背後からの声に振り返ると、そこには私達と似たようなメイド服を着た女の人が一人。

 見たところ、ここのメイドさんのようだった。

澪「あ…あのその、私達は……」

梓「べ…別に怪しい者じゃ…」

 焦った澪と梓が手をバタバタ振り、しどろもどろに答えている。

メイド「見ない顔だけど…もしかして、新人さん?」

唯「あ…あのその、私達はムギちゃ…んぐっ!?」

 余計な事を言いそうになった唯の口を慌てて塞ぎつつ、困惑顔の澪と梓に目で合図する。

律(私に任せろ…)

唯澪梓(………)コクリッ

 私を信じてくれたのか、澪も梓も唯も、黙って頷いてくれていた…


律「いやーすみません、そーなんですよぉ、私達今日からここで雇われたメイドなんですけどぉ~、道に迷ってしまいましてぇ~」

メイド「あら、そうだったの?」

律「はい、すみませぇ~ん」

 いかにもなドジっ子声で私はメイドさんに答える。

 …これで誤魔化せればいいけど……。


メイド「ん~、ここ広いからねぇ、まぁいいわ、それじゃこっちへお願いね?」

律「ラッキー、じゃあみんな、早くいこっ♪」

唯「う…うん! そうだね~」

澪「すみません、よろしくおねがいしますっ」

梓「わ、わざわざありがとうございます~♪」

メイド「いえいえ、今日は忙しいからしっかりお願いね?」

律「はいっ♪」


 ふぅぅ…なんとか誤魔化せた…

 …怪しまれたりしないか不安だったけど、どうにか大丈夫そうだった……

 とにかく、これで目的地まで行けそうだな…



 琴吹邸 大ホール


 メイドさんに案内された私達はパーティー会場であるメインホールに通された。

律「うわ…でっか!」

唯「広いねぇ…もしかしたら、学校の講堂よりも広いんじゃないかな?」

梓「すごい…なんていうか……おとぎ話の世界に来たみたい…」

澪「これが…ムギの家…お嬢様としてのムギが住んでる世界なのか…」

 澪も梓も唯も、その凄さに圧倒されていた。

 かくいう私もこういう光景は、テレビぐらいでしか見た事がないからな…

 今日みたいな感じじゃなかったら、多分子供みたいに騒いでは澪のゲンコツでも喰らってた事だろう。

 ホールの至る所でキラキラと煌めく大小様々な飾り。 おそらく特注なのだろう、見た事もないような大きなケーキに、これまたテレビでしか見た事の無いような大きな七面鳥…。

 そして、それを囲むように談笑している綺麗なドレスの女の人や、高級そうなタキシードにを包んだ男の人…。

 それを見て、ここが私達の住む世界とは違う世界だってことを嫌でも実感させる。


 ―――間違いなくムギはここにいる、このホールのどこかで、寂しそうにしているに違いない。

 会場をぐるりと見回すが、ここじゃ人が多すぎてムギがどこにいるのかが分からないな……

 どうしたものかと思い考えていた時、メイドさんが私達に指示を飛ばす。

メイド「じゃああなた、早速だけど、向こうのお客様にこのワインをお届けして貰って良いかしら?」

澪「えっ? あ…はいっ!」

 メイドさんがワインの置かれたトレイを澪に手渡す。 トレイの上には綺麗なグラスに赤々としたワイン、ラベルだけを見ても、そのワインが非常に高価なのがよく分かる。

澪「………………っ」


 メイドさんからトレイを受け取った澪が、ぎこちない動作で男の人の元へ向かっていく。

 カタカタとトレイを震わせる姿にこっちもヒヤヒヤする…

 頼むから、盛大にひっくり返すなんてお約束、やめてくれよ………?


澪「ぁの…どう…ぞっ」

男「おっ、ああ、わざわざありがとう」

澪「…し、失礼…します……っ」

男「あの、大丈夫?」

澪「は…はぃ! 失礼ひますっ!」


律「―――あーらら…」

 ………あいつ、完全にここの空気に飲まれてるな…。

 ま、無理もないか…向こうはムギのお父さんの客、って事は…、相応のお金持ちなわけだからなぁ…

 しかもあいつ、あまり男慣れしてないからなー…

 一人じゃ何やらかすか分かったもんじゃないな…。

メイド「そこのヘアピンの子とおさげの子はお料理を運んでちょうだい、カチューシャのあなたはあの長髪の子と一緒にお酒やお水をお客様にお配りしてくれる?」

唯「は…はいっ!」

梓「律先輩、どうするんですか?」

律「とりあえず私は澪と一緒にいるよ、何かあったらケータイで連絡するから、そっちもムギを見つけたら連絡ちょうだい!」

唯「うん、分かったよ!」

梓「律先輩、気を付けてくださいね?」

律「ああ、そっちこそドジ踏むなよ?」

梓「律先輩こそっ」

律「あいよー、じゃ、またあとでな!」


 そして私は澪と、梓は唯とペアを組み、散開する。

 仕事をしてるフリをしながらムギを探せば、必ず会えるだろう…。

 ムギ、待ってろよ…! 必ず見つけて、お前の事捕まえてやっからな―――!


―――
――

 父と母は外に出て行き、斎藤はあくせくとメイドらに指示を飛ばす。

 そして私も、顔見知りの来賓と話をしている時だった。


男「紬お嬢様」

 ふと、男の人に声をかけられた。

紬「…はい?」

 声に振り向き、その男の人と対峙する。

 背はやや高めで、ブランド物の白いスーツを得意気に着こなし、金髪に染め上げた髪は丁寧にセットされている。

 その身体から微かに香る香水もブランド物だろう、靴もスーツもネクタイも、全てが一級品で、そこらの来賓とは一層違った雰囲気を存分にアピールしていた…

 お酒が回って火照った顔をしていても、その気品は崩れることなく、むしろ大人な雰囲気を演出している様にすら感じられる。

 …確かに、ぱっと見ただけなら、その人は十分かっこいい部類に入るのだろう。

 街を歩いて声をかければ、大抵の女の子は一目惚れしてしまう、そんな感じがする。


 でも、私はそうじゃない……むしろ、その人を一目見て嫌悪感すら抱いていた。

 なんというか…伝わって来るんだ。

 その人の全身から“欲しい物は何でも手に入れてきた”って言う嫌な空気が…。

 とても欲深い…不気味な雰囲気が……。


 ………でも、この人どこかで…あぁ…!


 ……思い出した、確かこの人、数年前に立ち上げた会社でとても大きな成功を収めた若社長だ…

 いつだったか、テレビでこの人を取り上げた特集が組まれていた番組があったけど、この人もここに来ていたのか…


社長「本日は、お誕生日おめでとうございます」

紬「え…ええ、ありがとうございますわ、社長さん」


 笑顔を崩さぬよう、私は社長の世辞に答える。

 向こうの笑顔も、一見すればとても清らかなものに見えるのかも知れない…けど、その裏にある不気味な匂いが拭いきれない。

 …確かに、人は見た目では判断できない。 でも、私には分かった…この人は、あまり良い人じゃない…


 …それは直感、こういう場で…腹の底で下らない事を企んでいる人たちから幾度となく声をかけられた私だからこそ思える、直感だった。


社長「しかし、近くで見るとやはりと言うか、いや…とてもお美しい……」

紬「あ、ありがとうございます…」

社長「プレゼントもご用意させていただきましたよ、とはいっても安物ですが、車を一台ね…。 アメリカの大手会社より取り寄せた新型です。 お気に召して頂ければ、僕も光栄ですよ」

紬「それは、わざわざ高価な物を…」


 …そんな物、私はいらない…。

 いくら高い車を持って来られても、同じ車なら、さわ子先生の車の方が何倍も安心できる…。

 どうして、こう……値段が高ければ良いって概念の人が多いんだ、こういう人は…!


 …それにさっきからこの人、私を見る眼が妙に嫌らしい。

 まるで、獲物に狙いを定めた鷹のようにじっと私を見ていて……気持ち悪い……。



社長「どうでしょう? こんなパーティー抜け出して、僕と一緒に…2人きりのバースデーでも…」

 小声で、私の耳元でそんな事を囁きながら…社長が私の肩に手を置く。


 ――――――ぞわっ…


 何なんだ…この、すごく嫌な感じ………。

 まるで、猛獣の爪が肩に食い込む感じだ…


 ―――やっぱりこの人…すごく怖い……!


紬「…あ…あの…すみません…っ!」

 思わず社長の手を払いのけてしまった。

 やってしまったと思い、私はすぐに謝る…けど…

紬「…あ…………すみません…私、まだ、お客様にご挨拶が……その………」

 社長は私に払われた手を見る……

社長「……………これはこれは…失礼しました…」

 若干の沈黙の後、社長は低く、重い声で答える…。

 でも、その眼には謝罪の誠意なんて欠片も感じられない………。

 むしろ、怒りを我慢するような…恐怖感しか無かった……。

社長「………チッ……でしたら、パーティーが終わった暁にでも…明日は日曜日、お嬢様も学校はお休みでしょう?」

紬「明日は…が…学校のお友達と予定が…」

社長「学校の友人とはいつでも会えますよ…明日ぐらい、良いでしょう…?」

社長「お嬢様の知らない甘美な大人の世界…僕が色々と案内して差し上げましょう……!」


 社長が目線を合わせ、射抜くように鋭い眼光で私を捕える…

 その威圧するような目線に震え、私は目を逸らす…。


 そして、社長の腕が私を掴みかけた…その時だった…。


 ―――ガシャーーーン!!!

紬「ひっ…!」

 一際大きな音が私のすぐ傍で響き、顔を上げると、そこには真っ赤なワインまみれになった社長の姿が……

 …状況を察するに、メイドがワインの入ったトレイをひっくり返して、それが社長を直撃してしまったようだ。


社長「………………っっっっ!!!!!」

声「あ…あわわわわわわわわ………」

 メイドの怯えたような声と、怒りで顔を真っ赤にする社長。

 一触即発…いや、この手の男の人が怒り出したらどうなるか………そんな事、想像したくもなかった……。


男「…だぁぁぁ……テメェなんてことしてくれんだ!! このスーツ高かったんだぞ!!!!!!」

声「ご……ごめんなさい!! ごめんなさい!!!」

 必死で頭を下げて謝るメイドだけど…そんな事もお構いなく、社長はメイドを一方的に怒鳴り散らす。

社長「オイテメェ!! 俺を誰だと思ってやがるんだ…? 弁償しろよこのガキがぁ!!!」

声「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさいっっっ!!!」

紬「あ…あの社長、他のお客様もいらっしゃいます…! ですから、ここはどうか穏便に…!」

 社長に向かい、メイドと一緒になって私は謝り…………え??


声「…………っっっ…ご…ごめんなさぃ…ごめんなさい……っっ!!」

紬「ゆい………ちゃん…?」


 謝るメイドを見る。

 そのメイドは、格好こそメイド服を着ていたけど…間違いなく、私の友達の唯ちゃんの姿だった……。


 ―――どうして…唯ちゃんがここに………どうして…どうして???


―――――――――――

律「ん~~……ムギ、どこだぁ~??

 配膳と水配りの仕事を適当にこなしつつ、私と澪はムギを探す。

 漏れ聞いた話では、メイドも執事も本当に人手が足りてないらしく、今はほとんどのメイドが厨房で料理を運び、また来賓のルームサービスに追われているらしい。

 そして、今このホールにいるお手伝いさんは、私達を除けば数人の執事さんのみ。

 そう、誰にも邪魔をされずにムギを探すには、今が絶好のチャンスだったんだ―――。


律「なぁ澪、ムギ見つかったか?」

澪「いや……私も探してるけどなかなか…」

律「ん~~~…ここじゃないのかな?」

 ムギがこのホールにいないって可能性が頭を過った、その時だ…。


 ―――…ガシャーーン!!


声「ご…ごめんなさい!!」

律「ん…?」


 何処かで何かをひっくり返したような音が聞こえた。

 何事かと思ってその音の方を見ると、涙目の唯が男に怒鳴られているのが見えた。

 男は全身ワインまみれで、その白いスーツには赤い染み…ああ、間違いない。 唯がワインを男にぶっ掛けてしまった事が十二分に伝わる状況だった。


律「わ…やば………!」

澪「律っ! 唯が…!」

律「ああ分かってる…澪、行くぞ!」

 状況を察した私と澪は一目散に唯の元へ駆けつける。

 騒ぎを聞いて来たのか、唯の近くにいた梓もすぐに現場に駆けつけてくれた。


社長「オイ……聞いてんのかよガキィ!!」

 男が唯の胸倉を掴み上げ、真っ赤な顔で吠えている。

 …うわ…こいつ酔ってんな…確かに、せっかく決めてきたスーツを台無しにされた気持ちも分からなくもないけど…それでもだ。

 いくらなんでも…泣いてる女の子の胸倉を掴み上げて一方的に怒鳴り散らすなんて……どうかしてるぞ…!


唯「ご……ごめんなさい!!!! ごめんなさい!!!!!」

紬「やめて下さい!! 社長!! その子を許して上げてください!!!」


 涙を流しながら、必死で許しを請う唯…

 そんな唯の涙なんてお構いなしに怒鳴り散らす男…

 その男の足元で、唯を許してくれと土下座で懇願するドレスの女の人の姿が見えた。


 ……いや違う、この人は…!


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最終更新:2011年10月26日 21:36