「新しい歌詞、郵便受けに入れとくから」


彼女には先にそう伝えておいた。

その辺りから、彼女は様子が変だった。

話しかけても聞いていない様だし、急に立ち止まって話を変えたり。

やっぱり、そう思った。

露骨過ぎたんだろう。

だからわたしにあんな態度なんだ。


しばらくして、また普通に接してくれた。

何もなかったように、ただ普通に。

それでも彼女は、相当歌詞が気に入らないようだった。

「あの歌詞はなしだから」

そう言って、歌詞はボツになってしまった。

また…友達なんだから、って言うのかな。


部活が終わって、5人で歩く。

唯は梓に何やらちょっかいを出してるらしく、

ムギは彼女と今日の宿題について話してる。

わたしはその2組を少し後ろから見ていた。

電車通学のムギとは駅で別れて、次はわたしと彼女が並んで歩く。

特に話すこともせずに。


いつもの信号に着いたところで、まだじゃれ合っていた2人とも別れる。

姿が見えなくなったところで、彼女が口を開いた。


「どうしたんだよ、黙りこくっちゃって」

「…何であの歌詞ダメなんだ?」

「いや…あれはないだろ」

「何で?」

「何でも」

「…わたしの、気持ちだから?」

「はあ?」

「わたしの気持ちだよ、あれ。わかってるんだろ?」

「なあ澪…もうさ、昔のことは忘れろよ」

「忘れるってなんだよ」

「もう…わたしたち高校生だぞ」

「だから何?」

「そろそろ物の分別つけなきゃ」

「言ってる意味がよくわかんない」

「過去に囚われるな、ってこと」

「それが忘れるってことなのか?」

「そうだな」

そこからは、どちらも口を閉ざしたままだった。

彼女の家に着いて、

「じゃあな」

って彼女は言ったけど、それに応えることもなく歩いた。

自分の家の前も過ぎて、ただただ歩いた。

涙なんて出ない。

手袋をしていない手がかじかんで、感覚がなくなっていく。

心もだってそうなればいいのに。

「どんなに寒くても ぼくは幸せ」

それが言えるのは、掛けてくる彼女が居なきゃダメだった。


いっそ体ごと、この寒さに溶けてしまえれば、そう思った。


~~~

それが、つい昨日の話。

それなのに、何で。

何で彼女はみんなの前で、昔の話を始めるんだ。


全部を話すわけじゃない。

ある部分を避けて、隠して、彼女は話してる。

楽しそうに、笑いながら。


わたしは長椅子に掛けてベースをいじる。

みんなに背を向けて、顔を見せないように。

頭に流す曲のルート音だけ弾いてみる。


「忘れろよ」


彼女がそう言った、過去を思い出さないように。

思い出したくない、こんなに苦しいなら、もう捨ててしまいたい。


話の間、唯が、ムギが彼女を呼んでる。

「りっちゃん」と、そう呼ぶ。

それすらも聞きたくない。

わたしには許されない、その呼び名。


この数年で、大抵の曲弾きこなせるようになった。

そんな指に、ルート弾きはとても退屈だ。

彼女のドラムがあれば、楽しいのに。

手を止めてしまう。

今度はその手で、流れてきた涙を拭った。


わたしの背中が気になったのか、彼女は話をやめた。

律「…そろそろ練習しようか」

唯「えー!もっと聞きたいよ!」

紬「唯ちゃん、もう練習に入らなきゃ」

梓「…そうですね、練習しましょう」


きっと彼女はこちらに目をやったんだ。

それに気付かないのは隣に座る唯だけで、

他の2人は、わたしを見る彼女の視線に気付いたんだろう。


4人は座るわたしを通り過ぎて、楽器の元に向かう。

顔を見られないうちに、いつものポジションに立った。


紬「最初は何やる?」

唯「ふでペンにしよう!」

梓「最初のソロ、ミスらないでくださいよ!」

律「ふでペンな、じゃあいくぞー」


ワン、ツー、スリー


彼女がカウントを取る。

唯のソロはうまくいって、ムギも梓もいつも通りバッチリだ。

彼女のドラムは相変わらず走ってる。

わたしのベースは…うまく弾けてるのかな。


イントロが終わってもボーカルは入らなかった。


唯「あれ?澪ちゃん、歌わないの?」

澪「ああ…ごめん、唯が歌って」

唯「うん、じゃあ最初っからいこう?」



キミの笑顔想像して いいとこ見せたくなるよ
情熱を握りしめ 振り向かせなきゃ

愛をこめてスラスラとね さあ書きだそう
受け取ったキミに しあわせが つながるように


彼女は笑顔になんてなってくれないし、

受け取っても、彼女の幸せには繋がらないんだ。


唯のボーカルは調子がよかったと思う。

でも聞きたくなくて、わたしの手元は狂った。

自分で作った、指が覚えてるようなフレーズなのに。


みんながわたしの不調を察知する。

結局この曲しかやらずに、帰ることになった。


帰り道では、みんなが明るく振舞っているように見えた。

会話はわたしの頭に入ってこなくて、気のない相槌を繰り返す。

ムギと別れてからも、しばらくそれは続いた。

もうすぐ、唯と梓とも別れる信号に着く。

すると、唯が思いついたように提案した。

唯「そうだ、今日あずにゃんはうちに来るんだよね?」

梓「はい、純と夕飯をごちそうになります」

唯「2人もおいでよ!ムギちゃんはもう電車かな?メールしてみよう!」

律「だってさ、澪どうする?」

澪「わたしは…いいよ」

唯「そっかー…」

律「ならわたしも…今日は遠慮するわ」

唯「…みんな揃う時の方がムギちゃんも楽しいよね」


唯が残念そうな顔をして、手に取った携帯をしまう。

ごめんな、と彼女が苦笑した。


律「…じゃあ、この辺で」

唯「うん、また明日ね~」

梓「失礼します」

澪「…またな」


今度は彼女と2人きりになる。

彼女はため息をついて、わたしの顔を見る。

少し見つめられただけなのに、涙が浮かんできた。


律「なあ…泣いてんの?」

澪「うるさい」

律「そんな顔すんなよ」

澪「もう…ほっといてくれよ」

律「出来るかよ…うち寄ってけ」

澪「行かない」

律「…そんな目で家帰せないだろ、ママに心配かけるぞ」


ふらふらと彼女の家に引かれて行った。

今はその腕を振り払う気力もない。


彼女はわたしだけ先に部屋へ通した。

陽も落ちたこの時間は、電気を付けなければ薄暗い。

それに構わず、わたしはベッドに腰掛けた。

電気がなくたって、この部屋のことはわかった。

あの頃からほとんど変わらない。

わたしたちはこうも変わってしまったのに。


彼女が部屋に入ると、やっと明かりが灯った。

水滴のついたボトルをわたしに手渡す。


律「ほら、水しかないけど」

澪「…ありがと」

律「…まだ怒ってる?」

澪「そんなことないよ」

律「…怒ってんじゃねーか」

澪「怒ってない、ただもう…嫌だ」

律「わたしのことが、嫌?」

澪「…そうだよ」

律「…ひどいこと言うよな」

澪「ひどいのはどっちだよ…」

律「わたしはただ、幼なじみとの思い出を話しただけだ」

澪「隠してる部分もある」

律「隠したわけじゃない」

澪「でもある部分だけ、避けてる」

律「…そんな話出来るかよ、友達の前で」

澪「何で?わたしたち…」

律「うちらはお互いを大事にしすぎてただけ、そうは思えない?」

澪「それだけじゃない!わたしは律のこと…」

律「…言わなくていいよ」

澪「…聞けよ」

律「…聞かなくても知ってる、わかってるから」

澪「じゃあ何で…」

律「聞いたってどうにもならない」

澪「しようとしないだけだよ」

律「口に出したら…終わっちゃうんだ」

澪「それでもいい、嫌いでも何でもいいから…もう目を反らさないでくれよ」

律「あの時のこと忘れたか?澪…手、離しただろ」

澪「…今なら離さないよ」

律「でもいつか、また離したくなるかもしれない」

澪「そんなことない!」

律「それでも…世間は許してくれない」

澪「どうだっていい、他人のことなんか」

律「そんな他人に指差されて…友達ですらいれなくなる」

澪「そんなの、本人次第だろ?」

律「ずっとそう言えるか?」

澪「律が受け入れてくれるなら、言えるよ」

律「今度はわたしが手を離したら?」

澪「あの時の律みたいに、また腕引いて走る」

律「それでも、振り払うかもしれない」

澪「『友達』って言葉で逃げて、手も繋げなかったよりはマシだ」

律「逃げる方が楽なことだってあるんだよ」

澪「…だから全部なかったことにするってわけか」

律「そういうわけじゃねーよ」

澪「昨日はそう言った」

律「忘れろって言っただけだよ」

澪「同じだろ?」

律「…そうだな」

澪「そうだよ…」


少しの沈黙を挟んで、彼女はまた話し出した。


律「…何で女同士じゃダメなんだろうな」

澪「わたしはそんなこと思ってない。律が勝手に…」

律「…一般的に、だよ」

澪「…何も生み出さないからだろ」

律「子どもが作れない、ってことか」

澪「…そういうこと」

律「そんなの、不妊症のカップルもそうじゃねーか」

澪「それが理由で別れる人だっている」

律「本当に好きなら関係ないってのにな」

澪「お前が言うなよ…」

律「…人のことは言えない、けどだ」


本当に好きなら…。

好きだけじゃ、乗り越えられないこともあるんだろうか。

大丈夫だって今は言っても、口だけなら何とだって言える。

彼女が言うように、またあの時のように。

いつか手を離すかもしれない。

数分前に言った言葉にすら、自信が持てないわたしなら。


澪「…そうもいかないのかもな、実際」

律「病気だっていうのにな」

澪「…わたしも病気ならよかったのに」

律「おい…いくらなんでも不謹慎だぞ」

澪「病気なら、治るかもしれないんだろ…」


この気持ちが『病気』なら、少しは報われる気がする。

彼女への気持ちが『治る』ものなら、こんなに苦しまなくていいのかもしれない。


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最終更新:2011年10月15日 01:37