校門でムギと合流して部室に戻ると、澪と梓もいつの間にか部室に来ていた。
久しぶりに会うムギは少し疲れて見えたけれど、それでもとても楽しそうに振る舞ってくれた。
かなり久しぶりの軽音部の全員集合。
ムギはその事が嬉しかったんだと思う。
いつもよりも落ち着かず、はしゃいで見えた。
ムギが疲れている理由について、私は何も聞かなかった。
多分、それはムギが話したい時に話してもらえればいい事だと思う。

そうしてさわちゃんを含めた六人でお茶をして、
さわちゃんが吹奏楽部の活動を見に行った後で
(私は知らなかったけど、
午前中はさわちゃんの授業を受けたい有志の生徒達相手に授業をしていたらしい)、
私達軽音部の間に少し気まずい空気が流れた。

原因は練習でやった私達のセッションが妙に噛み合わなかった事だ。
勿論、その妙に噛み合わないセッションの原因は私……、
と言いたいところだけど今回はそうじゃなかった。
よくドラムが走り気味でリズムキープもバラバラと、
結構厳しい評価を受けがちな私だけど、今日の私のドラミングは悪くなかったと思う。
リズム隊の澪も何も言って来なかったし、唯とはアイコンタクトで難しいリフも何とかこなせた。
いや、普段の練習から考えると、出来過ぎなくらいに私の演奏は悪くなかったはずだ。

今回の噛み合わないセッションの原因は、
こう言うのも人のせいにするみたいで嫌なんだけど、梓のミスによるものが大きかったと思う。
これは本当に意外な事だった。
私のミスのせいならともかく(って自分で言うのも悲しいんだけど)、
普段真面目で、子供の頃から演奏を続けている努力家の梓が今日に限って凡ミスを繰り返していた。
しかも、普段なら本当にありえないミスばかりを。
いや、今日に限って……、じゃないか。
考えてみると、最近の梓は何だかどうもおかしかった。

最近とは言っても、『終末宣言』の日からじゃなかった。
あれはあれでとても衝撃的な宣言で、
あれ以来、恐怖とか諦めとかで学校に来れなくなった同級生も多かったけど、
少なくとも梓はそういう子じゃなかった。
あの日、純ちゃんの電話と校内放送で世界の終わりを知った梓だったけど、
その後の行動は私達三年生が見てもびっくりしてしまうくらい落ち着いていた。
静かに家族に連絡を取ったり、事の真偽をニュースとかで調べたり、
私達の横で呆然とする澪を気遣ったりするくらい、すごく落ち着いた行動だった。
本当のところは分からないけど、
きっと純ちゃんが梓が慌てないように、電話で何か言ってくれたんだろうって思う。
純ちゃんの事をよく知ってるわけじゃないけど、あの子は多分そういう子だった。
自由に見えて、いつも誰かの事を気遣ってる子なんだ。
だから、ちょっと固めで融通の利かない所もある梓が、あんなに心を開いているんだ。
私もそういう先輩になれたらよかったんだけど……、実際は梓にどう思われているんだろう?

いやいや、今は梓の私の評価はどうでもいい。
とにかく、そんな落ち着いた様子の梓なのに、ここ三日くらいどうにも様子がおかしかった。
一昨日なんてかなり挙動不審で、
私が指摘するまで自分の髪を結んでない事、鞄を持って来てない事にも気付いてないくらいだった。
それは最後の日まで一週間を切ったから、というわけでもないとは思う。
これは単なる私の勝手な考えなんだけど、
梓は世界が終わるとか、自分が死ぬとか、そんな事よりも恐い何かに怯えているように見えるんだ。
それが何なのかは分からないけど、部長としてそんな梓の力になりたいと思う。

だけど、梓はそんな私に何も言ってくれなかった。
悩み事があるのか、心配な何かがあるのか、
そんな感じで何度も聞いてみたんだけど、
梓は「何でもないです」の一点張りで私の質問に答えてくれなかった。
私じゃ駄目なのかと思って、唯やムギに頼んで聞いてもらった事もあったけど、
やっぱり梓は何も答えずに無理な笑顔で笑っただけみたいだった。

その何も言わない梓に一番苛立っていたのは澪だった。
セッション中、梓が凡ミスを繰り返す度に目に見えて不機嫌になっていく。
いや、苛立っていると言うより、焦っているんだろうな。
人一倍練習しているくせに、学園祭の時も自分の腕に自信が持てずに眠れてなかった澪だ。
最後になるかもしれない私達のライブを何としても成功させたいんだろう。
だからこそ気負ってしまって、普段ミスする事がない梓の今の様子に焦りを募らせているんだ。

いつもの澪なら梓を気遣って相談にも乗れていたはずだけど、
もうすぐ死ぬと言われて誰かの事を気遣えるほどの余裕はないんだ、あいつは。
あいつはそういう繊細な奴だった。
もし『終末宣言』より前に梓が悩んでいたのなら、きっと澪が梓を支えてやれていたんだろうな。
梓は澪に憧れているみたいだし、澪なら解決してやれたはずだった。
上手くいかないよな、色々と……。

勿論、焦ってしまうのは私も同じだった。
ただ澪には悪いけど、私が焦るのはライブの成功を願うからじゃなくて、
私達には話せない梓の中の問題が解決出来るかって事が気になるからだ。
もうすぐ終わるかもしれない世界。
そんな世界でも……、いや、そんな世界だからこそ、
せめて梓の問題だけは解決して、また五人で笑いたいんだ。

そうじゃないと……。
そうじゃないと、悲し過ぎるじゃないか……。

結局、今日どうにか練習出来たのは、『五月雨20ラブ』とムギの作曲してくれた新曲を少しだけ。
『五月雨』の方はもう完成してる曲だから大体完璧だったけど、ムギの新曲はまだ二割も演奏出来なかった。
そもそも新曲の方は曲名も歌詞も決まってない。
新曲の内容については澪に任せてるけど、今の状況じゃ完成したのかどうかあいつに聞く事も出来なかった。

梓の様子に澪が焦ってるからって事もあるけど、それよりも澪も澪で何かを抱えてるみたいだったから。
『終末宣言』後、軽音部の中で誰よりも取り乱したのはやっぱり澪だった。
最初の一週間はそれこそひどかった。
自宅に閉じ籠ってかなり情緒不安定で、怯えていたかと思えば突然泣き出したり、
かと思えば妙な現実逃避で周りを混乱させたり、一時期は手に負えないかと思ってしまったくらいに。

でも、本当はそれが人間の正しい反応なのかもしれなかった。
私達みたいに平然としてる方がおかしいのかもしれないって、自分でもそう思わなくはないけどさ。
それでも、自分勝手だけど、私は澪に怯え続けて欲しくなかった。
だから、私は何度も澪の家に行って、澪の部屋で何度も話し合った。
もうすぐ世界が終わるかもしれないからって、それで何もしない方が勿体ないって何度も話した。

勝手な言い分だと思う。
ずっと自分の家で家族と過ごすのも悪くなかったのに、私はそれを止めてしまった。
結局、それは多分、私が澪と一緒に居たかったから。
日常を無くしたくなかったから……。

私の説得に根負けしたのか、私の我儘に付き合ってくれる気になったのか、
澪は自宅に籠るのをやめて、二日に一回くらいは学校に来てくれるようになった。
それ以来、澪は『終末宣言』前みたいな様子を見せるようになったけど……。
でも、分かる。
普段の澪みたいに見えて、人には言わない何かを抱えているんだって。
たまに見せる澪の寂しそうな笑顔に、そう感じさせられてしまう。

最後のライブを目前に、私も含めてそんな風に沢山の問題を抱えてしまっている我が放課後ティータイム。
最後に悔いのないライブが出来るのか、それは私にも分からなかった。
こうして、最後の月曜日が終わる。




――火曜日


少し寝入っていた私はセットしていた携帯電話のアラームに起こされた。
急いでラジカセの電源を入れる。
軽快な音楽が流れる。

「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
まあ、時間がやって来たって言っても、休憩時間以外は適当に喋ってんのはお前らも知っての通り。
その辺は気にせずノータッチで今日もお付き合いヨロシク。オーケー?

パーソナリティーは勿論、昨日と同じくクリスティーナ。
つまり、アタシ。
って、ここまで付き合ってくれたリスナーなら、言わなくても分かってるか。
さて、最後の月曜がさっき終わったんで、今日はとうとう最後の火曜日。
ノンストップで世界が終末に向かってるってわけね。
今週の週末には終末って、ホントに出来の悪い冗談だけど、そんな冗談にこの放送は止められない。
何度も言うけど、最後までヨロシク。

にしても、『終末宣言』で放送中止になっちゃったアニメのラジオ番組の枠を貰って、もう一ヶ月も経つんだね。
ラジオなんて聞いた事しかなかったアタシがいきなりパーソナリティーになっちゃって、
それでもここまでやって来れたのはリスナーのお前等と隠されてたアタシの潜在能力のおかげだね。
なんて冗談。
ほとんどリスナーのお前等のおかげだよ。本当に感謝してる。ありがとね。
大体さあ、番組の枠が空いたからって、
顔見知り程度でしかも未経験のアタシにパーソナリティーやらせるとか、
うちのディレクターってどうかしてると思わない?
しかも、いつの間にかどんどん放送時間が延びて、最近は一日中喋りっぱなしになっちゃってるし。
あの人本当にどうかしてるって。

それにさ、あの人ってここだけの話、ヅラなんよ。
これはアタシとお前等だけの秘密。
誰にも言っちゃダメだぞ。
……って、これラジオだった。失敬失敬。
あはっ、ディレクター睨んでる。
こりゃ、後が恐いねー。
……でもさ。
これでもディレクターには感謝してるんだ。
音楽関係の仕事で、これだけ大きな仕事をやれるなんて思ってなかった。
世界が終わる非常事態だからこそ、
暇なアタシがパーソナリティーやれてるって事は分かってるけど、それでも嬉しいもんよね。

音楽は好きだし、出来るだけ最後まで音楽と関わってたかったからさ。
そこんところはヅラのディレクターに感謝。
あ、また睨んでる。
いいじゃん、ディレクター。
アタシはカツラなんか被ってないありのままのディレクターが好きよ。
……被ってない姿は見た事ないけど、多分好きだから。
だーかーら、そんなに睨まないでよ。

さてさて、ディレクターの事はさておいて、
思い返せば最初の一週間はそりゃすごいもんだったのよ。
当時を知らない新参のお前らに説明しとくと、
この時間枠って当初は放送中止になったアニメのラジオの枠だったからさ、
そのアニメ好きの皆さんから心温まるお便りを沢山頂いたわけよ。
「ちゃんと前番組を完結させろ」とか、
「せめて引き続き声優に放送させろ」とか、
「貴方の子を身篭りました」とか、
「クリスティーナ、逝ってよし」とかね。
ごめん、最後のは嘘。「逝ってよし」は古かったね。

でも、その時はさ、アタシも若かったからさ、
本気でその心温まるお便りと口論したもんだったのよ。
お電話をくれた今は常連の島根の『ラジオネームなど無い』略して『ラジな』とも、
番組中にそりゃ大喧嘩しちゃったのよね、これが。
いや、新参のお前らは驚くかもしれないけど。
ディレクターも止めてくれりゃいいのに、面白そうにニヤニヤ見守ってくれちゃって。
今考えると、こんな状況だからこそ、普通は放送出来そうにない物を放送したかったみたいね。
……チッ、あのヅラめ。
ははっ、睨んでる睨んでる。

ま、確かにラジなの言う事も分からないでもないんだけどさ。
楽しみにしてたラジオ番組がアタシみたいな無名の新人に乗っ取られちゃ、そりゃ気に入らないよね。
アタシだって抗議の電話をしたくなるわ。
一応自己弁護させてもらうと、
ラジなの好きなアニメは会社に残ったスタッフ有志が超特急で製作してるらしい。
完全版は無理かもしれないけど、せめて台本だけは完璧な物を仕上げるって意気込んでた。
何作品かは無理みたいだけど、それでも出来る限りは頑張ってくれるってさ。
声優の皆さんも何人かはそっちの仕事に集中してるらしいし。
だから、新参者のアタシがその人達にアニメ製作に集中して貰えるように、
お前らにせめてもの暇潰しを提供してるってわけ。

それにしても、あれだけ大喧嘩したラジながうちの常連になるとは思わなかったね。
何か言いたい事を言い合ったら友情が芽生えてた感じ。
夕焼けの河原での殴り合いの決闘後、みたいな。
発想が古いって?
ほっといて。
あとはこう言うのも気障っぽいんだけど、音楽のおかげかもね。
正直言うと、アタシ実はアニメソングってなめてた。
アニメの付属品の安っぽい劇中曲だろ、なんて聴きもせずに馬鹿にしてた。
でも、喧嘩中にラジなが「この曲を聴いてみろ」って挙げてたアニソンを、
聴かないのも悔しいから何曲か聴いてみたら、悔しいけどいい曲もあるじゃない。

それにラジなの奴もアタシが勧めたロックを律儀に聴いてくれたみたいでさ。
あいつもアニソン以外は聴かない奴だったみたいだけど、アタシの好きなロックを悪くないと思ってくれたみたい。
まさかあの喧嘩の後にまた電話掛けてくるなんて、本当に律儀な奴だよ。
それが受けてこのラジオが今まで続いてるってんだから、世の中分かんないね。
まさに音楽は世界を救うってやつ?
いや、世界は救ってない……か。
もうすぐ終わっちゃうしなあ……。
だけど、少なくともアタシとラジなはそんな感じに音楽で分かり合えた。
少しだけかもしれないけど、確かに音楽はこれまでそんな風に世界を救ってたって、アタシはそう思う。

……さて、そろそろ一曲目のリクエストにいってみよう。
一曲目は今話題のラジオネームなど無いことラジなからのリクエスト。
って、終末が近いからって、いちいち世界の終わりっぽい曲を選ばないでよ……。
ま、いいや。
じゃあ今日の一曲目、島根県のラジオネームなど無いからのリクエストで、
FLOWの『WORLD END』――」




朝。
人通りの少なくなった通学路をゆっくりと歩く。
車の通りも少なくて、どこか別の街に来てしまったような気もする。
今となっては、遅刻を気にして、急いで学校に向かう必要もなくなった。
それはそれで大助かりではあるけど、
そういういつもの光景が無くなってしまったのは少し寂しいな。
ちょっと立ち止まって、周りを見渡してみる。

見慣れた建物、橋、線路、店、道路、公園……。
ずっと一緒にいてくれて、ずっと私達と育ってきた街並み。
話によると、世界が終わった後もこの街並みだけは残るらしい。
人が居なくなって、動物達も居なくなって、それでもずっと人の街は残り続けるそうだ。
どういう世界の終わりだよって思わなくもないけど、終末ってのはそういうものらしかった。

街だけ残る……か。
それはせめてもの救いなんだろうか。
それとも、この地球上には生物なんて必要なかったっていう皮肉なんだろうか。

「律? どうしたんだ? 行くぞ」

立ち止まっていた私に向けて、私の長い黒髪の幼馴染みが言った。
私が街並みを見渡しているうちに、澪はかなり先の方まで行ってしまっていた。

「何してんだよ、律。急に隣から居なくなったらびっくりするじゃないか」
「いやー、久しぶりに我が街を眺めてたら、ロマンティックが止まらなくなっちゃって」
「何だよ、それ……」

呆れた感じで澪が呟いて、私が悪戯っぽく微笑んでやる。

それがずっと続いてきた私と澪の関係。
もうすぐ終わりを迎えるのかもしれないけど、私の我儘で続けてもらっている私達の関係だ。
『終末宣言』から大体一ヶ月、
やっと澪の様子も落ち着いてきたけど、本当の澪の本心は分からない。
気弱で怖がりなくせに強がりがちな澪。
世界の終わりまで一週間も残ってなくて、そんな中でこいつは何を考えているんだろう。

いつもならそれをそれとなく聞けてたんだろう。
だけど、我ながら情けなくなるけど、今はそれを聞くのが恐い。
もしこいつの本心の中に、部活やライブ、私達よりも大切な何かがあって、
それを優先したいとこいつが考えていたら、私はそれを止める事が出来ない。止めていいわけない。
それが恐くて、私は澪の隣でわざとらしくても笑ってるしかない。
だけど、澪とは長い付き合いだ。
澪もそんな私の様子に気付いてるかもしれない。
それでも、私は笑って澪に話し掛けるだけだ。
このままでは駄目なんだと分かっていても。

「ところでさ、澪」
「ん」
「今日はどうするんだ? ずっと部室に居る? それか他に何かするのか?」
「そうだな……。とりあえず今日はさわ子先生の授業に出ようと思ってる。
一時間目から希望者に授業してくれるみたいだし、私も出てみようかなって」
「なんと。さわちゃんもいい先生だなー。
昨日だけじゃなくて、今日まで授業してくれるなんて」
「いやいや、昨日部室で言ってただろ。この一週間はずっと授業する予定だって」
「あれ? そうだっけ?」
「おいおい……」

そうだっけ? とは言ってみたけど、本当は私も知っていた。
昨日、さわちゃんが部室で、
「今週は音楽室でずっと授業してる予定だから、暇なら来てもいいわよ」
って、そう言ったさわちゃんの笑顔が眩しくて、忘れられるわけがない。
誤魔化したのはそのさわちゃんの笑顔が眩し過ぎて、照れ臭かったからだ。
私達の顧問の先生の山中さわ子先生。
半ば無理矢理に顧問になってもらったけど、私はさわちゃんが顧問で本当によかったと思う。
たまにエロ親父的な発言に困らせられる事もあるけど、それも御愛嬌って事で。

「こんな状況で、自分の事より生徒の事を考えられるなんて、いい先生だよ」
「普段は変な衣装製作してくるけどなー」
「それもさわ子先生の魅力だろ? 変過ぎて困る事もあるけどさ」
「じゃあ、今度さわちゃんの作ったサンバカーニバルみたいな衣装着てあげたらいいじゃん?
さわちゃん喜ぶぞー」
「うっ……、それはちょっと……」
「冗談だよ。でも、確かにさわちゃんっていい先生だよな。
折角だし、今日は私も澪と一緒に、さわちゃんのいい先生ぶりを見物に行こうかな」
「うん。じゃあ、今日はとりあえず一緒にさわ子先生の授業を受けよう。
それから先の事は後で部室で考えればいいんじゃないかな」

「えっと……さ」


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最終更新:2011年10月31日 20:45