それから私は、澪と最後のライブについて少しだけ話す事にした。
今日会った和にライブの会場を用意してもらっている事は話したけど、
和に口止めされてた事もあって、ライブの日付と会場が講堂だって事は話さなかった。
和が言うには、講堂の使用届自体は完璧に受理したんだけど、
一介の生徒会長程度の権限じゃ、非常時には講堂を会場として用意出来ないかもしれないらしい。
非常時ってのは、世界の終わりの前に災害や暴動が起こった時の事だ。
確かにそんな事が起こってしまったら、講堂でライブなんてとてもできないだろう。
会場が確保できるかどうかの返事は、最低でも予定日の二日前までは待ってほしいとの事だった。
皆をぬか喜びさせたくないから、と和は真剣な表情で言っていた。

別にいいんだけどな、と私は思う。
もしも講堂が使えなくなったとしても和の責任じゃないし、
講堂を用意しようと提案してくれただけでも嬉しかった。
講堂が使えなくたって、唯達だってぬか喜びだなんて思わないだろう。
でも、和としてはそれだけは避けたいらしかった。
少しでも唯が悲しむ可能性のある事はしたくないんだろう。
本当に唯の事が大切なんだな……。
それが何だか嬉しい。

そんなわけで会場と日付については隠しながら、
私は澪と最後のライブについてどうにか話を進める。

「最後のライブか……。
ちゃんと練習してるんだろうな、律?」

言葉は厳しかったけど、そう言った澪の唇の形は笑っていた。
どうもからかってるつもりらしい。
やれやれ。
そういう態度に対しては、私もこのキャラを使わざるを得ない。

「んまっ、失礼ね、澪ちゃん。
私の練習は完璧でしてよ。
そう言う澪ちゃんこそ、新曲の歌詞は完成してるのかしらん?」

「うっ……」

痛い所を突かれたって感じの表情を澪が見せる。
私は苦笑して、軽く澪の頭に手を置いた。

「おいおい……。
まだ出来ないのか、新曲の歌詞?」

「うん……。
どうしても納得のいく歌詞が書けなくてさ……」

「まあ、曲はもう出来てるし、
歌うのは澪の予定だから焦る事はないんだけど……。
そんなに悩む歌詞なのか?」

「だって、私達の最後の曲じゃないか。
最後に相応しい悔いの無い曲を作りたいんだよ。
私達の集大成って言えるみたいなさ……」

「そっか……」

澪がそう言うんなら、私から言える事は何もなさそうだ。
私は作詞の専門家じゃないし、甘々ながら澪の歌詞は観客に好評なんだ。
私があれこれ言うより、ギリギリまで澪に悩んでもらった方が、いい歌詞ができるだろう。
そうは思ったんけど、私は澪に一つだけ伝える事にした。
伝えた方がいい事だと思ったからだ。

「なあ、澪」

「どうしたの、律?」

「私には作詞はよく分かんないし、
お節介だとは思うけど言わせてもらうよ。
多分だけどさ……、最後とか集大成とか、
そういう事は考えなくていいんじゃないか?」

「でも……、最後の曲なんだよ?」

「いや、よくあるじゃん?
歌手が「私の集大成としてこの歌詞を書きました!」って言う曲。
ああいう曲って大抵が今までの曲の歌詞をつぎはぎしたり、
完結してた前の曲の続きの曲を蛇足で作ったりで微妙だったりするんだ。
過去の曲に引きずられまくってるんだよな。
お祭り曲としてはアリだと思うけど、そういうのは集大成とは違うと思うんだ」

「それは……、そうかもな。
思い当たる曲は何曲もあるし、作詞してる身としては耳に痛いな……」

「大切なのは過去よりも今なんだって私は思うな。
こう言うのも何だけど、最後の曲とは言っても単なる完全新曲のつもりでいいはずだよ。
前の曲なんて関係なくて、今の自分に作詞できる精一杯の歌詞でいいんだよ」

「驚いた。律も色々と考えてるんだな……」

「ふふふ。もっと褒めたまえ」

「いや、本当にすごいよ、律。
私、そんな事、考えもしなかったから」

珍しく澪が私に賞賛の視線を向けて来る。
自分で「褒めたまえ」と言った身だけど、
そこまで褒められるとどうにも気恥ずかしくなってくる。
頭を掻きながら私はベッドから立ち上がって言った。

「そういや、喉乾いてないか?
ずっと話しっぱなしだったしな。
冷蔵庫から何か飲み物持って来るよ。
私はコーラでも飲もうかな」

「えっと、律……」

「分かってるって。澪のは炭酸じゃないやつな」

「なあ、律……」

「澪は紅茶がいいか?
確か缶のやつの買い置きがあったはず……」

「律!」

何だよ、と言おうとしたけど、その言葉が私の口から出てくる事はなかった。
いつの間にか背中にとても柔らかい感触を感じていたからだ。
澪に抱き付かれたんだと気付いたのは、十秒くらい経ってからの事だった。
別に澪に抱き付かれる事自体は珍しい事じゃない。
基本は恐がりな澪だ。何かあればよく私に抱き付いてきていた。
面倒ではあったけど、よく抱き付いてくる澪の事を私は嫌いじゃなかった。
澪の身体は柔らくて気持ち良かったし、頼られているんだと思うのは嬉しかった。
でも、今回の抱き付きは違った。
普通なら澪は私の腰かお腹に手を回して抱き付いてくる事が多い。
抱き付きなんだ。そりゃ手を回すのは腰かお腹だろう。

今回は違った。何もかもが違った。
澪は私の肩から手を回して、私の背中に全身を預けて抱き付いてきていた。
いや、そうじゃない。
これは抱き付かれたって言うより、抱き締められたって言う方が正しいか。
澪に抱き締められるのも初めてじゃない。
あれは学園祭の時、『ロミオとジュリエット』を演じた時にも澪に抱き締められた事がある。
劇の演出上、抱き合わなきゃいけなかったあの時、確かに私は澪に抱き締められた。
それに関して私は特に何も感じなかった。
劇の配役の事だし、相手が澪なんだ。
抱き締められる事には特に何の抵抗もなかった。
澪も私を抱き締める事について感じるものはないみたいで、
私を抱き締める澪の胸や腕から特別な感情は何も感じなかった。

でも、
これは、
違う。

私には分かる。分かってしまう。
澪は心の底から私を抱き締めている。
腕の中に抱き止めようとしているんだって。

それについて私は何も言えない。
言葉が見つからない。
さっき今生の別れになるかもしれない話を切り出した時よりも、頭が混乱してしまっている。
まさか……、やっぱり……、だけど……。

何も言えない私の様子を不安に感じたんだろう。
澪が震えながら、言葉を絞り出した。
私は背中で澪の震えを感じながら、その言葉を聞いた。

「……行かないでよ」

「……み……お……?」

「行かないで……。
傍にいてよ、律……!」

澪ちゃんは甘えんぼでちゅねー、とからかう事は出来なかった。
肝試しの時や怪談を話してみた時、色んな場面で澪は私に抱き付いてきた。
その時も澪は震えていたけど、
今回の澪の震えはそのどれよりも強く、心の底から震えてる感じがした。
さっき頼もしい姿で私の弱音を受け止めてくれたのは、強がりだったのか?
いや、それも違う。
あの姿とあの言葉は澪の本音だと思うし、強がってたわけじゃないはずだ。
だけど、今の澪は心底怯えてる様子だ。
という事は、さっきまでの頼もしい姿の真実は、つまり……。

「大丈夫だって、澪。
飲み物取ってくるだけだから。
ほんの少し離れるだけなんだからさ」

私は背中に澪の感触を感じながら囁いた。
そう囁いてあげる以外、どうすればいいかは思い付かなかった。
それにこれでよかったはずだ。
澪の姿を見て、私は一つの事を考えていた。
こう考えるのは、何度も感じてきた事だけど自意識過剰だと思う。
だけど、必要以上に卑屈でいる事も、もうやめるべきなんだろう。
私はあまり自分に自信がないけど……、
自信があるように見せておいて、本当はとても自分に自信が持てないけど……、
でも、分かった。
もう目を逸らさずに、そう考えなきゃいけなかった。

さっき澪が私の前で頼もしい姿を見せられたのは、私の前だったからだ。
私が傍にいたからなんだ。
私が近くにいたから、澪は強い姿の澪でいられた。
私の悩みを吹き飛ばしてくれる頼れる幼馴染みでいられたんだ。

だからこそ、今の澪は震えてるんだ。
怯え切って、私を行かせまいと私に縋り付いているんだ。
一人になってしまったら強い自分でいられなくなるから。
世界の終わりが恐ろしくて、居ても立ってもいられなくなるからだ。
その気持ちは私にもよく分かる。私だからこそよく分かる。

私も澪と同じだった。
流石に誰かと一瞬でも離れたくないほど怯えてたわけじゃないけど、
私だって世界の終わりが恐かったし、自分が死んでしまう事が嫌だった。
だから、澪に傍にいてもらいたくて、学校に連れ出したんだ。
澪にはそれに無理に付き合ってもらってるんだって、私はさっきまで思ってた。
それが負い目で、それが辛くて、
もう無理に付き合ってくれなくてもいいって、なけなしの勇気で澪に切り出した。
でも、澪は顔を横に振ってくれた。
他に過ごしたい誰かなんかいない。
最後まで一緒に過ごしたいのは軽音部の皆だって言ってくれた。
それはとても嬉しかったけど……。

違ったのか?
本当に一人でいる事が恐くて耐えられないのは、
私じゃなくて澪だったのか?
私が澪を必要とするよりも、澪の方がずっと私を必要としてたのか?
私は自分に自信が持てなくて、そう考えないようにしてた。
自分が誰かに必要にされるなんて、そんなの恥ずかしくて考えられなかった。
特に前に和と澪の仲の良さを見て、つい嫌な気分になって皆に迷惑を掛けちゃった私だ。
あれ以来、自分が澪に必要な人間だなんて、出来るだけ考えないようにしてたしな。
勿論、誰かに……、それも澪に必要にされる事が嫌なわけがない。
本当に嬉しい。
どうにか澪を助けてあげたい。
澪が私を支えてくれたみたいに、私も澪を支えてあげられたら……。
そう思えたから、私はもう一言だけ澪に伝えられた。

「大丈夫。傍にいるよ。
世界の終わりまで、もう澪が嫌だって言っても傍にいるぞ?
だからさ、そんなに抱き付かなくっても大丈夫だって」

恥ずかしい言葉だった気は自分でもする。
でも、それが私の本音だったし、今はそんな言葉を言ってもいい時だったと思う。
その私の言葉は、全部は無理だったけれど、
少しは私の後ろの澪の震えを弱めてあげられたみたいだった。
震えより柔らかさの方が気になるくらいになった頃、
落ち着いた声色を取り戻した澪は私の耳元で小さく囁いた。

「ごめん……。
ありがとう、律……。
何だかすごく不安になっちゃって。
私の隣から律が離れるのがすごく恐くて、行ってほしくなくて……。
こんな急に……、ごめん……」

「いいよ」

「傍に……、いてくれる?」

「いるよ」

私が言うと、澪はしばらく黙った。
私達二人には珍しい沈黙の時間。
でも、それが嫌じゃない。
澪は私から身体を離しはしなかったけど、
それでも震えを少しずつ弱めていって、その内に完全に震えを感じなくなった。
腕の力は弱めずに、少し強く私を抱き締めたままで澪が続ける。

「考えてみたら、私って律に抱き付いてばっかりだよな……」

「もう慣れたから気にすんなって。
でも、気を付けろよ?
相手が私だからいいけど、間違って男子になんか抱き付いてみろ。
澪は美人さんだからな、一発で恋されちゃうぞ?」

「美人……かな……」

「ファンクラブもある澪さんが何をおっしゃる。
間違いなく美人だよ、澪は。
いいよなー。羨ましいよ。
私が男子に抱き付いたりした日にゃ、「さば折りかと思った」とか言われる有様だし」

「……っ!
男子に抱き付いた事……、あるの……?」

「いや、ないけど。
同じ学校のおまえに言う事じゃないけど、うち女子高じゃんか。
単なる予測だよ、予測」

「びっくりさせるなよ……」

「そんな驚く事じゃないだろ、失礼な奴だな。
くそー、今に見てろよ。
私だって澪が羨ましがるようなセレブリティなイケてるメンズを彼氏に……、って、痛!」

急に私を抱き締める澪の腕に力が入って、私はつい叫んでしまう。
正直、かなり苦しい。
単なる冗談なのに、何がそんなに気に入らないんだ。
私はわざと少し不機嫌な声色になって、後ろの澪に不満をぶつけてやる。

「私、何か変な事言ったか?」

「なあ、律……。
一つ聞いて欲しいんだけど……」

「何だよ……。
先に腕の力を緩めてくれよ。ちょっと苦しいぞ……」

「先に聞いてほしいんだ」

「……あ、ああ」

澪の妙に真剣な声に私は頷く事しかできなかった。
澪の言葉を聞かなきゃいけないと思った。
その時、私には一つの予感があったからだ。
できる限りだけど目を逸らす事をやめて、
目の前の事を受け入れようと思った私が正面から向かい合わないといけない問題。
その問題と向き合う時が目前に迫ってるって予感が。

「さっき律は間違えて誰かに抱き付くなって言った」

「……言ったな」

「でも、私は他の誰かに抱き付いたりなんかしないよ。
私が抱き付くのは、律だけだから。
いや、違うか。
抱き付くくらいなら、女子限定だけど誰かにする事はあるかもしれない。
でも……、私が自分の意志で、自分から抱き締めるのは律だけなんだ」

どういう意味?
って聞くのも不躾だろうし、もう今更過ぎる気もした。
澪の言いたい事は、さっき分かったんだ。
いや、分かってたんだ。自分で見ないようにしてただけで。
私はそれに応えないといけない。


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最終更新:2011年10月31日 20:57