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ドラムとキーボートだけの曲合わせ。
前代未聞ってほどじゃないけど、結構珍しい事だとは思う。
私もムギと二人だけで曲を合わせるなんてほとんどした事なかったし、
二人だけで合わせるのが完全な新曲なんて事は初めてのはずだった。
それにドラムとキーボートだけで曲の微調整なんてできるものなのか?
私は少しそう思ったけど、
作曲なんてした事ない私に詳しい事は分からなかったし、
こう言うのもなんだけど、曲の微調整の方は別にどうでもよかった。
「りっちゃんのドラムが聞きたい」とムギは言った。
そう言ってくれるならすぐにでも聞かせてあげたいし、
私の方だってムギのキーボードが聞きたかった。
この三日間、ムギが登校して来てくれるようになったおかげで、
ムギのキーボードを全然聞けてないってわけじゃないけど、
月曜日も火曜日も私の心に迷いがあったせいで集中しては聞けてなかった。
だから、私はムギのキーボードを聞きたい。
いや、違う。聞きたいんじゃなくて、聴きたい。
耳を澄まして、肌を震わせて、身体全身でムギのキーボードを感じたいんだ。
勿論、私の方にはまだ多くの迷いや恐怖がある。
それを忘れる事はできないし、しちゃいけないと思うけど、
せめて迷いは頭の片隅に置くだけにしておいて、気合を入れて演奏したいと思う。
……って、気合を入れてみたんだけど、私にはまだ不安があった。
だけど、その不安の原因は澪の事でも、梓の事でもなかった。
実は我ながら恥ずかしいんだけど、新曲を上手く叩けるか自信が無いんだよな……。
だって、新曲、超難しいんだぜ?
いや、難しい事は難しいんだけど、
それより新曲のジャンルに慣れてないからってのが大きいかな。
新曲とは言ってもいつもの甘々な曲調になるだろうって思ってたんだけど、
ムギの作曲した新曲は何故か今までの放課後ティータイムには無い激しい曲だったんだ。
ひょっとすると、澪の意向があったせいかもしれないな。
何故だか分からないけど、澪は今回の曲だけは激しい曲に仕上げたいらしかった。
恩那組って感じの熱く激しいロックスピリッツなバンドをしたかった私としては嬉しい限りなんだけど、
いくら何でもバンドを結成して二年以上経ったこの時期に、
いきなりこれまでと全然違うジャンルの曲をやれと言われても難しいってもんだ。
まったく……。
困ったもんだよ、澪の気紛れも……。
でも、そう思いながら、気が付けば私は頬が緩んでいた。
何だかとても懐かしい感覚が身体中に広がってる。
新曲を上手く演奏できるかどうかで不安になれるなんて久し振りだ。
あんまり褒められた話でもないけど、
そんな事で不安になれる感覚が自分に残ってた事がとても嬉しい。
キーボードの準備をするムギに視線を向けて、気付かれないように頭を下げる。
これから先も私は迷い続けていくんだろうけど、
今だけだとしてもこんなに落ちつけてるのはムギのおかげだ。
私の視線に気付いたのか、ムギが私の方に向いて首を傾げる。
私は頭を上げて、何もなかったみたいに笑顔で手に持ったスティックを振る。
まだ少し首を傾げながらも、ムギは微笑んで右手の親指と人差し指で丸を作る。
キーボードの準備が完了したって事だ。
私は椅子に座り直し、背筋を伸ばしてから深呼吸する。
上手く演奏できるか分からないし、
そもそもドラムとキーボートだけでどれだけ合わせられるかも微妙なところだ。
だけど、それでも構わない。
これはこれからも私達が放課後ティータイムでいられるかの再確認なんだから。
頭上にスティックを掲げる。
両手のスティックをぶつけ、リズムを取る。
ムギのキーボードが奏でられ始める。
普段の甘い曲調かと錯覚させられる穏やかな曲の始まり。
だけど、即座に変調する。
激しく、滾るような、今までの私達には無い曲調に移行する。
歌詞が無いどころか、まだ曲名すら決まってない未完成の新曲。
でも、この曲は間違いなく私達の新曲で、恐らくは遺作となるだろう最後の曲。
私は全身で、これまでの曲以上に激しくリズムを刻む。
曲は所々で止まる。サビの部分も満足な形で演奏できない。
リードギターも、リズムギターも、ベースすらもいないんだから当然だ。
ドラムとキーボードだけの、ひどく間抜けなセッション。
セッションと呼んでいいのかも分からない曲合わせ。
でも、私とムギは目配せもなしに、演奏を合わせられる。
確かに私達の出番が無い箇所では演奏が短く止まる。
そればかりは誰だってどうしようもない事だ。
だけど、再開のタイミングを合わせる必要は私達には無い。
そりゃ楽譜通りに確実に演奏すれば、
タイミングを合わせる必要なんて無いだろうけど、残念ながら私にはそこまでの実力はない。
楽譜通りに完璧に演奏できれば、ドラムが走り過ぎてるなんて言われないだろうしな。
それでも私が確実に合わせられるのは、聞こえるからだ。
私だけじゃない。きっとムギも聞こえてるはずだ。
私達以外のメンバーの演奏が。
勿論、こう言うと台無しなんだけど、それは幻聴だ。
今ここにいないメンバーの演奏が聞こえるなんて、幻聴以外の何物でもない。
幻聴が聞こえる理由だって分かってる。
覚えてるからだ。
耳が、身体が、心が、皆の演奏を刻み込んでるからだ。
何度も練習した新曲を覚えてるから。覚えていられたから。
上達の早い唯のリードギターを。
努力の果てに手に入れた堅実な澪のベースを。
安定して皆を支える梓のリズムギターを。
仲間の、音楽を。
だから、そこにいなくても、私達は皆の演奏を心で聴く事ができる。
その演奏に合わせる事ができるんだ。
何も奇蹟って呼べるほどの現象じゃないだろう。
こんな事、多分、誰にだってできる。
仲間がいれば、きっと誰にでも起こるはずの日常だ。
日常で上等だ。特別なんて私には必要ない。
私は嬉しかった、その日常が。
さっきムギの言っていた事が理解できてくる。
「私の中のりっちゃん達が私を励ましてくれたの」ってムギの言葉。
傍にいるだけが仲間じゃない。
傍にいる事に越した事はないけど、傍にいなくても仲間は胸の中にいてくれる。
だから、ムギは泣くのをやめる事ができたんだ。
私もそうなんだって気付いた。
世界の終わりが辛くて悲しいのは仲間がいるからだけど、
世界の終わりを直前にしても前に進もうと思えるのは仲間のおかげなんだ。
当然だけど、皆が傍にいないのは寂しくて胸が痛む。
でも、それ以上に安心できて嬉しくなるし、胸が熱くなってくる。
私はまだ生きている。
私達はまだ生きていられる。
だから、逃げたくないし、世界の終わりに負けたくない。
もうすぐ死んでしまうとしても、それだけは嫌だ。嫌なんだ。
そうか……。
私があの時、澪の前で泣き出してしまった理由は……。
演奏が終わる。
一度もミスをする事なく、ムギとの演奏を終えられた。
完璧に合わせる事ができた。
ムギの演奏だけじゃなくて、私の中の皆の演奏とも。
心地良い疲れを感じながら、私はムギに声を掛ける。
「やっぱドラムとキーボードだけってのは寂しいよな」
「うん。それはそうよね。流石に少し無理があったね」
そう言いながら、ムギも微笑んで私を見ていた。
多分、私がすごく嬉しそうな顔をしてたからだろう。
仕方ないじゃないか。すごく嬉しかったんだから。
「ありがと、ムギ。
ムギの言いたい事、何となく分かったよ。
言葉にはしにくいけど、心の中では分かった気がする。
仲間と離れたくはない。離れてても平気なはずない。
だけど……、離れてても私達の中には、良くも悪くも仲間がいるんだよな……。
ドラムを叩いてると聞こえるんだよ、皆の演奏が。
それが辛いんだけど、悲しいんだけど……、それ以上に嬉しい……な」
「私も聞こえたよ、皆の演奏。
だから、もっと頑張らなくちゃって思うの。
それと、私の方こそありがとう、りっちゃん。
涙が止まらなったのはりっちゃん達がいたからだけど、
涙を止められたのもりっちゃん達のおかげなの。
だから、本当にありがとう、りっちゃん」
「考えてみりゃ、
私の勝手でムギを軽音部に引きずり込んだわけだけど、
今思うとそうしてて本当によかったと思うよ。
私の我儘に付き合ってくれて、ありがとな、ムギ」
「ねえ、りっちゃん?
私の持って来るお菓子、好き?」
唐突に話題が変わった。
ムギが何の話をしようとしているのか分からない。
私は面食らって変な顔をしてしまったけど、素直に頷く事にした。
「勿論好きだぜ?
美味しいもんな、ムギの持って来るおやつ。
前持って来てくれたFT何とかって紅茶も美味しかったしな」
「FTGFOPね。
今日も持って来てるから、後で淹れてあげるね」
「おっ、ありがとな、ムギ。
そういや、もしかしたら軽音部が廃部にならなかったのって、ムギのおかげかもな。
唯が入らなきゃ廃部になってたわけだけど、
唯の奴、ムギのおやつがなかったら、うちに入ってなかった可能性が高いからな……。
あっ、やべっ。冗談のつもりだったけど、何だか本当にそんな気がしてきた……。
……本当にありがとな、ムギ。その意味でも!」
私のお礼にムギは微笑んだけど、急に表情を曇らせて目を伏せた。
ムギがそんな表情をする必要なんて無いのに、何があったのか不安になった。
目を伏せたままで、ムギが小さな声で呟く
「そのお菓子をね……、
本当は私のために持って来てたって言ったら、りっちゃんは私を嫌いになる?」
「え? 何だよ、いきなり……」
「私ね、皆に美味しいお菓子を食べてもらいたかったの。
皆が喜んでくれるのは嬉しいし、皆の笑顔を見るのが好きだったから。
でもね……、それだけじゃないの。
ずっと隠してたけど、私ね、皆が喜んでくれるのが嬉しいから、
自分が嬉しくなりたいから、お菓子を持って来てたんだ。
「ムギちゃん、すごい」って言われたくて、自分のために持って来てたの」
「でも、それくらい誰だって……」
「ううん、最後まで聞いて。
それにもう一つ隠してた事があるの。
私、恐かったの……。
お菓子を持って来ない私を好きになってもらえる自信がなかったの……。
お菓子を持って来ない私なんて要らないって言われるのが恐くて、
だから、そんな私の我儘を通すためにずっとお菓子を持って来てた。
ねえ、りっちゃん?
そんな自分勝手な私の話を聞いてどう思う?
嫌いに……、なっちゃったかな……?」
そんな事で嫌いになるかよ!
ムギの気持ちは分かる。本当によく分かる。
私も恐かった。
いつも明るく楽しいりっちゃんって言われるけど、
そうじゃない私が人に好かれるか恐くなった事は何度もある。
たまに落ち込んで辛い時もあったけど、
そんな時でも無理して明るい顔をしてた。
恐かったからだ。明るくない自分が拒絶されるのが恐かったから。
だから、ムギの言う事がよく分かるんだ。
確かにそれは自分勝手かもしれないけど、そんな事で嫌いになるわけなんてない。
私はそれをムギに伝えようと口を開いたけど、それが言葉になる事はなかった。
言葉にする直前になって、
そのムギの言葉が新曲の演奏前に、私がムギに言っていた事と同じだと気付いたからだ。
そうだよ……、何を言っちゃってたんだよ、私は……。
自分勝手に動いてる罪悪感に耐え切れなくて、ムギに弱音を吐いてただけじゃんかよ……。
真の意味で自分の馬鹿さ加減に呆れてきて、放心してしまう。
そんな間抜けな表情を浮かべる私とは逆に、柔らかく微笑んだムギが続けた。
「分かってくれたみたいね、りっちゃん。
だから、自分の事を自分勝手だなんて、我儘だなんて思わないで。
誰かのために何かをしてるみたいで、
本当は全部自分のためだったなんて、誰だってそうなんだって私は思うの。
私だってそうだし、本当の意味で誰かのために何かを行動できる人なんていないと思うわ。
皆、自分の得のために、誰かの手助けをするの。
自分を好きになってもらうためだったり、自分をいい人だと思うためだったり、
でも、それでいいんだと思うわ。
それにね……、それでも私は嬉しかったの。
軽音部に入って、皆の仲間に入れてもらえて、すっごく嬉しかった」
「私だって……。
私だって、ムギが仲間に入ってくれてすごく嬉しかった。
澪にも言ってないけど、実はムギが入部してくれた日さ、
家に帰った後も布団の中で何度も何度もガッツポーズするくらい嬉しかったんだ。
本当に嬉しかった」
二人とも、いや、多分、誰でも自分のために生きてる。
自分のためにしか生きられない。
でも、ムギはそれでいいと言ってくれた。
私が私のためにムギを部に誘ったとしても、それがすごく嬉しかったからだ。
それを私に気付かせてくれるために、
隠してたかったはずのムギ自身の本音まで教えてくれて……。
私のせいでそんな事をさせてしまって、またムギに謝りたくなってしまう。
いや、きっとムギはそんなの望まないだろう。
今はごめんなさいって言葉よりも、ありがとうって言葉が必要なんだ。
だから、私はムギに感謝する。
仲間になってくれて、親友になってくれてありがとう。
心からそう伝えたい。
だけど、最後に一つだけ……。
私の最後の不安をムギに聞いてもらいたいと思う。
「私は我儘だと自分でも思う。でも、本当にそれでいいのか?」
「いいの。りっちゃんは我儘でもいい。
りっちゃんの我儘の中は、単に我儘だけじゃなくて、
私達の事を考えて言ってくれる我儘の方が多いんだから。
それが私達には嬉しいの。
りっちゃんの我儘のおかげで、私達は軽音部でとても楽しかったんだしね。
だから、もっと自分に自信を持って。
私達に自慢の部長って自慢させてほしいな」
「だけど、思うんだよな。
たまに私は度の過ぎた我儘を言っちゃう事があるって。
それで何度も皆を傷付けた事があると思ってる。
もしもまたそうなっちゃったら……。
気が付かないうちに皆を傷付ける我儘を言っちゃってたら……」
「大丈夫よ。その時は……」
言葉を止めたムギが、右手で自分の右目を吊り上げ、左手で何もない場所を軽く殴る。
何だか見慣れた光景を思い出す。
「その時は澪ちゃんが叩いてくれるよ」
言って、ムギが吊り上げてた目を元に戻す。
ツリ目で左利きの拳骨……、澪の物真似のつもりだったらしい。
そういや、マンボウ以外のムギの物真似は珍しい。
少しおかしくなって笑いをこぼしながら、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
「そっか……。そうだよな……」
「勿論、そんな時は私達だってちゃんと言うよ。
唯ちゃんは突っ込んでくれるだろうし、きっと梓ちゃんも注意してくれる。
私だってりっちゃんのおやつを抜きにしちゃうからね」
「それだけは勘弁してくれ……」
うなだれて呟きながらも、私は嬉しくて泣きそうになっていた。
私が失敗してしまっても、注意してくれる仲間がいる。
そう思う事で、すごく安心できる。
おやつ抜きは嫌だしな。
最初こそ私の我儘から始まった部活だったけど、
皆にとってこんなにも大切な居場所にする事ができたのか……。
もうすぐ失ってしまうこの部活だけど、
このままじゃ終わらせない。絶対に終わらせてやらない。
もう世界の終わりになんか負けるもんか。
「ありがとう、ムギ」
これまで何度も言ってきた言葉だけど、
こんなに心の底から滲み出て、極自然にありがとうと言えたのは初めての気がする。
「どういたしまして」
ムギがとても綺麗な笑顔で微笑む。
私は照れ臭くなって、両手に持ったスティックを叩き合わせる事で誤魔化す事にした。
「よし。じゃあ、練習続けるぞ、ムギ!」
「あいよー!」
唯みたいな返事をして、ムギがまた演奏を始める。
私も難しい新曲に体当たりでぶつかっていく。
私達の音楽を、奏でる。
そこにいないメンバーの曲を心で再現しながら、未完成な曲を心で完成させる。
難易度の高いパートを終え、曲の繋ぎのパートに入った時、急にムギが演奏を止めた。
私も手を止め、振り返って私の方を見るムギに視線を向ける。
ムギがミスをしたわけじゃないし、私だってミスしてない。
急な訪問者があったわけでもない。
何の前触れもなく、唐突にムギが演奏を止めたんだ。
でも、その急展開の理由には、私にも心当たりがあった。
もしかしたら……。
「なあ、ムギ。ひょっとして……」
「うん、ごめんね……。
難しい所が終わって気を抜いてる私の中の唯ちゃんがギターを失敗しちゃって……。
それが気になって演奏止めちゃった……」
「確かにそこ何度も唯がミスした所だよな。
実を言うと、さっき私の思い出してる時も唯がそこでミスしてたし。
難易度の高い所はできるのに、何でそこが終わると気を抜いちゃうんだ……、
って、うおい!
そこまで再現せんでいい!」
長い乗り突っ込みだった。
私達の心の中にはいつだって軽音部の仲間がいる。
いい意味でも、悪い意味でも……。
今回は悪い意味だったみたいだけど。
勿論、それが嫌なわけじゃない。
ムギがばつの悪そうに苦笑して、私もそのムギに合わせて笑った。
明日、唯に会ったら、このパートを重点的に気を付けるように言っておこう。
最終更新:2011年10月31日 21:07