アットウィキロゴ
話せば話すほど、自分自身の無力を実感させられる気がした。
私には梓に何かしてやれるほど、梓に信じられてなかったのかもしれない。
それを実感するのが恐くて、ずっと逃げ出してきた。
でも、もう逃げられない。逃げたくない。
私の胸の痛みなんかより、こんなに傷付いてる梓の姿こそどうにかしなきゃいけないんだ。
だから、梓の誤魔化しに騙されたふりをしちゃいけないんだ。

「そんな……、私が律先輩を信じてないなんて……。
そんな事……、そんな事ないよ……。
私は律先輩が……、律先輩の事が……。
でも……、でも……」

梓が呟きながら後ずさり、視線をあちこちに移動させる。
追い詰める形になってしまって、ひどく申し訳ない気分になってくる。
それでも、私は梓の腕を掴んだ手を離さなかった。
恨んでくれても構わない。
後で何度殴ってくれたっていい。
このままでいちゃいけないんだ。
梓の悩みがどんなに重い悩みでも、私はそれを受け止めたい。
それこそ犯罪が関わるような悩みだって構わない。
それを受け止めるのがここまで梓を追い詰めた私の責任だと思うから……。

不意に。
梓が視線を何度か自分の机の方に向けた。
さり気ない行為だったけど、
ずっと梓を見つめていた私は、それを見逃さなかった。
あらゆるものを見落としてきた私だけど、今度こそ見逃すわけにはいかなかった。

机の中に何かあるのか?
それが梓の悩みの原因なのか?

「机……?」

私が呟くと、梓がはっとした表情で急に動き始めた。
私が無理に机の中を覗こうとしたわけじゃない。
何となく疑問に思って呟いただけだったけど、
その事で梓は自分の机を探られるんじゃないかと過剰に反応していた。
身体を無理に動かし、私に掴まれた手を振りほどこうと暴れる。
危険だとは思ったけど、私としても梓の腕だけは離すわけにはいかない。
余計に力を込め、梓から離れないようにして……、それが悪かった。

「ちょっ……!」

「うわっ……!」

無理な体勢でいたせいでバランスを崩してしまい、
二人で小さく悲鳴を上げて、その場で折り重なって倒れてしまった。
周りの机や椅子も巻き込んで倒れてしまって、豪快な音が教室に響く。

「痛たたた……。
大丈夫か、梓?」

それでも梓の腕だけは離さずにいられたみたいだ。
私は梓の手を掴んだまま顔を上げ、その場に座り込んで訊ねる。
梓からの返事はなかった。
やばいっ。打ち所が悪かったかっ?
そうやって心配になって梓の方に顔を向けてみたけど、
幸い梓の方は自分の椅子に倒れ込むような形になっただけみたいで、私よりも無事な様子に見えた。
だったら、どうして返事がなかったんだ?
梓の顔を覗き込んでみると、梓は大きく目を見開いて私じゃない何処かを見ていた。
そこでようやく私は気が付いた。
倒れた衝撃で梓の机を横向きに倒してしまい、机の中身をその場にぶち撒けてしまっていた事に。
梓がその机の中身を見ているんだって事に。

事故とは言え、梓が隠そうとしてた物をこの目で確認していいんだろうか。
そう思わなくもなかったけど、それを確認しないのも不自然過ぎた。
心の中で梓に謝り、私もその机の中に入っていた物に視線を向ける。

「えっ……?」

そう呟いてしまうくらい、予想外の物がそこに転がっていた。
死体とか拳銃とか麻薬とか、そういう不謹慎な意味で予想外だったわけじゃない。
意外じゃなさ過ぎて、逆に意外な物だったんだ。
その場所には、うちの学校の学生鞄が転がっていた。
机の中に入れるために小さく潰されている。
多分、中には何も入ってないんだろう。
でも、どうして鞄を机の中に……?
疑問に思って私が梓に視線を向けると、急に梓の表情が大きく崩れた。
いや、崩れたってレベルじゃない。
大粒の涙を流して、大声で泣き声を上げ始めた。

「ごめんなさい!
ううっく……、う……、あ、ああ……!
うああああああああああああっ!」

梓が何を言っているのか見当も付かない。
鞄が何なんだ?
中には何も入ってなさそうだし、何で梓は泣き出してるんだよ?
突然の展開にこれまでと違った意味で不安になってくる。

「おい、ちょっと梓……」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!
本当にすみません! すみません、すみません、すみません!
すみま……せ……、うううう……!
ひぐっ……! あっ……、うわあああああああああああっ!」

梓の涙は止まらない。
その原因が私なら何とかしようもあるだろうけど、
本当に何が起こったのか私にはまだ何も理解できてない。
梓の涙の原因……、それはやっぱり机の中に隠されてた鞄なんだろう。
鞄といえば、考えてみれば、最近、梓は部室に鞄を持って来てなかった。
それは授業が少なくなって、荷物も無くなったからだと思ってたけど……。
そこで私は一つの事を思い出していた。
ああ、何で気付かなかったんだ。
授業がほとんど無くなったのは、当然だけど『終末宣言』の後だ。
『終末宣言』の後も、梓は普段通りに部室に学生鞄を持って来てたじゃないか。
そりゃそうだ。授業が無くたって、弁当やら何やらの荷物はあるんだから。
梓が部室に鞄を持って来なくなったのは、
そう、約一週間前……、梓の様子がおかしくなった頃からだ!
じゃあ、やっぱり梓の悩みは鞄に関係していて……。
そこでまた私の思考が止まる。

だから、鞄が何だってんだよ。
鞄の中身が悩みだって言うのか?
でも、中には何も入ってないだろうくらい小さく潰されてるし、
何かが入ってたとしても、そんな大袈裟な物が入ってるわけが……。
一瞬、また私の思考が止まった。
疑問に立ち止まってしまったわけじゃない。
梓の悩みと、梓の痛み、梓の隠してた事が分かったからだ。
やっぱり、梓の悩みは鞄の中身じゃなかった。
まだ見てないけど、鞄の中身なんて見る必要もなかったし、中身なんて何でもよかった。
でも、それじゃ……。
こんな……、こんな事で、梓は一週間も悩んでくれていたのか?
それもただの一週間じゃない。
世界の終わりを週末に控えたかけがえのないこの一週間を?

馬鹿だ。
本当に馬鹿な後輩だ、梓は……。
こんな取るに足らない事でずっと悩んでいただなんて……。
だけど、梓の辛さや不安は、私自身も痛いくらいに実感できた。
梓ほどじゃないにしても、同じ状況に置かれたら、
間違いなく私も同じ不安に襲われてただろう。

私は掴んでいた梓の腕を離した。
もう掴んでいる必要はない。
必要なのは多分、私の言葉と心だ。

「失くしたんだな、梓……」

「ごめ……ひぐっ、なさい……。
大切にしてたのに……、大切だっ、ひっく、たのに……。
どうして……、こんな時に……、ううううう……。
ずっと探してるのに、どうして……、ひぐっ、どうして見つからないの……!」

「京都土産のキーホルダー……か」

梓じゃなくて、自分に言い聞かせるよう呟く。
修学旅行で行った京都で、
京都とは何の関係もないけど、私達が買ってきたお揃いのキーホルダー。
私が『け』。
ムギが『い』
澪が『お』。
唯が『ん』。
梓が『ぶ』。
五人合わせて『けいおんぶ』になる、そんな茶目っ気から購入したキーホルダーだ。
何気ないお土産だけど、梓がとても喜んでくれた事をよく覚えてる。
最初はそうでもなかったけど、梓の喜ぶ顔を見て、
私もこのキーホルダーを一生大切にしようって思った。
それくらい梓は喜んでくれたんだ。
少し大袈裟かもしれないけど、
多分他の部員の皆も軽音部の絆の品みたいな感じに思ってくれてるはずだ。

その『ぶ』のキーホルダーを梓は失くしてしまった。
梓の鞄をどう見回しても見つからないのは、そういう事なんだろう。
梓が隠したかったのは鞄そのものじゃない。
本当に隠したかったのは、キーホルダーを失くしてしまったって事実だったんだ。
これまでの梓の不審な行動も、
失くしてしまったキーホルダーを捜しての事だと考えて間違いない。
ずっと思いつめていたのは、
自分がキーホルダーを失くしてしまった事にいつ気付かれるかと気が気でなかったから。
昨日、校庭で私の前から逃げ出したのは、
キーホルダーを捜しているのを私に知られたくなかったから。
深夜に外を出歩いていたのは、
自分の身も案じずに必死にキーホルダーを捜していたからだ。

梓は本当に馬鹿だ。
小さなキーホルダーのために、どれだけ自分を追い詰めてしまったんだろう。
こんなにやつれ果ててまで、どうして……。
だけど、誰にそれが責められるだろう。
少なくとも私には、そんな梓を責める事なんてできない。

不安で仕方がなかったんだろうと思う。
ずっと不安で、誰にも言い出せずに胸の中に溜め込んで、
不自然なくらい過剰にキーホルダーを失くした事を隠してた梓。
考えてみれば、さっきの行動にしたってそうだ。
鞄が梓の机から飛び出た時、いくらでも誤魔化しようがあったのに。
私にしたって、鞄を目にした当初は何も分かってなかったのに。
なのに、梓は過剰に反応してしまって、涙までこぼしてしまっていた。
それはきっと恐かったからだ。
キーホルダーを失くした事を知られてしまう事が恐くて、
ほんの少し私がその真相に近付いただけで、
全ての隠し事を知られてしまったと勘違いしてしまったんだ。

更に言わせてもらうと、何も梓は机の中に鞄を隠す必要なんてなかった。
鞄が学校の机にあるという事は、
キーホルダーを失くしたと梓が気付いたのは学校だったんだろう。
小さく潰れた学生鞄を見る限り、鞄の中身は小分けにして家に持ち帰ってるんだと思う。
多分、違う鞄を自宅から持って来て、それに入れて持ち帰ったに違いない。
梓はその時、学生鞄も持って帰ればよかったんだ。
持ち帰る時、学生鞄を誰かに見られるのが不安なら、
小さく折り畳んでその違う鞄にでも入れておけばよかったんだ。
まあ、そりゃ少し不自然ではあるけど、
普段と違う鞄を持ち歩いてるくらいじゃ、誰も深く問い詰めたりなんてしない。

でも、梓はその少しの不自然さすら、不安でしょうがなかったんだ。
もしもいつもと違う鞄を持っているのを誰かに見られてしまったら。
その誰かにいつもの学生鞄はどうしたのかと訊ねられてしまったら。
それで万が一、鞄の中身について訊ねられてしまったら……。
冷静に考えればそんな事があるはずないのに、きっと梓はそう考えてしまったんだろう。
だから、一週間も机の中に鞄を入れたまま、放置する事しかできなかったんだ。
誰かに見られるのが不安で、机以外の何処かに隠す事さえできなかったんだ。

「恐かっ……た……。恐かったんです……」

不意に梓が言葉を続けた。
しゃくり上げるのは少しだけ治まっていたけど、
梓の目からは止まることなく大粒の涙が流れ続けている。
私は座り込んだままで、涙に濡れる梓の瞳をじっと見つめる。

「『終末宣言』とか……、世界の終わりの日とか……、
それより前からずっと私、恐くて……。
不安で、寂しくて……。それで……」

「『終末宣言』の前から……?」

「はい……。私……、私、不安で……。
先輩達が卒業した後も、軽音部でやってけるのかなって……。
ひとりぼっちの軽音部で、
ちゃんと部を盛り上げていけるのかなって、そう思うと恐くて……。
それで私……、私……は……!
う……っ、ううううっ……!」

また梓の涙が激しさを増していく。
梓の言葉が涙に押し潰されそうになる。
だけど、梓は涙を流しながらも、しゃくり上げながらも言葉を止めなかった。
ずっと隠してた涙と同じように、ずっと隠してた言葉も止まらないんだと思う。

「ごめん……なさい、律先輩……!
私……、私、とんでもない事をして……!
皆さんに、ひっく、皆さんに……、私は……とんでもない事を……!」

「何だよっ? どうしたっ?
とんでもない事って何だよっ?」

梓の突然の告白。
気付けば私は立ち上がって梓の肩を掴んでいた。
梓の悩みはキーホルダーを失くした事だけじゃなかったのか?
新しい不安が悪寒となって私の全身を襲う気がした。
梓が「ごめんなさい」と言いながら、自らの涙を袖口で拭う。

「ごめ……んなさい……!
私、考えちゃったんです……。
願っちゃいけない事なのに、願って……しまったんです……。
『先輩達に卒業してほしくないな』って……。
『先輩達とまたライブしたいな』って……。
それが……、それがこんな……、こんな形で叶……、叶うなんて……!
私……が、願っちゃったから……! 終末なんて形で……、願いが叶って……!
そん……な……、そんなつもりじゃ、なかったのに……!」

おまえは何を言ってるんだ。
終末……、世界の終わりと梓の願いが関係してるはずがない。
それこそ自分が世界の中心だって、自分から宣言してるようなもんだ。
世界はおまえを中心に回ってない。
世界の終わりとおまえは考えるまでもなく無関係だ。
無関係に決まってる。

私はそう梓に伝えたかったけど、そうする事はできずに言葉を止めた。
そんなの私に言われるまでもない。
梓だって自分がどれだけ無茶な事を言っているか百も承知のはずだ。
梓は頭がいい後輩だ。私なんかよりずっと勉強もできる。
確かに梓の言葉通り、世界の終わりが来る事で私達の卒業は無くなったし、
あるはずがなかった最後のライブを開催する事ができるようにはなった。
だとしても、その自分の願いが世界の終わりと何の関係もない事は、梓だって理解してるだろう。

それでも……。
それでも梓がそう思わずにはいられない事も、私には痛いくらいに分かった。
世界の終わりがどうのこうのって話より、梓は多分、
間近に迫った私達の卒業を心から祝福できない自分に罪悪感を抱いてるんだと思う。
笑顔で見送りたいのに、私達を安心して卒業させたいのに、
それよりも自分の寂しさと不安を優先させてしまう自分が嫌なんだと思う。
梓は真面目な子で、いつも私達を気遣ってくれていて、
ちゃんとした部と呼ぶにはちょっと無理がある我が軽音部にも馴染んでくれて……。
梓はそんな私達には勿体無いよくできた後輩だ。
よくできた後輩だからこそ、色んな事に責任を感じてしまってるんだ。

そして、梓をそこまで追い込んでしまったのは、ある意味では私の責任でもあった。
二年生の部員は梓一人で、一年生の部員に至っては一人もいない我が軽音部。
五人だけの軽音部。
五人で居る事の居心地の良さに私は甘えてしまってた。
五人だけで私の部は十分だと思ってた。
それはそうかもしれないけれど、一人残される梓の気持ちをもっと考えるべきだったんだ。
五人でなくなった時の、軽音部の事を考えなきゃいけなかったんだ。
梓はずっとそれを考えてた。考えてくれてた。
だから、梓は私達の中の誰よりも、キーホルダーを大切にしてくれてたんだ。
世界の終わりの前の一週間を費やしてしまうくらいに。

「キーホルダーだけどさ……」

私が小さく口にすると、目に見えて梓が大きく震え出した。
触れずにいた方がいい事かもしれなかったけど、触れずにいるわけにもいかなかった。
梓をこんなに辛い目に合わせているのはキーホルダーだ。
小さなキーホルダーのせいで、梓はこんなにも怯えてしまっている。
でも、梓を救えるのも、恐らくはその小さなキーホルダーだと思うから。
私はキーホルダーの事について、話を始めようと思った。


23
最終更新:2011年10月31日 22:36