アットウィキロゴ


会わなかったのは一日だけだったけれど、澪と会うのはすごく久しぶりな感じがした。
たった、一日。だけど、一日。
特に世界の終わりが近くなった一日を澪と離れて過ごすなんて、
思い出してみると気が遠くなるくらい長い時間だった。
片時も澪の事を忘れなかったと言ったら流石に嘘になるけど、
それでも、心の片隅にずっと澪が居たのは確かだし、
誰かと話してる時にもまず最初に考えてしまうのは澪の反応だった。
私がこうしたら澪はどう反応するんだろう。
私がこの言葉を言ったら澪はどんな話をし始めるんだろう。
そんな風に、何をする時でもそこには居ない澪の反応が気になってた。
そうだな。そう考えると、澪が居たのは私の心の片隅じゃない。
澪は私の心の真ん中をずっと占領していたんだ。
だから、一日会わなかっただけで、澪の存在がこんなにも懐かしいんだ。

「よっ、律……」

言いながら、澪はまず自分の席に近付いて行く。
私の「久しぶり」という挨拶については、何も突っ込まなかった。
澪も私と同じように考えているんだろう。
こう考えるのは自信過剰かもしれないけど、
多分、澪も自分が何かをしようとする時には、私の反応を気にしてくれてるはずだ。

去年の初詣だったか、私が電話を掛けると急に澪に怒られた事がある。
「今年は絶対騙されないからな」と、意味も分からず私は澪に怒られた。
澪が言ってるのがそれより更に一年前の初詣の事だと気付いたのは、結構後にムギに指摘されてからだ。
そういえば一昨年の初詣の時、
私は澪に晴れ着を着てくるのか聞いて、澪にだけ晴れ着を着させた事があった。
晴れ着を着るかと私が聞けば、真面目な澪は皆が晴れ着を着るって勘違いすると思ったんだ。
私の狙い通り、澪は一人だけ晴れ着を着て来て、恥ずかしそうにしていた。
からかうつもりがあったのは否定しないけど、
そんな事をした本当の理由は澪の晴れ着が見てみたかったからだ。
勿論、そんな事を口に出す事は、これからも一生ないだろうけど。
例え澪と恋人同士になったとしても、な。

とにかく、去年の初詣の時、澪はそういう理由で私を怒ったみたいだった。
そんな事気にせずに好きな服を着ればいいのに、澪はどうしても私の反応が気になるらしい。
「澪ちゃんはいつもりっちゃんの事を気にしてるんだよ」って、
去年の初詣前の事情を話した時にムギが妙に嬉しそうに言っていた。
何もそこまで、とその時は思わなくもなかったけど、
今になって考えてみると、私も人の事を言えた義理じゃない。
小さな事から大きな事まで、私の行動指針の中央には確かに澪が居る。
和と澪が仲良くしてるのが何となく悔しくて、
澪に嫌われたかもって考えた時には、恥ずかしながら体調を崩しちゃったくらいだしな。
いや、本当に今思い出すと恥ずかしいけどさ。

どんな時でも、そんな感じで私達はお互いの事を意識し合ってる。
それくらい私達はお互いの存在をいつも感じてる。
いつからこうなったんだろう……。
嫌なわけじゃないけど、何となくそう思う。
最初は特別仲良しだったわけじゃない。
元々は正反対な性格だったし、澪の方も最初は私を苦手に思ってた感じだった。
それなのに少しずつ二人の距離は近付いていって、
一日会わなかっただけでお互いの存在が懐かしくなるくらい身近になった。
禁忌ってほどじゃないけど、女同士で恋愛関係にさえなりそうになるくらいに。
そんな中で私に出せた答えは……。

「梓の悩み、分かったんだな……」

自分の席に荷物を置きながら、小さく澪が呟いた。
その言葉からはまだ澪の真意や心の動きは掴めない。

「まあな。梓、おまえにも謝りたがってたよ。
後で会いに行ってやれよ」

「ああ……。
でも、まさかキーホルダーを失くした事で、
梓があんなに悩んでくれてたなんて思いもしなかったよ。
そんな小さな事であんなに……」

「小さな事に見えても、梓の中ではすごく大きな事だったんだ。
それに、人の事は言えないだろ?
私達も……さ」

「小さな悩み……か。
うん……、そうかも、しれない。
生きるか死ぬかって状況の時なのにさ、私は何を悩んでるんだろうな……」

少しだけ、澪が辛そうな表情をする。
ちっぽけな悩みやちっぽけな自分を実感してしまったのかもしれない。
死を目前にすると、悩みなんて何処までも小さい物でしかない。
勿論、私自身も含めて、だ。
私も『終末宣言』後、小さな事で心を痛め、死の恐怖に怯え、
声にならない叫びを上げそうになりながら、無力な自分に気付く。
その繰り返しを何度も続けるだけだった。
世界の終わりを間近にした人間がやる事なんて、何もかもがちっぽけなんだろう。
これから私がやろうとしている最後のライブだって……。

私は自分の席から立ち上がって、まだ立ったままの澪に近付いていく。
澪は動かず、近付く私をただ見つめている。
澪の前の……、いちごの席くらいにまで近付いてから、私はまた口を開いた。

「小さな悩みだよ、私達の悩みも。
すっげーちっぽけな悩みだ。
世界の終わりが近いのに、私達二人の関係なんかを悩んでる。
小さいよな、私達は……」

私の言葉に澪は何も返さない。
視線を落とし、唇を噛み締めている。
無力で弱い自分を身に染みて感じてるみたいに見える。
昔から、澪は弱い子だった。
恥ずかしがり屋で、臆病で、弱々しくて、
私より背が高くなった今でも何処までも女の子で……。
そんな風に、弱くて、儚い。
私の、
幼馴染み。

私はそんな弱くて儚い澪を、何も言わず見据える。
ちっぽけな私達を、もうすぐ終わる残酷な世界の空気が包む。
心が折れそうになるくらい、辛い沈黙。
言葉を失う私達……。

だけど。
不意に視線を落としていた澪が、顔を上げた。
強い視線で、私を見つめた。
辛そうにしながらも、言葉を紡ぎ出してくれた。

「でも……、でもさ……、律……。
小さい悩みだけど、その悩みは私にはすごく大きい悩みなんだ……。
終末の前だけど……、そんな事関係なくて、
ううん、終末なんかより私には大きい悩みでさ……。
馬鹿みたいだけど、それが私が私なんだって事で……。
上手く言えないけど……、上手く言えないんだけど……」

言葉がまとまってない。
言ってる事が無茶苦茶だ。
多分、澪自身も自分が何を言いたいのか分かってないんだろう。
でも、馬鹿みたいだと思いながらも、澪は自分の悩みを大きい物だと言った。
それくらい大きな……、大切な悩みなんだって、自分の口から言葉にして出してくれたんだ。

「そうだよな……。馬鹿みたいだよな……」

私は囁くみたいに言った。
でも、それは辛いからじゃなくて、全てを諦めてるからでもない。
上手くなくても、自分の想いを澪が口にしてくれたのが嬉しかったからだ。
私は沈黙を破り、澪に伝えたかった言葉をまっすぐにぶつける。

「馬鹿みたいだし、何もかも小さい悩みなんだって事は分かってる。
私なんて物凄くちっぽけな存在で、
多分、居ても居なくてもこの世界には何の関係も無いんだろうな、とも思うよ。
私はそれくらい小さくて、そんな小さい私の悩みなんてどれくらい小さいんだって話だよな。
でもさ……、やっぱりそれが私でさ。
小さくて、世界の終わりの前に何もできなくても、私は生きてるんだ。
誰にとっても小さくても、私だけは私の悩みを小さい悩みなんて思いたくない。
大きくて大切な悩みなんだって思って、抱え続けたいんだ。
勿論、澪の悩みもな」

澪は何も言わなかった。
これまでみたいに、言葉を失ってるわけじゃない。
多分、私の真意が分かって、少し呆れてもいるんだろう。
しばらくして、澪はいつも見せる苦笑を浮かべながら呟いた。

「……試したのか、律?」

「別に試したわけじゃないぞ。
澪の気持ちを澪の口から聞きたかったんだ。
澪ってば、自分の気持ちを中々口にして出さないからさ。
その辺の本当の気持ちを聞いときたかった。
ごめんなー、澪ちゅわん」

「何だよ、その口調は……。
私は律が思うほど、自分の気持ちを隠してるわけじゃないんだぞ。
律は昨日、私が律の事を思って、
ずっと泣いてたって思ってるかもしれないけど、お生憎様、そんな事は無いぞ。
そりゃ律の事は考えてはいたけどさ、でも、それだけじゃないぞ。
ちゃんと新曲の歌詞を考えたりもしてたんだ。
おかげで律が感動して泣き出しちゃうくらいいい歌詞が書けたんだからな。
後で見せてやるから、覚悟しとけよな」

多少の強がりはあるんだろうけど、澪のその言葉は力強くて心強かった。
昔から、澪は弱い子だった。
でも、それは昔の話だ。
今もそんなに強い方じゃないけど、弱さばかり目立ってた昔とは全然違う。
澪は強くなったと思う。高校生になってからは特にだ。
それは私のおかげ、と言いたいところだけど、私のおかげだけじゃないだろうな。
唯やムギ、和や梓……、
色んな仲間達との出会いのおかげで、澪は私が驚くくらい強くなった。
そうでなきゃ、私と恋人同士になりたいなんて言い出さなかっただろうしな……。
昔の澪なら、仮にそう思ったとしても、
言い出せずにずっと胸にしまい込んでるだけだっただろう。
強くなったんだな、本当に……。
私はそれが少し寂しいけれど、素直に嬉しくもある。

「私の事を一日中考えてたわけじゃなかったのは残念だが、その意気やよし。
それにさ、小さな悩みだって分かってても、
それが世界の終わりより大きな悩みだって言えるなんてロックだぜ、澪。
世界に対するいい反骨心だ。
それでこそ我等がロックバンド、放課後ティータイムの一員と言えよう。
褒めてつかわすぞよ」

「……なあ、律。
今更、こんな事を聞くのは、おかしいかもしれないんだけど……」

「どした?」

「放課後ティータイムってロックバンドだったのか?」

本当に今更だな!
と突っ込もうとしたけど、私の中のもう一人の私が妙に冷静に分析していた。
実を言うと、前々からそう考えてなくもなかったんだ……。
軽音部で私がやりたいのはロックバンドだったし、
甘々でメルヘンながらも放課後ティータイムは一応はロックバンドだと思おうとしてた。
しかし、よくよく考えてみると、やっぱりロックバンドじゃない気がどんどん湧いて来る。
そういえば、今日の放送で紀美さんが言っていた。
ロックってのは、曲の激しさじゃなくて、歌詞や心根が反骨的かどうかなんだって。

……やっべー。
放課後ティータイムの曲の中で、反骨的な歌詞の曲が一曲も無い気がする……。
いや、そんな事は無いはずだ。
いくらなんでも、一曲くらいはあってもいいはず。
えっと……、ふでペンだろ?
それとふわふわ、カレー、ホッチキス……。
ハニースイート、冬の日、五月雨にいちごパフェにぴゅあぴゅあ……。
あとはときめきシュガーとごはんはおかず、U&Iなわけだが……。

あー……。
見事なまでに反骨的な歌詞が無いな……。
作詞の大体を澪に任せたせいってわけじゃない。
ムギの作曲と唯の歌詞のせいでもある。
考えてみれば、放課後ティータイムの中で辛うじてロックっぽいのが私と梓しか居ない。
しかも、その二人が揃いも揃って、作詞も作曲もしてないわけだから、
そりゃ何処をどうやってもロックっぽい歌詞が出てくるわけが無いよな……。
そう考えると放課後ティータイムは、
ガールズバンドではあってもロックバンドとはとても言えんな……。

私は溜息を吐いて、澪の肩を軽く叩いた。
頬を歪めながら、苦手なウインクを澪にしてみせる。

「何を言ってるんだ、澪?
放課後ティータイムはロックバンドだぜ?」

「えっ……、でも……。
ほら、歌詞とか……さ。
私、ロックをイメージして作詞してないし、唯だって……」

「いや、ロックバンドなんだよ。
ロックバンドでありながら、反骨的な歌詞が無いというのが反骨的なんだ。
ロックに対するロック精神を持つロックバンド。
それが放課後ティータイムなのだよ、澪ちゃん……!」

「何、その屁理屈……」

澪が呆れ顔で呟く。
私だって、放課後ティータイムがロックバンドじゃないという事実は分かっている。
分かってはいるが、分かるわけにはいかん。

「まあ、律がそれでいいなら、それでいいけど……」

「そう。私はそれでいい。
……って事にしといてくれれば、助かる」

「それより、律?
私の方の昨日の話はしたけど、そっちは昨日はどうだったんだ?
どんな風に……、過ごしてたの?」

「気になるか?」

私が訊ねると、うん、と小さく澪が頷く。
私だって、澪が昨日過ごしたのか気になってたんだから、澪の言葉ももっともだった。
一日会わなかっただけだけど、その一日が気になって仕方ないんだよな、私達は。
ずっと傍に居た二人だから……。
私は澪の肩から手を放して、腕の前で手を組んで続けた。

「澪と別れてから、色々あったよ。
聡と二人乗りしたり、憂ちゃんと話したり、
ムギと二人でセッションしたり、梓と梓の悩みについて話したり……さ。
それに純ちゃんとムギと梓と私で、パジャマフェスティバルをしたりしたな」

「パジャマフェスティバル……?」

「いや、それはこっちの話。
まあ、とにかく色々あったよ。本当に目まぐるしいくらい、色々な事があった。
その分、ムギや梓……、純ちゃんともずっと仲良くなれたと思うけどさ」

「ムギと梓はともかく、律が鈴木さんと過ごしてたなんて意外だな……」

「私だって意外だったけど、話してみると楽しい子だったよ。
梓の親友だってのも分かるくらい、いい子だったし。
澪も苦手意識持ってないで、純ちゃんと仲良くしてあげてくれよ。
金曜日にジャズ研のライブがあるみたいだから、観に行ってあげようぜ。
純ちゃん、きっと喜ぶと思うよ」

「鈴木さんか……。
律がそう言うなら、もうちょっと話してみるのもいいかもな……」

「まあ、苦手なのも分かるけどな。
澪に憧れてるのは分かるんだけど、えらく距離感が近いもんなあ。
でも、いい子だよ。
それに話してみると、純ちゃんも現実の澪の姿に幻滅して、
少しはちょうどいい距離に落ち着くかもしれないしな」

「どういう意味だよ、律……」

「言葉通りの意味だが?」

言ってから澪の拳骨に備えてみたけど、意外にも澪の拳骨は飛んで来なかった。
その代わり、少しだけ寂しそうに、澪は呟いた。

「そっか……。
律は昨日、元気だったんだな……」

私が居なくても……。
とは言わなかったけど、多分、澪はそういう意味で呟いていた。
私が私の居ない所で楽しそうにしてる澪を見るのが辛かったみたいに、
澪も澪の居ない所で私が元気に過ごしているという現実が辛かったんだろう。
何処までお互いの事を気にしてるんだろうな、私達は……。
それは依存なのかもしれなかったけど、
多分、私達はその依存のおかげで、まだ正気を失わずに世界の終わりに向き合えてる。
私は軽く微笑んでから、澪の耳元で囁く。

「うん……、元気だった。
澪が居なくても元気だったけど……、でも、物足りなかったよ。
片時も澪の事を忘れなかったって言うと嘘になるけど、
でも、楽しいと思う度に、澪が傍に居たらな、って思った。
一緒に楽しい事をしたかったよ。
梓の悩みの件でも、澪なら私の言葉をどう思うか考えながら梓と話してた。
ずっと、澪の事が気になってた。
考えてたよ。澪の言葉をさ。
私は澪とどうなりたいのかってさ」

澪はじっと私の言葉を聞いていた。
澪が次の私の言葉を待っている。
私の答えを待っているのを感じる。
もうすぐにでも、私が澪の想いに対する答えを言葉にするのを、澪は多分予感している。
私も澪に向けて、私の答えを伝えようと激しく響く心臓を抑えて口を開く。

思い出す。
澪に恋人同士になりたいって言われた時の喜びを。
きっと澪なら、私には勿体無いくらいの恋人になってくれる。
また、思い出す。
私を抱き締めた澪の柔らかさと、私が重ねようとした澪の唇を。
澪と恋人同士として、そういう関係で世界の終わりを迎えるのも悪くないって思えたのを。
澪と恋人になるのは、私達に安心と喜びを与えてくれると思う。
だから、澪と恋人同士になるのは、きっと悪くないんだ。

私は言葉を出す。
澪と私の関係をどうしたいかを、震えながらもまっすぐに伝えるために。
私の本当の気持ちを澪に伝えるために。

「私はすごく考えた。考えてた。それで、答えが出たんだ。
これから伝えるのが私の答えだよ、澪。

なあ、澪……。
私はさ……、
私はおまえと……、
恋人に……、
恋人同士には……なれないよ」


31
最終更新:2011年10月31日 22:48