「いや、それは親愛の情と言いますか、友達として……」

「だったら、私もまだ単なる友達って事だよな、律?」

「いやいや、そうじゃなくてだな……。
澪は友達と言うか、恋人に限りなく近いと言うか……」

「それに律は若王子さんともかなり仲がいいみたいだし、
やっぱりああいうお姫様みたいな子の方が好きなんじゃないのか?」

「だから……、そうじゃなくて、あー、もう!
そんな事言うなら、分かったよ! 変な事しちゃったよ!
もう離れるぞ、み……」

私が澪から身体を放そうした瞬間、
澪が私の脇の下から腕を通して私の胸の中に顔を静めた。
さっきまでの表情とは打って変わって、その時の澪は顔を真っ赤にしていた。

「ごめん、律……。
ちょっと意地悪しちゃったな……。
律の精一杯……、本当に嬉しいし、これで十分だよ。
簡単に私と恋人になるわけじゃなくって、
友達以上恋人未満って関係を選んでくれたのが、今は本当に嬉しい。
私の事を……、こんな普通じゃないお幼馴染みの私の事を、
律が本気で考えてくれてるって分かるからさ……」

意地悪された事について言いたい事も色々あったけど、
私の胸の中に居る澪の表情を見ていると、そんな事はどうでもよくなった。
不器用なやり方しかできなかった私だけど、
そんな不器用な私の想いを澪が受け取ってくれたんだ。
こんなに嬉しい事は無いよ。
腕に力を込めて澪を更に強く抱き締めながら、私はまた澪に囁いた。

「私も嬉しいよ、澪。
こんな時期に答えを出せない、優柔不断な私を受け入れてくれてさ……。
だから、考える。ずっと考え続けるよ。
澪と恋人になれるのか、澪の恋人になりたいのか、週二でデートしながら考えるよ」

「うん、楽しみにしてる」

「ただし、澪。
おまえにもちゃんと考えてもらうぞ?
おまえが本当に私の恋人になりたいのか?
私の恋人になって、本当に幸せになれるのか?
デートしながら、おまえにもそういう事を考えてもらうからな?」

澪の気持ちを疑ってるわけじゃない。
でも、澪にも後悔の無いように考えてほしかった。
今更だけど、澪や私の中に生まれたこの想いは、
吊り橋効果みたいなやつから生まれた物かもしれない。
それに、女同士の恋愛関係も色々と大変だろうしな。
だから、考えるべきなんだと思う。
世界が終わろうと、世界が終わるまいと、
自分の想いが本当に正しいのかを自分に問い続けるのは、必要な事のはずだ。
私のその気持ちを分かってくれてたみたいで、澪も私の胸の中で静かに頷いてくれた。
考え続けようと思う。
世界の終わりまで、澪の傍で。

……って言っても、
実を言うと私の中に澪との恋愛に対する不安はほとんど無い。
よく漫画である、世界全てを敵に回しても澪を好きでいられるか……、
って想像をしようかとも思ったんだけど、その想像自体が現実的じゃなかったんだよな。
大抵、こういう恋愛関係の場合、
周りや家族が猛反対して、世界全体から自分達の関係が拒絶される……、
みたいなのがありがちな展開なんだろうけど、
何か私達にそういう展開は当てはまらない気がするんだよな。

だって、もしも私が澪と付き合う事になったって伝えても、
うちの両親なら一言で「いいよ」とか言いそうなんだよ。いや、マジな話。
どんだけ放任主義なんだよ……。
あと軽音部のメンバーも平然と認めてくれちゃいそうだ。
唯なんか「え? まだ付き合ってなかったの?」とか言うんじゃないだろうか。
勿論、全員が全員、認めてくれるわけじゃないんだろうけど、
私の大切な人達が認めてくれるんなら、それでいいかって気になってくる。
そんなわけで、女同士の恋愛に対する不安はほとんど無いんだ。
呆れたから漏れたのか、安心できたから漏れたのか、
どっちでもあり、どっちでもないような苦笑が私の口からこぼれる。

「どうしたんだ、律?」

その苦笑に気付いた澪が、私の胸の中で小さく訊ねてくる。
「何でもないよ」と首を横に振って、澪を抱き締める腕の力をもう少しだけ強くした。
私に不安は無い。澪と傍に居る事が恐くなるなんて事は無い。
だから、後は考えるだけだ。
傍に居過ぎて空気みたいな存在になっちゃった澪を、恋愛対象として見れるかって事を。
それはとてもとても長い時間が掛かる事だと思う。
残り少ない時間で答えが出る事じゃないし、無理に答えを出していい事でもないはずだ。
こう言うのも変だけど、のんびりマイペースな放課後ティータイムとして、
私達の関係のその後をじっくりと考えていきたい。
勿論、それまで私がするべき事は、澪の傍から離れない事が最優先だけどな。

不意に。
音楽室の中に小さな音が立った。
何だろうと思って、澪を胸の中に抱き締めたまま周りを見回すと……。

「ギャー!!」

思わず大声を上げながら、私は澪から自分の身体を放した。
私から身体を放された澪は一瞬不安そうな顔になったけど、
私の大声の原因を音楽室の入口付近に見つけると、

「ギャーッ!!」

私と同じ様な叫び声を上げて、顔面を真っ赤に染めた。
それもそのはず。
唯とムギと梓がトーテムポールみたいに身体を重ねて、
音楽室の入口から私達の様子を嬉しそうにうかがっていたからだ。

「あー、気付かれちゃった……」

「唯先輩が物音立てるからですよ!」

「だって、二人の様子をもっと近くで見たかったんだもん……」

隠れるのをやめた唯達が肩を並べて部室に入ってくる。
本当は覗き見されてた事を怒るべきなんだろうけど、
唯達のその様子は楽しそうな上に嬉しそうで、とても怒れるような雰囲気じゃなかった。
三人で私と澪を見守っててくれたんだろうな、って私は思う。
いや、覗き見されてた事自体は相当恥ずかしいが……。

「りっちゃん、おいっす」

気に入ったのかムギの借りてくれた制服をまだ着てる唯が微笑む。

「お……、おいっす……」

声が上擦りそうになりながらも、
それをどうにか抑え、平然を装って唯に返す。
その私の様子をムギが心底嬉しそうな表情で生温かく見つめてる。

「ねえねえ、りっちゃん。澪ちゃんと何してたのー?」

無邪気な表情で唯が続ける。
こいつ……、とぼけやがって……。
私は唯から視線を逸らしながら、こっちもとぼけてやる事にした。

「ほら……、アレだ。
そう! 『ロミオとジュリエット』の劇の復習だよ!
澪と話してたら懐かしくなってきちゃってさ、
それで今抱き合うシーンをやってたところだったんだよ!
なあ、そうだよな、澪!」

私が澪に言うと、張子の虎みたいに澪がコクコクと何度も首を振った。
顔を真っ赤にしながらで説得力は全然無かったけど、何もしないよりはマシだ。
しかし、唯はまた無邪気な顔を崩さずに楽しそうに言ってくれた。

「えー……?
ロミジュリじゃ、りっちゃんがジュリエットだったじゃん。
ジュリエットは抱き締められる方なのに、
今回はりっちゃんが澪ちゃんを抱き締めてるように見えたよ?
ロミジュリなら、ロミオがジュリエットを抱き締めないと駄目だよー?」

……よく見てんじゃねーか。
私は溜息を吐きながら、視線を梓の方に向けてみる。
梓は顔を少し赤くさせながら、私と澪の顔を交互に見つめていた。
そういや、梓の奴、前に学園祭のライブで澪のパンチラ(パンモロ?)見て興奮してたな。
唯に何度抱き着かれても抵抗しないし、やっぱりこいつ……。
いやいや、梓の嗜好は今は関係ない。

別に唯達に私と澪の関係がばれるのが嫌なわけじゃない。
いつかは皆に伝えなきゃいけない事だとも思う。
でも、今は……、何だ……、は……恥ずかしい……。
ほとんど気付かれてはいるんだろうけど、
自分達の口から伝えるのは、二人の関係がもっとはっきりしてからにしたいし……。
少なくとも、今日のライブが終わるまではまだ内緒にしていたい。

「そ……、それよりさ、唯?
忘れ物を取りに帰ったらしいけど、一体何を忘れたんだよ?
今日のライブの道具でも忘れたのか?」

誤魔化すように私が話を逸らすと、
「そうだった」と言いながら唯がポンと手を叩いた。
音楽室の入口の方まで走って行って、
廊下に置いていたらしい大きめの紙袋を手に取ると、楽しそうに私の目の前に差し出した。

「じゃじゃーん!
忘れ物はこれだったのです!
折角用意してたのに、昨日持って来るの忘れちゃってたんだ。
ちなみにライブの道具は大丈夫だよ。一週間前からちゃんと準備してたもん。
憂が!」

「それは安心だな」

言いながら、私は唯の差し出した紙袋を受け取る。
お、結構重い……。
何が入ってるんだ?
紙袋の中を覗いてみる。
中に入っていたのは、写真や紙切れや金属の箱やその他色々……?
何だこれ。

「おい唯、何だよこれ」

「え? 分かんないの、りっちゃん?」

「うむ。全く」

首を傾げて唯に訊ねると、ムギと梓が軽く苦笑したみたいだった。
私を馬鹿にしてるわけじゃなくて、分からなくて当然、って言いたげな苦笑だった。
二人は唯から聞いて袋の中身の正体を知ってるんだろうけど、
逆に言えば聞かなきゃ絶対に分からないって事なんだろうな。
特に唯のやる事だ。
相当、奇想天外な正体なんだろう。
気が付けば、赤面がまだ治まり切ってない澪も紙袋の中身を覗きに来ていた。
やっぱり澪も紙袋の中身の意味が分からないみたいで、私と視線を合わせてから肩をすくめた。

「もー。りっちゃんも澪ちゃんも鈍いなあ……。
長い付き合いなのにー……」

頬を膨らませて、心外そうに唯が呟く。
鈍いって、そういう問題なのか、これ?
だって、写真はともかく、この紙切れなんかサイズや内容に一貫性が無いしなあ……。
……って、よく見たらこの紙切れ、私が授業中に唯に回した手紙か?
ちょっと探ってみたら、楽譜や猫耳なんかも入ってるみたいだな。
写真も一貫性は無いけど、一応、全部私達が写ってる写真ではある。
共通点って言ったら、当然ではあるけど私達に関係ある物って事くらいか。
それに加えて、紙袋の中に不自然に入ってる金属の箱……。
という事は、ひょっとすると……。

「唯、もしかして、これ……。アレか?」

私が呟くと、今度は急に私に抱き着いて、
「流石はりっちゃん!」と嬉しそうに唯が笑う。
どうやら私の考えが当たっていたらしい事が分かり、つい微笑んでしまう。
唯らしい天然で奇想天外な発想だけど、悪くない考えだと思ったからだ。
ふと振り返ってみると、一人だけ状況を掴めていない澪が寂しそうに首を傾げていた。
まあ、澪じゃ想像も付かない事かもしれないなあ……。
流石に唯も澪がこの紙袋の正体に辿り着くのは無理だと気付いたらしい。
私が澪にその正体を説明しようとするより先に、唯が幸せそうな笑顔を崩さずに言った。

「これはね、澪ちゃん……。
私達からの未来の人達へのプレゼント……。
タイムカプセルなのです!」




先にさわちゃんに差し入れに行った梓を見送った後、
私達はタイムカプセルとスコップを持って校庭の大きな桜の樹の下に集まっていた。
枯葉もかなり散り終わった桜の樹を見上げながら、
そういや、この桜の樹に伝えられる伝説を誰かから聞いた事があったな、と何となく思い出す。
確かこの樹の下で女の子から告白して結ばれたカップルは、
呪われた輪廻に囚われて、別れたいと思っても永遠に別れられないとか何とか。
ありがちな伝説のはずなのに、そう言われると何か恐い。
何事も物は言い様だな……。
と言うか、うちは女子高なんだが……。
まあ、伝説ってのは、古くから伝えられてるもののはずなのに、
詳しく調べてみると、その実は十年前に創作されたものだった事もよくあるらしい。
この桜の樹にまつわる伝説も、多分、誰かが適当に創作したものなんだろうな。
そうして、特に興味の無い桜の樹の伝説について考えていると……、

「すみません、お待たせしました」

さわちゃんに差し入れを終えたらしい梓が、桜の樹の下の私達に駆け寄って来た。
その梓の腕には学生鞄が抱えられている。
キーホルダーを失くしてしまった梓の学生鞄だ。
水曜日までの梓ならその学生鞄を決して私達に見せなかっただろうけど、
完全ではないながらキーホルダーの事を吹っ切れた今の梓なら大丈夫だった。
まだ少し後悔や悲しさはあるんだろうし、その顔は複雑そうな表情に見える。
でも、梓は精一杯の笑顔を私達に向けてくれた。
私も梓に笑顔を向け、何事も無いような普段通りの口調で梓に訊ねる。

「どうしたんだ、梓?
鞄なんか持っちゃって……、中に何か入れて来たのか?」

「はい、律先輩。
実は先生に差し入れに行った後で、
タイムカプセルに入れられそうな物を、部室や教室で探してみたんです。
これといった物はあんまり見つからなかったんですけど、とりあえず鞄の中に詰め込んで来ました」

「あずにゃんもタイムカプセル埋めるの楽しみなんだねー」

唯が嬉しそうに梓に言ったけど、
梓は唯から視線を逸らして、私によくやるみたいに頬を膨らませてみせた。

「別にそんな事は無いです。
唯先輩がどんな理由でタイムカプセルを埋めようって言い出したのかは分かりません。
でも、私はやるからには徹底的にやっておきたいんです。
よく分かりませんけど、このタイムカプセルは未来の人達へのプレゼントなんですよね?
だったら、適当な物なんか入れられないじゃないですか」

「もう。楽しみなくせに、あずにゃんも素直じゃないんだからー……」

梓の生意気な発言も意に介さず、唯は嬉しそうな表情を崩さない。
梓がタイムカプセルを楽しみにしてる事は間違いない、って思ってるんだろう。
普段の唯の判断は何の根拠も無い事が多いけど、
今回ばかりは唯が間違ってないと私も強く感じた。物凄く感じた。
何故なら、梓の学生鞄が何をそんなに詰め込んだんだって思えるくらい、パンパンに膨らんでいたからだ。
間違いなくとりあえずってレベルじゃない。
自分の思い出の品を片っ端から詰め込んで来たってレベルの量だぞ、これ。
前に小さく潰された梓の鞄を見ていただけに、余計にそう感じる。
あれだけ小さく潰す事ができる鞄を、ここまで膨らませる事ができるのか……。
呆れを超えて、逆に感心させられる。

視線をやってみると、澪もムギも苦笑に似た表情を浮かべていた。
勿論、そんな梓を嫌がってるわけじゃない。
生意気で素直じゃなくて、可愛らしい後輩を微笑ましく思ってるって、そんな感じの表情だった。
多分、今の私も澪達と似た表情を浮かべてるはずだ。
私達の表情に気付いたのか、
鞄を限界まで膨らませておいての自分の発言に説得力が無いと思ったのか、
梓はその場に鞄を置くと、顔を少しだけ赤く染めながら早口で誤魔化すように言った。

「そ……、そんな事より早く穴を掘らないといけませんよね。
先輩達に力仕事をさせるのも申し訳ないんで、私が穴を掘りますね。
ムギ先輩、スコップを貸して頂けますか?」

歩き寄りながら、ムギからスコップを借りようと梓が手を差し出す。
ムギは柔らかい笑顔を浮かべ、スコップを持ったままで軽く首を横に振った。

「ううん、大丈夫よ、梓ちゃん。もう穴は掘らなくてもいいの」

「え? どうしてですか?
タイムカプセルを埋めるなら、少しでも深い穴を掘っておいた方が……。
あ、心配しないで下さい、ムギ先輩。
ムギ先輩ほどじゃありませんけど、私、力は強い方なんですよ?」

ムギに心配させないようにしてるんだろう。
力強く微笑みながら、梓がもう一度ムギに向けて手を差し出した。
だけど、ムギはまたスコップを梓に渡そうとはしなかった。
不安そうな表情を浮かべる梓に、ムギが優しい声色で言葉を掛ける。

「穴はもういいんだよ、梓ちゃん。
だって、ほら……」

梓を手招きながら、ムギが桜の樹の私達が立っている側の裏に歩いて行く。
梓が首を傾げながらムギの後に付いて行き、私達もその後に続いた。
桜の樹の裏側に完全に回った後、
ちょっと照れた表情を浮かべながら、ムギが自分の足下を指差した。
ムギの指の先に視線を向けた直後、梓が悲鳴みたいな甲高い声を上げた。

「早っ!! 深っ!! 凄っ!!」


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最終更新:2011年11月01日 00:13