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――水曜日
泣いているうちに眠っていたらしい。
気が付けばセットしている携帯のアラームが鳴り響いていた。
アラームを解除して、私は何も考えないようにしながらラジカセの電源を入れる。
軽快な音楽が……、流れない。
雑音だけがスピーカーから耳障りな音を立てる。
○
私は電気を点けて、もう一度ラジカセを確認してみる。
コンセントは抜けてないし(雑音が出てるんだから抜けてるはずないけど)、
周波数も間違ってないし、AMとFMの切り替えを間違ってるわけでもなかった。
じゃあ、どうしてなんだろう、と思うけど、答えは出ない。
ラジオ局や電波自体に何かトラブルが起こったんだろうか?
「世界の終わり……か」
何となく呟いてみる。
正直な話、まだあまり実感は湧いてない。
でも、少しずつ、その終わりに近付いてる。
何かが一つずつ終わっていって、最後の日には何もかも無くしてしまう。
そんな気だけはする。
私は深い溜息を吐いて、自分の携帯電話を手に取った。
他の家のラジオの状況を確認してみようと思ったからだ。
ほとんど無い可能性だけど、
私の家だけ電波の入りが悪いとかそういう可能性がないわけじゃないしな。
それに何かが一つずつ終わってしまうとしても、
紀美さんのラジオ番組をもう無くしてしまうのはきつい。
世界の終わりが近付いていても、
そんな事関係なく発信してくれるラジオ『DEATH DEVIL』が私は好きだ。
言い過ぎな気もするけど、救いだったって言えるかもしれない。
本当はすごく恐くて、逃げ出したくて、
それでも、紀美さんの元気な声を聴いてるだけで、私は今までやってこれた。
だから、私はあの番組を無くしてしまいたくない。
「週末まではお前らと一緒!」と紀美さんは言ってくれた。
週末まで……、終末まで……。
だから、何があっても、何が起こったとしても、
それまでは紀美さんとあのスタッフは放送を続けてくれるはず。
私はそう信じたい。
携帯電話の電話帳を開いて、誰に電話を掛けようかと私は少し迷う。
軽音部のメンバーはさわちゃん含めて全員があのラジオを聴いてるらしかったけど、
流石に全員が全員、毎日聴いてるわけじゃないみたいだった。
唯は早寝に定評があるし、ムギも家の手伝い(社交的な意味で)で聴けない日が多いらしい。
さわちゃんも「恥ずかしいから何回かに一回聴くだけで十分」と苦笑してた。
そんなわけで、ラジオを毎日聴いてるのは私と澪、それと梓になる。
澪……にはまだ電話を掛けられない。
あんな別れをした後だし、私もまだ自分の涙の理由を見つけられてない。
涙の理由が分かるまで、私は澪に会っちゃいけないし、何かを話せもしないと思う。
何かを話そうとしたって、また私達は涙を流し合ってしまうだけになるだろう。
勿論、澪とはもう一度話し合わないといけないけれど、今は無理だ。
もう時間は無いけれど、でも、今は駄目だと思う。
となると……。
「梓になる……よな」
自分に言い聞かせるように呟く。
考えるまでもない。
今の私が連絡を取るべきなのは梓だ。
最近、梓にはあんまりいい印象を持たれてないみたいだけど、
電話をすればラジオの受信状況くらいは教えてくれるだろう。
でも、それだけでいいのか?
折角のチャンスなんだ。
その電話で梓の悩みを聞いておく方がいいんじゃないのか?
そう思い始めると、梓の番号に発信できなくなる。
梓の悩みについても、もう触れてあげられるだけの時間も少ない。
部長として……、じゃないか。
一人の梓の友達として、本当は梓の悩みを解決してあげたい。
だけど、こんな私に何かできるのかって、不安になる。
動かなきゃ何も始まらない。
それを分かってるから、昨日私は動いた。
でも、動いた結果がどうだ?
意味不明の涙に縛られて、何もいい方向には動かなかった。
分かり合ってるはずの幼馴染みの澪との問題すら、何も解決させられなかった。
そんな私に何ができる?
まだ梓の悩みが何なのかさえ分かってない私に何をしてやれる?
何度も立ち止まりそうになる。
恐くて動き出せなくなる。
それでも……。
私はやっぱり馬鹿なのかもしれない。
気が付けば梓の電話番号に発信しようと、私は携帯電話の発信ボタンに指を置いていた。
動かないままでいる方が恐いから。
私の知らない所で梓が苦しんでると考える方が何倍も恐いから。
私は梓に電話を掛けようと思った。
いや、掛けようと思ったんだけど……。
ふと重大な事に気が付いて、私はベッドに全身から沈み込んだ。
身体から力が抜けていくのを感じる。
自分が情けなくて無力感に支配されてるとか、そういう事じゃない。
私は枕に顔を沈めて、自分の間の悪さに呆れながら呟く。
「圏外かよー……」
そう。
私の携帯電話の電波状況は圏外を示していた。
これだけ気合を入れておいて、電波が圏外とかギャグかよ……。
私らしいと言えば私らしいんだけど、こりゃあんまりだ……。
でも、まあ、よかったと言えば、よかったのかもしれない。
これでとりあえずラジオ局の方に問題がある可能性は少なくなった。
こんな住宅地で携帯電話の電波が圏外になるなんて、普通はありえない。
そうなると電波塔か、衛星か、
とにかく電波そのものにトラブルがあったって事になる。
ラジオ局がテロか何かで壊された可能性も少しは考えていただけに、
ひとまずは胸を撫で下ろしたくなる気分だった。
「それにしても、どうするかなー……」
私は立ち上がって、自室の窓に近寄りながら呟く。
澪本人が言っていた事だし、今日、澪は登校してこないだろう。
家の中で一人、私と同じように涙の理由を考えるんだろう。
私は学校に行こうと思う。
澪が登校してこなくても、私は軽音部に行かなきゃいけない。
言い方は悪いけど、私は軽音部の最後のライブの主犯格で首謀者なんだ。
誰が来ても、誰も来なくても、私は軽音部の部室に行かなきゃいけない。
間違ってばかりの私だけど、それだけは間違ってないと思う。
でも、それを部の皆に押し付けるのはよくないとも思う。
今日、澪は登校しない。軽音部の皆が揃う事はない。
それなら、その事を皆にも伝えておくべきだ。
それで澪のいない軽音部に、
皆が揃わない軽音部に意味がないと思ったなら、
今日は登校せず思うように過ごす方が皆のためになるはずだ。
だけど、携帯電話が使えないとなると、それを伝えようがない。
どうしたものか……、と唸ってみたけど、
またそこで私は簡単な事に気付いて、またも脱力してしまった。
家の電話があるじゃんか。
最近、全然使ってなかったから、存在自体忘れてた。
ごめんな、家の電話。
電波が悪いと言っても、流石に電話線で繋がってる家の電話は無事なはずだ。
もしかしたら家の電話も使えなくなってるかもしれないけど、まだ試してみる価値はある。
窓の外を見ながら、自分の間抜けさ加減に何となく苦笑してしまう。
そういやカーテンも閉めずに寝ちゃったな、
と思いながらカーテンを閉めようと手に持って、そこで私の手が止まった。
それは偶然なのか……、必然なのか……、
あってはいけないものがそこにあった。いてはいけない人がそこにいた。
見つけてしまったんだ。
それが私の妄想か幻覚ならどんなによかっただろう。
よく見えたわけじゃない。
そいつは窓の外でほんのちょっと私の視界の隅に入り込んで、すぐに消えていった。
だから、気のせいだと思ってもいいはずだった。
妄想や幻覚だと思い込んでも、何の問題もなかった。
だけど……!
万が一にでもそれがそいつである可能性があるのなら……!
放っておけるか!
「あの……馬鹿!」
思わず叫んで、朝から着たままの制服姿で私は部屋から飛び出る。
玄関まで走り、靴を履く時間ももどかしく感じながら、無我夢中で駆ける。
あいつが何処に行ったのかは分からない。
進んだ大体の方向も分かるかどうかだ。
それで十分だった。
こんな時期、こんな真夜中に、たった一人で出歩くなんて、正気の沙汰とは思えない。
それもあんな小さな……、
私よりも小さな後輩が……、
梓が……!
こんな真夜中に……!
放っておく事は出来なかった。
無視する事なんて出来なかった。
嫌になるほど泣いていたせいか、
普段使ってない身体の筋肉が筋肉痛で悲鳴を上げる。
それでも駆ける。
夜の闇の中、申し訳程度に点いた街灯の下を精一杯走る。
走らないといけなかった。見つけ出さないといけなかった。
あいつは馬鹿か。
あいつが何を悩んでいるのか知らない。
あいつに何が起こっているのかも知らない。
だけど、こんな何が起こるか分からない状況で、
何が起こっても自己責任で片付けられてしまうような状況で、
こんな真夜中にあんな女の子が一人きりでいていいはずがない。
別に戒厳令が出てるわけじゃない。
夜間外出禁止令が出てるわけでもない。
この付近は比較的治安のいい方だとも聞いてる。
でも、そんな事は関係ない!
私の後輩に……、大切な後輩に……、
嫌われていたとしても大好きな後輩に……、
何かが起こってほしくないんだ。
何かが起こってからじゃ遅いんだ!
私の間抜けな気のせいならそれでいい。
万が一にでもあの影が梓の可能性があるなら、私は走らなきゃ後悔する。
絶対に後悔するから。
だから!
私は夜の暗がりの中、目を凝らして梓を捜し続ける。
失いたくない後輩を走り回って探す。
かなり肌寒い季節、汗だくになって走る。
走り続ける。
息を切らす。
身体が軋む。
それでも、走り続け……。
気が付けば、あまり知らない公園に私は辿り着いていた。
汗まみれで、息を切らして、
さっき転んだ時に膝を擦りむいて血を流しながら、私は一人で公園に立っていた。
三十分は捜していたはずだ。
ドラムをやってるんだし、
体力的にはかなり自信のある私が本気で限界を感じるくらいに走り回った。
梓は何処にも見付からなかった。
やっぱり私の見間違いだったんだろうか……。
気のせいだったんだろうか……。
何にしろ、これ以上捜し回っていても意味が無いかもしれない。
ひとまずは梓の家に連絡を取ろう。
間抜けな事に、さっきまでの私にはそこまで思いが至らなかった。
そうだ。連絡を取るべきだったんだ。
連絡を取って、その後にどうするか考えよう。
私は息を切らしながら、
持ち出していた携帯電話に目を向け、
瞬間、背筋が凍った。
分かっていた事だ。
分かっていたのに、動揺して忘れてしまっていた。
携帯電話の画面には、圏外と表示されていた。
そこでようやく私は気付いたんだ。
さっきまで馬鹿と責めていた梓と同じ状況に自分が陥ってしまっている事に。
急に身体が震え始める。
冬の夜の肌寒さだけじゃない。
恐怖と不安で、全身の震えを止める事が出来ない。
「大丈夫……。
大丈夫……のはずだ……」
自分に言い聞かせるけど、自分自身が納得できていない。
梓よりは背が高いけれども、男の子っぽいともよく言われるけども、
結局、私は平均よりも背の低くて力の弱い、小さな女の子でしかなかった。
考え始めると止まらない。
さっき梓に対して考えていた事が、そのまま自分に跳ね返ってくる。
酷いなあ……。
我ながら本当に酷いブーメランだよ……。
少しの物音に怯える。
何かと思えば猫で胸を撫で下ろすけど、逆に人通りの無い事が余計不安に感じる。
夜の闇は深く、誰の気配もない。
世界にひとりぼっちになってしまったのような不安感。
いや、平気なはずだ。単に私はこのまま家に帰ればいいだけだ。
家に帰って、梓の家に連絡するだけだ。
分かっているのに、足を踏み出せない。
さっきまで三十分も走ってここまで辿り着いた。
家までの帰り道は何となく分かるけれど、
単純に計算して一時間近くは掛かる計算になってしまう。
一時間……。
この闇の中を一時間も歩くなんて、意識し出すと恐ろしくてたまらない。
誰か知り合いの家が近くに無いかと考えてみるけど、どうしても思い当たらなかった。
叫び出したくなる恐怖。
逃げ出したくなる現実。
恐い……。
恐いよ……。
と。
立ち竦む私を急に小さなライトが照らした。
「ひっ……」
小さく呻いて、身体を強張らせる私。
逃げ出したくても、足が動かない。
本当に弱い私……。
泣き出したくなるくらいに……。
でも。
こんな所で終わってしまうわけにはいかないから。
涙の理由を澪に伝えられてないから。
拳を握り締めて、勇気を出して、そのライトの光源に視線を向けて……。
「あれ……?」
またそこで私は力が抜けた。
今日は何だか空回りする事が多い気がする。
そういう星回りなのか?
「まったく、しょうがねえな……。
帰るぞ、姉ちゃん」
そうやって頭を掻きながら言ったのは、
母さんのママチャリに乗った私の弟……、聡だった。
最終更新:2011年10月31日 21:00