籠の中、そこに小さな雛鳥がいました。
その雛鳥は、生まれた時からずっと、籠の外の世界に憧れていました。
小さな籠の中で…雛鳥は、外の世界を夢見て、やがて大きくなって行きました。
それからしばらく、身体も羽も大きくなった小鳥は、やっと籠の外へ出ることが出来ました。
籠の外は窮屈な籠の中とは違い、とても広々としていました。
小鳥も、念願だった外の世界へ…その羽を広げ、優雅に空を飛びまわっていました。
でも、小鳥は知ってしまいました、その籠の外の世界に…窓がある事を。
そう、そこは籠の外の世界の、小さな部屋なのでした…。
窓に映る大きな青空と、その空を仲間と共に歌い、飛んで行く別の鳥を見て、小鳥は思いました。
この窓の外へ出てみたい…ここよりももっと大きな空を、大切な仲間と共に、自由に羽ばたきたい…と。
某月某日、琴吹邸 大広間
紬父「えー、本日はみなさんお集まり頂き誠にありがとうございます」
父の挨拶でその日のパーティーは幕を開ける。
大勢の来賓が父の姿に注目し、私も凛々しく壇上に上がるその父の姿を、広間の端から見つめていた。
紬父「皆様のおかげで我が琴吹グループも今年で創立70周年を迎え、私も社長の座に就き、かれこれ10年…」
紬父「父より受け継いだ会社の為、私も未熟ながらに尽くして来た身ではありますが、その努力の甲斐もあり、何とか会社をここまで拡大させる事が出来ました」
紬父「今私がここにいられるのも、全てはこの場にお集まり頂いた大勢の方々のお力添えの賜物だと思っております」
重く、よく通った父の声が広間にこだまする。
そこにいるのはいつもの父ではなく、琴吹グループの代表としての父だった…。
紬父「そこでささやかではありますが、関係者の皆様への日頃の感謝の気持ちと、我が社のより一層の発展を願う意味合いで、本日はこのような催し物を開かせて頂きました…」
紬父「皆様、本日は大いに楽しんで行って下さい!」
―――パチパチパチパチ…!!
父の挨拶は大勢の拍手と共に終わりを迎えた。 そして、広間に集まっていた来賓が各々散開を始める。
奥に並べられた豪華な食事を取りに行く人、挨拶回りに向かう人、ゲストで来た大物アーティストに声をかけに行く人…その姿は様々だ。
私は壇上から降りた父に向かい、声をかける。
紬「お父様」
紬父「おお紬、待たせたな」
紬「いいえ、いつも以上に素晴らしい挨拶でしたわ」
紬父「フム…我ながら少し長引かせてしまったか…。 いや、歳を取るとどうしても話が長くなっていかんな、せっかく集まって頂いた来賓の方々を、退屈などさせていないと良いのだが…」
自慢の口髭をいじりながら父がぼやく。
紬「それは、大丈夫だと思いますわ」
紬父「だと…いいがな」
紬「ええ」
紬父「では、行こうか」
紬「…はい」
そして私は父に付き添い、来賓への挨拶回りに向かう。
―――戦前より音楽界と経済界にその名を広め、今日まで多くの音楽業界の発展に尽力して来た由緒ある家系『琴吹家』。
その琴吹家の長女であり社長の娘、それが私、
琴吹紬。
学校では同級生に交じって勉学に、そして部活に励む一生徒に過ぎない私も、ここでは『社長令嬢』として、どうしても特別視される。
そんな立場の私だから、こういった催し物で、娘として父の顔を立てる為に挨拶回りをするのは、いつもの事だった。
声「社長…」
綺麗なドレスに身を包んだ貴婦人が父に声をかける。
その容姿からは長く財界に携わり、私の何倍も場馴れした雰囲気が良く伝わって来る。
凛々しくも気品ある顔立ちからもにじみ出るその貫録…私も同じ女性として憧れを抱く程だった。
女性「社長、本日はこのような素敵な会に招待して頂き…真にありがとうございます」
紬父「おお、これはこれは…わざわざ遠くからありがとうございます…」
女性「主人も社長からたくさんのお力添えをして頂きまして…わたくしの方からも、お礼申し上げます」
紬父「いえいえ、私も社長就任以来、あちらの社長には多くの面倒を見ていただきました。 社長の為でしたら…多少の尽力は惜しみませんよ」
女性「紬お嬢様も、以前お会いになった時よりも綺麗になられて…そのドレス、素敵ですわ」
紬「うふふ…ありがとうございます」
ドレスを翻し、私は女性にお辞儀をする。
紬「いつも父がお世話になってます」
女性「社長が羨ましいですわ…紬お嬢様のような素敵な娘さんを持って、お幸せで…」
紬「そんな、私なんてまだまだ未熟で…」
紬父「いやいや、親馬鹿ながら…良い娘を持ったと思いますよ」
女性「うふふっ…ええ、本当にお幸せそうで…それでは今後とも主人のこと、よろしくお願いします…」
紬父「ええこちらこそ、今日は、是非楽しんで行って下さい」
紬「本日は、父の為に遠くより足を運んで頂き、ありがとうございました」
女性「ええ、それではまた…」
そして最敬礼で女性を見送り、私と父は次の挨拶へ向かう。
男性「社長~! 今日はお招き頂きありがとうございます!」
女性「紬お嬢様も、ごきげんうるわしゅう…」
紬「こちらこそ、いつも父がお世話になってます」
紬父「みなさんお久しぶりです、本日は日頃の疲れを忘れ、大いに楽しんで行ってください!」
―――繰り返される挨拶と、毎度恒例の返事。
今に始まった事じゃないから…それももう、今はだいぶ慣れてきた…でも………
………高校に入って…“みんな”と過ごすようになって、その考えは、徐々に変わってきた。
紬「はぁ……」
父と少し離れた私は持っていた携帯を開き、先程唯ちゃんから送られたメールを見る。
件名:唯ちゃん
本文
見てみて~♪
澪ちゃんとあずにゃんのお風呂上りのツーショットだよ~☆
[画像]
唯ちゃんらしい、キラキラとした絵文字が可愛らしいメールに添付されていたのは、澪ちゃんと梓ちゃんの湯上りの可愛らしいパジャマ姿だった。
みんなの楽しそうな雰囲気が、写真越しに十二分に伝わって来る。
紬「あははっ、澪ちゃんも梓ちゃんも、可愛い~」
紬「………………」
紬「…私も…行きたかったな……」
今日は唯ちゃんの家で、部活のみんなと和ちゃん、それに憂ちゃんや純ちゃんを集めたお泊り会が開かれていた。
憂ちゃんと和ちゃんの手料理をみんなで食べて、りっちゃんと純ちゃんが持って来たゲームをやって、みんなで夜中まで楽しくお喋りをして…
………。
…考えただけで、みんなの楽しい姿が目に浮かんだ。
私も本当は行きたかった…でも、前々から今日のこのパーティーへの出席は決まっていたから……。
それに今日のパーティーは、日頃から父のお世話になってる方も多数見えられると言う事だけでなく。 父や母、また執事やメイドも含めた『琴吹家』の一員が一堂に介することが大きな意味を持つ。
そんな理由もあり、結局私は欠席も出来ず、今に至るのだった…。
…確かに、ふけちゃえれば、それは簡単だった。
でも、それは父の顔に泥を塗る事になる…
父と母には、今まで多くの我が儘を聞いてもらった。
念願だった桜高への入学を認めてくれた事もそうだし…合宿場として別荘や楽器を手配してくれた事…。 放課後のお茶会で使うティーカップやティーポット…他にも多くの道具を用意してくれた事…
そんな、私の多くの望みを聞いてくれた父や母の気持ちを…一時の誘惑で裏切る事なんて、私には出来なかった…
…だから、これは仕方のない事…
今の私には、こうした事でしか両親の恩に報いる事が出来ない…
それが少し悔しく、また、寂しくもあった……。
紬「……………」
…ぼんやりとそんな事を考えていた時、会場に来てた同年代の女の子たちと目が合った。
どの子も私と変わらない歳で、3人で集まり、すごく楽しそうにお喋りをしている。
…この子達なら、どうだろう。 歳の離れた大人じゃない…同い年のこの子達なら…
学校のみんなと同じように…楽しい話に、私も混ぜてくれるだろうか?
そんな淡い期待を込めて、私は彼女達に声をかけてみた。
女の子A「あ、ねえねえ見てみて、ほらあそこ…」
女の子B「琴吹家の紬さん…綺麗よねぇ…」
女の子C「ええ…さすがよね、あの優雅な雰囲気…私も見習わなくちゃ…!」
紬「あの…」
女の子A「は…はい!」(つ…紬さんに声掛けて貰えちゃった…!)
女の子B「紬さん…綺麗なドレス、お似合いですわぁ……あ、そのジュエルも素敵……」
女の子C「紬お嬢様、本日はわたくし達もお招き頂き、光栄です」
彼女達はとても丁寧で…そして…
すごく…余所余所しい口調で、私に言葉を返してくれた――――。
紬「……………え…ええ…」
女の子C「あの、どうかなさいました…か?」
紬「…いえ……」
……違う…こんなの…違う…………っ
こんなお喋り…私は……望んでなんか…。
紬「…本日はお集まり頂きありがとうございます、今日のパーティー、どうぞお楽しみください」
女の子A「は…はい! わざわざお声掛け頂き、ありがとうございます!」
女の子C「あ、そろそろダンスの時間ですわ…それでは、わたくしたちもこれで…」
女の子B「紬さん、それではまた後ほど…では」
社交的な会話を終え、いそいそと会場の雑踏に消える彼女達を、私は精一杯の作り笑顔で見送った。
紬「やっぱり…そうよね…」
…同年代の女の子も、変わらなかった。
考えてみれば当たり前の事なんだ…ここでは私は“琴吹財閥の令嬢”琴吹紬であり、高校生としての琴吹紬じゃないのだから…
―――やっぱり…ここには、誰もいない……。
私が心の底から安心して、肩書や家柄なんか気にせずに接してくれる人が…誰もいない…。
ここでの現実を改めて直視し、肩が重くなる……。
紬「……割り切らなきゃ…ここでは、私は…ただの高校生じゃないのだから…」
紬「私は紬…琴吹紬。 由緒ある家系、琴吹財閥の一人娘…」
自分に暗示をかけるように、私はその言葉を口にする…。
それが、今の私に出来る精いっぱいの強がりだった…。
―――
――
―
父と私の挨拶回りは続き、パーティーもまた続く。
いつしか会場にはワルツが流れるようになり、見慣れた広間は、立派な社交ダンスの会場と化していた。
広間の中心で母が父と優雅なダンスを踊り、それを囲むように、多くの男女がそれぞれ上手な踊りを披露していて…
紬(お父様もお母様も…綺麗…)
男A「あの、紬お嬢様…よろしければダンスのお相手をよろしいですか?」
ふと、白いスーツ姿の男性が私にダンスを申し込む。
紬「…ええ、私で良ければ、よろしくお願いします」
断るのもはばかられたので、私はダンスの誘いを受け入れた。
そして私は男性の手を取り、ダンスを踊る。
~♪ ―――♪…♪
優雅なメロディにステップを踏み、男性の手を取り、私は踊り続ける。
次第に、私と男性の踊りは、多くの眼差しを浴び始めて行き…
「さすが…他の子とは全然違うなぁ…いやはや、踊ってる男が羨ましい」
「素敵…」
「へへへ…次、ボクも踊ってもらおっと」
その視線を、声を意識しない様に、私はダンスに集中する…。
男A(美しい…)
紬「…? どうかしましたか?」
男A「いえ…すみません、お嬢様の美しさに、不覚にも見惚れてしまったようで…」
紬「うふふ、ありがとうございます」
男A「あの…もしよろしければ、この後もいかがでしょう?」
紬「申し訳ありません…まだ、来賓の方々への挨拶回りがありまして…」
男A「そうですか…いえ、こちらこそ失礼しました」
紬「踊りに誘って頂きありがとうございました…では…」
男A「ええ、それではまた後ほど…」
社交辞令を交わしてその場を後にする。 残念そうに項垂れた様子の男性が目に止まるけど、なるべく気にしないようにする。
…こう言った大きな場で、男性に声をかけられるのも今では珍しい事ではなかった。
でも、ここに集まる男性はそのほとんどは…私の事なんか見ていない…。
彼等が見ているのは…私の後ろにいる父や会社、そして私と共にいる事の優越感……そんな、下らない事だけだ。
そんな男性とのアフターな時間なんて…気乗りする筈がなかった…
…でも、今日はいつも以上に視線を多く集めてしまったようだった。
男B「紬さん、僕とご一緒に…いかがでしょう?」
男C「紬様、次は私といかがですか?」
男D「いやいや、ここは是非このボクと!」
紬「…すみません、先約がありまして…」
男D「そんなぁー」
…困ったな……。
断っても断っても、今日は多くの男の人に声をかけられる…。
こういう時はいつも、執事の斎藤が助けに来てくれるのだけど…
生憎と、今日はパーティー会場の設営や雑務に追われ、私の傍にいてくれる時間は非常に限られているらしい。
男C「少しだけでいいから、踊りましょうよっ」
紬「きゃっ…あ…あの……」
強引に手を引かれ、私は男性の前に立たされる。
…顔が近い…それになんだかお酒の匂いもするし……ど…どうしよう…。
強引に迫って来る男の顔を直視しない様にし、私は辺りを見回す…
すると、私の様子を見に来たのであろう、斎藤がこちらに向かって来てくれた。
斎藤「申し訳ありませんお坊ちゃま。 紬お嬢様もご多忙の身、それに今はどうもご気分が優れないようですので…これ以上は…」
男C「…む、お前、ボクに逆らうって言うのかよ?」
斎藤「いえ…決してそのような事は…」
男C「紬さんがボクと踊りたいって言ったんだよ! ただの執事が邪魔すんな!」
男が声を荒げて斎藤を威嚇する。
斎藤自身は慣れているのか、笑顔を崩さずにそれを受け流していた。
斎藤「ふむ、それは困りましたな…」
紬「斎藤…」
男C「そうだろ、だったら早く…」
斎藤「いえ、困ったのは、私ではなく、お坊ちゃまご自身の事でありまして…」
男C「…はぁ?」
斎藤「いえ、お坊ちゃまの家系は琴吹家に次いで由緒正しき家系…。 その跡取りであり、最も紬お嬢様に近しいとも言えるお坊ちゃまに、このような一面があるとは…旦那様の耳に入ればどうなる事か…」
男C「…何が言いたいんだよ、お前」
斎藤「実はですな…」
斎藤が男に耳打ちをする、声が小さくて聞き取れなかったけど、斎藤の言葉に、男が変に上機嫌になって行くのはよく分かった。
斎藤「…という事です、如何でしょう、ここは…後の事を考えてみては…?」
男C「そ…そっか……ボクの知らない所で、そんな話が…♪」
男C「紬さん、無理に誘ってごめんねぇ、またの機会を楽しみにしてるよ!」
男C「じゃあねぇ~♪ くひひっ…そんな…紬さんとお父様がそこまで考えてくれてるだなんて…♪」
そして、一方的に話を切り上げ、るんるんとした足取りで男は立ち去って行く。
紬「斎藤…一体何を話したの?」
斎藤「いえいえ…紬お嬢様のご心配成されるような事ではございませんよ…」
紬「でもあの人…すっごく勘違いしてたみたいだけど…?」
斎藤「まぁ、彼は弱い癖に酒好きですからな、あの調子なら潰れるまで飲み明かすでしょう」
斎藤「明日の朝には忘れてます、ですからご安心下さい」
紬「斎藤がそこまでいうのなら良いけど…」
いまいち納得はできない、けど、何とか解決はできたんだと、そういう事にしておこう…
最終更新:2011年10月26日 21:29