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夕焼けで街中が赤く染まる。
世界が終わると言っても、夕焼けが赤いのは変わらない。
多分、私達が居なくなっても、街は同じ様な時間帯に赤くなり続けるんだろう。
私達も私の部屋で赤く染まっていた。
来週には感じられなくなる夕焼けを特別感じてたいわけじゃないけど、
それでも今の私達は夕焼けに照らされ、赤く染まっている。染まっているんだ。
私達の頬も何となく赤く染まってるのは、そういう事のはずなんだ。
私達というのは、私と澪だった。
軽音部での練習が終わって皆と別れて、
二人きりの帰り道になった時、自分の家に帰ろうとする澪を私は呼び止めた。
少し戸惑ってる感じの澪に、私は私の家で話したい事があると伝えた。
これから私が話そうとしている事は、道端で話すような内容でもないと思ったからだ。
今、その自分の行動を、ほんの少し反省してる。
だって、自分の家の自分の部屋なんて、完全に私に都合のいい舞台じゃないか。
私はこれから勇気を出さなきゃいけないのに、
最初から自分に有利な状況を作り出しておくなんて、
情けないし、これじゃ澪にも申し訳なかった。
でも、だからと言って、今の私には澪の部屋に自分から行く事も出来なかった。
澪の部屋で、もしかしたら今生の別れになるかもしれない話を切り出すなんて、私にはとても出来ない。
そんな状況、考えただけで震えてしまう。
その話を終えた帰り道、自宅に帰れるかどうかも自信がないよ……。
だから、私は卑怯だと思いながら、
私の部屋で澪と二人で夕焼けに照らされてる。
私はベッドの上で足を崩して。
澪は私のその隣で上品に足を揃えて。
二人、沈黙して、静かに。
たまに目に入る夕焼けに目を細めて。
私の部屋に入って十分……、いや、五分か……?
私達はずっとそうしていた。
本当に珍しい状況だった。
普段は私の方から澪に思い付いた事を何でも話した。何でも話せてた。
澪も私の話を真面目に聞いたり、私の話が下らないと思った時はスルーしたり。
スルーされると少し悔しかったりもしたけれど、
面白いと感じた時は二人で心の底から笑い合えて……。
澪とはずっとそういう風に過ごせると思ってた。
ずっとそんな感じで居たかった。
もう、そういうわけには、いかないのかな?
そうしてちゃ、いけないのか?
私はどうしてもそう思ってしまう。
世の中は緊急事態で、自分の命すらももうすぐ消えてしまいそうで、
そんな状況で、普段の私達のままでいちゃ、駄目なんだろうか?
答えを出さなくちゃいけないんだろうか?
分かってる。
時間がないのは、分かってる。
時間が解決してくれるなんて、悠長な事を言ってられないんだって分かってる。
時間は、もう無い。
なのに迷ってしまうのは、単に弱気な私が逃げ出したいからだ。
だから、普段のままの自分達でいたい、ってそう思ってしまうんだろう。
「そういうわけにも、いかないよな……」
私は小さく呟いてみる。
逃げてばかりいられないんだ。
立ち向かわなきゃいけないんだ。
澪のためにも、私は私の我儘を終わらせなきゃいけないんだ。
きっとそれが一番いいんだ。
「え、何?」
私の呟きは澪の耳にも聞こえていたらしい。
ずっと黙ってたんだから、それも当然かな。
ちょっとだけ隣の澪に視線を向けてみる。
澪は顔を赤く染めて、何かに緊張しているみたいに見えた。
まるで小さな頃に戻ったみたいだ。澪だけじゃなくて、私も。
私の部屋で、今よりもずっと恥ずかしがり屋だった澪と二人きり。
確かあれは澪の作文の朗読の特訓中だったか。
何だか懐かしくて、微笑ましくて、楽しかった頃が思い出されて……、
………。
って、うおっと、危ない。
今、泣きそうだったな。
何だよ、どうも感傷的だなあ、私。
でも、駄目だ。今は泣いちゃいけない。
何をするべきなのか、何をすればいいのか確信は持てないけど、
少なくとも泣いてる場合じゃない事だけは、私にも分かってるんだから。
私は深呼吸して心を落ち着かせて、出来る限り笑ってみせる。
「いや、さ。
そういや澪と私の部屋で二人きりになるのは、久し振りだと思ってさ。
最近は澪の部屋の方にばっか行ってたじゃん?」
「そう……だな。
ごめん……」
澪の顔が少し曇る。
部屋の中に閉じこもってた自分を思い出したんだろう。
それでも、だからこそ、私は澪に向けて微笑んだ。
そんな事は気にしなくていいんだって。
むしろ私の我儘の方を責めてくれていいんだって。
そう澪に伝えられるように。
「謝んなくてもいいって。
私の方こそ、何度も澪の部屋に押し掛けちゃっててごめんな。
何か他にしたい事があったんだったら悪かったな、って今更だけど思ってる。
だから、それはごめんな」
私の言葉に澪が目を伏せる。
でも、表情が暗くなったわけじゃないし、
よく見ると少しだけ顔が赤くなってるのも分かる。
きっと何かを言おうとしてくれてるんだけど、
何を言えばいいのか迷って、それが頭の中で一周して、
照れ臭い言葉や気恥ずかしい言葉なんかを思い付いたんだろうな。
『終末宣言』前の私だったら、そんな澪をからかったりしてたんだろう。
でも、今日はそんな気分は起きなかった。
そんな普段と変わらない澪の姿に私は安心した。
これでいいんだって、思えたんだ。
「いいんだよ、律。
謝らなくてもいい……、ううん、謝らないでほしい。
だって……、私、嬉しかったんだよ?」
澪が顔を赤くして目を伏せたままで、
私よりも大きいくせに物凄く縮こまって、それでも想いを言葉にしてくれた。
「一ヶ月前……にさ……。
世界が終わっちゃうって聞いて、本当に恐かったんだ……。
自分でもおかしいと思うけど、外に出るのが恐かったんだよ。
家の中に居ても何も変わんないって分かってるのにさ……。
でも恐くて……、本当に恐くて……さ。
分かってても、外に出られない自分がまた情けなくて、ずっと泣いてた。
律が来てくれなかったら、多分まだ泣いてたと思う」
「私の方こそ……」
こんな事を言うつもりはなかった。
こんな事を言ったら、澪に呆れられると思ってたから、ずっと言わずにいようって思ってた。
でも、気が付けば、言葉にしてた。
呆れられても、軽蔑されても、澪には聞いてほしい事だったのかもしれない。
「私もさ……。
澪が部屋から出てきてくれなかったら、ずっと泣いてたかもな……」
「律……も……?」
澪が顔を上げて、意外そうな顔で私を見上げる。
その表情は何故か少し嬉しそうに見えた。
「何だよ。そんなに意外か?
私だってそんなに図太いわけじゃないんだぜ?
恐いものは恐いし、泣く時は泣いてるじゃんか。
それに今だから言うけどさ、本当はずっと恐かったんだ。
私が澪の迷惑になってたら、どうしよう……ってさ」
「迷惑って……、何で?」
「断っておくけど、今だからだぞ?
今だから言う事だぞ。この事、誰にも言うなよ?」
「分かったってば」
「ほら、小さい頃からさ。
私って結構、澪を引っ張ってたじゃん?
軽音部だって、私が引っ張る形で澪に入ってもらったわけだし。
……入りたかったんだろ、文芸部」
「そりゃ入ろうとは思ってたけど……。
と言うか、よく覚えてるな、私が文芸部に入ろうとしてたこと」
「覚えてるよ。
澪との事は……、全部覚えてるよ。
澪との事だもんな」
「真顔で恥ずかしい嘘を言うな」
少し笑って、澪が私の胸を軽く叩いた。
私は頭を掻きながら、それについては笑って誤魔化した。
でも、全部覚えてるってのは流石に嘘だけど、
文芸部の事についてはずっと気に掛かってたのは確かだった。
小さな頃から、澪にはずっと私の我儘に付き合ってもらってた。
嫌な顔もせずに……は言い過ぎか、
だけど、嫌な顔をしながらも、澪は私の我儘に付き合ってくれていた。
軽音部に入ってくれた事もそうだし、
今、こんな時期に学校に来てくれてる事だって……。
私はどれだけ澪に頼ってきたんだろう。
私はどれだけ澪に迷惑を掛けてきたんだろう。
残り少ない時間、迷惑を掛け続けていいわけがない。
本当はこれからも傍にいたかったけど……、
こんな負い目を感じたままで一緒にいちゃいけないんだ。
だから、私は本当の事を伝えようと口を開いたんだ。
「文芸部の事もそうだけどさ。
今だってそうなんだよ。
迷惑掛けてるんじゃないかって、そう思うんだ。
なあ、だから、今更だけど……、聞いておきたいんだよ。
澪はさ、世界の終わりまで……」
言葉が止まる。
喉が渇く。
手足が震えて、全身が震えて、私の言葉が止められてしまう。
本当は聞かなくてもいい事。
聞かずにいれば、気付かないふりをすれば、私達はこのままでいられる。
それでもいいんじゃないか、と考えてしまう。
逃げたって悪くないじゃないか。
逃げ出したからって、誰も私を責めたりしないだろう。
だけど、その逃げた先の私達の関係は、何もかも誤魔化した関係だ。
今だって誤魔化してる。それを死ぬまで続ける事になる。
それが嫌だから、私は勇気を出すんだろう?
私は唾を飲み込んで、拳を握り締めて、言葉を続ける。
私の言葉を待ってくれている大切な幼馴染みに向けて。
「世界の終わりまで……、終わりまでさ……、
他に過ごしたい誰かはいないのか……?」
私は言ってしまった。
今の私達の関係を終わりにしてしまうかもしれないその言葉を。
だけど、不思議と後悔はなかった。
ずっと聞きたかった事だったからだ。
世界が終わるからってだけじゃない。本当はずっと聞きたかった。
聞きたかったけど、恐くて聞けずにいた。
もしも、私の存在を澪が迷惑に感じていたとしたら、
そんな答えを澪の口から聞いてしまったら、
私は……、私は……。
でも、もう誤魔化したくはないから。
自分の気持ちもそうだし、澪にも自分の気持ちを誤魔化してほしくなかったから。
今は一歩を踏み出すべき時なんだ。
「他に過ごしたい人って……?」
澪が静かな声で私に訊ねる。
そう言った澪の表情は分からない。
私は視線を足下に落としたままで、隣の澪の表情なんてとても見られない。
それでも、どうにか口だけは動かした。
「えっと、ほら……、あのさ……。
私、いつも澪に付き合ってもらってて……。
軽音部に入ってくれた事も、ずっと傍にいてくれた事も、
楽しくて、嬉しくて、本当に感謝してる……んだけど……。
でも……、でもさ……。
澪は本当にそれでよかったのかなって、
考え出したら申し訳なくなってきて……。
それで……、えっと……」
言葉がまとまらない。
頭の中が色んな言葉が渦巻いて、混乱して、ぐちゃぐちゃになっちゃってる。
こんなんで本当に私の気持ちは伝わるのか?
でも、もう途中で言葉を止めるわけにもいかなかった。
「今だってそうだよ。
『終末宣言』の後さ……、
澪は別に自分の家にいてもよかったんじゃないかって思っちゃうんだ。
もうすぐ世界が終わるなら、
澪の好きなように過ごさせるべきだったんじゃないかって……。
それを私が私の都合で、私の我儘で無理矢理に連れ出しちゃって、
澪はこんな時期まで私に付き合ってくれて、それが嬉しくて、それが申し訳なくて……。
だから……、今更だけど聞かせてくれ。
澪はこれから世界の終わりまで、誰か他に過ごしたい人はいないか……?
何か他にしたい事はないのか……?
私に遠慮せずに正直に言ってくれ。
澪が他の誰かと過ごしたいなら、私はそれを止めない。止められないよ……。
軽音部の事も気にしなくていいから、本当の事を言ってほしい。
最後のライブだって何とかする。
だから……」
上手く伝えられなかったのは自分でも分かってる。
我ながら酷い言い回しだ。
だけど、これまで恐くて言えなかった言葉は、全部言えたと思う。
もう後戻りはできない。
後は澪が出す答えを、どんなに辛くても受け止めるだけなんだ。
澪はしばらく何も言わなかった。
澪はどんな表情をしてるんだろう。
私の今更な質問に怒ってるんだろうか。悲しんでるんだろうか。
だけど、澪がどんな表情をしていても、私はそれを受け止めないといけない。
足下にやっていた視線を少しずつ上げていく。
恐い。逃げ出したい。身体中が震えてしまう。
それでも、私は何とか顔を上げて、隣にいる澪の方に視線を向けた。
「やっとこっちを向いてくれたな、馬鹿律」
そう言った澪の顔は静かに微笑んでくれていた。
私が我儘を言った時や私が失敗してしまった時、
そんな時にいつも澪が見せてくれる優しい笑顔だった。
「何を気にしてるんだよ、律。
律の言うとおり文芸部には入りたかったし、終末まで家に閉じこもってもいたかったよ。
でも、それを律が引っ張ってくれたんじゃないか。
私は律に引っ張られて軽音部に入ったし、
律に引っ張られて終末の前に最後のライブをやる事にしたんだ。
それは律のせいでもあるけど、それ以上に律のおかげなんだよ」
「私の……おかげ……?」
「成り行きで入部する事になった軽音部だけど、私はそれを後悔してないよ。
終末の事だって、律のおかげで最後まで頑張ろうって思えたんだ。
すごく恐かったけど、律のおかげで恐いままじゃなくなったんだ。
全部、律のおかげなんだよ。
だからさ、他に過ごしたい誰かなんていないんだ。
そんな寂しい事を言わないでくれよ、律。
終末まで一緒に過ごしたいのは、軽音部の皆なんだから……」
語り過ぎたと思ったのか、澪は赤くなって、
だけど、私から視線を逸らさなかった。
私も澪から視線を逸らさなかった。逸らしたくなかった。
二人の視線が合って、二人でお互いの気持ちを確かめ合ってたんだと思う。
でも、そんな事をしなくても分かり切ってた。
お互いに本音を伝え合ってるって事を。
気が付けば、私は小さく笑ってしまっていた。
澪の様子がおかしかったわけじゃない。
自分のしてきた事がとても滑稽に思えたんだ。
「あ、何笑ってんだよ、馬鹿律」
「馬鹿って言うなよ、馬鹿澪」
そう言いながらも、確かに馬鹿だったな、って思った。
私は何を考えていたんだろう。
考えてみれば、澪の好きにしてほしい、ってのも私の我儘だったかもしれない。
それもまた私の考えの押し付けだったんだ。
澪の事を考えているようで、
本当は自分の中の不安に耐えられなかっただけなんだろう。
自分が嫌われてるかもしれないと思うと、
それをどうにか確かめたくなってしまう時みたいに。
だけど、澪は私のその不安に付き合ってくれた。
また澪は私の我儘に付き合ってくれたんだ。
でも、多分、それでよかった。
勿論、度の過ぎた我儘は問題だろうけど、そういうのが私達の関係なんだろうな。
それをまた申し訳なくは感じたけど、
それ以上に私はそんな澪を幼馴染みに持てて喜ぶべきだと思った。
「……悪かったな、澪。
変な事、聞いたりして」
「いいよ。律の気持ち、分かったから。
こう言うのも何だけど、律も不安なんだって分かって、嬉しかったから」
「何だよ、それ。
でも……、ありがとな」
照れ臭くなって私が笑うと、澪も顔を赤らめて笑った。
夕焼けの中の二人。穏やかな時間を過ごせている二人。
もう残り少ない時間だけど、私達はこうして大切な幼馴染みとしていられる。
大切な存在でいられるはずだった。
このままの二人だったなら。
最終更新:2011年10月31日 20:56