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「……唯先輩って、好きな人はいますか?」

 部室に人がいないと広く感じる。
 いつもはゴチャゴチャしていると思っていたけど、
 改めて見れば物自体は少ないことがわかる。

 他の先輩たちは遅れるそうだけど、唯先輩は先に練習なんてしないはず。
 二人でベンチに腰かけて、とりとめのない話をしていた、でも。

「おおぅ、本人の前で言わせるなんて。
 あずにゃんってば、大胆。……言っちゃおうかなぁ?」

 どうしてこんな話になったんだろう。
 きっと、偶然二人きりになったから。
 なんでもない振りをして、「言ってみてください」と返答した。

「えっとね、あずにゃんが大好き!
 それからね、ういは本当によくできた妹で――」

 一人分ほど距離を空け、私たちは座っている。

「でね、のどかちゃんはちっちゃいころからずっと――」

 返ってきたのはお決まりの答えだった。
 いわゆる『みんな大好き』という答え。
 でも、一番最初に『あずにゃん』と、私の名前を出したことはうれしかった。

「――はいはい、そう言うと思ってましたよ。
 ……私も好きです、唯先輩のこと」

「あずにゃ~ん! おそろいだね、わたしたち」

 飛びかかる彼女を避けることはせず、いつも通りに抱擁を受けいれた。

 なんでもないように『好きです』と言ってみたけど、私の動揺は隠せた気がしない。
 頬ずりをされながら、内心では二人の『好き』の違いに戸惑っている。

「暑苦しいです、離れてください」

 おそろいだからといって素直に喜ぶことはできない。
 私の『好き』と唯先輩の『好き』は違っているから。

「あらあら、お邪魔しちゃったかしら?」

 扉が遠慮がちに開かれ、ムギ先輩がやさしい声と共に現れた。
 はっとなった私に、「どうぞ続けて」という言葉を投げる。

「違うんですムギ先輩! これは唯先輩から――」

「違わないよあずにゃん、私たちの仲だもんね~」

 ムギ先輩は静かに横を通りながら、「それじゃごゆっくり」と笑顔を向ける。
 唯先輩は「了解しました!」なんて言うものだから、
 私の抵抗もあえなく終了となった。

「もう! 離れてくださいよ」

 部室にはカチャカチャという音がひびいている。
 ムギ先輩がティーセットを準備する音。

 心地のいいひびきに誘われ、
 先日食べたショートケーキの味を思い出した。

「あずにゃんも楽しみなんだね、ティータイムが」

「ち、違います! 私はただ……、
 このあいだ食べたショートケーキが美味しかったな、って……」

 二人の視線を一身に受け、動けない。
 地雷を踏んだというのはこのことだろう。

「喜んで梓ちゃん、今日も同じシェフのケーキだから」

「よかったね~あずにゃん」

「もう! 子ども扱いしないでください!」

 そう反発したけど内心は心地よかった。
 私を受け止めてくれる場所がある、人がいる。
 ここに入部するまでは感じたことのない安心感。

「え~、そんなこと思ってないよ。あずにゃんはしっかり屋さんだもん」

「そうよ、だからティータイムが終わったらちゃんと練習しましょう」

 私が唯先輩へ本当に『好き』と伝える。
 その行為はこの空間を崩してしまうんじゃないか。

「……それならいいです」

 黙っていればいいのかもしれない。
 でも閉じ込めておける自信もない。

「唯先輩、そろそろ離れてください」

 もうすぐ律先輩と澪先輩が来てにぎやかになる。
 机に五人分のケーキと紅茶を並べてティータイム。
 それから少しだけ練習をする。

「もうちょっとだけお願い、あずにゃ~ん」

 もうちょっとだけ浸っていたいのは、私のほうかもしれない。

「おーっす! みんなやっとるかね」

「そろってもないのにやってるわけないだろ」

 扉が勢いよく開かれ、律先輩と澪先輩が姿を見せる。
 律先輩は、「相変わらずお熱いですなあ、二人とも」と、荷物をベンチに置く。

「ラブラブですから~、えへっ」

「みんなそろいましたよ? ほら、離れてください」

 唯先輩はしぶしぶ離れ、律先輩に泣きついた。

「あずにゃんのいけずぅ。りっちゃん隊員、わたし振られてしまいました!」

「よーしよし、わかった唯。私の胸で泣け」

「りっちゃん隊員、膨らみが確認できません」

 二人はふざけ合いながら机へ向かい、澪先輩は私に近づいて来る。

「梓、待ったか?」

 そういって少ししゃがみ、「どうかしたか?」と、私の顔をのぞきこんだ。
 私は「いえ、なんでも」と答え、澪先輩は「そっか」と返す。

「みんな、用意できたわよー」

 ムギ先輩の声で集まって、いつも通りのティータイムが始まった。

――――――――――――――――

『梓、それって憧れてるだけじゃない? 唯先輩に』

「そうかなあ?」

 眠る前、純に電話をかけ今日のことを報告した。
 というより、相談したかった。
 憂に相談する気はない、彼女は唯先輩の妹なんだから。

『そうだよ。私だって澪先輩に憧れてるけど、梓の言う好きとは違うもん』

「参考になると思ったんだけどなあ」

 ため息をひとつ、「はあ」とつく。
 ベッドの上を寝転びながら天井を見つめ、そのまま言葉を区切る。

『なーんか残念そう。
 じゃあ梓、唯先輩とどうなりたいの?』

「それは――」

 返す言葉が思い浮かばない。
 気持ちだけが走りすぎて、伝えたあとはなにも考えていない。

『それとも……、唯先輩みたいになりたいの?』

 わからない、ただ唯先輩に『好き』と伝えたいだけなのに。
 答えを出さないといけないのか、わからなかった。

「そういうわけじゃない、じゃないんだけど……。
 そうかもしれないし――」

 我ながらハッキリしない。
 ハッキリしているのは『好き』という気持ちだけ。

「ごめん純、わかんないよ……。どうしたらいいのかな?」

『あ、ごめん梓。そんなつもりじゃなくて』

 少し気まずくなった。
 私のせいかもしれないけど。

『……えっとさ、澪先輩に相談してみたらどう?』

「え、なんで澪先輩に?」

『これは私の主観だけど、梓と澪先輩って似てない?
 見た目もだけど性格的にさ』

 確かにそうかもしれない、どっちも真面目といったところがある。
 私が髪を下ろせば同じような見た目になる。
 でも、澪先輩のほうがお姉さんという雰囲気がしてうらやましい。
 決してプロポーション的な意味ではなく、あくまで雰囲気が。

『それにね、唯先輩と律先輩。この二人も似てると思うんだ』

「あ、わかる気がする。元気だもんね二人とも」

 自分を引っ張って行ってくれそうな相手。
 心の中に踏み込んできて、それでも不快に思わない相手。

『でしょでしょ、だから思ったの。相談してみなよ』

 澪先輩を私、律先輩を唯先輩に置き換える。
 想像すると自然と笑みが浮かぶ。

 思いつきといえばそれまでだけど、それでもよかった。

「そうするよ純。ありがと」

『うん、なんか混乱させたみたいで。ホントごめん』

「いいよそんなの、原因は私なんだし」

『……がんばってね梓、応援してるから』

 電話越しに彼女の心が伝わって来るみたいでうれしかった。
 一人では解決できないことも、二人、三人と集まれば解決できる。
 高校に入ってみんなに出会って、そんな当たり前のことを確認した。

「うん、それじゃおやすみ」

『おやすみ』

 通話を切って枕元に置く、着替えと歯みがきも済んでるしこのまま寝よう。
 相談すればきっと上手くいく。
 律先輩と澪先輩、あの二人みたいになれる。
 純に相談してよかった、持つべきものはなんとやらだ。

「おやすみなさい、唯先輩」

 ここに彼女はいない。
 でも、名前を呼ぶだけで胸が高鳴る。

 もう一度「唯先輩」と呼んでみる。
 目を閉じると姿が浮かんだ、笑顔で私のことを『あずにゃん』と呼ぶ。
 知ってよかった、『好き』という気持ちを。

 おやすみなさい、唯先輩。

――――――――――――――――

 澪先輩と待ち合わせたカフェは繁華街の外れにあった。
 そのたたずまいは隠れ家を連想させ、路地裏にひっそりと存在している。
 レンガ色の外装は落ち着いた雰囲気を感じさせた。

 店内にはジャズ音楽と初老を迎えたであろう店主、
 ドラマの中から抜け出してきたような。

「……苦い」

 澪先輩がストローでアイスコーヒーをすすり、そうつぶやいた。

 静かな店内にカランと氷の音がひびく。
 透明なグラスに注がれた黒い液体、私の印象では大人の飲み物だと感じる。

「ミルクとガムシロップは入れないんですか? そこにありますけど」

「いや、そのまま飲んだらどんな味かなって」

「苦い経験になりましたね」

 イスやテーブルは深い茶色で、白い壁と上手く調和していた。
 壁に物は少なく、風景画が二、三枚。
 床にはところどころ観葉植物。
 天井からぶら下がった照明がそれらを照らし、店内を程よい明るさに保っている。

「それにしても驚いたよ。まさか梓が唯のことを好きだなんて」

「あ……、あのときはちょっと浮かれてたんです」

 澪先輩に電話したとき、第一声に、『唯先輩が好きなんです』と言ってしまった。
 こんな簡単に自分の心を打ち明けるなんて、私はどうかしている。

「澪先輩って……、律先輩のことどう思ってます?」

「それって……梓の言う『好き』か、ってことだよな?
 友達とか先輩後輩じゃなくて」

「……はい」

 私はミルクティーに口をつけ、澪先輩の話に耳を傾ける。

「そうだな……、確かに律のことは好きだけど。梓の言う『好き』とは違うと思う」

 澪先輩は透明な容器を手に取り、ガムシロップを注ぎながら語り始めた。

「ずっと同じ時間過ごすとさ、食べ物とか飲み物の好みが重なってくるんだよ」

 滑らかな動作でストローがまわされ、浮いた氷がカラカラと音を立てる。
 澪先輩はストローに口をつけて飲み、「やっぱりミルクもいるな」とつぶやく。

「……今アイスコーヒー飲んでるけど、これも律の影響なんだ」

「なんだか大人っぽく見えます」

「中学のとき二人でファミレス行ってさ、私はオレンジジュースを頼もうとしたんだよ。
 そしたら律の奴、『アイスコーヒーにする』って言うもんだから、私もそうした」

 今より少し幼い二人、仲良くしている光景を想像すると微笑ましい。

「ちょっと大人ぶりたかったのかな、私も律も」

 澪先輩は使いきりサイズのミルクを開け、コーヒーに注ぐ。
 最後の一滴を確認してから、容器を隅にやって話を続けた。
 私もミルクティーを飲み、聞き役を続ける。

「他にも音楽の好みとか、言葉づかいとか、
 律に影響されてるんだなって思うよ」

「そういうものなんですか? 幼なじみって」

「うん、逆に律も私に影響されてると思う」

 コーヒーに注がれたミルクは溶けきらず、
 白と黒が不規則に入り混じっている。

「そのうちわからなくなるんだ、
 どこからどこまでが自分の範囲なんだろう、って。
 だから……、私の好みの三分の一は律と重なってると思う」

「なんだかうらやましいです、そういうの」

「そうか? そういうものなのかな……」

 澪先輩は少し考えた表情をしながら、再びストローをまわす。
 かき混ぜるうちに白と黒が混じり合い、きれいな茶褐色になった。

「――まあ、悪くないのかもしれないな」

 そう言って、澪先輩は再びストローに口をつける。
 まるで恋人に口づけをするみたいに。

「うん……やっぱり、こっちのほうが私の口に合ってる」

 澪先輩は表情をやわらかく崩し、今日初めての笑顔を見せた。

――――――――――――――――

「なにかいいことあったの? 梓ちゃん」

 表情に出さないようにしていたけど、憂に言われて気がついた。
 昼休みの教室、昼食を終えていつものメンバーで談笑をしていたところに。
 集まるのは私の机のまわり。
 憂はしゃがんで両腕と頭を机に乗せ、純は立ちながら片手を机に乗せている。

「え? なにもないけど。……憂こそほら、いいことあったんでしょ」

「こらこら梓、憂に振らないの」

 純にたしなめられ、私は一旦黙ることにした。
 二人の話を横耳で聞き、教室のにぎやかさをながめる。

 ぼうっとしているときに考えることは、唯先輩のこと。

「――――でね、昨日――お姉ちゃん――、こんなこと、――」

「ホントに? うん――面白いね、――、憂のお姉ちゃんって――」

 静かにしていようという決意も、唯先輩の名前が出れば別の話。
 猫じゃらしを見せられた猫みたいに、私は憂にくらいついた。

「憂! もう一回聞かせて。唯先輩なんて言ったの?」

「う、うん。もう一回言うね」

「はあ、これだよ梓は。唯先輩のことになったら目の色変えてさ」

 純は後ろを向き机に腰かけ、「お熱いことで」とつけ足した。

――――――――――――――――

『ねえ梓、澪先輩に相談してみてどうだった?』

「うーん、そうだなあ……」

 今日も純に電話、そして憂にはまだ打ち明けていない。
 純と澪先輩に話してなにを今更と思うけど、
 上手くいくまでは内緒にしておきたい。

 ベッドに腰かけ、澪先輩との会話を思い出す。
 結んだ髪をほどきながら、話を始めた。

「律先輩と澪先輩みたいになりたいな、って思った」

『は? それだけ? なにかアドバイスとかは?』

「それだけって、大事なことだよ。
 澪先輩がアイスコーヒーを頼んでね、それは律先輩の影響だ、って言ってた」

『人選をまちがえたかな……』

「ずっと同じ時間過ごしてて、それで好みが重なってくるんだ、って」

 律先輩と澪先輩、二人はただの幼なじみという関係ではないと思う。
 親友という言葉では言い表せないほどの関係。

 息を吸って一旦止め、「私は!」と強く前置きした。
 声を張り上げて、叫ぶみたいに。

「唯先輩とそんな関係になりたいの!
 同じ時間過ごしてお互い影響し合って!
 どこまでが自分の範囲かわからなくなって――」

『ちょっと待ってよ! 梓、私に告白してどうするの?』

「あ、ごめん……純」

 感情が激しくなり、心臓の鼓動が伝わってきた。
 自分でも驚いている。
 こんなに体が熱くなったり、いても立ってもいられなくなるなんて。

『……なんかうらやましいな、梓が』

「え?」

 なにがうらやましいんだろう、私にはわからない。
 こんなに我を忘れて、声を張って、恥ずかしくて仕方ないのに。

『なんかね、梓イキイキしてる』

「そう?」

『……好きになっちゃうかも』

「かも……って。純、冗談やめてよ」

『こらこら、真面目に取っちゃだめだって』

 私が好きなのは唯先輩だけなのに、そう言われても答えようがない。

『ま、応援してるから。大丈夫、梓なら上手くいくよ』

 気休めかもしれないし、根拠はないのかもしれない。

 それでもよかった。
 背中を押して欲しかっただけなんだから。

「……ありがと、純。気休めでもうれしいよ」

『気休めじゃないってば。ホントに』

「ごめんごめん」

 なんだろう、本当に上手くいきそうな気がしてくる。
 舞い上がっていると言えばそれまでだけど。
 勢いがあるうちに言っておかないと、伝えられない気がする。

「決めた! 決めたから」

『え、なになに?』

「唯先輩に告白する」


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最終更新:2011年10月30日 20:19