気付けば外は暗い。
時間も忘れ、彼女の4年間が詰まった数冊を読んでいた。
時計を確認すると、もう20時を回っている。
部屋着にコートだけ羽織って、何も持たずに家を出た。
行かなくちゃ。
…彼女が待ってる。
もう居ないかもしれない。
そう思うよりも先に、わたしは夜の街を駆けていた。
「公園」と言っても、この付近にはたくさんある。
なのに足は迷うことなく、彼女が言う「公園」へ向かっていた。
外灯も少ない公園に人影が見えた。
ブランコに腰掛けて、彼女が下を向いている。
昔のわたしもこんなだったのかな。
澪「…律っ!」
律「…何で来たの?」
澪「何でって…お前が呼んだからだろ!」
律「…そうだけどさ」
澪「待たせてごめんな」
律「いいよ、来てくれたから」
澪「…ずっと、待ってたの?」
律「ここに居たよ」
澪「5時から、ずっと?」
律「うん、ずっと」
澪「来ないと思わなかったのか?」
律「思った、だから聞いた」
澪「…連絡くらいしろよ」
律「携帯置いてきちゃってさ」
澪「こんなに寒いのに…帰れよ」
律「もし澪が来てくれたら、呼んだのに悪いじゃん」
澪「わたしが最後まで読むとは限らないだろ?」
律「うん、だから賭けた」
澪「来ないと…どうするつもりだよ」
律「ずっと待つよ」
澪「…限度ってものがあるだろ」
律「…でも待ってたら来てくれたよ?」
澪「そうだけど…」
律「じゃあ何で澪は来てくれたの?」
澪「…わかんない」
律「…本当は、顔も見たくなかっただろ」
澪「…合わせる顔、なかっただけ」
律「何で?」
澪「何でって…わたし律にひどいことしたんだよ?」
律「…ああ、訴えたら勝てるかもな」
澪「…そうしてくれていいよ」
律「冗談だって」
澪「…怒ってないの?」
律「ないよ」
澪「…怒れよ」
律「怒んない」
澪「怒ってくれよ!」
律「怒んないから」
澪「…りっちゃん」
律「…そう呼ばれても、もう怒んないよ」
澪「…バカ律」
律「バカだもん、知ってるだろ?」
澪「…とりあえずどっか入ろ、バカなのにまた風邪引くぞ」
律「やだ」
澪「何でだよ」
律「ここがいい」
澪「どうして?」
律「ここで、澪に話しかけた」
澪「ああ…あの時」
律「きっとあれが、始まりだから…でももう終わっちゃった?」
なんて答えればいいんだろう。
そう思うと、次の言葉が見つからなくて。
壊そうと、あんなことをしたけれど、やっぱり終わらせたくない。
だから、わたしはここに来たんだ。
言葉を探してる間にも、冷たい風が頬に当たる。
澪「…ちょっと待ってて、何か温かいもの買ってくる」
律「やだ!もう行っちゃやだよ…」
彼女はそう言って、やっとこちらを見た。
少ない外灯に照らされて、目がキラキラ光る。
瞬きをすると、それは頬を伝って落ちた。
落ちた滴をこの目で追う。
一瞬のことだったけど、どうしていいかわからなかった。
わたしが彼女の立場だったら、わたしはどうして欲しいだろう。
彼女は、どうしていたんだろう。
そう考えて、自然に彼女へ手を伸ばしていた。
澪「…買ってくるって言っても、財布持ってないや」
そう言って、笑って見せながら彼女の肩に腕を回した。
不意に抱きしめられた彼女の肩に力が入る。
それは一瞬で、すぐにまた力が抜けていく。
反比例して、わたしは腕をきつく結んだ。
澪「律は終わったって思ってる?」
律「もう…終わればいいって思った」
澪「そっか」
律「…でも終わらせたくないって、今思ってる」
澪「…わがままだな」
律「…わがままで、自分勝手で、情けない奴だよ」
澪「…もういいから」
律「…何でだろう、寒いのにあったかいな」
澪「うん、そうだな」
律「…ありがと」
澪「もう落ち着いた?」
そう言って離れようとすると、彼女はわたしの腰に手を回した。
律「…このままがいい」
澪「…わかった」
律「ごめん、泣いたりしたら澪が悪いみたいだよな」
澪「いいよ、気が済むんなら」
律「手伸ばせば、すぐ触れられたのに…何で早くこう出来なかったんだろ」
澪「わたしのこと、思ってくれたからなんだろ?」
律「…それもただの言い訳だよ」
澪「それでもいいよ」
律「ただ自分が怖くて、澪を理由にして逃げてたんだよ」
澪「もう、わかったから…言わなくていいよ」
律「…全部読んだ?」
澪「読んだよ」
律「字、汚かっただろ」
澪「汚いって言うより、幼い字だった」
律「最初は中学入った頃だもん」
澪「日記つけてるなんて知らなかったよ」
律「しかもほとんど澪のことばっか…ひいただろ」
澪「ううん、ただ」
律「…ただ?」
澪「知らないこと、たくさん書いてあった」
律「…人に言えないことの吐き溜めにしてたから」
澪「高校受験も、頑張ってたんだな」
律「うん、必死だった」
澪「…律も、知らないことあるよ」
律「澪のこと?」
澪「うん、負け惜しみに聞こえるかもしれないけどさ」
律「何?」
澪「公立、わざと落ちた」
律「…は!?」
澪「名前だけ書いても、受かんないものだな」
律「当たり前だろ!何でそんなこと…あんなに頑張ってたじゃん」
澪「…律を、選んだから」
律「…バカじゃねーの」
澪「バカでいいよ」
律「ほんとバカだよ」
澪「それだけ、大切なんだよ」
律「…澪はさ、綺麗で頭良くて、みんなに好かれて。
将来いい仕事に就いて、いい奴見つけて、きっと幸せになれる。
…何でそう出来るのに、本当にバカだよ」
澪「…そんな風に、人の幸せ勝手に決めるな!
そこまで思ってくれるなら…一緒に居てくれよ」
自然と腕に力がこもる。
そうすると、彼女の涙がコートに滲みて、肌まで伝わってきた。
冷たいはずなのに、やっぱり何だか温かい。
澪「それがわたしの幸せだよ」
澪「律が一緒に居てくれて、2人で笑って、それが幸せ」
律「…わたしの幸せも、多分澪と一緒」
澪「じゃあわたし、律を幸せに出来るね」
律「うん、して欲しい」
澪「だから、終わったでいいよ」
律「…え?」
澪「もう終わらせよう?…またここから始めるんだ」
律「…また、ここになるんだな」
澪「うん、ここで」
律「…わかった」
澪「ほら、だから笑って?どうやれば律みたいに人を笑わせられる?」
律「わたしは…自分が笑うために、澪を笑わせてただけだよ」
澪「じゃあ、笑わせて?」
律「…澪、大好きだよ」
澪「ありがとう、わたしも大好きだ」
律「…好き同士はどうするか知ってる?」
澪「うん、昔律から教えてもらった」
ブランコに腰掛ける彼女に合わせ、その場にしゃがみ込む。
涙で少し濡れた頬に、軽く唇を当てた。
今よりずっと幼い頃、彼女がわたしにしてくれたように。
律「ははっ…ほんとに幸せだ」
澪「…じゃあ今度は、口にしてもいい?」
律「…いいよ」
それから何度もキスをした。
さっきまで鎖を握っていた、彼女の冷たい手を取る。
昨日のように、無理やり口を開けさせるようなことはしない。
お互い、自然と舌を絡ませていた。
また頭が真っ白になって、胸がぎゅっとなる。
それに合わせて、彼女の冷えた手が温まるよう、ぎゅっと握った。
澪「…ほら、明日は学校行かなきゃ。帰ろっか」
律「そうだな、行こう」
手を握ったまま立ち上がって、公園を後にした。
いつもより、だいぶゆっくり2人で歩く。
これからの話になって、
あれがしたい、これがしたい、と2人で言い合った。
白い息がたちまち消える中、彼女が真剣な顔で切り出した。
律「…うちらのこと、軽音部のみんなには話そう」
澪「いいの?」
律「うん、大事なことだから」
澪「…みんななんて言うかな」
律「大丈夫だよ、あいつらは」
澪「反対されたり、変な目で見られるかもしれないぞ?」
律「もしそうなったら、逃げよう」
澪「…辞めるのか?」
律「それくらいの覚悟でな。でも大丈夫、わかってくれるよ」
そう言って彼女は、握った手を強くした。
律「あのさ、結構恥ずかしいんだけど」
澪「ん?」
律「きっと今じゃなきゃ言えないから、ちゃんと聞いて」
澪「何だよ?」
律「わたしが忘れろって言ったことも、澪を傷つけてきたことも、変わらない事実だけどさ」
澪「だけど?」
律「変わらない過去も、いいものに思えるように、歩いていけるといいな」
澪「…ほんと、恥ずかしいこと言ったな」
律「うん、顔赤いと思うから見んなよ」
澪「どれどれ?」
律「みーるーな!」
澪「…でもさ」
律「ん?」
澪「わたしもそうして、律と歩いていきたい」
律「…よかった、ただ恥かいただけじゃなかった」
澪「律って、本当は恥ずかしがり屋だもんな」
律「うるせー!…恥ずかしいついでにさ」
澪「何?」
律「月が綺麗ですね」
澪「え?うん…そうだな?」
律「…やっぱりこんなんじゃ伝わんないじゃねーか」
澪「ん?あー…わかった」
律「いや、今のは忘れて」
澪「わたしも、月が綺麗ですね」
――――
いつもより早く家を出る。
いつもより早いはずなのに、何より大切な笑顔がそこにあった。
律「早くない?」
澪「そっちこそ」
律「だって澪に早く会いたかったから!」
澪「…こっちこそ!」
律「あらやだ、バカップルですわねー」
澪「…はいはい、ほら行くぞ」
律「今日早いから寄り道していこーぜ」
澪「こんな朝から?」
律「うん、ちょっと散歩だ」
いつもなら通らない道を行く。
昨日の公園の前も通りかかるが、お互い照れてか見ないフリをした。
中学生の時、手を繋いでるところを見られた場所にも行った。
そこで、彼女はわたしの手を取る。
律「…逃げる練習でもするか」
澪「…逃げることになるのかな」
律「わかんないけどさ、絶対手離すなよ!」
澪「…わかった」
律「ほら、走れー!」
澪「ちょっと律!早いって!」
彼女は無駄に、力いっぱいわたしの手を引いて走った。
少し前のめりに、転びそうにもなったけど、
何があっても離すものかと、しっかり彼女の手を握った。
遠回りをしたけど、走ったせいかだいぶ早めに学校に着いた。
教室はまだ開いていなくて、職員室に寄って鍵をもらった。
1人で教室に居ると、中学のあの時を思い出した。
彼女との登校をやめた1週間。
…大丈夫。
あの頃とは違う、わたしは1人じゃない。
何があっても、わたしには彼女が居るから。
ちらほらと人が集まりだした。
しばらくすると和も来て、わたしを見るなり声を掛けてくれた。
和「おはよう、もう体調はいいの?」
澪「おはよう、良くなったよ」
和「昨日は律も休みだったから、軽音部の練習もなしで唯と帰ったのよ」
澪「…悪いことしたな」
和「心配してたわよ、あんたたちのこと」
澪「そっか、謝っておくよ」
和「唯はね、2人がケンカしてるんじゃないかって言ってたのよ」
澪「…そんなところだな」
和「あら、いつから?」
澪「いつだろ…ずっと前から、になるかな」
和「そう…気付かなかったわ」
澪「でも…もう大丈夫だよ、わたしたちは」
自分に言い聞かせるように、笑って見せた。
やがて担任がやってきて、いつもとなんら変わりない1日が始まった。
最終更新:2011年10月15日 01:45