「一つ聞いておきたいんだけど、
律がそんな一人ぼっちになっちゃうって想像をし始めたのって、
勿論、『終末宣言』より後だよな?」
「そりゃまあ……、そうだけど……」
「私は違うんだよ、律」
「違う……って?」
「律は『終末宣言』をきっかけに、
私が居なくなるのを恐がるようになってくれたみたいだけど、
私の方は『終末宣言』なんか関係なく、
そんなのよりずっと前から、律が居なくなるのが恐かったんだよ?」
すぐには何も言えなかった。
澪が何を言おうとしてるのか、まだ分からない。
今の私には、ただ澪の言葉を聞く事しかできない。
澪が多分戸惑った表情をしてるはずの私に顔を向けて、口を開ける。
その時の澪の表情は、意外にも普段の優しい笑顔だった。
「私はね?
中学生……、ううん、多分小学生の頃から、
律が私の傍から離れていくのが恐かったんだ。
私って内気な方だし、律は活発で友達も多いからさ……。
それこそ律がいつ私の傍から消えてもおかしくないって思ってたよ。
高校に入ってからもその考えは消えなかったな。
律は唯と波長がすごい合ってるみたいだし、
私なしで唯と行動する事も増えてきて……、
私の前からいつ律が居なくなるのか不安で仕方なかったんだよ」
「私は……、澪から離れようなんて思った事なんて、一度も無かったんだぜ……」
澪の言葉に、私はどうにかそれだけ口にする。
澪が私の事をそんな風に考えてたなんて知らなかった。
嫌われてはいないはずだとは思ってたけど、
そんなに不安に思われるほどに私が大きな存在だったなんて……。
澪がまた軽く笑う。照れ笑い……になるのかな。
少し重そうな会話の内容とは違って、そんな表情で澪が話を続けた。
「分かってるよ、律。
いや、ようやく分かった……のかな?
こんな突然に終末が来る事になったせいでもあるけど、
まさか私が律と世界の終わりまで一緒に居る事になるなんて、思ってなかった。
最期まで律が一緒に居てくれるなんて、何だか夢みたいだよ。
馬鹿みたいだけど、こんな時期になって、私にはそれがようやく実感できたんだ。
律はずっと私の傍に居てくれるんだって。
こう言うのもおかしいけど、私はそれがすごく嬉しいんだよ。
律が傍に居てくれるなんて、それも友達以上の関係で傍に居てくれるなんてさ」
私は澪から握っていた手を放す。
瞬間、澪が少し不安そうな顔をしたけど、
すぐ後に私は自分の手を澪の頭の上に乗せた。
ニヤリと微笑んで、おどけて言ってみせる。
「まったく……。
重い女だな、澪は……。
何だっけ? そういうの何て言うんだっけ? ヤンデレだっけ?
ちょっとそんな感じだぞ、澪」
「私はヤンキーじゃないぞ」
「ヤンキーデレの略じゃねえよ!」
「分かってるよ、律。
でも、そっ……かな……。私……、重い女かな……」
「ああ、最近ムギのお菓子を食べ過ぎなんじゃないか?
二の腕や太腿なんかぷにぷにしてる感じに見えるぞ」
「体重の話っ?」
「いやいや、嘘だって。さっきの冗談のお返しだ。
それにさ、私は別に澪が重い女でも全然構わないぞ?
それくらい背負ってやるし、澪の気持ちを重いなんて考えるわけないだろ?
今更だけど、私だって澪と同じ気持ちなんだ。
澪と離れたくないし、ずっと傍に居たい。
例え残り少ない時間でも、お前の傍に居られたらいいなって思うんだ。
そうそう。日曜日は澪んちでゴロゴロするんだから、準備よろしくな」
「え? そんな予定あったっけ?」
「いや、今決めた!」
「自慢げに言うな!」
言いながら澪が私の頭を叩く。
叩かれた頭を擦りながら私が笑うと、澪も優しい笑顔を浮かべて続けた。
「まあ……、仕方ないな。
じゃあ、予定も他にないし、明日は私の部屋でゆっくりしようか、律。
そうだな……。お茶でも飲みながら、ライブの反省会とかをするぞ」
「反省会かよー……」
「今日のライブが大成功だったら、反省会は短めにするよ。
だから、頑張ろうよ、律。今日のライブを。
何処までやれるかは分からないけど、最高のライブを目指そう?
絶対、歴史に残すライブにしたいしさ」
「当たり前田のクラッカーよ!」
「古いな!
でも、それにさ、律……。
一人ぼっちになる心配の先輩の私から言わせてもらうけど、律は大丈夫だよ。
終末までは私が傍に居る。終末から先は保証できないけど、終末までは絶対傍に居る。
嫌だって言っても傍に居るから。絶対絶対、傍に居るから!」
「……私もだ、澪。
一生、まとわりついてやるから覚悟しろよ!
離れてやらないんだからな!」
澪の肩に手を回して、私の方に引き寄せる。
離れるもんか。
澪の肩を抱きながら、頭の中で何度も呟く。
離れるもんか。絶対、離れてやるもんか。
世界の終わりにだって、私達の想いを壊させたりなんかしない。
○
二人で肩を並べ、頭を寄せ合って、もう離れない事を決心した後。
私はゴスロリから自前の制服に着替え、澪と静かに昼食を食べた。
世界の終わりの前日でもまだ開いてるスーパーで、澪が厳選したごはんは美味しかった。
これで多分、私達が昼食を食べるのは明日の残り一回。
そう思うと、スーパーの惣菜でも、食べ終わるのが何だか名残惜しい。
苦手なおかずもあったけど、残らず綺麗に平らげてから、
澪の買って来てくれた歯ブラシや洗面具で身だしなみを整えていく。
邪魔にならないよう頭の上の方で結んでた髪を解き、
少しはねた髪を自前の櫛で梳かそうとすると、澪が私の椅子を用意して手招いた。
準備をしてくれたのに、遠慮をするのも失礼だ。
私は椅子に座り、櫛を澪に手渡した。
「んじゃ、頼むよ、澪」
「……うん」
頷いて、澪が私の髪に櫛を通していく。
小さい頃は結構やってもらってた事だけど、
そういえば高校生になってから、澪に私の髪を梳かしてもらった事はほとんど無かったな。
逆に澪の髪を結ばせてもらって、色んな髪型にして遊んでた事は何度もあったが。
それを私が口にすると、澪が私の頭を掴んでから溜息交じりに言った。
「高校生にもなって、お互いの髪を梳かし合うなんて変じゃないか。
それに……、えっと……」
「何だよ?」
「律に枝毛とか見つけられたくなかったし……。
律に髪を弄られてる時、本当は冷や冷やしてたんだぞ。
律に私の枝毛を見つけられたらどうしようって……」
それだけ長い髪なんだから、枝毛くらいあるだろう。
そうは思ったけど、口にはしなかった。
澪にとっては重要な事なんだろうし、そんな事を気にする澪が可愛らしく思えたからだ。
まあ、私も澪の事は言えた義理じゃないけどな。
前にムギに髪を梳かしてもらった時、
ムギは私の髪質を褒めてくれたけど、それでも何か恥ずかしかったもんな。
それに、やっぱり私に前髪を下ろした髪型は似合わない、って自分でも思う。
私が前髪を下ろすと一気に幼くなっちゃうって言うか、
無理に可愛らしさをアピールしようとしてるみたいって言うか……、
何かもう、とにかく恥ずかしいんだよな、これが。
前髪を下ろした姿を見せられるのなんて、家族か軽音部の皆くらいだよ、本当に。
はねてた髪が直ったかなって、自分でも分かり始めた頃、
机の上に置いてた私の黄色のカチューシャを澪が私の髪に当てていく。
流石は幼馴染み。
私がいつも着けてるのと全く同じ場所にカチューシャを着けてくれた。
それだけ澪が私の事を見ていてくれてたって事でもあるんだろう。
照れ臭い気分になりながら、後ろ手に澪の手を握る。
「ありがとさん、澪。
カチューシャ着ければ、今日もそれいけりっちゃんは元気百倍だ。
唯達が戻ったら、最後の音合わせに掛かろうぜ。
って言っても、後はチューニングの確認くらいだけどさ」
私のその言葉に澪は答えなかった。
聞こえなかったってわけでもないだろう。
何かあったのかと思って、様子を確認しようと振り返ろうとすると、澪が急に私の手を強く握った。
「……なあ、律。
一つ、我儘を言わせてほしいんだけど、いいかな……?」
神妙な声色だった。
それくらい澪の中では深い決心が必要な言葉だったんだろう。
私は振り返るのをやめて、正面を向いたまま頷いてから言った。
「いいよ。いつもは私が澪に我儘を聞いてもらってる立場だもんな。
あんまり無茶な我儘だと無理だけど、できる限りの我儘は聞くよ。
どんな我儘でも、とりあえずどんと来い!」
その私の言葉に、澪は少し安心したみたいだった。
ちょっと声色を柔らかくしてから、澪は澪の言う我儘を続けた。
「じゃあ……、言うね?
正直、ほとんど無い可能性だと思う。
万が一……、億が一……、ううん、兆どころか一京分の一くらいの確率かもしれない。
でも……、でもね……。
終末の後、もしも律が一人でも生き残ってたら、精一杯生きてほしいんだ」
澪は? とは聞かなかった。
澪が言いたい事は、つまりそういう事なんだって思った。
ほとんどあり得ない可能性だけど、無いとは言い切れない。
何かの間違いで、神様の悪戯かなんかで、
もしも私だけがこの世界に生き残っていたら……。
澪の居ない世界に。
私一人が。
考えただけで、身体が震えてくる。
それこそ、さっき私が澪と話した嫌な想像そのものだ。
私一人だけが取り残される、生き物全てが全滅するよりも残酷な未来だ。
それでも、澪は言ったんだ。
私に生きてほしいんだって。
「澪、それは……」
すぐには答えられない。
澪の居ない世界で私が生きていけるなんて、到底思えない。
澪が居ない世界に取り残されるくらいなら、私は澪と一緒に世界の終わりを迎えたい。
「生きてほしいんだよ……」
絞り出すみたいに澪が呟いた。
もしかしたら、泣きそうな顔をしてるのかもしれない。
そりゃ私だって生きてたいけど、それは誰かと生きてたいって意味だ。
澪と生きてたいって意味なんだ。
澪にも生きててほしいんだ。
それが無理なら、私が死ぬのはともかく、せめて澪にだけは……。
考えていて、気付いた。
私も澪と同じ事を考えてるって事に。
自分よりも生きててほしい人が居るって事に。
本当に我儘だよな、私……。
ごめん、澪。おまえを悪者にさせちゃったな……。
おまえは考えなきゃいけない最悪の未来を考えてくれてただけなのに……。
私は頷いた。
澪の決心を踏みにじらないために。
澪に謝るみたいに。
「……ああ、分かったよ、澪。
私……、生きるよ。生きる。おまえが傍に居なくても。
だから、おまえも……」
最後まで言う前に、澪が私の肩に手を回して顔を寄せた。
私の耳元で、若干震えた声で澪が囁く。
「……うん。私も生きる。
恐いけど……、すっごく恐いけど……、律と離れたくないから……。
律の傍に居たいから……、律の居ない世界でも、生きていくよ」
傍に居る事を誓い合った矢先に変な話だけど、
これも私達が傍に居るって事なんだろうな、とも思った。
傍に居られる時は、傍に居続ける。
でも、傍に居られなくなった時、どちらかを失ってしまった時、
せめて心の中でだけは傍に居られるように、お互いの願いを叶えられるように……。
私達は一人でも生きていく事を決心し合った。
恐いけど……、悲しいけど……、
私は私が死んでも澪に生きていてほしいから。
澪も澪が死んでも私に生きていてほしがってるから。
私達はお互いの我儘を叶え続けるんだ。
勿論、どちらかが生き残る可能性なんてほとんど無いのは、二人とも分かってるけどな。
まあ、最悪の状況を想像するのは、澪の悪い所で、いい所でもある。
澪は私の肩から身体を放すと、恥ずかしそうに長椅子に歩いて行った。
自分でも無茶な想像をし過ぎたと思ってるんだろう。
顔を俯かせて、小さく呟き始めた。
「ごめん……。変な我儘、言っちゃったよな……」
「いいよ。たまには澪にも我儘を言ってもらわなきゃな。
それに何か嬉しいんだよ。
澪の我儘は私の事を思ってくれての我儘だから、本当に嬉しいんだよ。
今も自分勝手な我儘を聞いてもらってる身としてはさ」
椅子から立ち上がりながら、私は軽く微笑む。
そのまま歩いて、澪の傍まで近付いて行く。
澪は不思議そうな表情をしていたけど、
何を言われるよりも先に私は腕を回して真正面から澪に抱き着いた。
いや、抱き着いたたんじゃないな。
抱き締めたんだ、私の友達以上恋人未満の澪を。
「ちょっ……! えっ……? えーっ……?」
何が起こったのか分からないって表情で、澪が私の腕の中でじたばた暴れる。
自分から抱き着く事は多いくせに、誰かに抱き着かれる事は慣れてないらしい。
そういや、私も唯とはふざけて抱き合う事は多かったけど、
澪とは自分からこんな風に密着する事はあんまりなかった気がする。
冷静になって考えると恥ずかしくなってくるけど、もう今更だ。
私は多分顔を真っ赤にしながら、澪に囁いた。
「澪が我儘を言ってくれたお礼に、私の精一杯を見せてやる」
「せ……、精一杯……?」
「友達以上恋人未満って言っても、色々……、あるじゃん?
もうほとんど恋人みたいな関係とか、友達よりちょっと親しいだけの関係とか、
相手を都合よく使うために、友達以上恋人未満って事にしてるだけの関係とか……。
友達にも色々な関係があるみたいに、友達以上恋人未満にも色々あるよな……?
まだ私は澪の事を恋愛対象として見れてないし、
将来的に恋人になれるかどうかも分かんないけどさ……。
こうして抱き締めたいくらいには、澪の事が好きなんだ。
だから……、これが今の私にできる精一杯なんだよ」
言ってて更に恥ずかしくなってきた。
私の我儘のせいで曖昧な関係になってしまってる私と澪。
だから、分かりやすい形で澪に私の気持ちを示したかったんだけど、
やっちゃった後で、今更これで正しかったのかって不安になってきた。
澪が愛おしくて、澪が大好きで、澪を抱き締めたかったのは確かだ。
これが今の私の澪への正直な気持ちの全てで、
今の私が澪にできる精一杯の行為なのには間違いが無いんだけど……。
何だかすごく不安になってくる。
私の想いや行動が本当に正しかったのか恐くて堪らない。
人に自分の想いを伝える事がこんなに不安になる事だなんてな……。
不意に、澪が苦笑した。
私の精一杯が一杯一杯なのがばれちゃったんだろう。
軽い感じで、澪が苦笑したまま呟く。
「精一杯って言われてもな……。
律ってば、唯ともよく抱き合ってるから、こんな事されてもよく分かんないな」
うっ……。
やっぱり澪さんはよく見てらっしゃる……。
最終更新:2011年11月01日 00:11