中3の春から、わたしは受験に向けて塾へ通い始めた。
それでもまだ、彼女とはよく遊んだ。
どこかに出掛けると、たくさんのカップルを目にする。
幸せそうな笑顔を目で追っては、自身の現状に落胆する。
こんなに近くに居て、どうして苦しいんだろうと。
そんな気持ちを払拭するように、好きでもない勉強を頑張った。
その頃から、彼女はよく音楽の話をするようになった。
たくさんのCDをわたしに持たせ、感想を聞かせろとせがむ。
目を輝かせる彼女と同じように、わたしも音楽に夢中になった。
今部屋にあるCDのほとんどは、彼女が薦めてくれたもの。
きっと彼女が居なければ、ここまで音楽も好きじゃなかっただろう。
詩を書き始めたのもその頃だった。
新しいDVDを買ったから、と呼ばれた彼女の家。
1枚のディスクが終わる頃、彼女は「これだ!」と言い出した。
「わたしはドラム、澪はベースな!」
「…勝手に決めるな」
「え?澪はベース選ぶと思った」
「いや…その通りだけど」
「だろ?わかるよ、澪のことは」
そんな言い方をされると、期待してしまう。
また…あの頃に戻れるんじゃないか。
その期待もまた、すぐに崩れてしまうんだ。
「今日クラスの奴に告白された」
急に電話を掛けてきたと思えば、この内容だった。
「…そっか」
「…そんだけ?」
「…わたしに何て言って欲しい?」
「普通、『おめでとう』とかだろ」
「…おめでとう」
「ありがと。じゃあ、そんだけだから」
会話にしてたったの1、2分だった。
相手の名前は聞いていない。
「おめでとう」なんて思えるはずがなかった。
なのに本当の気持ちは、言葉になりたがらない。
今までのすべてが消えてしまった気がした。
彼女はその人と付き合うんだろうか。
…嫌だよ。
電話を切ってすぐ、彼女からメールが入る。
From りっちゃん
「明日からそいつと学校行くことにしたから、澪は先に行って」
ディスプレイを涙が打った。
大きく息を吐いて、シャツの袖でディスプレイを拭う。
メニュー画面に戻り、電話帳の「ラ行」から彼女の名前を探した。
りっちゃん_
りっちゃ_
りっち_
りっ_
り_
_
り_
りつ_
律_
次の日、わたしは一人で登校した。
いつもより随分早く着いて、教室は鍵が掛かっていた。
職員室に鍵を取りに行って戻ると、もう数人の生徒が教室が開くのを待っていた。
「あれ?今日秋山さん一人なんだ」
「…そうだよ」
席に着いて、カバンから本を取り出す。
教室で本を開いたのはいつ振りだろうか。
段々空席が埋まっていく。
それまで止むことがなかった話し声が、急に止んで、また大きくなった。
彼女が言う「そいつ」が誰か、その時に知ってしまった。
「あいつら付き合ってんの!?」
「マジかよ、いつからだ?」
「あいつ、前々から田井中のこと好きだったもんな」
「それで秋山さん一人だったんだね」
「あの二人付き合ってるのかな?」
「秋山さんに聞いてみようよ」
こそこそと上がる声が耳に入る。
何でわたしに聞くんだよ。
…本人たちに聞けよ。
「ねえ秋山さん、あの二人付き合ってるの?」
「何でわたしに聞く?」
「だって仲良いし、友達でしょ?」
「友達だよ、ただの」
「じゃあ知ってるんじゃないの?」
「さあ。…本人たちに聞いてくれる?」
やっぱり秋山さんって難しい子だね、なんて小さな声で話しながら二人の女子が離れていった。
「りっちゃーん」と言いながら、今度は二人して彼女に近づく。
わたしには許されない、あの呼び名で。
「ねえねえ、一緒に来たの?」
「そうだよ」
照れるそぶりもなく、そう答える。
「付き合ってんの?」
「お前らに関係ある?」
不機嫌そうな顔をしたのは、彼女も女子二人も一緒だった。
調子乗っちゃってやな感じだね、今度も二人はそう呟いた。
「澪、1時間目移動だぞ?用意しろよ」
「ああ、ごめん」
「先行っちゃうぞ」
「ちょっと待って!…律」
この日初めて、わたしは彼女を律と呼んだ。
その日から1週間、一人で登校した。
毎朝わたしが教室の鍵を開けた。
この教室で読み終えた本は、1冊だけではなかった。
なのに週が明けると、彼女も一人で登校してきた。
また教室がざわつく。
「え、もう別れちゃったわけ?」
「えらく短いな」
「うわー、もうフラれちゃったか」
「今日は別々なんだね」
「終わるの早かったね」
「やっぱ付き合ってなかったのかな?」
「また聞いてみる?」
「どうでもいいよ、もう」
ざわつく周囲を気にすることもなく、彼女が近づいて来る。
「みーお!」
「なに?」
「わー、冷たい反応」
「…何だよ?」
「何読んでんの?」
「本、小説だよ」
「よく読めるよなーそんなの」
「…律にはちょっと難しいかもな」
「うるせー!…で、さ」
「ん?」
「…また明日から一緒に学校行こ」
「…あいつはいいのかよ」
「一緒に行くのやめたから」
「…勝手な奴」
「ごめん、でも澪と一緒に行きたい」
「…わかった」
わたしたちはまた、二人で登校するようになる。
本当は突き放してやりたかった。
これ以上わたしの気持ちをかき乱さないで、と。
それでもわたしは弱いから、結局は受け入れてしまう。
…彼女を好きで仕方ないから。
気持ちを消さなきゃ、といくら思っても、
彼女を拒絶するのが、とても怖かったんだ。
寒くなるのに比例して、受験勉強が忙しくなる。
相変わらず塾に通って、夕飯はそこで食べる毎日。
彼女と遊ぶ機会も減った。
公立も私立の桜高も、A判定が出るまでに勉強した。
何かを目指すというより、
余計なことを考えないために、ひたすらホワイトボードの字を追った。
学校では、受験へ向けての授業も多くなってきた。
教師の話を受け、彼女が話しかけてきた。
「澪って桜高受けんだよな?」
「うん、公立と併願だけどな」
「じゃあわたしも桜高受けよっと」
「…律、ちゃんと考えたほうがいいぞ」
「何せ近いし?」
「そんな理由で決めることじゃないんだ」
「だって正直どこでもいいし、澪と一緒でいいや」
「…簡単に言うけど、桜高も結構頑張んなきゃ厳しいぞ」
「専願なら何とかなるって」
「…勝手にしろよ」
必死になっている素振りはなかった。
いつも通り、授業中は寝て過ごしている。
わたしの心配をよそに、テストの点は急に上がっていた。
今まで恒例だった、わたしに泣き付いてくることもない。
「わたしが本気になればこんなもんだよ」
得意げに言った彼女は、合格通知を手にしていた。
わたしも見事、合格。
公立の試験に落ちてしまえば、このまま彼女と一緒に居れるかもしれない。
試験会場に向かう道のりでは、そんなことが頭に浮かぶ。
それは試験が開始しても、頭について離れなかった。
合格発表の日、わたしの番号はそこにない。
ただ呆然と、掲示板の前に立っていた。
悲しいとか、そんな気持ちはなかった。
「どうだった?」
「…落ちた」
「そうか…」
「うん」
「…残念だったな」
「落ちたものは仕方ないよ」
「まあさ、同じ高校行けるんだし…わたしは嬉しいよ」
「…そうだな」
励まそうとする彼女をよそに、わたしは妙に落ち着いていた。
…受かるわけがないよ。
名前だけ書いた解答用紙で。
「落ちたよ」
その報告に、ママは少し悲しそうな顔をした。
パパは笑って、頭を撫でてくれた。
わたしはこれからを、彼女と一緒に過ごすことを選んだ。
入学式。
新しい制服に袖を通す。
大きく息を吐いて、姿を映した鏡から離れた。
履きなれない革靴を履いて、彼女の家へと向かう。
ちょうど3年前を思い出しながら。
あの時と同じように玄関先に立っていた彼女は、わたしに気付くなり大きく手を振る。
紺色のブレザー、青いタイ。
今まで見てきた彼女とは少し違って見える。
思わず目を反らしてしまった。
「おっはよー!似合ってんじゃん」
「…律はシャツ入れる、でボタン閉める」
「へいへい、相変わらずお堅い娘さんだこと」
「最初くらいちゃんとしろよ」
「…そうだな、これから高校生編始まるわけだし!」
そう意気込んで、少し前を歩いていた彼女は振り返った。
こちらを見る彼女は希望に満ちた笑顔だった。
「そう言えばさ、中学の入学式もこうだったよな」
「ああ…律のスカート姿が新鮮で」
「あの時の澪ひどかったよな、人のこと見るなり笑うんだもん」
「ちゃんとその後褒めたぞ?…可愛いって」
「…そうだったっけ?覚えてねーや」
「…ほら、急がなきゃ遅れるぞ」
覚えてない、か。
もしかすると、幻だったのだろうか。
あの幸せな時間たち。
もう、それでいいのかもしれない。
そろそろ見切りをつけなくちゃいけないんだ。
早く「友達」という居場所に落ち着かなくちゃ。
友達でいいから、せめて「特別」で居たい。
そう思った。
春なのにまだ肌寒くて、澄んだ空気。
これから始まる3年間。
その3年の間に、ちゃんと「友達」になれるのかな。
最終更新:2011年10月15日 01:33