ベッドに腰掛けるわたし。

ベッドに上がり、壁にもたれ掛かっている彼女。

また訪れる、沈黙。

不意にベッドが軋んで、鈍い音を立てる。

すると同時に、肩に重みと温かみを感じた。

ふわっと柔らかい香りがして、彼女が後ろからわたしを抱きしめた。


律「ごめん、ちょっとだけ」

澪「…やめろよ」

律「ちょっとでいいから、このままで居たい」

澪「やめろって言ってるだろ…」

律「…わたしのことそんなに嫌?」

澪「…嫌」

律「…じゃあ、嫌いって言って?」

澪「…嫌いになれたら良かったよ」


嫌いになることなんて出来なかったよ。

たとえ好きな人にそう望まれても、わたしには無理だ。

もし、いつか気持ちが消えたとしても、

『嫌い』になんて、なれるわけなかった。


そのまま、離れてくれない彼女の腕を払う。

ただそれだけのつもりだったのに、華奢な彼女の体はベッドにゆっくり倒れた。

わたしは構わず、腕を立てて彼女に覆いかぶさった。


澪「いつもいつも、律はずるいよ」


彼女の唇に自分の唇を重ねた。

あの頃とは違う緊張が体を支配した。

顔を離して、じっと彼女の目を見つめる。

じんわりと赤く、滲んでいた。

彼女の表情からは、何を考えてるのか読み取れない。


「何で涙浮かべてるんだよ」

「泣きたいのはわたしの方だ」

「やめて欲しいなら、払いのければいい」

「泣くほど嫌なら、喚いて暴れればいいだろ?」

「…りっちゃんのばか」


再び唇を押し当てる。

今度は彼女の唇を開けさせ、舌に触れた。

頭が真っ白になって、息が苦しい。

お互いの唾液が交じり合って、どこまでが自分のものかわからない。

1つになって、2人のものになる。


「聞きたくないって言われても、わたしは今も律が好きだよ」

「律とこういうことしたいって思う」

「あの頃に戻りたいって、思ってる」

「…律が望んでも、嫌いになんてなれないよ」


いっそ、すべてを壊してやりたい。

幸せだった時間を、わたし自身で壊したい。

彼女が『なかったこと』だと言うのなら。


それから何度も何度も、唇を当て、舌に触れた。

わたしの行為に、彼女は抵抗しなかった。

だからと言って、受け入れるというわけでもないようで、

ただの人形のように、じっとしている。

そんな彼女に苛立ちすら覚えた。

いくら繰り返しても、あの頃のような気持ちにはなれなかった。


本当に壊してしまった、そう実感した。


火照った体が急に冷えていく感じがして、彼女から離れた。

少し乱れた服を直し、カバンに手を掛ける。


律「…澪?」

わたしの名を呼ぶ彼女の声は、とても弱々しいものだった。


律「待って、行くなよ」

澪「…呼び止めて何になる?」


顔も見ずそう言うと、黙って部屋を出て階段を下りた。

扉を開ける音と、追いかけてくるような足音が聞こえた。

構わず硬い革靴のかかとを踏んで、逃げるように玄関を出た。


携帯を取り出す。

時刻は9時を回っていた。

時間だけ確認すると、電源を切った。


家に帰ると、すぐ自分の部屋へ入る。

ママの声が聞こえた。わたしを呼んでいる。

聞こえない振りをして、制服のままベッドに倒れ込んだ。

さっきまでの出来事とか、これからのこととか、

それらすべてを考える余裕はなかった。


気付かないうちに寝てしまっていたようだ。

まだ朝とは呼べない、ほとんど何も見えない時間帯だった。

昨日1人で入った彼女の部屋より、この部屋は暗くて冷たい。


切っていた携帯の電源を入れる。

午前4時半を過ぎた頃だった。

誰からの連絡もないみたいだ。


数時間前の、自分で今までを壊した瞬間を思い出す。

寒さが原因ではない、震えが止まらなくなった。

自分の気持ちを押し付けて、ひどいことをした。

好きでいる資格もない。

彼女に『嫌い』なんて言葉を求められても、当然だ。

また携帯の電源を切って、浴室に向かう。

やっと涙が出たのは、汚い体にシャワーを浴びせた時だった。


髪の濡れたまま、またベッドに倒れ込む。

だんだんと朝に向かっているようで、ブラインドから光が差し込む。

鳥のさえずりが聞こえて、そんな少しの音ですら耳障りだ。

聞こえないように、布団にもぐって遮断した。


そのままどれだけ経ったかわからないけど、しばらくしてママが起こしに来た。

「体調が悪い」と適当に言って、学校に連絡してもらった。


通学途中の生徒の声や、車の走行音。

それらの耳障りな騒音も止んだ。

ママも出掛けたようだ。

やっと起き上がってみると、時計はもう12時を過ぎていた。

また携帯の電源を入れてみると、メールが数件入っている。




From 和

「ノートのコピー取っておくから、安心してゆっくり休みなさいね。」

同じクラスの和だけではなかった。


From 唯

「澪ちゃんもりっちゃんも来ないの?寂しいよ~!」


From ムギ

「2人が居ないと放課後が寂しいです。明日には元気になってね?」




2人は別のクラスなのに、わたしの欠席を知っているようだ。

…彼女も学校を休んでいるらしい。

すると不意に画面が切り替わって、携帯が振動する。


…彼女から電話。

通話ボタンを押すだけなのに、指が動かなかった。

何を話そうって言うのだろう。

昨日のことを謝ればいいのか?

迷っているうちに携帯は振動をやめて、またメールの画面に戻る。


戻ったのもつかの間、わたしの手の中でまた忙しく震えた。


澪「…はい」

律『学校休んでるんだな』

澪「…そうだよ」

律『わたしもなんだ』

澪「知ってる、唯とムギからメール来てた」

律『わたしが澪来てるか確認してもらったんだ』

澪「それで2人も知ってるんだな」

律『そうだよ』

澪「…で、何」

律『今から会えない?』

澪「…何で?」

律『…話したいことがあるから』

澪「…会えない」

律『…顔も見たくないくらい、嫌ってことか』


顔も見たくない、なんて違う。

彼女に合わせる顔が、わたしにはないんだ。

わたしの言葉を待たず、彼女は話を進める。


律『…まあいいや、今家だろ?』

澪「うん」

律『見せたいものあるから持ってく』

澪「何?」

律『…見ればわかるよ、郵便受けか…入らなかったらドアのとこに置いとく』

澪「…わかった」


数分後、遠くから人の歩く音が聞こえた。

少し上げたブラインドの隙間から覗くと、彼女だった。

吸い込まれるようにわたしの家に近づいて、立ち止まる。

玄関までの少しの階段を上ると、彼女の姿はわたしから見えなくなった。


それから少しして、階段を下りる彼女が見えた。

階段を下りきると、また立ち止まってわたしの部屋のほうを見る。

わたしがとっさに隠れると、また彼女の足音が聞こえた。

足音が遠くなっていくのを確認して、わたしは玄関先に出た。


郵便受けを確認する前に、ドアの前に置かれたものに気付く。

単行本のような厚さの冊子が積まれていた。

1冊を開いてみると、わたしの名前を見つけた。

…彼女の日記帳だった。

全部を部屋に持ち帰って、順に読んでいく。

何ページに及ぶ日もあれば、数行で終わる日もある。

書いてない日だってあった。

確かに彼女の字だったけど、今よりずっと幼い字から始まっていた。

時間も忘れ、夢中で彼女の字を追った。




○月○日


今日から日記をつける。

中学上がってからつければ、キリがよかったけど…

ちょうどいい機会だし、今日からはじめようと思う。

楽しいことは、読み返して思い出せるように。

かなしかったことは、書き残して、安心して頭から消せるように。


…じゃあ、日記スタート。(次のページ!)



○月○日


今日学校行くとき、待ち合わせにちょっと遅れた。

でもみおちゃんは待ってくれてた。

「おそい!」っておこったのに、みおちゃんは笑ってた。


いつもと同じように手つないで歩いてたら、同じクラスのやつに見られた。

で、「レズ」って言われた。

みおちゃんがかなしそうな顔して、手をはなした。

だから、「ただの友だちだよ」ってごまかした。


学校についてからも、そのことで頭がいっぱいだった。

みおちゃんに手紙かこうと思ったけど、何て書けばいいかわからなかった。

だから、「放課後あそぼ」ってだけ書いて、みおちゃんに投げた。

それから、ねてるフリして今日何話そうか考えた。

わたしが好きだと、みおちゃんがつらい思いする。

だからみおちゃんに、手つなぐのもちゅーするのもやめようって言った。

「何で?」って言われた。

「りっちゃん、きらいになった?」って聞かれて、むねが苦しくなった。

だから、「りっちゃん」って呼ぶのもなしって言った。

みおちゃんのこと大事だけど、大事にしすぎちゃだめなんだ。

わたしがみおちゃんを守ってあげなきゃいけない。

だからわたしも、今日から「みお」って呼ぶことにした。



○月○日


みおが「りっちゃん」って呼ぶから、ちょっとおこった。

「他の子は呼んでる」ってみおもおこったけど、他の子とはちがう。

みおは特別だもん。

そう呼ばれると思い出して、ドキドキする。

だから呼ばないでほしい。



○月○日


今日みおと出かけた。

いっぱいカップルがいて、うらやましいなって思った。

本当は、みおとも手つないで歩きたい。

…女同士だもん、無理だけど。



○月○日


みおは塾に通うんだって。

あんまり遊べなくなるのかな?さみしーな。



○月○日


みおにCD貸した!

じゃあみおは「これいいね」って言ってた。

だから、新しく出たライブのDVD買うから一緒に見ようってさそった。

本当はもう持ってるけど、みおと一緒に見るまでガマンしよっと。



○月○日


みおとDVD見た!

見るのガマンしててよかった。

むちゃくちゃカッコ良かった!

「バンドやろうよ!」って言ったら、「いいよ」って言ってくれた。

みおとバンドやれたら最高だろうな。

「みおはベースな!」って言うと、「勝手に決めるな!」っておこられた。

みおはベースやると思ったのに。

じゃあ、やっぱり正解だった。

みおのことはわかるもん、わたし。

みおは歌もうまいから、ボーカルもやればいいのに。

でもベースでボーカルってあんまりいないよな。

なんでだろ?


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最終更新:2011年10月15日 01:39