しばらくムギの出した美味しいお茶を皆で飲んでいたけど、
不意に思い出して、私は部室に置いてあるCDラジカセの電源を入れた。
今日の夜は練習してたから聴き逃したけど、今ならまだ間に合うはずだ。
実はあの番組の放送時間はかなり変則的だ。
前半は午前零時から午前六時まで。
後半は午後零時から午後六時まで。
そんな変則的なスケジュールらしい。
後半の方を聴いた事はないから確かな事は言えないけど、
放送の中で、ハードスケジュールだよって、紀美さんが呟いたから間違いないと思う。

憶えてる周波数を合わせてみる。
古いラジカセだから多少ノイズがあったけど、聞き取れない程じゃない。
聞き慣れた声と共に、軽快な音楽が流れる。

「そういえば、お前らはこんな話を知ってる?
道を歩いてると、向かいから頭に赤い洗面器を載せた男が歩いて来たらしいのよ。
その男は洗面器の中に水を張って、こぼれさせないようにそっと歩いてた。
それで、気になって、その男に訊ねてみたわけよ。
「失礼ですが、どうして洗面器を頭に載せてるんですか」って。
すると、男は……。

おっとと……、そろそろ最後の曲の時間みたいね。
短いようで長かったけど、次の曲で終わりかと思うと名残惜しいわね。
この一ヵ月半……、休憩は取りながらだけど、
半日喋りっ放しで、アタシやお前らの好きな曲をひたすら流しまくって、
馬鹿みたいに大変だったけど、すっごく楽しかったわよ。
明らかに労働基準法を違反してるけど、それでもいいかって思えるくらいにさ。
……って言っても、ひっどいブラック企業よね、うちの局も。
来週からは労働時間の見直しを要求したいわよ、本気で。

来週……、来週か……。
明後日、月曜日……、政府や研究者の皆さんはそんな日は来ないって言ってる。
正確にはずっと地球は回るから月曜日自体はやって来るけど、
この世界から消えちゃうアタシ達には関係ない事だって言って下さってる。
そんなのつい三日くらい前までは、アタシも半信半疑だった。
だって、終末よ?
これまで地球上にどんだけ長い間生物が繁栄してたってのよ。
その中で今のアタシ達だけが終末を迎えるなんて、逆に貴重な体験じゃないの。
大体、今まで終末の予言がどれだけされてんだっつの。
世界滅ぶ滅ぶ詐欺はアタシが生きてきた二十数年の中でも、三回くらいはあったわね。
短いようで長い人類の歴史の中じゃ、
それこそ百や二百じゃ足りないくらい、終末の予言があったんだろうなって思うわ。

そもそも終末の予言ってのは、逃げたい側の人間の口上って事が多かったみたいだしね。
昔から人類は衰退してるって説が囁かれてて、
だから、もうすぐ終末を迎えるって、何千年も言われちゃってるみたいね。
どうして終末を迎えるのかって理由も単純で、
富める者だけ富んでる世界は異常だから、正しい世界になるために世界は終末を迎える。
それで終末後には正しく生きてる選ばれし者だけが、
働く必要の無い楽園みたいな世界に至れるんだってのよ。
当時の人達はそうとでも思わなきゃやってらんなかったんだろうなってのも分かるし、
今回の『終末宣言』もそういう類の現実逃避なのかなって思ってたんだけどさ……。

ううん、そう思いたかったのかな。
世界は平等じゃないし、生きるのに大変で凄惨な場所だけど、
それでも死ぬよりはマシだと思ってたし、
死んだ後に天国みたいな世界が待ってるなんて思ってなかったから、そう思おうとしてたんだと思うわ。
実は天国なんて存在しないって思ってるけど、地獄の存在は信じてるタイプなのよ、アタシ。
いやいや、思春期の女の子かよ、って思わないでよ。
アタシってキャラ的に地獄を信じてなきゃいけないじゃない?
ほら、アタシってロックな『DEATH DEVIL』だし?
それだけかって聞かれても、本当にそれだけって答えるしかないんだけど。

とにかく、そんなわけで、終末なんて信じてなかったわけ。
『終末宣言』も政府の研究の間違いで、来週の月曜日は何事も無くやって来るはずって思ってた。
でも、さ……。
一昨日からの映画みたいな空模様を見たりとか、
肌で最近の世界の空気とかを感じたりしてると……、
知識じゃなくて本能で分かっちゃうのよね、世界は本当に終わりそうだなって。
それはアタシだけじゃないと思う。
お前らも何となく気付いてるんじゃない?
もうすぐアタシ達は終末を迎えて、
これまでアタシ達が積み上げてた物も全て失われちゃうんだろうってさ。

明日、世界は終わりを迎えて、アタシ達は死を迎える。
何もかも消えて無くなる。
この世界から存在しなくなる。
アタシも、アタシの仲間も、お前らも、永遠に。
きっとそれは辛くて苦しい事なんだろうね。
アタシだって恐い。
今だって内心怯えながら放送してんのよ?
え? 似合わないって?
ほっといて。

だけど、思ったより恐くないのも確かなのよね。
身辺整理って言うか、覚悟って言うか、
そういうのができちゃってるのよ、アタシ。
多分、それはお前らのおかげ。
ひょんな事からこのラジオを担当するようになって、夢みたいに楽しい時間を過ごせた。
これから先に世界が消えちゃうとしても、アタシはアタシの生きてる証を残せたって思う。
お前らの中にアタシの声やアタシの紹介した曲とかが残ったなら、それがアタシの生きた証。
それにさ、ほとんど無い可能性ではあるんだろうけど、
ひょっとしたら何かの間違いで、お前らの中に生き残りが出るかもしれないじゃない?
生き残ったお前らの中の誰かが、
たまにアタシの事を思い出して笑ってくれたら、
それだけでアタシと終末のタイマン勝負はアタシの勝ちだよ。
勿論、アタシだってただで死んでやるつもりはないね。
どんな形の終末が来るのかは分からないけど、やれる限りの抵抗はしてやるわよ。

それでもし生き残れたら、アタシはまたここに座ってお前らに呼び掛ける。
明日は放送は休みだけど、
月曜からはラジオ『DEATH DEVIL』再世篇の始まりだからね。
ううん、アタシが死んだって、
ウチのスタッフが一人でも生きてたら、そいつがお前らに電波を届ける。
特にウチのヅラのディレクター……、略してヅラクターなんかは平然と生き残りそうだしね。
もしもアタシが居なくても、ウチのヅラクターの美声をお届けできれば何よりだよ。
何はともあれ。
月曜日からは更にパワーアップした放送をお前らにお届けする予定だから、
これからも当番組とヅラクターをどうぞヨロシク!
終末まではお前らと一緒!
いや、終末からもお前らと一緒だ!
ここまで突っ走って来れたのは、
ヅラクターやウチのスタッフやアタシの仲間達、
それに勿論、お前らのおかげだ。
本当にありがとう!
またお前らと会えるのを楽しみにしてる!

さってと、そろそろ本気で最後の曲だ。
最後に一曲お送りしなきゃ、番組としてもちょっと締まらないしね。
この曲をお送りしながら、今回の放送はお別れとさせてもらうわ。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエスト……、
って、え?
いやいや、やらせじゃないわよ。
ちゃんと私から私へのリクエストって言ってるじゃん?
ラジなに教えてもらった曲なんだけど、最終回はこの曲で締めようって思ってたのよ。
最終回なんだし、それくらいはパーソナリティー特権って事で勘弁して。

じゃあ、繰り返しになるけどもう一度……。
最後の曲はクリスティーナこと、この私、河口紀美からのリクエストで、
ROCKY CHACKの『リトルグッバイ』――」




ラジオ『DEATH DEVIL』の今週の放送が終わった。
最後の曲が終わった後、ラジカセから聞こえてくるのはノイズだけだった。
探せば他にも放送してる番組はあるんだろうけど、
この周波数で発信されるラジオ放送はこれで終わりなんだろう。
いよいよ後には退けない時間帯になってきたってわけだな。
当然、退くつもりなんてない。
私がここに居るのは私の意思からだけど、ここに居られるのは皆のおかげだ。
皆に支えられたから、助けられたから、私はここに居られる。
だから、私は前に進むんだ。その先が世界の終わりでも。
憂ちゃんに格好いい唯の姿を見せるって約束もしたしな。

「……行くか!」

ラジカセの電源を切ってから、両腕を掲げて言ってみせる。
皆の視線が私に集まった。
強い決心が感じられる真剣な梓の視線。
私達を見守ってくれるようなムギの視線。
ライブを楽しみにしてる興奮した感じの唯の視線。
穏やかに私を見つめてくれる澪の視線。
目尻を濡らしながらも、涙をこぼさず強く私を見つめるさわちゃんの視線。
たくさんの視線がたくさんの想いを宿してたけど、
その根本にはこれから行われるライブを成功させたいって気持ちがある。
多分、私もそういう視線を皆に向けてるんだろうと思う。

「そうですね、行きましょう!」

この一週間で何度も私に泣き顔を見せた梓が立ち上がる。
もう泣いていない。
真剣な表情を浮かべつつも、少しだけ笑ってる。
私達が誰一人欠けずに最後のライブに参加できる事を喜んでるんだ。

「最高のライブをやるんだもんね!」

ムギがポニーテールを揺らす。
これまで私達をずっと見守ってくれてたムギ。
これからもずっとずっと私達を見守り続けてくれるんだろう。
たまに危なっかしいムギの行動を、
私もこれからも見守ってあげられたらいいなと思う。

「終わったらケーキだよ! 皆、忘れてないよね?」

マイペースを崩さず、真面目な顔した唯が右腕を掲げる。
真面目な顔の理由は、ライブの後のケーキが楽しみだからなんだろう。
いや、勿論これからのライブを楽しみにしてもいるんだろうけどさ。
何処までも変わらない奴だけど、こいつはこのままでいいんだ。
私達は変わらない唯に引っ張られて、変わらずに三年間を過ごせたんだから。
世界の終わりまで、変わらずにいられたんだから。

「おいおい……。まだ食べる気なのか?」

苦笑しながら、澪が唯に突っ込みを入れる。
気弱で臆病なくせに、
こんな状況でも自分のポジションを忘れない澪も相当マイペースだ。
澪だって放課後ティータイムの一員だもんな。
こいつも知らず知らずのうちにマイペース大王になってたみたいだ。

ううん、考えてみりゃ、私達皆マイペースなのかな。
世界の終わりの前日の夕方にライブを開催する事自体もそうだけど、
さわちゃんは変わらず恋が上手くいってなかったし、
梓は落とし物の事で悩んでたし、澪は恋愛面で頭を抱えてたし、唯はずっと楽しそうだったし……。
特にムギなんか、もしかしたら自分が生き残れるかもしれない計画を蹴って、
家族で一緒に居る事よりも、何よりも、私達とライブを開催する事を選んでくれた。
私も澪との関係の答えをすぐに出さない事を選んじゃってるもんな。
皆、どうしようもないくらいマイペースだ。
でも、思う。
他の誰かにとってはともかく、
私達にとってはそれこそが生きるって事なんだって。

「じゃあ、貴方達……」

瞳を濡らしてはいるけど、微笑みながらさわちゃんが言った。
マイペースを崩さない私達に呆れながら、同時に嬉しくも思ってくれてるんだろう。
瞳を濡らしてるのは世界の終わりが近いからじゃなくて、
多分、紀美さんのラジオが最高に胸に響いたからだろう。
流石に紀美さんのラジオの全部を聴いたわけじゃない。
でも、私の知ってるラジオ『DEATH DEVIL』では、紀美さんは一度も弱音を吐かなかった。
まあ、放送時間の長さくらいは愚痴ってたけど、
世界の終わりについての弱音を吐く事は一度も無かった。
何処までもまっすぐに前だけを見つめていて、その姿には私も何度も勇気付けられた。
紀美さんがどんな気持ちでラジオを続けてたのかは分からない。
本当は恐怖に負けそうになりながら、どうにか続けてたのかもしれない。
だけど、私の知ってる紀美さんは、
強くて格好よくて、皆に勇気を与えてくれる素敵な人だった。
その裏にある心がどんなものであったとしても、それはとても立派な事だと思う。

紀美さんのバンドメンバーだったさわちゃんだって立派な人だ。
私が無理矢理軽音部の顧問にさせちゃったさわちゃん……。
掛け持ちで顧問をするのは本当は大変だっただろうけど、
軽音部に居るさわちゃんはいつも楽しそうで、
たまに見せる顔は格好よくて、大人の女の人って感じだった。
ふざけながら、からかい合いながらも、さわちゃんは私達の事を支えてくれてたんだ。

「いってらっしゃい。私も後から追いかけるわ」

さわちゃんがそう続けた瞬間、
気付けば私はさわちゃんの後ろに回って、背中から抱き着いていた。
これまでの事に感謝の気持ちを示したかったけど、胸がいっぱいになって、
でも、特に思い付かなくて、こうする事しかできなかった。

「ちょっと……。どうしたの、りっちゃん?」

嫌がってる様子じゃなく、嬉しそうにさわちゃんが囁いてくれる。
上手くできなかったと思うけど、
少しでも私の気持ちがさわちゃんに伝わってたらいいな。

「さわちゃん、今までありがとう」

その後、私の口から出たのは、すごく単純な言葉だった。
結局、頭の中に浮かんだ言葉はそれだけだ。
だけど、単純なだけに、それが多分、嘘の無い心からの本音だった。

「いいわよ、私も楽しかったしね」

後ろ手にさわちゃんが私の頭を撫でる。
照れ臭かったけど、何だか嬉しい。
……のはよかったんだが。
不意に周囲を見回すと、またも私に多くの視線が集まっていた。
特に気になった視線は、澪と梓の視線だった。
二人とも、嫉妬と言うか、寂しそうと言うか、とにかく複雑そうな眼差しを私に向けている。
澪はともかくとして、何で梓もそんな眼差しを向けてるんだ……。
ひょっとして梓はさわちゃんの事が好きなのか……?
さわちゃんは各方面で人気らしいし、それもそれで不思議じゃないけど……。

まあ、いいか。
さわちゃんに感謝の気持ちを示したかっただけで、私に他に意図は無いわけだし。
私はさわちゃんから身体を離すと、苦笑しながら澪と梓の手を取って引いた。

「何変な顔してんだよ、二人とも。
ほら、そろそろ本当に講堂に行くぞ。お客さん達を待たせたら失礼だろ?」

「わ……、分かってるって」

流石に自分でも変な顔をしてるって分かってたらしい。
澪がちょっと頬を赤く染めながら、小さく頷いた。

「もう……、誰のせいでこんな顔してると思って……」

「何だよ、梓?」

「何でもないです!」

梓は妙に不機嫌そうだったけど、
完全に怒ってるようでもなくて、怒り交じりの苦笑みたいな表情を浮かべていた。
よく分からないが、何かを悩んでるってわけでもないみたいだし、よしとするか。
さわちゃんの事が好きなのかどうかは、ライブの後に訊いてみる事にしよう。
ん?
随分前に同じ事をムギにも訊いた気がするな……。
モテモテだな、さわちゃん。
私はちょっとだけ笑ってから、すぐに口元を引き締めて強めに言った。

「そんじゃ、ムギも唯も行くぞ!
私達の高校ラストライブだ!」

「あいよー、りっちゃん!」

「うんっ!」

ムギと唯が音楽室の入口まで駆け出していく。
私も澪と梓の手を引いて唯達の後を追う。

「相変わらず慌ただしいわねー、あんた達」

そんな私達の姿を見て、さわちゃんが微笑ましそうに呟いた。
と。
瞬間、私達は足を止めて、さわちゃんの方に一斉に振り向く。
多分、予想もしてなかったんだろう。
私達の突然の行動に、さわちゃんは面食らった表情を浮かべた。

「な、何……? 忘れ物か何か……?」

「いえいえ、そういえば忘れてた事があったなー、と思いまして……」

唯が揉み手をしながら、悪戯っぽく微笑む。
そういや、唯ってさわちゃん相手にはこんな顔を向ける事が多いよな。
でも、もしかしたら、
私もさわちゃんに唯と同じ様な顔を向けてるのかもしれない。
別に馬鹿にしてるわけじゃない。
頼りになって、支えになってくれて、
でも、からかい甲斐があって、友達みたいなさわちゃんの事が好きだから。
大好きだから、私達は五人揃って頭を下げて言うんだ。

「今までありがとうございます!
いってきます、先生!」

私達の声が重なる。重なった声が音楽室に響き渡る。
さわちゃんは少しだけ黙って、
無言で私達の姿を見守ってくれていたけど……、

「ええ……。
唯ちゃん、澪ちゃん、りっちゃん、ムギちゃん、梓ちゃん……。
皆……、いってらっしゃい……!
皆の最高のライブを私達に見せてね……!」

嬉しそうな優しい声色で、私達を送り出してくれた。


47
最終更新:2011年11月01日 01:07