それは私に向けられた言葉ではあったけど、
きっと和自身にも向けられた言葉でもあったと思う。
どんな結果になっても、後悔はしたくない。
それは世界の終わりが近くなくても当たり前の事だったけど、
世界の終わりが近いからこそ、よくある言葉だけど重く心に残る言葉になった。

「確かに後悔は、したくないな……。
もう残り少ない時間だけど、せめて自分の気持ちに正直に……。
最後まで……」

後悔は、したくない。
和の手の温かさを感じながら、思う。
おかげで一つだけだけど、答えも出せた。

「決めたよ、和」

「決まったの?」

「ライブだけど、土曜日の夕方にする事にする」

「それでいいのね?」

「ああ」

私が言うと、和は頷いて、私の答えを受け入れてくれた。
本当は金曜日の夕方にライブをした方がいいんだろう。
私もそう思わなくはないし、和もそっちの方がいいと考えてるはずだ。
でも。
金曜日じゃ、間に合わない。
今のままの私たちじゃ、どうやっても満足のいくライブは出来ない。
絶対、悔いの残るライブになってしまうだろうから。
そう思ったから。
私は土曜日の夕方に、最後のライブをする事に決めた。
勿論、一日の猶予じゃ、ライブの出来にそう変わりはないかもしれないけど……。
少しでも私達の目指す「歴史に残すライブ」に近付けるのなら、そうするべきなんだ。
私は後悔はしたくないし、誰にも後悔させたくない。

ライブを見に来てくれる人は大幅に減るだろう。
今のところ三十人くらいを呼ぶ予定だけど、何しろ世界の最後の日の前日の事だ。
誰にだって私達のライブなんかより大切な予定があるだろうし、それは仕方のない事だと思う。
大体、土曜日の夕方にライブをする事自体、私の我儘なんだ。
ライブに来れない人達を責める事なんて出来ない。
最低、本当に数少ない身内だけのライブになる可能性も大きいな。
憂ちゃんはまず間違いなく来てくれるだろうけど、
放任主義の私の家族はどうなるかは分からないな。
聡にだって最後に何か予定があるかもしれないし。
それも仕方なかったし、それでいいんだと私は思った。
私達は最後に私達の満足のいくライブをやりたい。
多分それが世界の終わりに対して出来る、私の最後の抵抗だ。

「ねえ、律」

不意に和が温かい指を私の指に強く絡める。
強く強く、包んでくれる。
私は少し気恥ずかしい気分になりながら、でも訊ねた。

「どうしたんだ、和?」

「私、軽音部の最後のライブ、絶対見に行くから」

「いいのか?」

予定とか大丈夫か?
私がそう言うより先に、和は優しく静かに頷いてくれた。

「スケジュールは絶対に空ける。
貴方達のライブ、絶対に見届けるわ。
見届けたいもの。唯が夢中になった音楽の魅力を。
唯を夢中にしてくれた律の音楽をね」

「そんな大したもんじゃ……」

「ううん、そんな事ないわ。
動機はどうであっても、律はぼんやりしてた唯の生きる理由を見つけてくれた。
そのきっかけになってくれた。そんな音楽を律は作ってくれた。
あんまり上手くなくても、お茶ばかりしてても、
それは全部、貴方達の音楽に、放課後ティータイムに必要なものだったんだって思うもの。
だから、見届けたいのよ、私のためにもね」

和の言葉に私は目を伏せてしまう。
滅多に自分の音楽について褒められた事がないから、
嬉しいんだか恥ずかしいんだか、どうにも身体中がむず痒かった。
その私の気恥ずかしさも察したんだろう。
本当に気の利く和は微笑んで、自分の制服のポケットの中から何かを取り出した。
何かと思えば、それは澪ファンクラブの会員証だった。

「それに私、ファンクラブの会長だしね。
会長として、澪の演奏も見ておきたいしね。
勿論、律の演奏も楽しみにしてるわ」

「律義だよなー、和も……」

「『律』に『義』を通すから、『律義』ってところかしらね」

「また和がボケた!」

「たまにはね」

ボケはボケなんだけど、
ちょっと難しくて理知的なところが和らしく、それがおかしくて私は軽く笑った。
和も微笑んでいた。
その笑顔は不安を拭い切れていなかったかもしれないけど、私達は笑い合えていた。

世界の終わりまで、あとほんの少し。
それまでに出来る事は本当に少ない。
力のない凡人の私に出来る事は、ライブの成功のために駆け回る事だけだろう。
唯のように天才肌じゃなく、澪みたいな努力家でもなく、
梓やムギみたいな幼い頃からのサラブレッドでもなく、単に部長ってだけの私。
軽音部の中で一番足を引っ張ってるのは、多分私なんだろうって自覚はある。
でも、私は部長だから。
こんなんでも部長だから、最後くらいは部のために何かをしないといけないと思う。

何かを……、出来るだろうか……?
いいや、やるんだ。やらなきゃいけないんだ。
これが無理を出来る最後の機会なんだ。
ここで無理をしなきゃ、きっと私は世界の最後の日まで後悔をし続ける事になる。

「大丈夫よ」

和が私に視線を向けて力強く言った。
励ましでも気休めでもなく、心の底からそう思ってくれているみたいだった。

「律なら大丈夫。
それに梓ちゃんも、律の事を大好きだと思うわよ」

「「大好き」……って、流石にそれは言い過ぎだろ……。
せめて「嫌いじゃない」くらいならいいな、って私も思うけどさ……」

「ううん。梓ちゃんは絶対に律の事が「大好き」だと思うわ。
だから、言えないのよ、色んな事が。
本当に辛い事ほど、「大好き」な人には言えないものだから……」

そうかな、と言おうと口を開いて、私はすぐに口を閉じた。
そうだったな。
和は唯が「大好き」だから顔を合わせられなくて、
私も多分、澪が「大好き」だから逃げ出しちゃったんだ。
梓も、そうなんだろうか……?
こう思うのは不謹慎過ぎるけど、そうだったらいいな、と私は思った。
もしもそうだとしたら、私の手がまだ梓に届くかもしれないから。
まだ梓の力になれるんだから。




和は唯達が戻って来るより先に軽音部から出て行った。
生徒会の仕事が残ってるみたいだったし、
唯と顔を合わせるにはまだ心の整理が出来ていないらしかった。
和にもまだ少しだけ迷いが残っているんだろう。
それについて私が和に出来る事はなかったし、逆にしなくていいんだって思った。
和は一人で立ち直れるし、一人で立ち直りたいんだ。
最後まで和が私に助けを求めなかったのは、そういう事なんだと思うから。
私に出来るのは、その和を見守る事だけなんだ。

軽音部から出て行く時、和は私の顔色が悪い事を指摘してくれた。
鞄の中に入れっ放しだった手鏡で自分の顔を見てみると、確かに酷い顔をしていた。
別に和との会話で疲れ果てたってわけじゃない。
さっきまで吐いてたんだから、この顔色はある意味当然だった。
いちごや和のおかげで気分の方は良くなっていたけど、顔色はまだ正直だ。
私は洗面所で顔を洗い、一足先に弁当を食べる事でどうにか顔色を誤魔化す事にした。
それがどれくらい効果があるかは分からないけど、
軽音部の皆の前では少しでも落ち着いた顔をしておきたかった。

弁当を半分くらい食べ終わった頃、唯達が梓を連れて部室に戻って来た。
唯達が梓を探しに行ったのは、今日は昼前から梓が来ているはずだったのに、
全然姿を見せる気配が無かったのを不安に思ったからだそうだった。
その時の唯とムギはいつも通りに見えたけど、澪と梓の様子はどうもよくないように見えた。
とは言っても、澪と梓が昨日の険悪な雰囲気を引きずってるわけじゃなく、
お互いがお互いに別の事を悩んでいるようだった。

まず澪の方は私と目を合わせず、唯やムギとばかり話している。
それも話しているのはイルクーツクとか、カムチャッカとか、
明らかに何かを誤魔化しているような内容ばかりだった。
オカルト研の部室の中の二人の事を考えてしまっているのか、
それとも全く違う事を考えて私から目を逸らしているのか、それは分からない。

梓は梓でまた無理をして笑っていた。
学校を一人でうろついていた事も、今日軽音部に中々顔を出さなかった事も、
「何でもないです」と口癖みたいに繰り返しながら、澪とは違って何度も私の方に視線を向けていた。
声を掛けようとした私の前から逃げ出した事を気にしているんだろう。
それについて、私は梓に何も聞かなかった。
聞かなかった理由は私にも分からない。
今聞くべき事じゃないのは確かだったけど、もしかしたら私もまだ恐かったのかもしれない。
うっかり訊ねてしまって、梓から嫌悪感に満ちた視線を向けられるのが恐かったのかも。
勿論、そうやって恐がり続けていいはずがないし、いつかは梓にそれを訊ねないといけない。

だけど、流石に澪と梓の二人の事を同時に考えるのは、私には出来そうもなかった。
まずは片方の問題から解決しないといけないだろう。
二人とも大切な仲間なんだし、
どちらかに優先順位を付けるのは嫌だったけど、そうも言っていられない。
少し悩んだけど、私はまず澪との問題を解決しようと思った。
澪の方が好きだったから。
……という理由ならまだよかったのかもしれない。
澪の方を選んだのは、本当はもっと消極的な理由からだった。
簡単な理由だ。
澪との関係に対する問題は、私が勇気を出して澪に訊ねるだけで済む事だ。
それはそれでとても難しい事だけど、少なくとも自分の意志だけでどうにかなる事だった。

それに対して、梓の悩みに関しては私はまだその解決の入口にも立てていない。
梓が何に対して悩んでいるのか、全然見当も付いてない有様だ。
梓は何も言ってくれないし、言ってくれないからこそ、余計に不安が募ってくる。
まさか……、まさかだけど……、こんな事は考えたくないけど……。
家庭内暴力……とか……、麻薬……とか……、強姦……とか……。
悲惨過ぎて逆にリアリティの無い話が、私の頭の中に浮かんで離れなくなる。
まさか、とは思う。
そんなはずがない、とも思う。
でも、今はそういう事が起こってもおかしくない状況で、
梓の様子はそれくらい重大な何かが起こっているようにしか思えなくて……。
もしそうだとしたら、梓の悩みの件は私だけではとても手に負えない。
唯やムギ、それに澪の力を借りなければ、梓を助ける事なんてとても出来ない。

だから、私は勇気を出そうと思った。
まずは澪の考えをはっきりと聞いて、それから梓の問題を少しでも好転させたい。
澪との関係については、多分私の自意識過剰だろう。
澪が私の事を好きだなんて、
そんな事を考えてるなんて事を知られたら、誰からも笑われるだろうな。
女同士とかいう問題以前に、澪が私なんかを好きになるはずがなかった。
澪には、そう、もっと釣り合いの取れた素敵な相手が似合うだろう。
あいつにはそれだけの価値があるんだ。
だからこそ、私はあいつと話そうと思う。
私の我儘で無理に外に連れ出してしまってる事を謝ろう。
寂しいけれど、他に一緒に過ごしたい人が居たら、その人と過ごしてくれていい事を伝えよう。
その結果、澪が私達から離れていく事になっても、私はそれで後悔しないと思う。
友達を無くしたくはないけど、無理して友達でいてもらう事の方が、ずっと辛い事だから。

でも、ひとまず今は全員で演奏をするべき時間だった。
これから離れ離れになってしまうとしても、
五人で居られた時間をもう少しだけでも感じていたかったから。
今の皆の気持ちはバラバラかもしれないけど、その想いだけは一緒だったはずだ。

その日の練習でぎこちないながら完璧に演奏出来たのは『冬の日』。
意識して選んだわけじゃなく、元々、今日練習する予定だった曲で、
澪が作詞したけど、私が没にしたはずの歌詞の曲だった。
澪には悪いとは思ったけど、
自分へのラブレターだと勘違いした歌詞を歌われるなんて、恥ずかしいにも程があるじゃないか。
でも、今日、私達はその曲を演奏していた。
何故かと言うと、ちょっと前、
澪がパソコンに残していた『冬の日』の歌詞を唯が見つけて、
「すごくいい歌詞だから私が歌いたい」と言って譲らなかったんだ。
私が何を言っても唯はその私の言葉を聞かずに、
「逆にりっちゃんはこの曲の何が駄目だと思ってるの?」と言った。
そう言われると私も弱くて、没にするのを断念するしかなかった。
悔しいけど、私も歌詞自体はとても気に入ってたからな。
そんなわけで、私達の曲に『冬の日』が追加される事になったわけだ。
まあ、今は気に入ってる曲で、私も大好きなんだけど……。
よりにもよって今日この日に練習する事になるなんて、何だかとても因縁めいたものを感じてしまう。
ひょっとしたら、澪じゃなくて、私の方が澪を意識してしまってるのかもしれない。


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最終更新:2011年10月31日 20:55