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「おーっ……」

唯は興奮した声を上げながら適当な眼鏡ケースを手に持つと、
即座にケースの中から眼鏡を取り出して、赤いアンダーリムの眼鏡を装着した。
装着した……って言い方も変だけど、
唯の眼鏡の掛け方は、掛けたって言うより、装着したって言い方の方が絶対に正しいと思う。
蔓も持たず掌を広げてレンズごと掌を顔に密着させるとか、装着以外の何物でもないだろ……。
と言うか、その掛け方だと絶対にレンズが指紋で汚れるし……。

「何だよ、その掛け方は……」

若干呆れながら突っ込んでやると、
流石に自分でも変な掛け方だって事は分かってみたいで、唯が軽く舌を出して笑った。

「でへへ。皆でお揃いで眼鏡を掛けられると思うと嬉しくってつい……」

「ま、いいけどな。それさわちゃんの眼鏡だしさ」

「ちょっと、唯ちゃん、りっちゃん。
その眼鏡、まだ新品同然なんだから、あんまり粗末に扱わないでよー」

疲れた様子のさわちゃんが、弁当を食べながら軽く唯に注意する。
服を少し着崩してるし、私が言うのも何だけど、
あぐらを組んでだらけてるそのさわちゃんの姿は非常にだらしない。
それに加えて、担任モードの口調から言葉が崩れて来てる。
まあ、和と高橋さんに自分の本性が知られてるのは分かってるみたいだし、
残る宮本さん一人相手に猫を被ってても仕方が無いって思ったんだろう。
疲れたから、猫を被ってる余裕が無いってのもあるんだろうしな。

ちょっと視線をやると、宮本さんが驚いた表情でさわちゃんを見つめていた。
私は苦笑しながら立ち上がり、宮本さんに近寄って耳元で訊ねてみる。

「驚いた?」

私の方を向いて、宮本さんが小さく頷く。
実を言うと、うちのクラスの大体はさわちゃんの本性を何となくは知っているみたいだ。
上手く演じてはいるけど、意外と粗があるもんなあ、さわちゃんの猫被り。
ただ、知ってはいても、
さわちゃんの本性を直接目にした事があるクラスメイトは少ないようで、
宮本さんもさわちゃんの素の姿を目にするのは初めてみたいだった。
特に宮本さんは気弱な印象があるから、
初めて見るさわちゃんの本性に怯えたりしてるんじゃないだろうか。
宮本さんのためにも、さわちゃんの名誉のためにも、私は少しだけフォローする事にした。

「大丈夫だよ、宮本さん。
今のさわちゃんの姿は、その……色々と変ではあるけど……、
でも、生徒思いである事は間違いない……はずだし、
宮本さんに気を許してるからこそ、あんな姿を見せてるんだと思うよ?」

私の言葉に安心してくれたのか、宮本さんは軽く表情を緩める。
何だか少しだけ笑ってるようにも見える。
ちょっと分かりづらいけど、これが宮本さんの笑顔なのかもしれない。
その表情のまま、宮本さんはさわちゃんの姿を見ながら呟いた。

「ありがとう、田井中さん。
うん……、私……、大丈夫だよ?
山中先生のこんな姿を見るのは初めてだし、ちょっと驚いちゃったけど……。
でも……、何だかすごく面白いと思うから」

おお、意外とタフだ。
強がりかとも少し思ったけど、
宮本さんの表情から考えると、その言葉は本音なんだろうな。
宮本さんの言葉じゃないけど、その宮本さんの様子は私としても面白かった。
本好きで気が弱そうなクラスメイトってだけの印象だったけど、実はそういうわけでもなかったらしい。
クラスメイトの意外な一面を見られて、気が付けば私は笑っていた。
何だか、とても嬉しい。
もうほとんど宮本さんと関われる時間は無いだろうけど、
その短い時間でもっと宮本さんと仲良くなれたらいいな、って私は思った。

「ねえねえ、アキヨちゃん」

眼鏡を強調するポーズを取りながら、
唯が軽く宮本さんの顔を覗き込んで声を掛ける。
宮本さんとそんなに関わりがあるわけじゃないだろうに、
いきなり名前で呼んでる上に途轍もなく馴れ馴れしい奴だ。
でも、それが唯って奴なんだし、私はそんな唯が嫌いじゃない。
いいや、大好き……なのかな。多分だけど。
宮本さんもそんな唯が嫌じゃないらしく、穏やかな表情で首を傾げた。

「どうしたの、平沢さん?」

「唯でいいよ、アキヨちゃん。
私ももうアキヨちゃんの事、アキヨちゃんって呼んでるし」

「えっと……、あの……」

唯はともかく、宮本さんは人をいきなり名前で呼ぶ事には慣れてないんだろう。
戸惑ってる様子で、宮本さんが少し顔を赤く染める。
ちょっと残念だけど、私は苦笑しながら唯を諌める。

「おいおい、遠慮しろよ、唯。
宮本さん困ってるだろ?」

「えー……。
私、変な事言ってるかなあ……」

「変じゃないけど、そういう呼び方になるには時間が掛かる人も居るんだって。
ごめんね、宮本さん。
唯も悪気があって言ってるわけじゃないんだよ」

私が軽く頭を下げると、困ったように宮本さんが首を振った。
ただ、困ってるのは唯の遠慮の無い行動じゃなくて、私が頭を下げた事らしかった。

「ううん、ごめんね、二人とも……。
田井中さんも頭なんて下げないで。
ごめんなさい。
私、そういうの慣れてなくって……。
でも……、ねえ、平沢さん……、
ううん、唯ちゃんって呼んでいいんなら、私……、唯ちゃんって呼んでいいかな?」

「うん、勿論だよ、アキヨちゃん!
アキヨちゃんが唯って呼んでくれて、私すっごく嬉しいな!」

「ありがとう、唯ちゃん……」

宮本さんが言うと唯が満面の笑顔を浮かべ、
それに釣られるようにして、ぎこちないながら宮本さんも嬉しそうに頬を緩めた。
これまでクラスメイトって接点しかなかったのに、一瞬にしてもう仲の良い友達って感じだ。
まったく……。
唯は本当に誰とでもすぐに仲良くなれるんだな……。
ライブハウスに出た時も、ナマハ・ゲやデスバンバンジーの皆とすぐ仲良くなってたしな。
考えながら、不意に気付く。
そういえば、唯は私と最短記録で親友になれた奴じゃないだろうか。
出会った時期こそ違うけど、澪よりも遥かに短い時間で、唯は私と親友になっていた。
天真爛漫で、楽しくて面白くて、誰にでも優しい唯。
皆、そんな唯の笑顔に助けられてるんだろう。
勿論、私も含めて。

ただ、それだけにうちが女子高でよかったって思わなくもない。
これが共学だったら、多分、唯の奴、男子を勘違いさせまくりだぞ。
うちが共学だったとしても澪のファンクラブは設立されるかもしれないけど、
高嶺の花みたいな雰囲気になっちゃって、澪に声を掛ける男子はほとんどいないだろう。
その点、唯は親しみやすくて誰にでも優しいから、そりゃもうとんでもない事になるな。
しかも、唯の事だから、告白して来た男子全員と付き合ったりなんかして……。
恐るべし、唯。
流石にそれは無いと思いたいが、唯の場合は洒落にならんな……。

「そうそう、アキヨちゃん」

私の心配なんて想像もしてないんだろう無邪気な笑顔で、唯が続ける。

「私だけじゃなくて、りっちゃんの事もりっちゃんでいいよ。
りっちゃんもアキヨちゃんの事、名前で呼ぶから」

「おいおい……。
私の意思を無視して話を進めるなよ……」

「駄目なの、りっちゃん?
ねえ、知ってる?
名前で呼ぶとね、すぐに皆と仲良くなれるんだよ?」

それが簡単にできるのはおまえだけだよ。
そう言いたくもあったけど、私はそれを言葉にするのをやめた。
きっとそれは唯に伝えなくてもいい事だから。
唯はそのまま自分を特別と思わずに、ありのままの唯でいてほしい。
苦笑して、宮本さんと視線を合わせる。
宮本さんは照れながら、少し嬉しそうにしながら、小さく言った。

「……じゃあ、りっちゃん……って呼ぶね?
いいかな……?」

「了解だ。これからもよろしくな、アキヨ」

そうして、私と宮本さん……アキヨは軽く握手を交わした。
残り少ない時間でも、人間関係は変えていける。
当たり前の事だけど、唯は無意識にそれを私達に教えてくれたみたいだった。

「そういえば、唯ちゃん……?」

宮本さんが遠慮がちに訊ねる。
名前で呼び合う仲になったと言っても、距離が完全に縮まったわけじゃない。
でも、だからこそ、これからも縮めていきたくなるんだよな。

「何、アキヨちゃん?」

「さっき私に話し掛けて来てくれたけど……、どうかしたの?
私に何か訊きたい事があったの?」

アキヨに言われ、何かを思い出したって表情で唯は自分の手を叩いた。
それから、さっきと同じように、眼鏡を強調したポーズを取る。

「そうそう。そうなんだよ、アキヨちゃん。
眼鏡のスペシャリストのアキヨちゃんに、私に眼鏡が似合ってるか訊きたかったんだ。
どうかな? 頭がよく見える?」

眼鏡のスペシャリストって何だよ……。
それを私が突っ込むより先に、アキヨが軽く微笑みながら言う。

「うん。よく似合ってると思うよ」

何のお世辞も無いまっすぐな口調だった。
アキヨの言うとおり、確かによく似合ってる。
頭がよく見えるかどうかはさておき、ファッションとしては完璧だ。

「そうだよ、お姉ちゃん!
眼鏡を掛けたお姉ちゃんも、すっごく素敵だよ!」

アキヨの言葉に力強く続いたのは、勿論憂ちゃんだ。
何だか頬を赤く染めてる様にも見える。
滅多に見ない姉の眼鏡姿を新鮮に思ってるんだろうな。
唯のくせに目立っちゃって、ちょっと悔しい。

「ありがと、憂。
憂も眼鏡、すっごく似合ってるよ」

唯が言い、眼鏡を掛けた姉妹が顔を合わせて笑う。
気が付けば、いつの間にか私以外の皆も眼鏡を掛けていた。
その横で、さわちゃんが皆の眼鏡姿を嬉しそうに見つめている。
……さわちゃんは置いといて。
出遅れた形になってしまった私も、袋の中から眼鏡ケースを取り出した。
一人だけ掛けてないのは、空気的にも悪いしな。
そのまま眼鏡を掛けようとして……、私の手が止まる。

何故だろう。
すごく嫌な予感がする。
こういう時って、大体が最後に掛けた奴がオチ担当になったりしないか?
皆が似合うってお互いを褒め合ってる中、
最後に勿体ぶったナルシスト的なキャラが登場した瞬間、
皆に「似合わねー!」と笑われたりするそんなシーン……。
漫画でよく使われる黄金パターンじゃないかよ……。

掛けたくねー……。
眼鏡を掛ける事自体はいいんだけど、からかわれたくねー……。

でも、この空気の中で、一人だけ眼鏡を掛けないわけにもいかなかった。
何となく視線を戻すと、唯と憂ちゃん、
アキヨが悪意の無い表情で私が眼鏡を掛けるのを待っていた。
この三人の事だ。本当に悪気無く、私が眼鏡を掛けるのを待ってるんだろう。
仕方が無い。
私の心は決まった。
笑いたければ笑えばいい。
皆の笑顔のために、この田井中律、あえてピエロになってやろうじゃないか。

蔓を手に持ち、鼻先に眼鏡を乗せる。
立ち上がって、「どうよ」と言わんばかりに親指で自分の顔を指してやる。
さあ、御照覧あれ。
これがりっちゃんの眼鏡姿だ!

すぐに音楽室が笑い声で包まれるかと思ってたけど、そうはならなかった。
しばらく音楽室を沈黙が支配する。
突然立ち上がった私を、黙り込んだ皆が静かに見守っていた。
くっ……、何だよ……。
放置プレイって手法かよ……。
そんなに私の眼鏡姿を笑いたいのかよ……。
分かってるよ、似合わないのは分かってんだよ……。
もう耐えられない。
私は愚痴る様に皆から視線を逸らしながら呟く。

「いいよ。笑いたきゃ笑ってくれ。
自分でも分かってるよ。
私に眼鏡なんておかしーし……」

情けない。自分で言ってて情けない……。
でも、容姿に関してだけは、私だって自信が無いんだよ……。
だけど、その私の情けない愚痴には、意外な所から意外な返答があった。

「いや、似合ってるよ、律……」

言ったのは澪だった。
澪の事だ。私を慰めるために気休めの言葉を言ってくれたんだろう。
まったく、優しい幼馴染みだよ。

「やめてくれよ、澪……。
こんなのおかしーって自分でも分かってんだからさ……」

「いやいや、普通に似合ってるんだよ、律」

驚いて私が皆に視線をやると、誰もが真顔のままで頷いていた。
笑いを堪えてるわけじゃなく、気休めの表情をしてるわけじゃなく、
ただ感心した様子で私の顔を見ていた。

「意外よね。律にこんなに眼鏡が似合うなんて」

「真面目な委員長に見えるよ、りっちゃん」

「うんうん、漫画に出てくるおでこ委員長って感じだよ」

「あ、確かにそうですね、唯先輩。
何処かで見た事がある気がしてたんですけど、
言われてみれば確かによく見る委員長キャラです」

「りっちゃんには眼鏡が似合いそうだと思ってた私の目に狂いは無かったわね」

「自信持ってください、律さん」

皆が口々に私を褒めて(?)くれる。
……意外に好評だったとは。
よく見る委員長キャラって評判は喜んでいいのかどうか分からないけど、
からかわれて笑われたりするよりはよっぽどマシだった。
でも、そうなると、愚痴ってた自分の事が途端に恥ずかしくなってくる。
勝手に被害妄想抱いちゃって本当に恥ずかしいし、皆に申し訳ない。
私は素直に皆に頭を下げる。

「ごめん、皆。
眼鏡掛ける事なんて滅多に無いから、
皆にからかわれるんじゃないかって思っちゃってさ……。
変な事言い出しちゃってごめんな……」

「律先輩ってば、変な所で繊細ですよね。
自信を持って下さいよ。
意外とですけど、似合ってるんですから」

「意外と、ってのは余計だけど、ありがとな、梓。
梓も眼鏡似合って……」

言い掛けて、思わず言葉が止まる。
何だろう。この何とも言えない違和感は。
梓の言葉に嘘は無いし、皆の言葉や態度にも嘘は無い。
でも、皆、私じゃなくて、違う誰かに対して違和感を抱いてる雰囲気がある。
勿論、私も皆と同じ深い違和感を抱いてる。
その違和感の正体はすぐに分かった。
分かった……んだけど、それを言葉にするのは躊躇った。

だって、その違和感の正体は私を気遣ってくれた梓本人だったんだから。
正確に言えば、眼鏡を掛けた梓の姿が違和感に満ちていたんだ。
梓に眼鏡は似合ってる。
小さな後輩の眼鏡姿は本当に可愛らしい。
のだが。
黒髪のツインテールと眼鏡という組み合わせが違和感バリバリだった。
何て言えばいいんだろう。
言葉は悪いけど、すげーインチキ臭いんだよな……。
前にテレビでメイド喫茶を見た事があるんだけど、
そのメイド喫茶の中に眼鏡でツインテールのメイドを見つけた時にもそう感じた。
可愛い要素を無理矢理二つ組み合わせた違和感って言うのかな。
可愛い事は間違いないのに、とにかくすごく無理矢理でインチキっぽいんだ。
特に襟足ならともかく、梓の場合、
頭の上の方で結んでるツインテールだから、インチキ臭さは更に倍を超える。

「どうしたんですか、律先輩?」

急に言葉を止めた私を不審に思ったのか、梓が首を傾げながら訊ねてくる。
その様子を見る限り、梓は自分のインチキ臭さに気付いてないんだろう。
ど……、どうしよう……。


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最終更新:2011年11月01日 00:04