紬「はい、唯ちゃん。あーんして」

唯「あ……む、ム、む、ギ、ちゃ……あ」

紬「違うでしょ唯ちゃん、ご飯食べるの。ほら」

唯「あ、ン。もグもぐ……ゴはん、おい、しい」

紬「そう?良かった♪いっぱい作ったから、遠慮なくおかわりしてね」

唯「あり、ありが、と」


陽も落ちかけたある日の音楽室。

私は唯ちゃんと一緒に夕飯を食べながら、楽しいひとときを過ごしていました。

それにしても、今日の唯ちゃんはちょっと調子が悪いみたいです。

頭のネジか何かが、はずれてしまったのでしょうか?

私は唯ちゃんを心配しましたが、それよりも夕飯を食べ終わったあとのことを気にしました。

紬(早く完成させないと……唯ちゃんだけじゃ寂しいわ)

唯「ムギ、ちゃン」

紬「……えっ?あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してて……」

唯「ごち、そう、さまで、した」

紬「あら、偉いわ唯ちゃん。ちゃんとごちそうさま出来るのね♪」

唯「エヘ、へえへ……」


唯ちゃんの照れくさそうな笑顔を見て、私も思わず暖かい気持ちになります。

こんな風に笑っておしゃべりしたり、ご飯を一緒に食べられることが、こんなにも素敵なことだと、
私は気の遠くなるような歳月を経て、しみじみと感じられるようになりました。

紬「……あ」

唯「えへエヘ、むぎぎぎぎちゃあ、あああああえええへへへ」

紬「あらあら……」


唯ちゃんは今食べたばかりのご飯を吐き出しながら、叫ぶように笑い続けました。

ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ

とうとうあごまで外れてしまいました。


唯「アアアアアアアアアアアアアア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!」

制御の利かなくなった唯ちゃんは、ハウリングのような奇声を上げて床を転げまわっています。

紬(声帯の異常かしら……しばらくこんなことはなかったのに)

私は悲しくなり、狂ってしまった唯ちゃんを押さえつけると、電流を流す機械を手に持って
唯ちゃんの首に押しつけました。

紬「唯ちゃん、ごめんね。ごめんね……」

私は泣きながらスイッチを押しました。

バチィッ!!

するどい音とともに唯ちゃんは大人しくなりました。

私は唯ちゃんを抱き上げると、音楽室の外へと運びました。


薄暗い空と、真っ赤な空が、頭上で境界線を作っているのが見えました。

夜になってしまう前に、私は急いで唯ちゃんをラボに持って帰ろうと走りました。

地球上の動物は残らず全滅したとは言え、あれから数百年と経っているのです。
辺りはジャングルのような草木に覆われていました。

人工的な灯りのない暗闇の中には、もしかしたら私の知らない何かが住んでいて、
襲いかかってくるのではないかと気が気ではなかったのです。

ラボへ行く途中、私は草木の生い茂った、泥臭いけもの道を汗をかいて歩いていました。

こんな風に音楽室とラボを何回も通うハメになるのなら、もっとちゃんとした道を

作っておけばよかったと、少し後悔しました。

あの音楽室を建てたのはだいたい10年ほど前ですが、よくよく考えてみれば、

ラボの隣に建てた方がずっと効率がよかったような気もします。

ですが、やはり私は、桜ケ丘高校があった土地――そこは世界大戦の時に綺麗に焼け野原と

なってしまったのですが――その想い出の場所に音楽室を再建することが、

何かとても意味のあることだと思ったのです。


そういうわけで、私は唯ちゃんを担いで、ひたすら音楽室とラボを往復する毎日を送っていました。


紬「ふぅ……」

音楽室から1キロほど離れた場所にある、琴吹財閥のラボへと着きました。

ラボの中は、私が長い時間をかけて開発した実験器具や、古くなってカビの生えた本、
そしてたくさんのコンピュータが所狭しと置いてありました。

私は少しだけ息を切らして、ラボの奥にある"平沢唯"と書かれたベッドへと、
唯ちゃんを寝かせてあげました。

紬「よいしょ……っと」

そのベッドはほとんど棺桶のような形をしていて、周りには大小さまざまなチューブが繋がれています。

唯ちゃんは目を見開いたまま、固まっていました。

私はそばにあるコンピュータの前に腰を下ろして、画面を見ました。

紬「やっぱり声帯の部分が壊れていたのね……それに外部の環境を認識するシステムに
  一部不備があったみたい……」

私はよく、ブツブツと独り言を言います。

紬「う~ん……これは修復するのに時間がかかるわね……」

どうしよう、と私は思いました。

とりあえず人工皮膚が腐らないように、唯ちゃんの体を培養液に浸しておきます。

紬「しょうがない、かぁ。りっちゃんたちはどうかしら?」

私は唯ちゃんの修復プログラムを組み終えると、隣に並んだ他の棺桶……のような形をした
ベッドの様子を見てみることにしました。

"田井中律"と書かれたそのベッドには、下半身のない少女の姿がありました。

紬「唯ちゃんを直している間に、りっちゃんだけでも完成させようっと」

私はさっそく、りっちゃんの傍のコンピュータをカタカタと操作します。

唯ちゃんが完成してから2週間、一人作ってしまえばあとの3人は簡単だろうと思っていたのですが、
実際はそう上手くいきませんでした。

というのも、私は彼女たちの体を組み立てるときは、なるべくコンピュータのモデリングや機械に頼らずに
自分の手で作ってあげたいというこだわりがあったからです。

人類が滅亡してからも、私は放課後ティータイムの写真や記録を大事にとっておきました。

それを頼りに、私は彼女たちの肉体を再現しようとしたのです。

紬「え~っと、りっちゃんは結構足が細いのよね。ドラムをやってたから引き締まってるのかも」

私は写真とりっちゃんのベッドの中身とを交互に見比べながら、合成筋肉の仕様を計算します。

当然、彼女たちは全裸ですから、その、恥部も再現する必要があったのですが、
そうは言っても資料がほとんどありません。

そこは想像で補います。

そんなことを考えて、なんだか恥ずかしさで顔が紅潮するのです。

その度に、私にもまだ人間らしさが残っているんだなぁ、なんて実感して、
変に嬉しくなります。


私は骨格や人工皮膚をせっせと作りながら、あの音楽室で、放課後ティータイムのみんなと

楽しくおしゃべりできることを夢見ていました。



そう、私たちがまだ人間として生きていた、あの頃みたいに…………



◆◇◆◇

律「お、遅かつたな、ムギ」

紬「あら、もうみんな来てたのね。ごめんなさい、今からお茶、淹れるわね?」

澪「そんな、気をつかわなくても、大丈夫、だよムギ」

紬「いいの、いいの。これは私がやりたくてやってるんだから」

唯「むギちゃん、今日のお、おやつは、ナニ?」

紬「今日はモンブランよ~♪」

梓「うわぁ、おいし、そうだなぁ」


実際はモンブランの形をした乾燥栄養剤だったのだけれど、彼女たちは喜んで食べてくれました。

あれから1年とちょっと経って、ようやく私は放課後ティータイムのみんなを完成させました。

動きはまだどこかぎこちないけれど、彼女たちの思考プログラムは自律学習が出来るようになっているので、
そのうち滑らかに話せるようになると思います。

今日の私は、掃除当番で少し遅れて来るという設定でした。

彼女たちは暖かく私を迎えてくれました。

感激して涙が出そうになるのをぐっ、とこらえて、私はモンブラン……の形をした乾燥栄養剤を
ニコニコと机に置くのでした。


梓「ちょ、っとゆいせんぱい!わたしの、取るな!」

唯「あははは、あずにゃんが、怒ったー」

梓「ふざ、けるな!」

ガタン!

澪「梓ちゃん、落ち着き、なよ」

律「うまいな、これ」パクパク


梓ちゃんが唯ちゃんを怒鳴ってしまいました。

紬(あれれ……?梓ちゃんってこんな性格だったかしら?)

それに澪ちゃんや、りっちゃんの言動にも、どこか違和感を感じます。


とうとう梓ちゃんが音楽室から出て行ってしまいました。

紬「あっ!待って梓ちゃん!」

私は必死になって追いかけていきます。


ギィ、と木製の扉を開けると、地面に大の字になって倒れている梓ちゃんがいました。

私は彼女たちに、この音楽室でしか活動できないようにするプログラミングを施していたのです。

紬「あらあらあら……せっかく作った制服が汚れちゃった」

私は梓ちゃんを抱きかかえて、音楽室の隅に置いておくことにしました。

唯「……あ、れ?あずにゃんは、どこに行つたの?」

紬「梓ちゃんは怒って帰っちゃったみたい」

唯「そっかぁ」

澪「まったく、ゆいが、欲張るから、だぞ」

律「むぎ、お茶のお、おかわりくれ」

紬「はいはい、ちょっと待っててね」


私は数百年もの間、彼女たちと再び会えるのを楽しみにしていました。

ですが、いくら体に生命維持装置を埋め込んで、老いることのない永遠の命を手に入れても、
流石に記憶まで完璧に覚えていません。

放課後ティータイムのみんなの姿や形は記録に残っていても、性格や話し方などはかなり曖昧にしか
覚えていないのです。



それでも、この数百年、彼女たちを思わない日はなかった。

むしろこれだけ再現できたことを誇りに思うくらいです。

ちょっとした差異はありますが、ほとんど彼女たちそのものだと言えるのではないでしょうか。

けれどもやはり、その小さな差異はくっきりと、私とみんなの間に深い溝を作るのでした。



今日は帰ったら、もう少し人工知能を練ってみようかしら。

どうにも、私のおぼろげな記憶の中のみんなと、私が作ったみんなとが完全に一致しないのです。

唯ちゃんなどは一番時間をかけて調整しているのに(彼女を最初に作ったから)
いまだにしっくり来ないのです。

唯ちゃんは普段ぼけっとしてて、でもやる時はすごく頑張る子で……

私は唯ちゃんの笑顔がとても好きでした。
だから笑った顔だけは、とても念入りに調整したのです。
おかげで笑顔は完ぺきでした。

でも違うのです。

本来の彼女の、あの人を和ませるような心の暖かさが、ありませんでした。

ほころんだ彼女は、まるで天使のよう。

でも私が作った唯ちゃんの笑顔は、遥か昔の唯ちゃんの笑顔を思い出させるだけの、
ただの完ぺきな彼女の模倣でしかありませんでした。


そして他にも、私の頭を悩ませるものがありました。

唯ちゃんは……ちょっと言いにくいことなのですが、彼女は間抜けだったのです。
底抜けに天真爛漫で自由奔放だった唯ちゃんは、ときどき呆れるほど間抜けなことがありました。

そしてそのちょっとお馬鹿なところが、とても可愛らしいのでした。


私の作った唯ちゃんは、その加減を見失うことが多々あったのです。

時にそれは、どこにも可愛らしさのない、醜い、身勝手な振る舞いとして私の目に映りました。


この辺の具合も、これから長い年月をかけて、かつての本物の唯ちゃんに近づけるように
私が頑張って調整しないといけません。




こうして私は、放課後ティータイムのみんなを揃えたあとも、ラボに籠っては黙々と研究に
没頭し、その息抜きに音楽室で放課後のおしゃべりを楽しむ毎日を送っていきました。




――ある日のことでした。

澪「あ、れ?今日は、りつ、来ていないのか」

唯「澪ちゃん聞いてないの?風邪引いて休んだんだよ」

梓「そうですか。おでこでも、冷えたんでしょうか」



私はふと思い立って、いつかの軽音部の想い出を再現してみようとしました。

私の記憶が正しければ、確かりっちゃんが風邪で休んだ時、澪ちゃんがとても心配して、
りっちゃんの家まで看病しに行った……ような覚えがあります。

そのとき、私は二人の間にある美しい友情、信頼関係に心を打たれたのでした。

詳しい部分は正直あまり記憶にないのですが(なんだかとても曖昧なのです)

とりあえず、りっちゃんだけ今日は部活に来れないという設定で、彼女たちの思考実験も兼ねて、

試してみることにしたのです。


澪「りつ……が、風邪……?」


さあ、澪ちゃんはりっちゃんが風邪で寝込んでいると知ったら、どんな行動を取るのでしょうか。


澪「風邪……りつ、が、病気……」

唯「澪ちゃん、どうしたの?」

澪「た、大変だ……!こ、こんな、ことし、してる場合じゃ、ない!」


そう。澪ちゃんはりっちゃんのことが心配でたまらないはず。

今の彼女の頭の中はりっちゃんのことでいっぱいなのでしょう。

私はこの二人に与えた相互認識プログラムがどこまで発展するのか、とても興味がありました。


澪「いま、いますぐに様子、を、見に行かないと……!」

唯「お、落ち着きなよ澪ちゃん……」

紬「…………」

梓「うふふ。そんなことより、も早く練習!です!」


ちょっと梓ちゃんの言動は安定しませんが、それはひとまず置いておきましょう。


澪「ああ……りつ、りつ、りつ……り、つ……」

小刻みに震えていた肩が、だんだんと澪ちゃんの指先に伝わり、

まるで何かの禁断症状のように、とても不安な動きへと変わっていきます。

人工歯をカチ、カチと鳴らしながら、視線はある一点をぎゅっと見つめていたかと思うと、

今度は足がガタガタと震えはじめました。


ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ


澪「り、つ……りつ、りつ、律、りつ律りつ、律」


澪ちゃんの黒い、綺麗な瞳が、宙をふらふらと泳ぎ、息遣いも荒くなってゆきます。

顔は青ざめ、口だけがパクパクと、りつ、りつ、とだけ呟いていました。

その声は、次第にうめくような、どす黒い吐息へと変わり、もはや全身の震えは、

痛ましい痙攣となって、ガクガクと椅子や机を打ちつけました。


澪「ぅぅうぅぅううう…………りつりつりつりつりつ律りつりつrうt……」

ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ


なんということでしょう。

私は、これほどまでにりっちゃんのことを想う澪ちゃんの姿を見て、感動せずにはいられませんでした。


澪「うううううぅぅぅぅううううぅぅうううううぅぅうぅぅぅぅうぅ」


澪ちゃんは口から泡を吐き、ぶくぶくと音を立てながらも、なお低く叫び続けていました。

目はグルンと白目を剥き、何を言っているのか聞き取れません。

艶やかな黒髪を振り回し、スカートにはとうとう生温かいシミがジワァと広がって、

黄色い汁が太ももを滴り落ちてゆきます。

その姿はほとんど半狂乱でした。


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最終更新:2011年10月02日 01:32