサリーに目を走らせて――
梓「あ……」
そんな中の一つ、金に彩られた三日月のあしらわれたネックレスに目が留まる。
値段も値段だし恐らくメッキだろうけど、不思議と輝きを放っていて。私の顔が綺麗に反射して映るほどに磨かれていて。
私はしばし、それに見入ってしまった。いや、むしろ私が魅入られた、とも言えるかもしれない。それほどに目が離せなかった。
……そして、どれほど経ったかはわからないけれど、そんな時間は唐突に終わりを告げた。
唯「んー? あずにゃんが見てるのコレかな? きれーい」
唯先輩がそのネックレスをひょいっと持ち上げてしまった。私の視線はそれに追われながらも、でも唯先輩の言葉自体は右から左へ抜けていく程度にはまだ魅入られていて。
唯「……おーい、あずにゃーん? おーーい」
梓「…あ、すいません。えっと、何ですか?」
何度呼びかけてくれたのだろう、と思いつつも、変に思われたくないのでそこは問い返さない。
いや、私が唯先輩の言葉を聞き流すあたり、既に変なのは間違いないんだけれど。
さすがの唯先輩も少し怪訝な顔をしていたので、無理矢理話題を持っていくことにする。
梓「唯先輩も、それ綺麗だと思います?」
唯「え? うん、あずにゃんがずっと見てたから手に取ってみたけど、確かに綺麗だね。買うの?」
梓「いえ、私より唯先輩に似合うと思いますよ」
唯「そうかなぁ? でも、なんか悪いよ。先に見つけたのはあずにゃんなのに」
梓「私には、これがありますから」
言って、左手を小さく掲げる。
左手首に光る銀の鈴が小さく音を立てると、唯先輩は嬉しそうに顔を綻ばせる。
……あー、恥ずかしい事言っちゃったかな……
唯「じゃあ、私が買っていい?」
梓「はい。いい買い物だと思いますよ、それ」
唯先輩に似合うだろうとは素直に思うし、私も不思議と目が離せなかったし、買わない選択肢はなかった。
アクセサリーとの運命の出会い……なんて少し思い上がってしまったくらいだ。この時は。
唯「おばちゃん、これちょうだい!」
婆「 」
問われたお婆さんは口をパクパクと動かし、値札を指差す。
この人、もしかして…?
唯「……?」
……首をかしげる唯先輩を尻目に、素早く財布から硬貨を取り出してお婆さんに手渡した。
梓「はい、行きましょうか、唯先輩」
唯「え? え? あ、うん、あずにゃんお金……」
梓「いいですよ。プレゼントということで。連れてきてもらったのと、これのお礼です」
唯「い、いいの? ありがとー!!」
鈴の音にお礼を言いながら満面の笑みで飛びついてくる唯先輩。街中でそういうノリをされるのは困るけれど、だからといって避けるわけにもいかず。
そして、何よりその笑顔を見ていると抗う気も失せてしまうというもの。
……うん、やっぱりこういう形で返すほうがよかったんだ。私の判断は間違ってなかった。
梓「っていうか秋とはいえくっつかれると暑いんですが」
唯「えー、いいじゃん。あずにゃんの真心で心は暖かいんだから次は身体だよ!」
梓「 あ つ い って言ってるんです! ……あと、唯先輩、それ」
唯「うん?」
梓「……プレゼント、なんですから」
唯「……つけていい?」
無言で頷くと、ようやく離れてくれた。
できれば問い返さないで欲しかったものだけれど。全く、デリカシーのない……
唯「よいしょ、っと……」
……デリカシーはないけれど、首の後ろに手を回してモゾモゾやる唯先輩は、ちょっと色っぽかった。
って何を考えてるんだ私。
唯「……よし、どうかな、あずにゃん」
梓「似合ってると思いますよ」
唯「感情がこもってなーい」
直前に考えていたことがアレですからね……極力感情は殺しましたよ。
とはいえ似合ってると思ったのは事実。まだギリギリ軽装の秋だからこそ、胸元に光るワンポイントは輝けるものだから。
どことなく、買う前より輝きが増したようにも見えるほど。
唯「…まぁ、いっか。あずにゃんが選んでくれたんだもん、似合ってなくても外さないよ」
梓「似合ってますってば、本当に」
唯「はいはい、もうどっちでもいいですよーだ。こういうのは最初が肝心なんだからねっ」
梓「うっ……」
……すごく勿体ないことをしたような気持ちになる。気持ちの流れ的に仕方のないことだったとはいえ、後悔しないかと言われれば疑問が残る。
そんな私を一瞬だけ盗み見て、唯先輩は話題を変えた。
唯「……んふふ。じゃあ行こっか、あずにゃん」
梓「……そうですね」
きっと見抜かれているのだろう。ごく稀に、本当に稀に、この人は真実を見抜く。誰もが気づかないことを、何でもないようなことのように容易く。実にズルくて、いやらしい。
……そんないやらしい先輩は、歩を進めようと提案したにも関わらず、何故か今は私の隣で硬直しているけど。
唯「……えっと…」
梓「まさか行き先がわからないなんてベタなオチはないですよね」
唯「ちゃんと調べてきたもんねー。えっとねー…」
……正直、そんなオチも想定してました。ごめんなさい。ちょっと見直しました。
まぁ「全部任せんしゃい」という唯先輩の言葉に甘えて何も調べなかった私は実際そんなオチがついても責められない立場なのだけれど。
唯「えっと、こっからバスの……モニョモニョ…行きのバスに乗って――」
梓「……はい?」
携帯電話を開いてにらめっこする唯先輩。すごいしかめっ面かと思ったら、次は情けなく眉尻を下げた顔でこちらを見て。
唯「……漢字読めない」
梓「………」
最終更新:2011年09月23日 21:45