紬「澪ちゃん、落ち着いて」
澪「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううう…………」
ガクガクガクガクガクガクガクガク
なんて美しい友情なのでしょう。
でも、これはちょっとやりすぎなんじゃないかしら。
私はりっちゃんのために正気まで失ってしまう澪ちゃんに感激してしまいましたが、
このままでは本当に狂ってしまいます。
よくよく思い出して見ると、昔、あのときの澪ちゃんはこんな感じではなかったような気がします。
もう少し、こう、大人しかったような…………?
澪「りつぅ……いやだ!!!!いやだあああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
澪ちゃんの声は、突然つんざくような絶叫へと変わっていきました。
それはもう、心の奥の感情を全て絞り出したような、聞くに堪えない悲しみの咆哮でした。
私は思わず耳をふさいでしまいます。
澪ちゃんの悲しみが、りっちゃんを想うその優しい心が、私の胸に突き刺さるような気がしたのです。
澪「りつりつりつりつりつりつ!!!!!いやあああああああああああああああああ!!!!」
これ以上は危険です。
私はやむを得ず、澪ちゃんの体を押さえつけ、首元にスタン電流を流して、気絶させました。
澪「りつりつりつりt」バチィッ
澪ちゃんは大人しくなりました。
そのわきで、唯ちゃんと梓ちゃんは何事も無かったようにお菓子を食べていました。
紬「ごめんなさい唯ちゃん、梓ちゃん。私ちょっと用事を思い出したわ。
澪ちゃんも一緒に行くから、二人とも待っててね」
唯「ほいー」
梓「えへえへ、むぎせんぱい、行ってらっしゃい、です」
私は澪ちゃんを担ぐと、ラボへと急ぎました。
澪ちゃんの、りっちゃんへの想いは、けっこう再現できていたのではないでしょうか。
この実験はかなり成功したと言えそうです。
ただ、ちょっと度が過ぎていたような気がしないでもありません。
まだまだ改良の余地はありそうですが、ベースとなる澪ちゃんの思考プログラムは
このままりっちゃんや、唯ちゃん、梓ちゃんにも流用できると思います。
私はラボに到着すると、すぐに澪ちゃんをベッドに寝かせ、彼女の意識の中を覗いてみました。
紬(あら?)
私は異変に気が付きました。
なんと澪ちゃんの脳味噌が、半分ほど焼けただれ、どろどろに溶けていたではありませんか!
紬(これは……一体どういうことなのかしら……)
私は丹念に彼女の意識を調べてゆきます。
すると驚くべきことに、彼女の思考回路の中では、りっちゃんに関するあらゆる論理的手順が
破壊されていたのです!
私は、わけがわかりませんでした。
澪ちゃんはりっちゃんを想うあまり、完全に壊れてしまったということなのでしょうか?
紬(いいえ……そうじゃないわ)
私はかぶりをふりました。
澪ちゃんは、自分の頭の中から、りっちゃんの存在を完全に消し去ろうとしていたのです。
紬(なんで……なんで……)
私は絶望しました。
紬(澪ちゃんにとって、りっちゃんは消してしまいたいほどの存在だったの?)
紬(……違う、そんなハズはないわ。だってあの時……高校生の時の澪ちゃんとりっちゃんは
あんなにも仲が良くて、お互いに信頼し合っていて、私なんかが入り込める余地なんてないくらい、
恋人同士のように生きていたのに……)
なんで?どうして?
そうやって頭を悩ませ、必死に澪ちゃんの脳味噌をいじくりまわしているうち、ふと、
私の心に一抹の考えがよぎりました。
――私が間違っていたの?
私が無理矢理、澪ちゃんの心を、りっちゃんと結び付けようとして……
私のせいで、澪ちゃんはりっちゃんを否定して、拒絶したの?
その考えは、とても、とても恐ろしいものでした。
私が組み込んだ思考プログラムは完ぺきだったはず。
澪ちゃんは、それを拒否した。
それはつまり、澪ちゃんが私を否定しているということ……?
紬「はぁっ……はぁっ……!」
私は恐怖のあまり、息が出来ませんでした。
紬「澪……ちゃん……。私が……私が間違っていたの?ねえ……答えてっ……」
私はベッドの上で固まっている澪ちゃんの肩をつかむと、激しく揺さぶりました。
ギィッ ギィッ
軋んだ音を立てて、澪ちゃんはリズミカルに飛び跳ねました。
ビヨン ビヨン
紬「ねえっ!澪ちゃん、答えてよっ!私のやってきたことは間違っていたのっ!?」
ギッ ギッ
私はいつのまにか大声を出していました。
これほど声を張り上げることは久しぶりです。
初めて唯ちゃんを完成させたとき以来かもしれません。
紬「澪ちゃん!澪ちゃん!澪ちゃん!澪ちゃん!教えてよっ、何がいけなかったの!?」
ギッ ギッ ……
私がみんなを生き返らせようと思ったから……?
私がみんなと、もう一度会いたいと思ったから……?
紬「ねえ……澪……ちゃん……どうして……」
澪ちゃんは何も答えません。
澪ちゃんは人形のように、固まったまま、動きません。
私はその場に泣き崩れました。
ひとりぼっち。
私はこの世界で、ずっと、永遠に一人……
なぜ私だけが、生き残ったのでしょう。
この小さな、取るに足らないちっぽけな人間が、地球上でたった一人、残された理由……
何度も、何度も、何度もその理由を考えました。
その度に、私は死ぬことを考え、その度に、死んではいけないと考えました。
死のうと思えばいつでも死ぬことが出来ました。
でも、私は死にませんでした。
死ぬ勇気がありませんでした。
ひとりぼっちになってから10年、20年ほどの間、私は必死に生きていました。
でも、独りに耐えられなくなって、500年くらい、私は死ぬことばかりを考えていました。
そして死ぬことが出来ない、私には死ぬ資格もないと悟ったとき、いつしか私は、
幻のなかの軽音部、遠い記憶の中の軽音部と会う夢に、取り憑かれてしまいました。
唯ちゃんと会いたい。
澪ちゃんと会いたい。
りっちゃんと会いたい。
梓ちゃんと会いたい。
そしてみんなと、あの想い出のなかの放課後を、もう一度――――
それからは無我夢中で、みんなと再び会う方法を探し続けました。
そしてそれは、私にとって生きる意味、生きる喜び、生きる理由を、もたらしてくれたのです。
――私は、狂っていたのでしょうか。
それでも私は、例え狂っていたとしても、きっと軽音部のみんなは私を信じてくれると、信じていたのです。
……そう、信じていたのに…………。
目の前の澪ちゃんは、ただ黙ったまま天井を見つめているばかりで、何も答えてくれません。
私が生きてきた数百年は、無意味だったのでしょうか……?
私の、たった一人取り残された私の、最後の友達たちは………
所詮、弄ばれた魂の奴隷だったのでしょうか……?
◆◇◆◇
唯「ムギちゃん、今日のおやつはなぁに?」
紬「カスタードプリンよ~♪」
律「おおっ、こりゃまた美味そうだな!」
澪「それにしても毎回毎回、こんなに作るのが大変そうなお菓子で大丈夫なのか?」
紬「大丈夫よ~。私、けっこう楽しんでるから♪」
梓「みなさん、ちゃんと食べ終わったら練習するんですよね?」
唯「あずにゃんは心配性だなぁ~。ばっちり、やりますとも!」フンス!
梓「なら……いいですけど」
あれから数千年と経ちました。
地球は、人類が犯した数々の破壊の傷跡をあっという間に直してしまいました。
核の汚染はまだまだ残っていますが、驚異的な自然の治癒力で、
それらは優しく、大地の全てへと、包み込むように溶けて無くなっていくのでした。
澪「ムギ、新しく作る道路とか電灯の仕様は大丈夫なのか?」
紬「ええ、今のところ予定の手順に大きな間違いはなさそうね」
唯「それにしてもムギちゃんは何千年もあのラボで研究してたなんて、すごいよね~」
梓「ムギ先輩がいなければ、私たちも生まれてこれなかったわけですからね」
律「それに私たち以外のロボットも作っちゃうなんて、流石だよ、流石」
りっちゃんがプリンを頬張りながら、嬉しそうに言います。
そうなのです。私は彼女たちを、この音楽室の中だけの存在に留めないで、
新しく生まれ変わった地球の住人として、一緒に暮らすことに決めたのです。
現在は私たちの他にもロボットが少数いて、こっそりと働いています。
彼らは音楽室以外の、ラボや荒れた大地を整備する役割を持たせています。
おかげで私も軽音部のみんなと居られる時間を作れるようになりました。
ただ、私などは特にそうなのですが、基本的に私たちは食事をする頻度が極端に少ないのです。
そのこともあり、私たちは無駄に自然を破壊することを良しとしません。
音楽室の周辺と、ラボの周辺、その間にある簡素な道路さえあれば、それ以外は自然のままで
まったく手を付ける必要がないのです。
なので今回、新しく道路を作ったり、電灯を取りつけたりする作業は、なるべくゆっくりと、
長い年月をかけて完成させようと思っています。
そうでもしないと、すぐにやることがなくなってしまうのです。
既に音楽室の周りのジャングルは綺麗に整備され、景観もそれなりに整えてあるのですが、
この段階にいたるまで、実に100年もの月日を費やしました。
私は軽音部のみんなと楽しくおしゃべりしながら、ときどき思い出したように
土木作業をしたり、ちっちゃな畑を耕したりして、時間を潰していました。
そうなのです!時間はどこまでも、抱えきれないほど、私の目の前に広がっていたのです!
唯「えへへへ……」
紬「? どうしたの? 唯ちゃん」
唯「んっとね、ムギちゃんのおかげで私たちがこうして一緒にいて、一緒におしゃべりしてること……
これってすごく幸せなこと……なんだよね?」
紬「……うんっ。私たちはみんな、幸せよ」
唯ちゃんは、あの天使のような微笑みで、私の全てを受け入れてくれます。
たまに、私はひどく不安になるときがあります。
私の中に埋め込まれた生命維持装置は永遠に止まることがありません。
永遠に止まることがないのです。
私がかつて生きてきた数千年……いえ、もしかしたら数万年だったかもしれませんが、
その気が遠くなるような膨大な時の記憶でさえも、私の眼前に広がる無限大の時の海に比べれば、
どんなにちっぽけなものか分かりません。
私は果てのない真っ白な世界の中心で、ただひとり、ぽつねんと歩き続けるのです。
それは私一人という人間では決して受け止めることのできない、底なしの恐怖そのものだったのです。
私はそれを受け止めることができませんでした。
だから、私とともに永遠を過ごしてくれる、私の友達を望んだのです。
律「よし、それじゃあ練習すっか」
唯「あ、その前におトイレ~」
梓「唯先輩には排泄機能でもついてるんですか……」
唯「あちゃあ、バレちゃったか」テヘ
澪「すぐそうやってサボろうとする。駄目だぞ、唯」
紬「でも擬似的におしっこは出来るようになってるんだけど……」
梓「あんまり甘やかしちゃダメですよ、ムギ先輩」
律「そもそもトイレなんてないしな」
唯「みんな厳しいっす~」
私は彼女たちと一緒にいる限り、決して一人ではないと確信できました。
寂しさも、退屈も、何もかも忘れて、私は永遠の放課後を生き続けようと決心しました。
でも私はあるとき、気付いてしまうのです。
私の生きている永遠の時のなか――――そこで過ごす放課後の毎日は、
私にとって決して進むことのない、完全に止まった時の世界だということに。
真の意味で私の時間が動き出すとき、世界は、終わりへと収束していくことに。
そして軽音部のみんなは、私の心が作りだした、私の記憶、私の願望……
私という存在そのものだということに――――。
◆◇◆◇
人類がいなくなって、どれくらい月日が経ったでしょう。
私はもう、正確な年数を覚えていません。
一日の長さは相変わらず24時間で、それが365回過ぎると一年となり、その一年を
10万回くらい繰り返したのでしょうか。
私は、その数え切れないくらいの朝と昼と夜と季節を、繰り返し、繰り返し、
飽きるだとか、退屈だとかいう感情にすら飽きてしまうほど、繰り返しました。
終わりのない、始まりすらも遠く彼方へ忘れ去った、でも幸せな日々………
最終更新:2011年10月02日 01:34