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「お、あずにゃん! 偶然だねー」

 本屋で唯先輩と出会うのはなかなか珍しい。
 でも、隣に和先輩がいるということで、これなら可能性もあるなと思った。

「梓ちゃんは買い物?」

「はい、好きなバンドのスコア……楽譜のことです。
 それを買いに来ました」

 唯先輩に告白すると決めても、簡単に勇気が出るはずもなく。
 だからといって落ち着くこともできず、本屋をうろうろしていた。

「へ~、あずにゃんは努力家だね。ところで楽譜は見つかった?」

「いえ、やっぱり本屋じゃなかなか見つかりません。楽器店に行ってみます」

 和先輩がいなければ、このまま唯先輩と二人きりで楽器店に行けたのかも。
 こんな意地の悪い考えが浮かんで、私は視線を足元に沈めた。

「ところでお二人とも買い物ですか?」

 私は視線を戻し、ごまかすように質問をした。

 唯先輩は和先輩の腕をとりながら、「へへ~」と明るい声を出す。

「今日はのどかちゃんとデートなのです」

 平然と言いのけて、さらに和先輩とくっつく。

「こら、唯。買い物に来ただけでしょ」

 和先輩はそう言うが振りはらうことはせず、唯先輩にまかせるような感じだ。

「……そうですか。私、お邪魔だったですか?」

 この二人は『邪魔』だなんてほんの少しも思わないだろう。
 それをわかっていながら口にした。

「全然、そんなこと思ってないよ」

「そうよ、よかったら私たちと来ない?」

 私の悪意なんて見えないかのように誘ってくれた。
 このまま帰ったら、嫌な気持ちを抱えたままになりそうだ。

「はい、よろしくお願いします」

 三人で本屋を出て、次の目的地を話し合いながら歩く。
 ぶらぶらしながら店を物色し、なにも買わずに時間を過ごす。

「はいはいはい、ここで提案があります!」

 唯先輩が発表する小学生みたいに手を挙げた。
 和先輩は「なに?」と、唯先輩に視線を送る。

「おなかを満たす必要があると思うのです」

「……要するに唯はファミレスに行きたいってことね」

 和先輩は、「梓ちゃん、そういうことだから」と、顔を傾け腕時計を見つめる。

「そうね、ちょっと早いけどいいかしら?」

 私は「わかりました、行きましょう」と答えて、二人について行くことにした。

――――――――――――――――

 お昼にはまだ早い時間帯だったので、店内にそれほど人はいない。
 店員さんに、「こちらの席へどうぞ」と案内され、ボックス席へ向かう。

 唯先輩と和先輩が隣同士、私はその向かいに座った。

「あずにゃんはなに食べるの?」

「そうですね――、唯先輩は決まりましたか?」

「うん、わたしはミートソーススパゲティにする。あとストロベリーパフェ」

 ここのパフェはかなりのボリュームみたいだけど、
 一人で食べきれるのか心配だ。
 そう思いつつ、「和先輩はどうします?」と話を振った。

「そうね、私は……カキフライ定食にするわ」

 ファミレスには若干違和感のあるメニュー。
 唯先輩は、「のどかちゃんはひと味違いますなぁ」と納得済みの顔だ。

「ところで梓ちゃんは?」

「私は……トマトソーススパゲティと、チーズケーキにします」

 和先輩は、「それじゃ呼ぶわね」と呼び鈴を鳴らした。

「唯、大丈夫なの?」

 オーダーを取ったあと、和先輩が水を飲みながら声を出す。
 唯先輩も水を飲みながら「ん?」と答える。

「パフェのことですか? 私たちも手伝いましょう」

 私がそう言うと、和先輩が「違うわ」と、唯先輩の白いブラウスに目をやった。

「そんな白い服着て、ミートソースだなんて……。帰ったらすぐ洗濯するのよ」

「もう汚すこと前提? のどかちゃん厳しいよ……」

 相変わらずこの二人は微笑ましい。
 そう思うと同時に壁のような存在を感じている。
 幼なじみと先輩後輩、長い年月という壁を。

 そんなことを考えながら二人を見つめていると、
 水を飲むタイミングが重なっていることに気づいた。

 二人が一瞬見つめあったように見えたけど、錯覚かもしれない。
 こんなのは日常茶飯事で、特別なことではないんだろう。

 気にしてるのは私だけ。

「ふう、お腹一杯です」

 なんとかストロベリーパフェを片づけ、ひと息つくことができた。
 目の前には空になった容器、涼しい顔をした和先輩、ぐったりしている唯先輩。

「うう、苦しい……」

「唯、大丈夫?」

 心配そうにしている和先輩を見て、私はある考えを思いついた。
 これ以上二人を見ていると、胸が苦しくなってしまうから。

 いつもならなにも思わないのに。
 なんだろう、この気持ちは。

「和先輩、唯先輩を家まで送ってあげてください」

 もういいんだ、告白なんて。

 唯先輩には和先輩がいる、私は隣にいられない。

「それじゃ梓ちゃん、私たちは帰るわね」

「はい、唯先輩をお願いします」

「うっぷ、あずにゃんもお達者で……」

 二重の意味でお願いしますと、言ったつもりだ。
 和先輩は唯先輩の背中をさすりながら、二人は遠ざかっていく。

 ファミレスの前、残ったのは私一人。
 楽器店でスコアを買おう。
 そう思って来た道を引き返すことにした。

 もともとそういう予定だったんだ。
 偶然二人に出会って食事をした、ただそれだけ。

――――――――――――――――

 とりあえず楽器店に入り、目当てのスコアを見つけた。
 特別欲しかったわけじゃない。
 唯先輩と来れなかった以上どちらでもよかった。

 あとはなにか買おうか、そう思っていろいろと物色することにした。
 唯先輩は太めの弦使ってたな、とか。
 このピックは唯先輩が気に入りそうだな、とか。

 楽器店に来て唯先輩のことばかり考える。
 今までこんなことはなかった。

 二人で来たかった。
 私が弦やピックを選んであげたかった。
 それを唯先輩に使ってもらって、演奏して欲しかった。

 いつか考えた『自分の範囲』というのを、唯先輩にまで広げたかったんだろう。
 私は独占欲が強かったらしい。
 唯先輩を好きになってようやく気がついた。

 もういいんだ、唯先輩と私は先輩後輩なんだから。
 特別な関係でもなんでもない。

――――――――――――――――

「――そういうわけで、すいません律先輩。
 ――――はい、――ありがとうございます」

 通話を切って携帯を閉じ机に置く。
 学校を休むため担任に連絡したあと、
 部活を休むため律先輩に連絡を入れた。

「はあ、風邪ひくなんて……」

 ベッドにうつ伏せになり顔を枕に押しつける。
 ぼうっとした頭ではロクな考えも浮かばない。

 ショックな出来事があったわけじゃない。
 勝手に舞い上がって勝手に落ち込んだだけ。

 唯先輩と私の関係は先輩後輩、それ以上でも以下でもない。

 窓から差しこむ日差しが少し弱くなってきた。

 携帯のディスプレイで時間を確認する。
 授業はすでに終わって放課後の時間帯だ。
 練習は始まっていないだろう、まだティータイムをしているはず。

「先輩たちどうしてるんだろ……」

 ずっと寝ているのは退屈だ、考えもぐるぐるしてしまう。
 とはいえ出かける元気なんてない、精神的にも肉体的にも。

 今にして思えば、あのティータイムが元気をくれてたんだな、と感じる。
 真面目と思われる澪先輩もなじんでいた。
 そしてムギ先輩がティータイムの張本人。

 ふいにメールの受信音が鳴り、机に手を伸ばし携帯を取った。
 ディスプレイに映し出された文字は『ムギ先輩』だ。

 受信箱を開くと、『今から梓ちゃんの家に行っていいかしら?』と表示されている。

 それからしばらくして、ムギ先輩が家にやって来た。
 玄関で出迎え、そのまま部屋へと案内する。

「おじゃまします。これが梓ちゃんの部屋ね」

「おもてなしできなくてすいません」

 ムギ先輩は、「ううん、いいのよ」と、辺りをキョロキョロしている。
 本棚の上のぬいぐるみ、机、カレンダー、他にもいろいろ。

 どんな物でも好奇心一杯の目で見つめる。
 一体どんな世界が写っているんだろう、ムギ先輩の目には。

「イスに座っていいかしら?
 それと、窓開けていい? 空気入れかえなくちゃ」

 そう聞かれたので、「遠慮なくどうぞ」と返した。

 風は窓の隙間から通り、ピンク色のカーテンをわずかにゆらす。

「今日はケーキを持ってきたの。
 梓ちゃん、ショートケーキが好きみたいだから」

 ムギ先輩は机の上にコトンと箱を置き、その隣に水筒を置いた。
 まるで陶磁器のような白さで、花柄で彩られている。

「その水筒にはなにが?」

 ムギ先輩の表情は、『よくぞ聞いてくれました』と語っているみたいだ。

「紅茶よ。アールグレイ」

「水筒なんて持ち歩いてました?」

「家に帰って持って来たの」

 ムギ先輩は電車で通学しているはず、それなのにわざわざ家から持って来たなんて。
 どんな気分で電車に乗ったんだろう、なにを思って私の家に来たんだろう。

「できればティーセットも持って来たかったな」と、ムギ先輩。

「そんなに気をつかわなくても、すごくうれしいです」

 ベッドに腰かけながらそう答え、イスに座るムギ先輩に視線を向けた。

 風がやさしく流れ、部屋の空気を入れ替えてくれる。

「今日はありがとうございます」

「どういたしまして、喜んでくれてなによりね」

 ムギ先輩はわずかに視線をそらし、「唯ちゃんすごく心配してたから」とつぶやく。
 心配してたと聞いて、私はうれしかったけど。
 それと同時に複雑な感情も渦巻いた。

「……そうですか」

「どうかしたの? 梓ちゃん」

 私はうつむき、「どうもしてないです」と答えた。

 差し込む日差しが弱くなっている、日はだいぶ傾いているだろう。

 私は顔を上げることができず、ムギ先輩を視界からそらし続けた。

「梓ちゃん……? 悩みがあったら、なんでも言ってね。
 私でよければ……力になるから」

 頼もしいけど、どうすることもできない。
 唯先輩と私、親密に見えて埋められない時間がある。

 律先輩と澪先輩みたいにはなれないんだ。

「えっと、梓ちゃん?」

「……唯先輩には、もう……いるんです」

「え……?」

 抑えれきれなかった。
 黙っていればいいのに、それができない。

「唯先輩には……幼なじみが…………、和先輩が……。
 ……もういるから、私じゃダメなんです……」

 目から涙があふれ、膝の上に置かれた手を濡らす。
 言葉が詰まり、何度もしゃくり上げた。

「あの……、梓ちゃん……。落ち着いて、ね」

「……唯先輩が、好きなんです。
 他の人より何十倍も何百倍も好き……。
 違います……、そもそも先輩後輩としての『好き』じゃないんです」

 どうして好きになってしまったんだろう、
 ただ苦しいだけなのに。
 こんな思いをしてまで好きでいたくない。

「気づかなければよかった……。
 『好き』なんて気持ち……知らなければよかったんです」

 せっかくムギ先輩が来てくれたのに、
 こんな後ろ向きの感情を吐き出してしまった。
 謝ることもできず泣きじゃくるばかり。

 そうしていると、ムギ先輩は私の目にハンカチを当ててくれた。
 やさしく涙を拭いてくれて、濡れた手の甲まで拭いてくれて。
 そのうえ、「そんなことないわよ」と、私を肯定する言葉までくれた。

 ゆっくり目を開くと、カーペットの上に正座している姿が見える。

 ムギ先輩はハンカチを手に持ちながら、「私ね……」と前置きし、
 子どもに絵本を読むみたいに話し始めた。

「軽音部のだれにも負けないことがあるの。
 梓ちゃん、わかる?」

 私は返事をする代わりに首を横に振った。
 財力でないのは明らかだけど、それがなにかはわからない。

「……それはね、『軽音部に入ってよかった』っていう気持ちなの」

 ムギ先輩は足を崩し、スカートの折り目を整え座りなおした。
 胸に手を当て歌い上げるような仕草をして、上目遣いで私を見つめる。

「この話って梓ちゃんにしたかしら?
 最初ね、軽音部じゃなくて合唱部に入るつもりだったの。
 それで見学に行ったんだけど――」

 一旦言葉を区切り、私の目を見たまま表情をやわらかく崩す。
 私もじっと座ったまま、相槌も入れずに聞いていた。

「――そのとき、りっちゃんと澪ちゃんに初めて会ってね。
 それで勧誘されて今に至る、ってわけ」

 しばらく沈黙が続き、ムギ先輩が訴えかけるような目線を寄こす。

 静けさが逆に心地よかった。
 私が言うべき言葉も、ムギ先輩が待っている言葉も、すでに決まっていたから。

「……私もムギ先輩と同じです、軽音部に入ってよかった……。
 最初は迷いました。こんなに不真面目でいいのかな、って。
 でもやっぱり、この人たちと演奏したいな……って思ったんです」

 ひとつ気づいたことがある、ムギ先輩と私は似ているということを。
 新しい環境に飛び込んで充実感を得ている。
 他の先輩たちと違うわけじゃない、『よかった』という気持ちが大きいだけ。

「ねえ、梓ちゃん。これからも素敵なことが一杯あるわ。
 思いきって飛び込んで、それが今につながってるの」

 窓の隙間から、風が入り込んでくる。
 さっきよりも少し冷たい風が。

「だからね……梓ちゃん、『好き』って気持ちを伝えてみたらどうかしら?
 伝わったらすごく、素敵なことだと思うの」

「そう……、でしょうか?」

 私の問いに笑顔で返し、スッと立ち上がり窓に手をかけた。

「ちょっと冷えてきたかしら。
 換気も必要だけど、体冷やすとよくないわね」

 ムギ先輩は窓を閉めて鍵をかけ、続けてカーテンを静かに閉めた。

「梓ちゃん、風邪は大丈夫?」と、私のほうに向き直る。

「はい、大丈夫です。明日には学校と部活に行けます」

「よかったわ、ひと安心ね」

 ムギ先輩はそう言って、再びカーペットに座った。

 風邪はよくなっていた、というよりたいした風邪じゃなかった。
 少し弱気になっていただけ、気にするほどの症状でもない。

「……でも」

「でも?」

 私の顔をのぞきこみ、不思議そうな表情で声を出した。

 頬を両手で触れると、かすかに熱を感じた。

「まだ、顔は熱いし……」

 首元に触れると、血管が脈を打っているのがわかる。

「心臓も、どきどきしてます……」

 私の手のひらが、体の変化を読み取っていた。
 それは、心の変化と呼ぶべきかもしれない。

 どちらにしても、数日前とは全く違う。
 確かな変化を感じていた。

「こうなったのは……、唯先輩のせいなんです。
 私に抱きついて、頬ずりしてきて。
 いつも『やめてください』って言ってるのに、やめなくて……」

 ムギ先輩はじっと聞いてくれている。
 子どもを見守る母親みたいに。

「……でも、本当は……やめて欲しくなくて。
 素直に、言えなくて……」

 歪んだ視界の中で、ムギ先輩が私に手を伸ばす。
 ハンカチで目を拭かれ、自分がまた泣いていることに気づく。

「……ありがとうございます」

 震える声でそう答えた。

 ムギ先輩は手を引っ込め、ハンカチをたたみながら、私に笑顔を向ける。
 その表情は、『よく言えました、頑張ったわね』と私に伝えているみたいだ。

 ハンカチをたたみ終わり、次は私に話しかける。

「私ね……、今ちょっと、梓ちゃんがうらやましいかも」

 その言葉は、私に「え?」と、間の抜けた声を出させた。
 こんなことを言われたのは純に続いて二人目だ。

「どうしてですか?」


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最終更新:2011年10月30日 20:20