7月2日 琴吹邸 大ホール
紬「…………はぁ…………」
この日が来てしまった。
本来であれば、私にとって最高に素敵で、とてもおめでたい日。 誕生日……。
でも、気分はすごく憂鬱で、気が重い…。
どうして私は、こんな所にいるのだろう……。
男「紬お嬢様、本日はお誕生日おめでとうございますっ!」
女「お祝いの品をお持ちしましたわ、是非受け取ってください…」
おじさん「社長もめでたいですなっ! 本日はお招き頂き光栄ですぞ!」
おばさん「琴吹家の更なる発展を祝し、乾杯させていただきますわ」
紬父「いやぁ~、みなさんありがとうございます!」
紬「みなさん、どうもありがとうございます…」
来賓が来るたびに繰り返される挨拶。 私も、笑顔を意識してそれに応えては見る…けど…。
……心なんかちっとも籠っちゃいない…それはもはや、定型業務のようなものだ……
来賓のニコニコ顔からもそう、『おめでとう』と言うその言葉の裏からは、父や私にただ気に入られようとする、そんな魂胆が見え隠れしている…。
紬「あの、ごめんなさいね、これを…」
メイド「はい、プレゼントですね、かしこまりました」
手渡されたプレゼントを近くのメイドに手渡す、あとで部屋に送って貰う事になっているが、中身は大体察しがついていた。
そのプレゼントのほとんどが高価な貴金属類に花束に、それぞれの会社の自慢の新作商品だったりするのだ。
それらの品々は、少なくとも私には要らないもの。
そもそも、今だって父や母の顔を立てる為に高価なドレスや宝石類を身に付けてはいるけど、それだって自分で選んだものではない。
メイクさんやメイドがコーディネートしてくれた、“私を一層際立たせる為”に選ばれたドレスや貴金属を、言われるがままに身に付けているだけだ。
紬「…………はぁ………」
誰にも気づかれぬよう、私はまたため息を吐く。
息を一つ吐き出すたびに心の重さはより一層重くなり、気分は全然晴れない……
こんな気分になるのであれば………やっぱりみんなと一緒にいた方が良かった…。
でも、やっぱり私は琴吹の娘で…………
…いや、もう考えるのはよそう、考えても、前みたいに堂々巡りになるだけだ…
…ただ、これだけは言えた。
――――私はこのパーティーを、心の底からは楽しんではいなかった…。
―――会いたい…みんなに…会いたい……
今は、それだけしか頭に浮かばなかった………。
――――――――――――
声「お嬢様」
紬「斎藤…」
心配そうな顔で私を見る斎藤に、私は作った笑顔で応える。
斎藤「ご気分が優れませぬか?」
紬「いいえ、大丈夫よ、ただ少し…夏バテ気味なだけだから…」
斎藤「あまり、ご無理をされぬよう…お嬢様に何かがあっては、この斎藤、旦那様に合わす顔がございませぬ……」
紬「…ええ、心配かけてごめんなさい」
斎藤「…今日は、私めにとっても記念すべき日でございます…」
斎藤「お嬢様が生まれる前より、私は琴吹家と旦那様と奥様に、そして…紬お嬢様に忠誠を誓っておりました、そして、それはこれからも変わらぬ所存でございます」
紬「ありがとう、あなたがいてくれたおかげで、私はすごく幸せよ…」
それは本心からだった。
生まれた時からずっと私を守ってくれて、今でも変わらず私の味方をしてくれる、まるで父代わりのような、大切な存在。
そしてこれからも、斎藤は私の味方でいてくれる……
そう…だからこそ、私は斎藤の前で泣き言は言えない。
歳を重ねた斎藤に、これ以上個人的な事で負担をかけさせるのはいけない事だと思うから。
斎藤「18歳のお誕生日…真におめでとうございます…」
さっと、斎藤がやや大き目の箱を渡してくれた。
紬「これは…?」
斎藤「ささやかではございますが、私からのバースデープレゼントでございます」
紬「まぁ…開けても良いかしら?」
斎藤「ええ、どうぞ…」
がさ…ごそ…
包装紙を丁寧に開ける。
紬「…わぁ…」
そこに入っていたのは、様々な駄菓子類だった。
以前、りっちゃんや唯ちゃんがくれた駄菓子類を、私は部屋で食べていたことがあって…それで、たまたま私の部屋に用事で部屋に上がった斎藤にそれを食べさせて見た事があったんだっけ…
みんながくれた駄菓子はとても美味しくて、私は嬉々としてそれを斎藤に勧めて…
きっと斎藤は覚えていてくれたのだろう、あの時の事を…。
紬「…くすっ、もう、何なのよこれ」
斎藤「おやおや、お気に召しませんでしたかな?」
紬「違う違う、そんなんじゃなくて……」
斎藤「私も色々と探しては見たのですが、あの時ほどお嬢様の喜んだ顔は見られなかったものでして」
斎藤「いや、私も驚きました、あれほどに美味しいお菓子が、まさかどれも10円辺りで買えるとは…」
紬「高いお菓子も美味しいけど…私は、こっちの方が好きよ」
…だって、これを食べていると、私はみんなと同じなんだって…実感できるんだもの…
紬「プレゼントは値段じゃないのよね…やっぱり」
斎藤「ええ、私も視野が狭かったようです……この歳になってみても、世間には、私の知らない事がまだまだありますな…」
紬「安くても、気持ちが籠もっていれば私は嬉しいわ…斎藤、本当にありがとう」
斎藤「お嬢様に喜んでもらえて、この斎藤、とても光栄でございます…」
紬「是非、今度一緒に食べましょ」
斎藤「ほっほっほ…そうですな、では、今度のお茶菓子にでもお出しいたしましょうか」
紬「うふふっ、ありがとう……えへへっ」
斎藤「やっと、笑って下さいましたな…」
紬「……うん、少しだけど、元気が出てきたわ…」
斎藤は、さっきまで憂鬱にしてた私を元気づけてくれた。
このプレゼントもきっと、今日の事を杞憂にしてた私の事を察して、わざわざ用意してくれたのだろう。
…ありがたい……。
パーティーが終わったら、あとでたくさん食べよう。
それを支えに、今はもう少しだけ元気でいよう…。
紬父「紬、そろそろ開宴の時間だ、今日の主役として舞台でお客様に挨拶なさい」
紬母「紬、緊張しないようにね?」
紬「ええ、行って参りますわ、お父様、お母様…」
父と母に案内され、私は舞台に上がる。
舞台に上がる私に向かい、たくさんの拍手と声援が飛び交う。
客「今日はまた一段と輝いてるなぁ~いや、是非お近付きになりたいもんだ…」
客「さすが、琴吹社長のお嬢様ですわぁ……」
客「娘さんもまた大人になり、そしてお美しくなられ……琴吹グループも安泰ですな…はっはっは!」
紬「……………」
司会「それでは、本日の主役であり、琴吹グループ社長の愛娘、紬お嬢様のご挨拶でございます」
100か200…それ以上の数の来賓に向かい、私は、凛とした声で言う。
紬「皆さん、本日は私の誕生日の為にお集まり頂き、ありがとうございます」
紬「父も母も…そして私も、お集まりいただいた皆様に祝福して頂き、非常に光栄です」
紬「お集まり頂いたささやかなお礼として、こちらも美味しいお酒と料理も多数用意させて頂きました。 本日は、大いに楽しんで行って下さい!」
―――パチパチパチパチ…!
司会「お嬢様、ありがとうございました。 では、続いて社長とその親族の皆さんからのご挨拶を…」
―――パーティーは始まったばかり。
相変わらずどこか寂しくて、気だるい感のある、でも、父と、琴吹にとって、とても大事な宴の夜は、こうして幕を開けた………。
―――
――
―
琴吹邸 大廊下
律「……」
人目を気にし、私はドアを一つ一つ開けて行く…
律「……ん~…ここも違うか…一体ムギのヤツどこにいるんだ?」
私の家の何倍もある大きい廊下にはいくつものドア。
そのドアの中の部屋の一つ一つが、まるでホテルの一室かのように整っていて、嫌でもここがお金持ちの屋敷なのだと言う事を認識させる。
ムギのやつ…いつもこんな部屋で生活してるのかよ…
唯「わぁ…おっきな絵…これ、いくらぐらいなんだろうね?」
後の唯がもの珍しそうに壁に掛けてある絵を見ている。
律「さぁ、でも、私らじゃ一生かかっても買えないぐらいの値段はするだろうな」
唯「それって…いくらぐらい…?」
律「ん~~……1億とか?」
唯「い…いちおくっ!?」
律「よくテレビとかじゃそれぐらい言うだろ?」
唯「それって…私のお小遣い何か月分なんだろう…??」
ひいふう…と指折り、唯は真剣な顔で金額を計算していた…。
この状況下でも相変わらずのマイペース、恐れ入るっつーか、唯らしいと言うか……
澪「おい律」
その時、私の後ろに引っ付いてる澪が怪訝そうな声で尋ねた。
律「んあ? どーした澪?」
澪「どうした? …じゃないっ!」
―――ごちんっ!
いきなりだった、澪お得意のゲンコツが私の頭を直撃する…。
頭の中を星が回り、目の前がクラクラする…………。
律「痛たた……もー、何怒ってんだよ~?」
澪「お前…自分が何してるのか分かってるのか??」
律「何って、家宅侵入…」
澪「さらりと恐ろしい事を言うな!!」
―――ごちーん!!
怒鳴り声と同時に間髪入れず炸裂する二度目のゲンコツ、今度はさっきのよりも威力が上回っていた………。
…こいつは…なんでこんなに怒っているんだ……?
律「……ぉぉぉおう…………」
唯「や、やめようよ澪ちゃん…」
澪「でも、唯……」
唯「りっちゃんだってムギちゃんの為にやってるんだよ、だから、分かってあげて?」
澪「…………唯……」
唯が澪をなだめる。
それで怒りの矛を引っ込めた澪は、不満そうにしながらもそれっきり何かを言う事は無かった。
梓「ですけど正直、私は反対です……」
唯「あずにゃん…」
律「梓、お前まで……」
梓「ムギ先輩の家の事はムギ先輩にしか解決できないと思いますし…やっぱり、赤の他人の私達が勝手に介入するのは…その…」
弱い口調ながらも正論をぶつける梓。
確かに、梓の言ってる事は正しいのかもしれない…でも、私はどうも梓のその意見には賛同できなかった。
律「梓、それ違う」
梓「……?」
律「私達は赤の他人なんかじゃない、私達は、ムギの親友だ」
梓「……………」
律「その親友が言ったんだ…『あんなパーティーは嫌だ』って…」
律「だから私は、ムギを助ける為にここにいるんだよ」
律「家族の為に、その家族に言いたい事も言えず…その家族の為に、心を折って従っているムギを助ける為にさ……」
梓「………………」
しばしの沈黙が続く。
そして、ふぅとため息をつき、やや納得した口調で梓は口を開いた。
梓「…ふぅ、分かりました、律先輩がそこまで言うんだったら私もう何も言いません……。 それに私だって、ムギ先輩の事情聞いたら、きっと何とかしたいって思うだろうし……私がムギ先輩だったら、そんなの嫌だっただろうし…」
律「…ああ、梓、ありがとな…」
言いながら、軽く梓の頭を撫でてやった。
くすぐったそうに照れ隠しをする後輩を見て、私はみんなに向き合う…
律「でも、いくらムギの為とは言っても、私が言い出した事だし、それにみんなを巻き込んで悪かったと思ってる」
律「何かあったら私が責任取るからさ……みんな、私を手伝ってくれないか?」
そう言って私は、両手を合わせて改めてお願いをしてみる。
澪「ったく…困った部長だよ、ほんと」
梓「でも、今日はいつもよりかっこいいと思いますよ…?」
唯「うんうん、りっちゃん、なんか今日はすごくかっこいいよ♪」
澪「言った事は守れよ? みんな、律を信じてるんだからさ」
律「おうよ、あたしの土下座の美しさは世界一ーっ! なんてなっ」
ちゃらけた表情で私はみんなに向き合う。
そして心の奥で、声には出さず、何度も感謝した…
律(―――みんな、ありがとうな。)
―――
――
―
唯「でもでも、まさかこんなにあっさり入れるとは思わなかったなぁ」
律「ああ、私もまさか、こうもすんなりさわちゃんのメイド服着て入れるとは思ってなかった」
唯「表にいたガードマンの人、私達をお手伝いのメイドさんだと思ってすんなり通してくれたもんねー」
澪「相当忙しい感じあったもんな…」
梓「だからって…こんな泥棒みたいな事……もう二度とやりたくないですけどね」
澪「言えてる…」
律「ま、さわちゃん様々って所だよな」
唯の言う通り、私達の今の格好は、さわちゃんが用意した衣装姿だった。
招待客でもない私達がここに入るには、急きょ採用されたメイドとして入り込む事ぐらいしか考えが付かなかったのだけれど…その目論見は当たっていたようだった…
入口にいたガードマンに通され、屋敷に入る事には成功できたけど…肝心のムギがどこにいるのかが分からない…
完全に道に迷ったかな…まさか、人ん家で迷子になるなんて、思っても見なかったなぁ…
そして…
声「あなた達、そんな所で何してるの??」
一同(びくっ)
最終更新:2011年10月26日 21:35