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手櫛でもう少しだけ髪を梳かしてから、梓のその場に立ち上がらせる。
私も立ち上がって、私に背を向けていた梓を私の方に向かせた。
何となく、嬉しくなる。
そこには若干疲れた感じがするけど、普段と変わらない梓の姿があったからだ。
普段と変わらない梓の姿だけど、そんな普段の梓の姿を見るのはすごく久し振りだ。

梓が自分の髪の位置を手で確認しながら、軽く笑って言う。

「ありがとうございます、律先輩。
髪の位置も完璧じゃないですか。
大雑把だと思ってましたけど、律先輩の事、見直しました!」

「素直に褒めるって事を知らないのかい、梓ちゃん。
それに見直したって事は、これまでは見損なってたって事かよ。
まあ、いいけどさ」

軽口を叩き合う私達。
やっぱりあんまり部長と部員の関係って感じがしないな。
どっちかと言うと、同級生の部員同士っぽい。
でも、まあ、それもいいか。
それも私と梓が付き合ってきた二年間の結果なんだ。
求めてた関係とはちょっと違うけど、こんな友達みたいな関係も悪くない。
いや、友達みたいな、じゃない。
私と梓は友達だ。
友達で、いいんだと思う。

急に梓が少しだけ寂しそうな顔になる。
世界の終わりの事を思い出したのかと思ったけど、そうじゃなかった。

「あーあ……。
考えてみたら、何だか勿体無い事しちゃいましたね……」

自嘲的に梓が小さく呟く。
悲しんでるわけじゃなく、自分に腹を立ててるわけでもなく、
ただ自分のしてしまった事を少しだけ後悔してるみたいに。

「私……、一週間も一人で何を抱え込んでたんでしょうか。
キーホルダーを失くした事……、早く律先輩達に伝えればよかったなあ……。
律先輩達を信じればよかったのに、自分を信じられればよかったのに、
それができずに深夜に駆け回ったりまでして……、必死に捜し回って……。
そんな私のせいで皆に心配掛けちゃって……、
律先輩にまで勿体無い無駄な時間を掛けさせてしまって……。
私が……、信じられなかったせいで……」

梓が小さい身体を更に縮ませるみたいに小さくなる。
一つの悩みは晴れたけど、
その副産物として、今度は自分の掛けた迷惑について罪悪感を抱いてしまってるんだろう。
梓は責任感の強い子だ。
自分のミスや失敗を抱え込んで、たまにそれに押し潰されそうになっちゃう子だ。
今までの私なら、そんな梓を心配そうに見つめる事しかできなかっただろうけど……。
でも、もう大丈夫。
梓は私を信じてくれた。
後は私が梓を信じて、梓に自分自身を信じさせてあげるだけだ。
私は手を伸ばして、梳いたばかりの梓の頭頂部をくしゃくしゃにしてやる。

「ちょ……っ? 律先輩……っ?」

「馬ー鹿。
確かにおまえのせいで長い事悩まされたけど、それは別に無駄な時間じゃなかったよ。
勿体無いなんて事も無い。こんな時だけど、私自身や軽音部の事について深く考えられた。
それはおまえのせいで……、おまえのおかげだ」

「どうして……」

また泣きそうな顔で、梓が掠れた声を上げた。

「どうして律先輩は……、そんなに優しいんですか……?
私の事なんて……、もっと責めてくれてもいいのに……」

「生憎、私には人を責める趣味はないのだ。
それにさ、優しいのはおまえもだよ、梓。
キーホルダーの事でそんなに悩んだのは、私達の事を大切に思ってくれてたからだろ?
そんなおまえを責められないし、それに……」

「それ……に……?」

「まだ取り戻せる。
思い悩んだ分、心配掛けちゃった分なんて、いくらでも取り戻せるよ。
だから、梓さえよければさ、今日、私んちに泊まりに来ないか?
何ならムギや純ちゃんも誘って、皆で色んな話をしようぜ。
私の部屋で布団並べてさ、「好きな子いる?」って話し合ったりとか」

私の言葉に、梓は呆気に取られたみたいにしばらく沈黙していた。
まさか私がそんな話を始めるなんて、考えてもなかったんだろう。
実を言うと、私も自分がこんな話をするなんて思ってなかった。
泊まりに来ないかって言葉も、その場の勢いで言っただけだ。
でも、勢いながら、いい提案だって自分で自分を褒めたい気分でもある。
そうなんだ。
勿体無い事をしたと思うんなら、取り戻せばいいだけなんだ。
それを自覚して一緒の時間を過ごせれば、
勿体無かったと思える時間以上の充実した時間を過ごせるはずだ。

「もう……」

梓が呆れた表情で小さく呟く。
でも、その表情の所々からは、隠し切れない笑顔が滲み出ていた。

「それじゃ修学旅行じゃないですか、律先輩」

「お、それ頂き。
いいじゃんか、修学旅行。
梓とは一緒に行けなかったわけだし、私達だけの修学旅行って事でどうだ?
勿論、梓の予定が合えばだけどさ」

「……仕方ないですね。
律先輩がそこまで言うなら、付き合ってあげます。
やりましょう。律先輩の家で、私達だけの修学旅行を」

「よっしゃ。そうと決まれば早速ムギ達を誘いに行こうぜ。
折角だから、夕食は私が腕に縒りを掛けて用意しよう。
何かリクエストないか?
何でも梓の好きな物を作ってやるぞ」

「じゃあ……、ハンバーグをお願いしていいですか?」

「ハンバーグかよ。別に何でも作ってやるのに。
……って、ひょっとしてハンバーグしか作れないって思われてる……?」

「いえいえ、違いますよ。
前に律先輩の家で食べたハンバーグが美味しかったから、また食べたいんです。
……駄目ですか?」

「そう言われると、私も腕に縒りを掛けざるを得ない。
そうだな、今日はハンバーグにしよう。
美味しいご飯も炊いてやる。
今日は梓のリクエスト通り、愛情込めてハンバーグを作ってやるぞ」

「あ、別に愛情はいいです」

「中野ー!」

私が声を荒げて掴み掛ろうとすると、
梓は上手い具合に私の腕を避けて教室の扉まで駆けて行く。
最近、生意気さに加減の無い後輩だけど、
そんな生意気さをどうにかながら取り戻せて、私は嬉しかった。
教室の扉を開きながら、梓が私の方に振り返る。

「ほら、早く行きましょう、律先輩」

「あいあい」

「それと……」

「どうした?」

「何度も言いましたし、さっき最後だって言いましたけど、でも、もう一度言わせて下さい。
私の先輩でいてくれて、本当にありがとうございます、律先輩」

「おうよ。
……おまえこそ、私の後輩でいてくれて、ありがとな」




二年一組の教室を出た瞬間、
笑顔の私達を見つけたムギが、泣き出しそうな梓の胸に飛び込んだ。
ずっと私達の事を信じて待っていてくれたんだろう。
申し訳なさそうに、でも嬉しそうに梓が謝り、
これまでの事情を説明すると、ムギは怒る事も無くそのまま梓を抱き締めた。
ずっと唯が身近に居たせいか、どうも私達には唯の抱き付き癖がうつってしまってるみたいだ。
抱き付かれ慣れてるみたいで、梓の方もムギに抱き締められるままにしていた。
妙な感じだけど、これが私達のコミュニケーションでもあるんだろう。

ムギがしばらく梓を抱き締めた後、
私の家で私達だけの修学旅行をしないかと伝えると、
「後輩とのそういうイベント、夢だったの」と言って、目に見えてはしゃぎ出した。
ムギにはどれだけ色んな夢があるんだ……。
でも、ムギが積極的になってくれるのは大歓迎だ。
梓だけじゃなく、ムギも喜んでくれるんなら、一石二鳥ってやつじゃないか。
勿論、ムギが楽しんでくれるのは、私だって嬉しい。

そうして盛り上がっていると、
不意に梓が廊下の角から私達を見ている何者かの視線に気付いた。
当然ながら、その何者かは純ちゃんだった。
軽音部の部室で待ってると言っていたけど、
やっぱり梓の様子が気になって教室の近くまで来てたんだろう。
梓が手招きすると、少しだけ恥ずかしそうに梓の傍まで近付いて、
それでも純ちゃんは急に笑顔になって、梓の頭を強めに撫で始めた。
元気そうな梓を見て嬉しかったんだろう。
頭を撫でるのは純ちゃんなりの愛情表現なんだろうけど、
「撫でないでよ、もー!」と梓はほんの少し不機嫌そうな声を上げていた。
私達には結構自由に頭を撫でさせてくれる梓だけど、
流石に同級生に頭を撫でられるのは恥ずかしいらしい。
これまで、私には二人の関係は梓が主導権を取ってる関係に見えてた。
でも、本当は自由に見える純ちゃんの方が、梓をリードしてるのかもしれない。

そのムギの言葉に対しては、私は肯定も否定もしなかった。
ずっと私達を見てたムギが言うんならそうなのかもしれないけど、
簡単にそれを認めてしまうのも何だか恥ずかしかった。
だけど、どちらにしても、
明日には私と澪の関係にとりあえずの結末が訪れるんだろうな、って私は思った。
澪の言葉を信じるなら、明日には学校で私達が顔を合わせる事になる。
そこで私達は何かの話をして、何らかの結論を出すんだろう。
その時を考えると少し恐かったけど、同時に待ち遠しくもあった。
澪に私の想いと答えを伝えたい。
どんな形であっても、澪にはそれを聞いてもらいたい。
その時こそ、私と澪が自分の本当の気持ちを実感できる時だと思うんだ。

私の家での修学旅行については、純ちゃんも笑顔で了承してくれた。
世界の終わりも近いんだし、家族が心配したりしないかと確認すると純ちゃんは苦笑した。
純ちゃんが言うには、家族会議を行った結果、
家族皆が世界の終わりまで自由に過ごす事に決めてるらしい。
人に迷惑を掛けなければ、何処でどう過ごしてくれても構わないそうだ。
大らかな家庭だなあ、と思わなくもないけど、
我が田井中家も似たようなもんなので、人の家庭の事は言えなかった。
まあ、それだけ家族が信頼し合ってるって事だとも思うけどさ。

それから私達は軽音部の部室に向かって、
三人で新曲の練習を始めようとして……、気が付けば純ちゃんがその場から消えていた。
神隠しに遭ったってわけじゃない。
「単に修学旅行の準備に家に戻っただけです」と梓が言っていた。
「そんなの後でいいのに」と私がぼやくと、苦笑しながら梓が続けた。
純ちゃんは私達が最後にライブをする事を憂ちゃんから聞いて知っていたらしい。
どうやら純ちゃんも最後のライブを観に来てくれるらしく、
その楽しみをネタバレで減らしたくないから、って逃げるように帰ったんだそうだ。
こんな時でもマイペースを崩さない。
世界がどう変わっても、純ちゃんは純ちゃんだ。
純ちゃんを見習って、私も私のままでいたい。




――木曜日


布団を並べて話をしていると、純ちゃんは一人で早々に眠ってしまった。
その純ちゃんを起こさないよう小さな声で会話を続けていると、
携帯電話の大きめなアラームの音が私にいつもの時間を伝えた。
私は慌ててアラームを切り、眠ってる純ちゃんの方に視線を向けてみる。
……すげえ。結構大きい音だったのに、微動たりともしていない。
梓から話には聞いてたけど、どんだけ寝付きのいい子なんだ、純ちゃんは……。
まあ、これだけ寝付きがいいなら、少しは大きな音を出しても大丈夫だろう。

祈るような気分で、私はラジカセの電源を入れる。
電波の不調のせいか昨日は聴けなかったけど、今日は復旧してるだろうか?
できる事なら、世界の終わりまであの人の声を聴いていたい。
週末まではお前らと一緒!
あの人はそう言ってくれていた。私はその言葉を信じていたい。
私の祈りが届いたのか、スピーカーからは昨日みたいな雑音は出なかった。
軽快な音楽が流れる。

「胸に残る音楽をお前らに。本当の意味でも、ある意味でも、とにかく名曲をお前らに。
今日もラジオ『DEATH DEVIL』の時間がやって来た。
一日空いちゃったけど、アタシの事ちゃんと憶えてる?
アタシよ、アタシ。
オレオレ詐欺じゃないわよ。アタシよ、クリスティーナ。
一日で忘れちゃってる困ったちゃん達はこの放送中に思い出しといてよ。
オーケー?

しっかし、昨日はまさかラジオどころかテレビ、電話まで電波障害になっちゃうなんてね。
シューマン共鳴だか何だかの異常だそうだけど、こりゃ本格的に終末が現実的になって来たわ。
電波が途絶えるなんて、これまでの人生で経験した事なかったかんね。
日常が少しずつ消え去ってるって実感も湧いてくるわね。
しかも、シューマン何たらってのも、滅多な事では異常が起きるはずがない自然現象らしいのよ。
それに異常が起きてるってんだから、いよいよ世界最後の日も間近ってわけだ。
まあ、それでもそんな異常下でも電波を一日で復旧できたわけだから、
ひょっとしたら終末ってのもそんな大したもんじゃないかもしれないけど。
それとも電波専門の電波職人さんの腕のおかげかしらね?
流石は職人さん。
洗練された腕にいつも頭が下がります。なんてね。
あははっ。

何はともあれ、終末までは今日入れて残り三日。
日曜日には未曾有の大災害ってやつがアタシ達の身に降り掛かるわけよ。
いや、そもそも災害なのかどうか科学者の皆さんもちゃんと分かってないらしいけど、
とにかく人類全体が消えちゃうのだけは間違いない。
そんな終末まで、残りもう三日。
でも、まだ三日。
泣いても笑っても三日間もあるわけだし、
どうせなら終末まで笑って過ごしていこうぜ、お前ら。
世界の制度に反抗して生きるのが、ロックってわけよ。
終末だろうと何だろうと、世界が勝手に決めた規範には違いないじゃん?
アタシ達に都合の悪い制度は、何だって切って捨てる。
それが真のロックスピリッツ。
アタシも付き合うから、最後くらいお前らもロックに生きようぜ。
オーケー?

そういえば勘違いしてるお前らが多いみたいだけど、
ギター掻き鳴らしてドラムのビートを刻む激しい曲がロックってわけじゃないらしいのよ。
アタシも子供の頃は勘違いしてたんだけど、
ロックミュージックの定義って単に歌詞や心根が反骨的かどうかなんだってさ。
曲の激しさとか、ギターのテクニックとかは一切関係無し。
お前らの心の中に反骨心があれば、それだけで全ての歌がロックミュージックだ。
だから、演歌やアニメソング好きなお前らも、反骨心があれば当番組にメールヨロシク!
終末まで、一緒にこの番組盛り上げてこうぜ!
週末まではお前らと一緒!
……って、これじゃ番宣だった。
こりゃ失敬。

ああ、電波障害については心配はないみたいよ。
ウチのディレクターが独自のシステムを構築したらしくて、
今後、公共の電波に障害が起きたとしても、少なくともこの番組だけは終末までお届けできるらしいのよ。
……一体、何者なのよ、あの人は。
単なるヅラじゃないとは思ってたけど、ここまで得体の知れない人だったとは……。
謎が多いディレクターよ、マジで。
残念だけど、終末までにその謎は解けそうもないし……。
まあ、一つくらい謎を抱えたまま終末を迎えるのも悪くないわね。
この謎はアタシもお前らと一緒に墓場まで持ってくから、それで勘弁ヨロシク。
どっちにしても、謎多きディレクターのおかげで放送の心配はしなくてよさそうだし、
その点では感謝感激雨霰。

でも、ディレクターだけじゃなくて、昨日一日、アタシは色んな人に感謝したわ。
アタシの好きなミュージシャン、番組のスタッフ、電波職人さん、
直接スタジオまで来てくれたリスナーのお前ら、電波障害を心配して駆け付けてきたラジな……。
たくさんの人がこの番組のために頑張ってくれた。
たくさんの人にこの番組が支えられてるんだって教えてくれた。
一日かけて、精一杯この番組のために駆け回ってくれた。
アタシにできる仕事はほとんど無くて、足手纏いにしかならなかった。
その分、今日は喋らせてもらおうと思う。
アタシがこの番組のためにできるのは、喋る事だけだからさ。

失くして初めて、それの大切さが分かる……。
よく聞く言葉だし、単に一日空いただけなんだけど、昨日一日でその言葉を強く実感させられたよ。
成り行きで続けてきた番組だけど、アタシはこの番組が大好きなんだなって。
アタシはこの番組が生き甲斐なんだなってさ。
アタシにこの番組続けさせてくれて、お前らサンキュ!
残り短い放送だけど、最期までお付き合いヨロシク!
週末まで……、終末まではお前らと一緒!

さってと、とは言え、湿っぽいのはこの番組には似合わないし主義じゃない。
そろそろ記念すべきリクエストの復帰第一発目といってみましょうかね。
えっと、曲名は……。
お、復帰記念のおかげか、珍しく世界の終わりっぽくないリクエスト……。
って、あれ何? どしたの、ディレクター?
え?
この曲も歌詞はともかく、この曲が流れた番組が世界の終わりっぽい番組なわけ?
おいおい、お前ら……。
とことんこの番組を世界終末記念番組にしたいわけ?
ま、それもいいか。
こんな時でも時事ネタを忘れないその腐れ根性、アタシは嫌いじゃないよ。
折角だから、とことん終末っぽい曲を集めてみるのもいいかもね。
んじゃ、今日の一曲目、長野県のムー・フェンスからのリクエストで、
中川翔子の『フライングヒューマノイド』――」


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最終更新:2011年10月31日 22:42