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澪「ひいぃっ!?」

穏やかな平日の午後、桜が丘高校 軽音部部室に少女の悲鳴が響いた。
彼女の名前は秋山澪。極度の怖がりである。

律「あれぇ~?澪ちゅわん、怖いんでちゅかぁ~?」

澪「こ…怖くなんてないぞ!?怖くない!!」

強がってみたものの、怖いものは怖い。
できれば怖い話など聞きたくはなかったが、その気持ちを察してか察せずか、彼女の唯一の後輩、中野梓が口を開いた。

梓「それってどんな話なんですか?」

澪「あ…梓!?」

唯「あのね、友達から聞いた話なんだけど…」

澪「や…やめておけ唯!?」

澪「危険だぞ~?呪われるぞ~!?」

澪の必死の制止も空しく、澪の向かい側右手の席に腰かける少女、平沢唯が語り出す。

唯「ウチの学校ってね、昔火事が起こったことがあるんだって」

紬「そういえば、聞いたことがあるわ…幸い被害は小さかったって聞いたけど…」

唯「うん、火事自体は規模が小さかったみたい。でもね、その火事でたった一人、死者が出たんだって」

律「何か生々しいな…」

唯「髪が綺麗でワンピースの似合う、美人の先生だったんだって」

唯「でも、その火事で綺麗な顔は焼け爛れて、自慢だった髪もボロボロ、トレードマークの黒いワンピースもズタズタになって…」

唯「死体が発見された時には以前とは似ても似つかない姿だったんだって…」

澪「ミエナイキコエナイ…」

唯「不思議なことに、その先生の死体は鏡に囲まれた状態で発見されたらしくて…」

唯「その時から、その先生の魂は鏡の世界に封印されて、今も鏡の中を彷徨ってるらしいんだ…」

唯「そして、ある呪文を唱えるとこっちの世界に現れて、その人を一生追い掛け回すんだって…」

紬「そ…その呪文って?」

唯「トイレの鏡の前に立って、こう唱えるの…」

唯『リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』

スカッ…スカッ…スカッ…


律「……」

紬「……」

梓「……」

唯「…って」

律「『…って』って、指鳴ってねーぞ!?」

唯「だってできないんだもん!指パッチン!!」

唯「とにかく、生前のあだ名を呼ばれたその先生は、こっちの世界にでてくるんだって!」

律「全く…途中までいい感じだったのに、緊張感なくなったじゃねーか」

梓「でも、中々怖い話でしたね…」

紬「Don’t コイデス…」

律「まぁ確かに怖かったけどな~。澪じゃなくてもこれは…って澪!?」

澪「」プクプク

梓「気絶してますね」

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紬「帰るのすっかり遅くなっちゃったね~」

金髪に碧眼が美しい少女、琴吹紬の言う通り、気絶した澪を復帰させるのに手間どり、時刻は下校時間を大きく過ぎていた。
沈みかけた夕日が下校中の彼女たちの目に強く差し込み、眩しさでつい目を細めてしまう。

律「全く、澪のせいだぞー」

澪「うぅ…だって…」

唯「ごめんね澪ちゃん。まさかあそこまで怖がるとは思わなくて」

澪「い…いや!?唯が悪いんじゃなくて…」

梓「唯先輩はデリカシーが無さすぎです!」

律「お前が言うか」

話の催促をしたのはお前だろ、とでも言うように、カチューシャで前髪を挙げた活発そうな少女、田井中律が鋭いツッコミを入れる。

彼女がふと隣へ目をやると、そこにはいまだに『リリーちゃん』に怯える怖がりの幼馴染の姿があった。

澪「……」ビクビク

律「リリーちゃん」ボソッ

澪「ひいぃ!?」

律「火事」ボソッ

澪「うわぁ~!?」

律「トイレ」ボソッ

澪「やめろ~!?」

澪「うぅ…」グスン

唯・紬・梓(か…可愛い!)

3人の反応を見ればわかるように、彼女達は澪に嫌がらせをしている訳ではない。
ただ、少しちょっかいを出したくなる…彼女達にとって澪はそんな存在なのだろう。

律「そんな怖がるなよ。家の前まで送ってやるから」

澪「うん…」グスッ

澪にとってもまた、彼女達軽音部員は共に語らい、笑いあってきた、『仲間』であった。

律「ほんっと澪は手がかかるな~」

澪「うるさい、バカ律…」

特に幼馴染であり、澪を音楽の世界へと引きずり込んできた律は、普段は茶化してくるものの、いざというときには澪の味方となり守ってきてくれた、かけがえのない『親友』であった。

梓「それでは私たちはこっちなので。みなさんお疲れ様です」

紬「私も今日はバイトだからここで…」

唯「それじゃあ澪ちゃんにりっちゃん、また明日」

律「おう。また明日な」

澪「ああ、お疲れ様」

3人の友人たちと別れを告げた後、二人きりとなった道中で、澪は自分よりほんの少し前を歩く律の背中を見つめていた。

自分よりも小さなその背中は、いつだって何よりも頼もしかった。

小学生の頃、隣のクラスの男子に虐められたとき…

作文の発表のとき…

初めての文化祭の前、緊張していたとき…

助けてくれたのはいつも律だった。

思えば助けられてばかりで、自分は何か律の支えになれているのだろうか…

そう考えながら歩いていると、律が振り返り、こちらに向き直るのが目に入った。

律「着いたぞ」

いつの間にそんなに歩いたのか、家まで辿り着いていたらしい。

澪「あぁ…わざわざありがとうな、律」

律「いいよ別に。お化け怖いでちゅもんね~」

澪「うるさい!! …じゃあ、また明日」

律「うん。じゃーなー」

澪(……)

澪はすぐには家に入らず、少しの間、律の後ろ姿を眺めていた。
頼もしいその背中は次第に小さくなって行き、やがて夜闇に消え、見えなくなっていく。

律の後ろ姿を見届け、澪が自宅の扉に手をかけたその時、ぽつん…と彼女の頬に冷たい水滴が当たった。
空を見上げると、月を取り囲むかのように雨雲が浮かんでおり、小雨を降らせているのが見えた。

どんよりとした雰囲気を醸し出す月の涙は、すっかりと暗くなった辺りと相まって、澪の恐怖心を一層煽った。


澪「ただいま」ガチャッ

澪母「おかえりなさい、澪ちゃん」

澪(今日の話…怖かったな。でも、家に入ると少し安心する…)

長年過ごしてきた二つとない我が家であるからか、それとも母親の温かい笑顔を見たからか、先ほどまで恐怖に怯えていた澪も、帰宅すると少し落ち着きを取り戻してきた。

澪母「?」

澪母「どうしたの? また怖いお話でも聞いちゃった?」

澪「うん…ちょっと。どうしてわかったの?」

澪母「わかるわよ。娘のことなんだもの」

澪母「今日の晩御飯は、澪ちゃんの好きなハンバーグよ」

澪「ほんと? ママ、ありがとう!」

澪母「どういたしまして。ほら、早く手を洗っていらっしゃい」

澪「うん!」

今日の夕飯はハンバーグだ。
今日は好きなものを食べて、嫌なことは忘れて早く寝ようと、澪はそう考えながら洗面所へと歩を進めた。

澪(唯の話は怖かったけど…変なことしなかったら大丈夫だよな)

洗面所に着くと、澪は汚れと共に恐怖心を洗い流すかのように、丁寧に手を洗った。
石鹸を水で流し、蛇口を閉める。
水の流れが完全に止まったのを確認し、身なりを整えようと目の前にある鏡に目をやった。

澪(あっ…)

鏡に映った自身の姿を目にした瞬間、澪の脳裏に忘れたいあの話がフラッシュバックする。


『トイレの鏡の前に立って、こう唱えるの…

リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』


澪(鏡…)

一度は治まったかのように思われた恐怖心が再び姿を現し始める。

その恐怖心を振り払うかのように、澪はサッっと踵を返し、リビングへと歩を進めた。

澪(ご飯…食べにいこう)

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翌日の午後、板張りでどこかレトロな雰囲気を醸し出している3年2組の教室には、教師の淡々とした声と時計の秒針が動く音が静かに響いていた。

律(つまんねーなー…)

律(世界史なんて、覚えさせてどうするんだよ…澪は真面目によくやるよ)

そう思いつつ、斜め後方の席にいる幼馴染に目をやる。

澪「……」ソワソワ

律(?)

一見、普段と変わらず真面目に授業を受けているようであったが、どこか挙動不審のように見える。

それは澪と深い関わりのない者であれば見逃してしまうような僅かな違和感であったが、律には思い当たる節があった。

律(ははーん…)

律(澪のやつ、まだ昨日の話にビビッてるな… よーし、授業が終わったらまたからかってやろう!)

退屈な授業の内容はおざなりにして、怖がりの幼馴染を次はどのようにしてからかってやろうかと考えていると、終業のチャイムが鳴り響いた。

和「起立。礼!」

「ありがとうございましたー!!」

6限全ての授業が終わり、部活の顧問でもある担任・山中さわ子によるHRが終わると、次は待ちに待った部活動、ティータイムの時間である。

律「やーっと終わったぁ~!! みんな、部室行こうぜ~!!」

澪「それなんだけど…みんな、部室に行く前にトイレに行かないか?///」モジモジ

唯「ほぇ? いいけど、みんなで行くの?」

澪「う…うん。できれば、その方がいいかな…///」

律「あっれぇ~? 澪ちゅわん、もしかしてリリーちゃんが怖くて一人でトイレに行けないんでちゅか~?」

澪「う…うるさい!!」

唯「えっ!?それじゃあ澪ちゃん、今日はまだトイレに行ってないの!?」

澪「うん…。 家のトイレには鏡がないから、朝は行けたんだけど…」

紬「あらあら、それは大変ね。いいわよ、みんなで行きましょっか」

澪「ありがとう…」

律「じゃあ、先にトイレに行くか」



ガヤガヤ…



ねぇ、リリーちゃんって知ってる?

え? なにそれー?

さわ子「こら、話してばかりいないでちゃんと掃除しなさい」

は~い。
ごめんねさわちゃん先生。



さわ子「……」


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澪「みんな、わざわざごめんな」

登校してから6~7時間、我慢し続けた末にやっと用をたし終え、澪はトイレまで着いてきてくれた友人たちに礼を告げる。
高校生にもなって…普通ならそうからかわれるようなことだと本人も自覚していた。

唯「いいよぉ~。元はと言えば私のせいなんだし」

澪「そんなことないよ。これだけ噂になってればいつかは耳に入っただろうし…」

紬「そういえば、教室でも話してる子、たくさんいたね」

律「大体澪は怖がりすぎなんだよ~。大丈夫だって、ただの噂話なんだし」

澪「それはわかってるけど…」

律「あぁ~もう!! それじゃあ私が試しにやってやるよ」

澪に怖がるな、という方が無理なのだろう。それは律も承知していた。
しかし、これだけ校内で噂になっている怪談だ。澪が四六時中怯え続けているのはどうにも具合が悪い。

となれば、澪にこの怪談は作り話であり、怖がる必要は無いと示す他ないであろう…

澪「えっ!?」

律『リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』

パチンッ…パチンッ…パチンッ…

錯覚だろうか。
彼女の声帯から…指から発せられたその音は、奇妙なまでに反響したかのように感じられた。

唯「ホントにやっちゃった…」

紬「だ…大丈夫?」

澪「……」プルプル

律「ほら、何も出ないだろ?」

律「呼んでも出ないのに、普通にしてて呪われるわけないって」

澪「うん…」

律「ほら、髪がボサボサだぞ?」

澪「今日は怖くてあんまり鏡見れなかったから…」

律「全く…せっかくの綺麗な髪が台無しだぞ?」

澪「そんなことない…律の髪だって短いけど、その…綺麗だし///」

紬「まあまあ」

唯「美しい友情だねぇ~」

律「う…うるさぁーい!!」

律「ほらっ!!さっさと部室行くぞ~!!」


バタン!




『照れてるりっちゃんきもーい』

『うるさーい! お前には言われたくねー!』


『あらあら』


『アハハハ』





…………………





人の気配は無くなり、静まりかえったトイレ。
そこには、先ほどまでそこにいた少女達4人の談笑がわずかに届いていた。

その声はしだいに小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

それを合図にしたかのように洗面台の上にある一つの鏡が…

その鏡面に映った左右反転の世界が一瞬、赤く澱んだ…


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最終更新:2011年10月24日 21:20