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梓「えぇ!? それじゃあ律先輩、『リリーちゃん』を呼んじゃったんですか!?」
数時間後、今日も練習らしい練習はたいして行わず、恒例のティータイム中にふと出た話題に梓が反応した。
唯「そうなんだ~。りっちゃんったら、急に呪文を唱え出したからびっくりしたよ~」
梓「……」
唯「ん? あずにゃん、どうしたの?」
紬「お菓子になにか入ってた?」
梓「いえ、そうじゃないんですけど…」
梓「実はこの間、クラスの友達も『リリーちゃん』を呼んだらしいんです」
澪「えぇ!?」ビクッ
紬「それで、その子がどうかしたの?」
紬の反応を受け、梓は静かに語り始めた。
梓「はい…。実は今日、その子が階段から転んで腕を骨折したんですよ」
梓「その子が言うには、転げ落ちた目の前に髪の毛の束が落ちてたらしくて…」
梓「みんなが『リリーちゃんの呪いだ』なんて言うからちょっと…」
律「ぐ…偶然だろ、アハハハハー」
梓「まぁ私もそうだと思うんですが、わざわざ自分から危険を冒すなんて律先輩もバカだなーって思って」プッ
律「なぁにいー!中野~!!」グリグリ
梓「きゃーっ!」
紬「あらあら」ウフフ
唯「でもでも! さわちゃんみたいに結婚できない呪いとかだったらどうする~?」
律「そ…それは嫌だな…マジで」
神妙な空気もそこそこに、いつもの部活動のように和気あいあいとした空気が流れ始める。
と、ふいに部室のドアが開き、一人の生徒が入室してきた。
和「楽しそうなところ悪いけれど」
唯「あっ! 和ちゃん!」
真鍋和、桜が丘高校の生徒会長である。
唯の幼馴染ではあるが、普段部室に顔を出すことはあまりなく、彼女の訪問は何かしらの用事があることを表していた。
桜彩る4月、今の時期を考えると彼女の用事は…
和「これ、〆切今日までよ」
案の定、和の手には、『講堂使用届』と書かれた紙があった。
和「今日中に出しておかないと、明後日の新歓ライブ、できなくなるわよ」
律「あちゃー、忘れてた」
澪「忘れてたじゃないだろ!!」
ゴチンッ!!
律「あいた!」
部長としての責任感が足りない、その思いを込めたげん骨が律の頭にヒットした。
更にもう1発…2発。
計3発の愛のムチを受けた律の頭には、見事な鏡餅ができていた。
和「…それじゃあ私は生徒会室にいるから、書き終わったら持ってきて」
律「あいっ…」ヒリヒリ
澪「ごめんな和」
和「いいわよ、もう慣れたし。それじゃあ私は失礼するわね」
唯「あっ!まって和ちゃん!」
唯「私たち、これからビラ配りにいくんだ~。よかったら途中まで一緒に行こうよ」
和「そうなんだ。じゃあ私生徒会に行くね」
唯「えぇ!?」
和「冗談よ冗談。それじゃあ皆、行きましょうか」
澪「律はちゃんとそれ書いとくんだぞ?」
律「あいよー」
紬「プリント出し終わったらりっちゃんも来てね。校庭にいるから」
ガチャッ…バタン!
一人となった部室は、先ほどまでの喧騒がウソであるかのように静まり返っていた。
こんなことならプリントを貰った時にすぐ書いているのだったと反省しながら、猛スピードで必要事項を書き進める。
律(意外と書くこと多いんだよなーこれ…あ~めんどくせ~…)
「 」
律「…っ!?」
その時だった。身の毛がよだつような冷たい視線が律に突き刺さった。
蛇がヌルリ…ヌルリと背中を這いまわるような錯覚を覚えるような、そんな視線。
ヌルリ…
体中に鳥肌が立ち、背筋が寒くなる。
口内が渇き、息苦しさを感じる…
ヌルリ…
体が上手くいう事を聞かず、時計の秒針が動く音がやけに遅く感じられた。
全身から刺すような汗が噴き出してくる。
律「だれ…?」
辛うじて出た言葉はそれだけだった。
これ以上ヌメリとした蛇の体をまとわりつかせまいと、律はありったけの勇気を振り絞り、ぎこちなく扉の方へ顔を向ける。
……
返事はない。
だが、木製の扉を隔てたその先には必ず誰かがいる…
そう感じさせるには十分の気配がそこから発せられていた。
それは、彼女がこれまでに感じてきた、どのような気配とも異なる歪なものだった。
そこには人の温かみというものが存在していなかった。
生気が感じられなかったのだ。
生気はなく、しかし確かにそこに存在を主張している、只々冷たい気配…
この只ならぬ気配の正体を確かめるべきだろうか…
いや、自らの保身の為、このまま“ヤツ”が去るのをじっと待つべきか…
しかし、このまま時が経てば“ヤツ“が立ち去るという保証がどこにあるのどろうか?
ヌルリ…
不快な感触が再び動き出す。
それが引き金となり、律の体は動き出した。
最早感覚の無い脚に力を込め、椅子を引き立ち上がる。
体にまとわりつく蛇を振り払い、扉を睨み付ける。
意を決して扉の方へ一歩、歩き出そうとした瞬間、バァーン…という大きな音と共に、扉が開かれた。
さわ子「チョリーッス」
律「さわちゃん…」
体中の力が抜け、ガックリとうなだれる。
さわ子「あれ? りっちゃん?
どうしたの? っていうかみんなは?」
律「ビラ配りにいったよ…」
さわ子「え~、なによ~。ひとがせっかく演劇部から着ぐるみ借りてきたってのに~」ブーブー
律「またそれかよ…
そういえばさっき、部室の前に誰かいなかった?」
さわ子「え?誰もみてないわよ」
律「そっか…それならいいんだ」
さわ子「…どうしたの?」
律(さわちゃんな訳…ないよな。 気のせいか…?)
気が付けば、先ほどまでの視線は、息苦しさと共にどこかへ消え失せていた。
ヌルリ…
先ほどまで体にまとわりついていた蛇が、階下へと這い下りていく気がした。
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澪「律、今日は何か元気なくないか?」
翌日の昼休み、澪はそう律を気遣った。
今日の律は休み時間にもあまり喋らず、しきりに周囲を見回しては黙って俯いていた。
律「何でもないよ。ただ、きのう夜更かししちゃってさー」
たはは、と笑いながら澪に心配させまいと嘘をつく。
律(澪には…言えないよな)
律は登校してから一日中、昨日と同じあの視線を感じ続けていた。
昨日ほどの強い気配と息づまるような空気は感じないものの、蛇がユラユラと獲物を待ちながら、遠くで舌舐めずりしている様な感じがしていた。
始めは「もしかしたら澪のファンが嫉妬して…」などとも考えたが、それではいく分納得いかない。
澪のファンクラブの子なら授業中にまで視線を感じることはないだろう。
しかし、学内に部外者が侵入しているとは考え難いが…
澪「ほんとに大丈夫か? 顔色よくないぞ?」
どちらにしろ、これ以上澪に心配させる訳にはいかない。
いつも通り、できるだけ明るく振舞おう。
律「大丈夫だって。ほら、もうすぐ授業はじまるぞ?」
澪「ああ…。律、何かあったら相談してきていいんだからな?」
律「わかってるよ。ほら、次、理科室で実験だろ?
唯たちが待ってるぞ」
これ以上澪に突っ込まれる前にと、律は教室の入り口で待つ唯と紬の元へと駆け出した。
律「わりぃ、遅くなっちまった」
もー!遅いよりっちゃーん!
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唯「あれっ? 透析チューブがないよ?」
紬「本当ね、前からとってこないと」
律「ああ、ムギはいいよ。私が取りに行くから」
紬「ほんとう?ごめんねりっちゃん」
律「いいって別に」
律(まだ…ついて来やがる。
いったい何なんだっていうんだよ…。)
棚の前まで歩き、透析チューブを手に取る。
律(あっ…落としちまった)
スルリ…とチューブが指の間をすり抜け、床へと落ちた。
それを拾い上げようと屈んだ瞬間、またあの悪寒が律を襲った。
全身を蛇が這いずり回る。
反射的に、刺すような視線の元へ視線が動く。
見てはいけないと、本能が制止をかけるが、それを止めることは敵わなかった。
視線の先には、フラスコなどの実験器具が収納されてある、木製の棚。
半分近く開かれたその扉の隙間から、充血し瞳孔の開いた、凍ったような瞳がこちらを覗き込んでいた。
年期が経ち、茶味がかった包帯が顔を包み込んでおり、その隙間から覗く皮膚は焼け爛れた、赤剥けのどす黒い醜悪なものだった。
所々、焦げ付き、ボサボサとなった灰色の髪が包帯から顔をだしている。
黄味がかり、ギョロっとしたその瞳と目があった瞬間、体の内側を無数の虫が這いまわっているような感覚に襲われた。
矮小な虫たちは、耳の奥へと入り込み、喉を通って肺の周りを這い、律の体を内側から蝕んでいく。
首元には、ヌルッとした蛇の嫌な感触が走り、チロッ…チロッ…と耳元で舌舐めずりをする音が聞こえる。
目の前のモノが、律の瞳をじっと見つめながらニヤリ…と不気味に微笑んだのが包帯越しにも見て取れた。
鼻の奥に腐臭が漂う…
寒気と共に嫌な汗が噴きだした。
律「きゃああっ!!」
律は尻餅をつき、その衝撃で棚からフラスコが数個降り注いだ。
先生「大丈夫か、田井中!?」
紬「りっちゃん、血がっ!」
先生「琴吹、平沢、すぐに保健室に連れて行きなさい!
秋山は、担任の先生を!」
唯「大丈夫? りっちゃん?」
本人の意思に関わらず、律の体はガクガクと震えていた。
目線が逸れても尚、律の体は内外から蹂躙され続けていく。
律は気を失いそうになりながら、保健室へと運ばれた。
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保健室の先生「これで大丈夫。軽い切り傷で良かったわね」
律「はい…」
保健室に運ばれた律は、養護教諭から軽い消毒と絆創膏による治療を受けていた。
切り傷自体は浅いもので、幸い明日の新歓ライブでの演奏にも影響はなさそうであった。
普段ならばすぐにでも部活へ行くよう指導するところであったが、律の様子がどう見ても不安定だったこと、
そして現在軽音部は、明日の新入生への部活紹介の為に、講堂へ使用機材を運び込んでいる最中である、
ということもあり、養護教諭は「もう少しここで安静にするように」と指示した。
律(……)
律は膝を立て、それを腕で抱え込むようにして小さく縮こまり、保健室の角で震えていた。
律は理科室で“アイツ”の姿を見てからずっと、あの悍ましい視線が自分の後を付いて来ているのを感じていた。
“アイツ”がすぐそこにいる…
蛇が四肢に纏わりつき、首元で牙をむき出しにしながら、自分が一人になるのを今か今かと待ちわびているのを感じる。
これから死ぬまでの数十年間、この恐怖に怯え続けなければならないのだろうか。
いや、自分はその寿命を待たずして、“アイツ”の手によってその人生を終えるのだろうか。
焼けただれ、腐食したあの腕に首を絞められ、息絶える自分を想像し、律は吐き気を覚えた。
律「先生…エチケット袋あります?」
養教「あるけど…大丈夫?気分悪いの?」
そう律の体調を伺いながら、養護教諭はエチケット袋を手渡した。
律はその問いには答えず、すぐさま袋に胃液を吐き出した。
そうすることで、この恐怖心が少しでも安らぐ気がした。
養教「もう大丈夫?そこの水道でうがいしてきなさい」
律「はい…」
律は養護教諭にエチケット袋を手渡し、保健室の出入り口付近にある水道で口をすすいだ。
養教「疲れてるみたいね。今日は少し休みなさい?」
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唯「りっちゃん、大丈夫かなぁ?」
紬「もう機材も運び終わったし、様子を見にいってみる?」
梓「血が出てたんですよね? 明日のライブ、大丈夫なんでしょうか?」
講堂に機材を運び終え、唯・澪・紬・梓ら4人の話題は自然と律を心配するものになっていた。
澪「傷は多分…大丈夫だと思うけど」
梓「どうかしたんですか?」
澪「いや…あいつ、なんか様子おかしくなかったか?」
抽象的ではあるが、唯と紬の二人には、澪の言おうとしていることがよくわかった。
保健室まで律に付き添った二人であったが、道中での律の様子が異常なことは誰の目にも明らかであった。
なるほど、確かに腕には多量ともいえる血が流れて痛々しく、仮に澪が付き添っていれば患者が一人増えたかもしれない。
しかし、血の勢いに反して傷は浅く、止血さえ正確に行えば、なんてことはない傷だということも、彼女達にはわかっていた。
元来、
田井中律という少女は活発で少し男勝りと言える面もあり(反面、軽音部で一番乙女らしい一面もあるが)、なんにせよその程度の切り傷などで泣いたり、ましてやその程度でわななくことは無い、というのが彼女達の見解であったし、それは決して間違ってはいなかった。
律の異常な様子自体もそうだが、もう一つ、彼女達にとって不可解なことがあった。
律が傷のことを気にする素振りを全く見せなかったことである。
仮に異常の原因が傷であったとするなら、それを無視するようなことがあるだろうか。
また律の場合、終始周りを警戒して、何かに怯えているようにも見え、その様子は何か別の原因があるのではないかと思わせるのには十分であった。
彼女達が律を気に掛けた理由もそこにあった。
唯「うん…なんていうか、何かに怯えてるみたいだった」
紬「ケガが原因じゃなさそうだったね…」
梓「そうなんですか…心配ですね。保健室に行ってみましょう」
澪「そうだな。とりあえず、様子を見てみようか」
保健室にはさわ子先生もいるし、と付け加えた。
最終更新:2011年10月24日 21:21