講堂にあいつの声が響いた。
この一週間、私達の前で何度も涙を見せたあいつが、
『終末宣言』のずっと前から別れを悲しんでいたあいつが、言葉を皆に届けてくれた。
涙を流さずに。
優しい微笑みまで浮かべて。
真面目で、内気で、寂しがり屋で、小さな後輩が……。
私達の想いを継いでくれた。
「ギターの
中野梓です。
今晩は私達放課後ティータイムのライブに来て頂き、ありがとうございます。
ライブ開催の告知が一昨日っていう突然さにも関わらず、
こんなに多くの方々に集まって頂けるなんて、本当に嬉しいです。
重ね重ね、ありがとうございます」
MCなんてろくにやった事も無いくせに、堂に入っていた。
少なくとも私よりは遥かによくできてる。
いつの間に練習してたんだろうか。
ひょっとして、こうなるのを承知で隠れて練習してたのか?
いや、違うか。
多分、ずっと前から……、
一年生の新入部員が居ないと分かった時から、
来年、自分が部長として軽音部を引っ張る事を自覚して、梓はMCを練習してたんだ。
私達の跡を継いでくれるために。軽音部を続けていくために。
それにきっと、このライブは梓にとってこそ無駄にできないライブなんだと思う。
世界の終わりが来なきゃ、開催するはずもなかったこの最後のライブ。
世界の終わりを迎える不運な私達が、幸運にも開催できる事になったライブだから……。
来年一人で取り残されるのを覚悟してた梓だからこそ、その大切さを誰よりも分かってるんだ。
だからこそ、泣いてる場合じゃない。
最高のライブに……、
『絶対、歴史に残すライブ』にしなきゃいけないんだって分かってるんだ。
梓は泣き声の止まらない客席に、温かく優しい言葉を届け続ける。
泣き顔だらけの講堂の中、眩いくらいの笑顔で。
「実は私、こう言うのも何ですけど、
このライブ、皆さんにはご迷惑だったかなって思ってます。
だって、開催告知が二日前なんですよ?
急過ぎるにも程がありますよね。
何と軽音部の皆も、部長以外今日ライブやるって事を知らなかったくらいなんです。
やるやるって言ってましたから準備はしてましたけど、
それにしたってもう少し前に言ってくれてもいいじゃないですか。
まったく……、うちの部長っていつもそうなんですよ……。
ドラムのリズムキープもバラバラだし、走り気味な所もありますし……。
しっかりしてほしいですよ、本当に」
「部長いじめか、中野ーっ!」
つい立ち上がって叫んで、気付いた。
私、泣いてない……。
涙が止まっていて、声も出せてる……。
ふと見回してみれば、澪達の涙も止まっていたし、客席から笑い声が漏れ始めていた。
そうか……。
梓が皆の涙を止めたんだ。
梓が皆の悲しみを吹き飛ばしたんだ……。
そうか……!
「梓、おまえ……」
立派な後輩……、
ううん、私達には勿体無いくらいの最高の後輩だよ、おまえは……。
その言葉を届けるより先に、梓が惚れちゃいそうになるくらい優しい笑顔を私に向けた。
その梓の笑顔が本当は何を意味していたのかは分からない。
でも、その梓の笑顔は、私にも頼って下さいよ、と言ってるように見えた。
私は皆を支える事ばかり考えてた。
支えられてる事を申し訳なくも思ってた。
でも、そういう考え方をしなくてよかったのかもしれない。
私は皆を支えたい。同じ様に皆も私を支えたいと思ってるんだろう。
支えるとか支えられるとかじゃなくて、支え合うんだ。
そうだよ……。
今更だけど、私達は五人で放課後ティータイムなんだ……!
梓が客席に視線を戻す。
後ろ手に私の方を指し示しながら、言葉を続ける。
「皆さんご存じだと思いますけど、
今立ち上がったのが、私達軽音部の部長、
田井中律先輩です。
あんまり練習しないし、遊んでばかりで変な事ばかり思い付くし、
リズムキープもバラバラで走り気味な人なんですけど……、
私、律先輩のドラムが大好きなんです。
実は律先輩と合わせると、同じ曲が毎回全然違った曲になっちゃうんですよね。
聴いてる方には堪ったものじゃないかもしれませんけど、それってすっごく楽しいんです。
私、親がジャズバンドをやっていたので、
その影響でギターを始めたんですけど、皆さん、ジャズって知ってます?
人によるとも思いますけど、ジャズって演奏中に即興で新しい曲を作っちゃう事があるんですよ。
同じ曲を演奏していても、毎回新しい進化した曲になるんです。
方向性は違いますけど、律先輩ってそんなジャズみたいな人だなって思うんです。
勿論、酷い曲になる事も多いんですけど、
たまに想像していた以上のすごい曲になって、
自分でも感動するくらいの曲を演奏できる事があるんですよ。
本当にたまに……ですけどね。
でも、その感動を知っちゃったら、もう律先輩とのセッションを忘れられません。
何度失敗しても、何度も一緒にセッションしたくなっちゃうんです。
律先輩も罪な人ですよね」
褒められてるんだか馬鹿にされてるんだか分からなかったけど、
今はただ梓のMCを聞いているのが面白くて、楽しくて、嬉しかった。
そんな風に考えてくれてたんだな、梓……。
そう考えながら私が目を細めて梓の後ろ姿を見つめていると、急に梓が続けた。
「それでは、もう一度ご紹介します!
ドラム担当で軽音部部長、田井中律先輩です!
律先輩、一言どうぞ!」
一言と来たか。
いいだろう。
皆に感動的な言葉を届けてやろうじゃないか……、
とマイクに口を寄せた瞬間、マイクも使ってないくせに講堂中に大きな声が響いた。
「その前髪下ろした人、誰ー?」
「今、紹介されただろ!
りっちゃんだよ! 部長でドラムの田井中のりっちゃんだよ!
カチューシャしてないから分からなかったか、コンチクショーッ!」
スティックを振り回して、大声の発生源に文句を言ってやる。
大声の発生源の正体は探さなくても声で分かる。
信代だ。この声色でこの声量で叫べるのは信代しかいない。
誰かに突っ込まれるだろうとは思ってたが、やっぱり一番に信代が突っ込みやがったか……。
睨むみたいに視線を向けてみると、
多分旦那なんだろう男の人の背中を何故か叩きながら、信代が続けた。
「冗談だよ、律!
カチューシャしてないのも可愛いじゃん!
欲を言えばパーカーのフードを脱いでくれると嬉しいんだけどさ!」
「りっちゃん、可愛いー!」
「結婚してーっ!」
信代の言葉に続いて、エリや春子なんかが歓声を上げる。
こいつら、本当にろくでもないクラスメイト達だな……!
「うっせ!
フードだけは絶対脱がないからな!」
吐き捨てるみたいに言ってやってから、私は少しだけ深くフードを被り直す。
やめてくれよな……。
ただでさえ恥ずかしいのに、『可愛い』だなんて言いやがって……。
何だか顔が熱くなっちゃうじゃんか……。
そうやって縮こまってる私の姿を見てから、梓が苦笑交じりの声で言った。
「もう、律先輩は仕方ないですね……。
それでは、メンバー紹介を続けますね。
次にご紹介するのは、キーボード担当の
琴吹紬先輩です」
「わ、私……?」
いきなり自分の話題になるとは思ってなかったんだろう。
ムギが驚いた様子で梓に視線を向ける。
そのムギの目尻は涙で濡れてはいたけど、それ以上涙が溢れ出す事も無かった。
「ムギー!」という歓声が客席のあちこちから上がる。
客席の様子を満足そうに見つめてから、梓がムギの方向に向き直す。
「琴吹紬先輩……、ムギ先輩は美人で、優しくて、大人っぽい素敵な先輩です。
それに放課後ティータイムの曲の作曲もほとんどムギ先輩がやってるんですよ。
作曲なんてそう簡単にできる事じゃないのに、何曲も制作してくれて本当に助かってます。
部室に居る時はいつも私達に美味しいお菓子を用意してくれるし、お世話になってばかりです。
あ、お世話になってるのは、私だけじゃなくて律先輩達もなんですけどね」
言ってから、梓が悪戯っぽい笑顔を私に向ける。
反論しようかとも思ったんだけど、よく考えたら全然反論できない。
考えてみれば、ムギにはお世話になりっ放しだ。
ライブが終わったら、せめてお茶の準備くらいは手伝おうかな。
そう思って何となく視線を向けてみると、軽くムギの頬が赤く染まっていた。
いつも穏やかなムギとは言え、人前で後輩に褒められるのは照れ臭いものらしい。
「実はですね……」と何処か楽しそうにさえ聞こえる声色で梓が続ける。
「ムギ先輩ってそんな非の打ち所の無い先輩だから、
私が入部した当初は近寄りがたい雰囲気があったんです。
いいえ、そうじゃありませんね。
ムギ先輩はいつでも優しい先輩なのに、私の方が勝手に縮こまっちゃってたんです。
私にはムギ先輩みたいなお嬢様っぽい知り合いが居なかったので、
何を話し掛けたらいいのかって、結構悩んだりしてたんですよね。
でも、軽音部でお世話になってる内に、
ムギ先輩も私達と同じ様な事を考える女の子なんだなって思うようになりました。
楽しい事があったら笑いますし、悲しい事があったら泣きますし、
当然の事なんですけど、ムギ先輩も私達と同じ普通の音楽好きの人なんだなって……。
そうそう。
意外かもしれませんけど、ムギ先輩ったら、お茶の時間におやつの摘み食いなんかもしてるんですよ」
「あーっ! 梓ちゃん、それ内緒の話なのにー!」
ムギがまた顔を赤く染めて、私達の顔色をうかがう。
内緒にしてた事が私達にばれたと思って、恥ずかしくて仕方が無いに違いない。
まあ、ムギがたまに摘み食いしてるのは、
軽音部なら皆が知ってる話なんだけど、
ムギとしては私達に内緒にしているつもりだったんだろうな。
恥ずかしそうに、ムギが視線を落として呟く。
「だって、美味しそうなんだもん……」
滅多に見せないそのムギの照れた様子はとても可愛らしかった。
客席の皆もそう思っていたみたいで、
微笑ましそうに「いいなー、私も食べてみたいなー」という感じの声があちこちから上がっていた。
「あ、そうだ」
不意に何かを思い出したみたいに、
ムギがキーボードの前に置かれていたマイクを手に取って言った。
「皆さん、今日は私達のライブにお越し頂き、ありがとうございます。
キーボード担当の琴吹紬です。
また皆さんにライブでお会いできて、私、嬉しいです。
すっごく楽しくて、すっごくすっごく嬉しいです!
皆さんの大切な時間を私達に頂けて、本当に感謝してます!
皆さんの心に残るライブになるよう精一杯演奏するのは勿論ですけど、
実は今日、皆さんへの感謝の気持ちを込めてたくさんのケーキを用意してるんです。
ライブが終わっても、そのまま客席で待ってて下さい。
皆さんにケーキをお配りしますね」
客席から嬉しそうな歓声が上がる。
その感性を尻目にムギが私達の方に視線を向けると、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「ごめんね。皆の分のケーキが減っちゃうけど……」
「別にいいよ。美味しい物は皆で味わった方がいいしさ」
首を横に振って言った後、私はふと気が付いた。
私達のケーキが減るのは構わないけど、
客席の皆の分のケーキが準備できてるのかって思ったからだ。
ムギの様子を見る限りじゃ、
まさか二百人ものお客さんが集まってくれるとは思ってなかったみたいだ。
私達が考えていたのと同じく、ムギもお客さんは三十人くらいだと予測していたはずだ。
だとすると、圧倒的にケーキの数が足りないはずなんだけど……。
それを訊ねると、ムギは小さく苦笑した。
「大丈夫。
今日は一人一ホールのつもりでケーキを用意してたの。
切り分ければ、皆の分のケーキを用意できると思うよ」
「一ホールかよ!」
思わず突っ込んだ。
いくら何でも一人一ホールは多過ぎだ。
唯なら食べ切るかもしれないけど、
少なくとも私を含めた常人の皆さんじゃ間違いなく食べ切れない。
でも、今回はムギのその天然が幸いしたかな。
皆にムギの美味しいケーキを味わってもらえるなら、それで結果オーライだ。
「流石はムギ先輩……」
梓が困ったように呟いていたが、その表情は笑顔だった。
少しずつ分かってはきたけど、
まだまだ謎の多いムギの姿を楽しくも嬉しくも思ってるんだろう。
「ケーキ、楽しみだねー」
涎でも垂らしそうな表情をしながら、唯が呟く。
こいつの頭の中はいつも甘い物と可愛い物の事ばかりだった。
それが今は心強い。
流していた涙も梓のおかげで拭い去れてるみたいだ。
それなら大丈夫。普段はともかく、唯は本番に強い女だ。
梓が少し口元を引き締め直し、唯を手の先で示す。
「それでは、次のメンバー紹介です。
ギターの
平沢唯先輩です!」
「皆、今日は来てくれてありがとーっ!」
言い様、唯がギー太を目にも留らぬ超技巧で奏で始めた。
おー、ミュージシャンっぽい。
これはふわふわのギターアレンジだな。
妙にミュージシャンっぽい姿にこだわる唯にとって、一度はライブでやってみたかった事なんだろう。
ライブなんかでよく見る光景だしな。
それにしても、高校一年生になるまでギターに触れた事も無かったとは思えない見事なテクニックだ。
こういうのを天才って言うんだろうな。
悔しくて羨ましくもあるけど、今はただただ頼もしい。
天才と出会え、その天才と組めた偶然に感謝したい。
私は天才じゃないけど、天才と組めたって点では天から愛されてるのかもな。
天才の唯。本番に強い唯。天然ボケの唯。
そんな唯なら、今からの演奏と歌声で皆を笑顔にする事ができるはずだ。
……とか思ってたら、急に間の抜けた不協和音が講堂を包んだ。
「あ、間違っちゃった」
頭を掻いて、唯が苦笑いを浮かべる。
超技巧に挑戦し過ぎて、一番難しい所で指が動き損ねてしまったらしい。
おいおい、大丈夫か……。
梓とムギが苦笑する。
澪……も、被ったフードの奥の目尻の涙を拭いながら笑ってる。
客席の皆からも大きな笑い声が上がる。
狙ってやったのかどうなのか、とにかく唯は本当に皆を笑顔にしてしまった。
ミュージシャンとしてはどうかと思うが、これが一つの唯の音楽なのかもしれないな。
「えーっと……」
梓が苦笑を浮かべたままで続ける。
「今見た通りの人が唯先輩です。
それでは、次の人の紹介に……」
「私の紹介それだけっ?
あずにゃんのいけずぅ……。
もっとりっちゃんやムギちゃんみたいに紹介してよー……!」
「自分で自己紹介して下さい」
「ひどいよ、あずにゃん……」
「そんな泣きそうな声を出さないで下さいよ……。
私がいじめてるみたいじゃないですか」
「じゃあ、ちゃんと紹介してくれる……?」
最終更新:2011年11月01日 01:11