空虚───────
友A「じゃあね~澪」
澪「うん、また明日」
ただ時間だけが過ぎて行く。大学へ行きバイトをし、お風呂に入り、ご飯を食べて寝る。
そんな在り来たりが毎日を支配する
今年で二十歳になる私は、この人生に少し嫌気が差していた。
何が不満と言うわけではない。高校を卒業し、入りたかった音楽大学にも入れた。
両親に懇願し一人暮らしを始めてもう一年と7ヶ月ほど。
最初は張り切ってしていた自炊も最近は疎かにしている。
澪「お腹減ったな…」
私は人生に、渇望していた。
刺激と言う名のスパイスを──
─────────
「ありがとうございましたー」
今日は近くのコンビニのお弁当で済まそう。いや、今日も…か。
澪「でも新作のお弁当だからちょっと期待だ」
ほんの少しだけ足取りが軽くなった気がする。これくらいの日常変化にも敏感になるぐらい今の私は毎日に退屈していた。
高校の頃ひたすら音楽に打ち込んでいた頃が懐かしい…。
澪「律…元気にしてるかな」
遠藤「…………彼女が
秋山澪か。なるほど…確かに餓えている。刺激に……。
ならば渡そうではないか、その餓えを満たす絶望への切符をな…ククク」
―――
澪「また麻薬使った芸能人の話か……最近多いな」
なんて独り言を漏らすが、他人のことにあまり興味はなかった。
人見知りな性格も大学に入って一年もすれば消えていた。
いや、本質は変わらない、ただ私は誰かに興味を持たなくなっていた。
本気でわかろうとする人間は大学にはいない、それがわかってしまったからだ。
だから人見知りする必要なんてないのだ。ただ何となく体裁を整えて会話しているだけでいい。
それで私は、秋山澪という人間は確立されて行くのだから……。
ただ一人、例外を除いて。
テレビを消し6畳半の一間に横になる。
彼女は唯一私を理解してくれた。私も彼女を理解しているつもりだ。
本当は私と同じ大学へ行く筈だった、けれど彼女は落ち、滑り止めの大学へ行くこととなった。彼女曰くヤマが外れたらしい。
私もその大学には受かっていた為、そっちに行こうとした……しかし彼女はそれを許さなかった。
「私みたいなバカのせいで澪の足を引っ張りたくない」と言い、私達は別々の道を行くことになった……。
そんな私のたった一人の友達。本当の自分を心配してくれ、本当の自分を見せられる存在……。
澪「律……何で……」
トントン────
不意に玄関のドアが鳴る──
綺麗に二回、インターホンがついていない訳ではない。
それでもその来客はノックを選択してきた。
澪「は、はい…どちら様ですか?」
Tシャツ一枚に下はホットパンツなんてだらしない家着を焦って着替える。
こういう身嗜みに気を遣う自分が嫌いではなかった。
秋山澪という女性は表向きは謙虚でしっかり者、成績も優秀で人には優しく振る舞う、がモットーなのだ。
その役割を演じなければならない。私が私で在るために…。
トントン────
来客は何も言わず、またノックをする。
どうやらこちらが開けないと気が済まない様だ。仕方なしに私はドアまで行き開けることにした。
澪「今開けまーす」
チェーンロックはしっかりと掛けたままだ。私が部屋選びに重点を置いたのはこのチェーンロックが有るか否か。
何故チェーンロックを必要としたかは、都会は物騒というイメージと、変な宗教やしつこい新聞勧誘などをシャットアウト出来る優れものだからだ。
チェーンロックをしたままの扉から恐る恐る覗くと……。
澪「あの……どちら様ですか?」
そこには黒いサングラスを掛けた如何にも怪しげな男の人が立っていた。
「すまないなこんな時間に。混み入った話でね。中、いいか?あまり目立ちたくはない」
澪「はあ……でも……」
いきなりこんな怪しげな人を女の一人暮らしの家にあげるバカはいないだろう。
私は何を言っているんだと言った風な目で彼を睨み付ける。
「遠藤金融の者だ。田井中律について…と言えば中に入れてくれるかな? 心配するな、話をするだけだ」
澪「律の!?」
この人を見た瞬間嫌な予感はしていた。十中八九当たりだろう。
とりあえず私は話を聞くことにした。
澪「近くのファミレスで話しましょう。いいですか?」
「いいだろう…」
男はそう言って踵を返し、階段を降りて行く。
私は出掛ける準備を粗方済まし、男の後を追いかけた。
ファミレス─────
「ねぇちゃん、コーヒーでいいか?」
澪「はあ…」
男はそれを肯定と受け取ったのか男はコーヒーを二つと店員に言い付ける。
「さて、と。とりあえずは自己紹介からしとくか。俺は遠藤金融の遠藤だ」
澪「金融……」
遠藤「あんたは秋山澪、だったよな?」
澪「はい…」
遠藤「でだ。話と言うのはあんたの友達、田井中律だっけか?そいつがちょっと金返せなくてな」
やっぱりだ……。嫌な予感はしていた。
三ヶ月前から。
遠藤は話を続ける。
遠藤「で、君が確か保証人になってたよな?え~と…、これだこれだ」
遠藤はわざわざカバンから連帯保証書を出して私に見せてくる。
それは確かに私が三ヶ月前律に頼まれて書いた保証書だった。
澪「それで…私に払えと? 律はどうしたんですか?」
律が私を裏切って逃げる筈がない。確か額は30万ほど、それぐらいで私達の絆は切れるわけがないと云う自信があった。
だから律の身に何かあったからこそこうして私に言いに来たのだ。そうに違いない。
遠藤「まあ…簡単に言えばそうだ。これを君が払ってくれるなら彼女は嫌な思いをしなくて済むな」
その言葉で一気に悪寒が走るのがわかる。
澪「律に変なことしたら許さない…警察へ行きますよ!? 最近じゃ過剰な債権回収をすれば違法になるんだから!」
思わず立ち上がりながら声を荒げてしまう。
遠藤「落ち着け、目立つのはお互い好ましくないだろう?」
遠藤が顎をしゃくる方を向くと、大声を出した私の方を何事かと何人かが訝しげに見ている。
澪「……」
黙って席に座る。確かにこんな話を周りに聞かれたくはない。
遠藤「まあ別に払わなくてもいい。そうなった場合、金は田井中に作らせる」
澪「くっ……!」
作らせるなんて体の良い言い方しているがつまりは金を払わなければ律の体を売ると言っているのだ、こいつは。
女が金を作るためにすることと言ったら……世間に疎い私でも容易に想像がつく。
澪「払います……いくらなんですか?」
確か律から聞いた額は30万……三ヶ月経っているから利子を合わせると……どれぐらいになっているのだろう。想像がつかない。
遠藤「煙草、いいか?」
澪「……どうぞ」
そう言うと遠藤は胸ポケットから煙草を取り出す。それを自分が吸う前に私に勧めて来たが、微かに首を振りそれを拒否した。
そう言えば自分も煙草を吸える歳なんだと実感させられる。
火をつけ、最初の一服が空気中を漂っている最中だった。
遠藤「……5000万」
澪「は?」
耳を疑う。正しく言えば疑うしかない。
何故なら男の口から出た金額があり得ないものだったからだ。
それでも、遠藤はもう一度同じ言葉を告げる。
遠藤「5000万だ。田井中の借金は」
トントン、と、遠藤が灰皿に灰を移す様がやけに遠く見えた。
澪「そんなわけっ……! 律は30万って」
遠藤「最初はな。まあ聞け」
澪「……」
遠藤「田井中、と言っても親父の方だがな。そいつの会社が倒産したとこから始まる」
澪「倒産……?」
そんなこと一言も……。
遠藤「田井中の親父は結構なポストにいたらしく事業の失敗で結構な借金背負わされたらしい」
澪「そんな……。じゃあ律はその借金を?」
遠藤「ま、きっかけはそうなるか。しかし親父さんの借金はあっても2000万、家を差し押さえられるぐらいですんだ……が、だ」
澪「……」
遠藤「必死になって返そうとはしたんだろうがな、運がなかった」
遠藤はニヤリと微笑み、煙草を灰皿に押し潰す。
遠藤「FXって知ってるか?」
澪「……外国の通貨売買ですよね」
遠藤「お、知ってたか。さすがはいいとこの学生だな」
澪「……」
遠藤「睨むな睨むな。こっちもこれが仕事なんだからよ。悪く思わんでくれ」
遠藤「まあその為替取引で失敗しちまってあれよあれよと転落人生、借金は5000万まで膨れ上がった。
こうなるともう家を売るだけじゃどうにもならん。そんで田井中の親父さんは家族を見捨て雲隠れ、借金は嫁に残されたってわけだ」
遠藤「まあ大元はこんな感じだ」
事も無げにそう言う。良くある話だ、とでも言わんばかりの口調だった。
こんな絵に描いたような不幸が、不遇が、自分のもっとも大切にしていた友達に降り注いでいるなんて考えたくなかった。
遠藤「ここからが本番何だがな。その田井中の母親に背負わされた借金をお前の友達、田井中律が何とかしようとしてな」
澪「なんとかって……5000万なんて学生の私達にどうにかなるわけ…」
遠藤「冷静に考えりゃそうなんだろうが毎日取り立てに追われて精神イカれちまってる奴にそんなこと言っても無駄だろう」
遠藤「追い込みかけてたのはタチの悪い噂しかない最高ファイナンスの奴等だしな……ククク」
澪「どうしようもないなら自己破産すれば良かったのに……」
何で私に相談してくれなかったんだ……バカ律。
遠藤「自己破産なんて関係ないな。こっちは法律なんざ無視して返すまで永遠に取り立てる。
まあ大方自己破産したら周りの奴等にも危害を加えるとか何とか言ってたんだろ。これがまたお前らぐらいの若者には効くんだ……変に仲間意識を持つ甘ちゃんにはな」
澪「っ……」
だから相談出来なかったのか……。
遠藤「こっちは借りた金を返せと言ってるだけ何だがな。最近やたら世間は借りた方は悪くないみたいな言い方をするが……なもんあり得るかよっ……!」
遠藤「借りたら返すっ……当たり前だろうがそんなもんっ……! 小学生にだってわかる……!」
澪「それは……」
遠藤「金利も含めて承知で借りてる奴らがほとんどだ! それを返せないだぁ~? クズっ……! ゴミばっかっ……! 」
澪「律は違います!!」
遠藤「ああ……確かに違うな。あいつはちゃんとそれを受け止めて返そうとした……自らの体を賭けて、な」
澪「!!」
遠藤「ここでやっとお前を保証人に借りた30万が出てくる。どこでその話を聞いたかは知らんが田井中はあるところの裏カジノに顔を出してな」
澪「……それでその30万で5000万を何とかしようと?」
遠藤「さすがに奴もそこまでバカじゃない。いくら裏カジノと言ってもレートはせいぜい100~500……それで30万から5000万に増やそうとしたら何回神憑り的なことをしなきゃいけないかぐらいわかるだろう。
お前の30万はそこの会員費だ」
澪「はあ……会員費って……じゃあどうやって稼ぐつもりだったんですか? 空手で……」
遠藤「そこのカジノにはタダで出来るギャンブルがあってな……売買ゲーム……それが田井中が挑戦したギャンブルの名前だ」
澪「売買ゲーム……」
遠藤「買うか、売られるかを決めるゲームでな。売買ゲームと言ってもそれは枠の話で実際勝敗を決めるギャンブルの種類は複数ある。
今回はルーレット、プレーヤーは赤か黒を選び当たれば買い、つまりは勝ち、負ければ売りってことだ」
澪「勝ち負けはわかりますけど……買いとか売りって…?」
遠藤「挑んだ方は自分の決めた条件をカジノ側に買わせることが出来る。つまり田井中の場合借金の権利、5000万をカジノ側に買わしに行った……!」
澪「なっ……!」
律が……そんな大胆な事を。
遠藤「逆に売り……これはその買いに対して見合ったものじゃなけりゃまず通らないんだが……今回の場合は田井中の身柄だ」
澪「勝てば5000万が白紙、負けたら5000万で律が店側に買われるってことですか……?」
遠藤「ククク……そんな甘くねぇよ……この世の中。売り、つまり負けたらただ売られるだけっ……! 店側はタダで田井中を得る……!
それが売買ゲーム……! 負ければ終わりのデスゲーム……!
まあこれぐらいは当然だよな……そもそも何も持ってないスカンピンが5000万を得ようとしたらこれぐらいのリスクは当たり前……」
澪「それに律は……」
遠藤「ああ……負けた。そして今やつの身柄は帝愛が預かってる」
澪「帝愛ってあの?」
遠藤「日本でも三本の指に入るトップ企業……あの帝愛だ」
澪「何でそんな大会社が……?」
遠藤「帝愛も一枚岩じゃない。色々な派閥やビジネスを介してデカく。裏カジノも人身売買もその一環さ」
澪「……律は、無事なんですか?」
遠藤「今のところはな。お前さんの返答次第じゃ死ぬよりも辛い目に会うかも……だが」
澪「くっ……私にどうしろって言うんですか!?
5000万なんて大金はらえるわけ……あっ……!」
だからこいつは長々とこんな説明を……。
遠藤「ククク……気付いたか……?」
澪「……私にも挑戦しろって言うんでしょう……? その売買ゲームに」
遠藤「ご名答。だがお前にはもっといい話を持って来た……!」
澪「いい話……?」
遠藤「登り詰めれば5000万どころじゃない…億って金も掴める特別な売買ゲームだ」
澪「……」
遠藤「そう渋い顔するな。リスクが同じなら見返りはデカい方がいいだろう?
それにあのカジノは会員制で30万……今すぐお前に用意出来るのか?」
澪「それは……」
遠藤「それに比べこっちは参加無料、完璧無料だ。体一つで乗り込める」
澪「……」
遠藤「勿論参加は強制じゃない。今のお前の借金は田井中がお前を担保にして借りた30万だけだからな。こっちとしてはそれさえ払ってくれればいい……残りの金は嫁の方にタカるさ」
澪「30万……」
学生からすれば30万でも十分な高なのだが数千万単位の話をした後ではこれも霞んで見える。
遠藤「まあおいそれと決められるもんじゃねぇよな……下手すりゃ自分も売却だ……」
澪「っ……」
5000万も稼げるギャンブル……裏返せばそれほど過酷と言うことだろう。
負ければ売却……そうなれば律と一緒に奈落行きだろう……。
それでも……。
澪「なんで……こんな話をわざわざ持ってきたんですか?」
言ってみればおかしな話だ。私をそこに招待したとして得られる金がそこまで莫大だとは思えない。
それにこの人は参加は自由と公言している。
来なければ招待もクソもないだろう。
遠藤「ククク……今回は特別だ。田井中の勇気に免じてのチャンス……ってところか」
澪「……」
遠藤「お前がもし5000万をうちに返せば田井中の身柄も返すよう言ってある」
澪「……じゃあ返せばいいのはその5000万だけですね?」
遠藤「ああ。田井中は売買ゲームに参加する参加賞ってとこか。
ククク……金の出てこない巣をつつくよりお前さんに賭けてみたくてな」
澪「……わかりました」
遠藤「おおっ、参加してくれるか!」
そうにこやかに言うと似合わない笑顔のままペンを取り、ファミレスのアンケート用紙の裏に何やら書き列ねている。
遠藤「これが日時と場所だ。遅れるなよ?」
私は、差し出された紙を無言で受け取った────
最終更新:2011年10月27日 00:29