「もう……、仕方ないですね……。
では、改めてご紹介しますね。ギターの平沢唯先輩です。
見ての通り、唯先輩はだらしないし、楽譜もろくに読めないし、
律先輩以上に遊び回ってるし、お菓子の事しか考えてないし、
すぐに抱き着いて来るし、変なあだ名付けてくるし、すごく困った先輩です」

また客席から笑い声が上がる。
よく見ると憂ちゃんがハラハラした様子で梓の言葉を見守っていた。
大好きなお姉ちゃんについての紹介がどうなるか心配でしょうがないんだろうな。
唯も何処まで自分の悪い印象を語られるのか、別の意味でハラハラしてるようだった。
私も少し不安を感じなくはなかったけど、当事者ほどハラハラしてはいなかった。
梓が苦笑を穏やかな笑顔に変えて、唯の傍に近寄って行っていたからだ。
そうして、唯の傍で梓が小さく口を開いた。

「でも、唯先輩の演奏はすごいんですよ。
毎回ギターが上手くなってて、私の演奏を引っ張る技術も持ってて……。
どんどん進化する唯先輩の姿に、いつも驚かされます。
それに……、私、唯先輩の困った行動……、嫌いじゃないですよ」

最後には少し照れた様子になっていた。
そうだ。言葉こそ厳しいけど、梓が唯を悪く思っていない事を私はよく知ってる。
傍から見ていると、よく分かる。
唯が梓の事を大好きなように、梓だって唯の事が大好きなんだって。
感極まったんだろう。
唯が梓に抱き付こうと飛び掛かろうとして、でも、何とか自制した。
流石の唯もギー太を肩に掛けたまま、
むったんを肩に掛けている梓に抱き着くほど馬鹿じゃない。
感激した様子で、唯が梓に顔だけどうにか寄せる。

「ありがとう、あずにゃんー!」

「嫌いじゃないってだけですよ!
それにこれからの演奏、さっきみたいに失敗したらケーキ抜きにしますからね!」

「うう……、あずにゃん厳しい」

そう言いながらも、唯の顔は笑っていた。
梓も笑顔だった。
何だか夫婦漫才を見せられた感覚だ。
いや、私と澪のやりとりもよく夫婦漫才と言われるが、それは置いとくとして。

「それでは、最後のメンバー紹介になります。
ベース担当の秋山澪先輩です!」

寄せてくる唯の顔を手で押し退けながら、梓が大きな声を出す。
大きな声を出したのは、少し緊張し始めたからだろう。
最後のメンバー紹介……。
この澪のが終わると、ついに私達のライブが本当の始まりを告げる事になる。
終わりの始まりが訪れようとしているんだ。
私も自分の鼓動が激しくなってくるのを感じていた。
もう迷いはない。
泣くつもりもない。
後はできる限りの精一杯の演奏を講堂に響かせればいいだけだ。
でも、不安はある。
皆を満足させるに足る演奏が私にできるのかって思う。
特に軽音部の中で一番皆の足を引っ張りそうなのは私だ。
もしも演奏を失敗してしまったら……、
そう思うと今更だって分かってるけど不安になってくる。

「澪先輩はですね。
放課後ティータイムでベースを担当してるんですけど……」

澪の紹介が続く。
紹介されている澪の表情は分からない。
ドラムからは距離があったし、フードを被ってるから横顔が少し見える程度だ。
もう少し澪の表情が見てみたいな……。
私がそう考えた瞬間だった。
澪がメンバー紹介を続ける梓を手で制した。
自己紹介は自分でするって事なんだろう。
梓は素直に引き下がり、じっと澪の次の言葉を待つ。
私も固唾を飲んで、澪の次の言葉を静かに待っていた。

と。
澪が被っていたフードを脱いで、一瞬、私の方に視線を向けた。
それの澪の視線はライブで不安がってる視線じゃなくて、
病気や怪我なんかで弱ってる時の私を見守ってくれる視線だった。
それだけで私の不安は何処かに吹き飛んでいた。
そうだったな。
私のドラムはあんまり上手くないけど、
澪のベースと一緒なら、安心して土台を組めるんだったな……。

すぐに客席に視線を向ける澪。
でも、十分だ。
私には一瞬の澪の視線だけで勇気が湧いてくる。
それはきっと、澪も同じ。
客席の方を向いた澪が大きく口を開く。
大勢の客の前で緊張しているだろうに、勇気を出して、逃げずに、力強く。

「皆さん、今日はありがとうございます。
放課後ティータイムのベースの秋山澪です。
こんな時なのに、こんなにたくさんの人達に集まってもらえるなんて、嬉しいです。
あの、私……、これから新曲を演奏する前に、皆さんに話しておきたい事があるんです。
すみませんけど、少しだけ私の話を聞いて下さい。

明日……、終末が訪れますよね。
明日、私達の積み上げてきた物も、未来も、何もかも失われてしまうんでしょう。
正直、恐いです。
これまでも何度も逃げ出しそうになりました。
ライブを投げ出そうと思った事も、一度や二度じゃありません。
考えてみれば『終末宣言』以来、
ずっと終末の恐怖から逃げる事ばかり考えていたように思います。

でも、私の仲間達は、私を逃げさせてくれませんでした。
実を言うと、皆が居なければ私は終末よりも先に自殺していたかもしれません。
それくらい恐かったんです。
こんなに恐い思いをしてまで、生きていたくないとも思っていました。
だから、逃げさせてくれない仲間……、律を恨んだ事もあります。
律は死ぬ事だけじゃなくて、違う逃避も許してくれませんでした。
誰かの温かさに甘えて、誰かと傷を舐め合って生きていく事さえも……。
どれだけ律は私に意地悪をすれば気が済むんだろうって、
りっちゃんはそんなに私の事が嫌いなの? って、子供の頃みたいに考えたりもするくらいに。

今は感謝しています。
律や放課後ティータイムの皆は勿論、多分、終末にも……。
変な話ですけど、終末には少しだけ感謝してるんです。
だって、突然には来なかったじゃないですか。
幸か不幸か、『終末宣言』から終末まで一ヶ月半の猶予がありました。
その猶予が嫌で自殺しようとしてた私が言うのもおかしいかもしれませんが、
今考えると何の前触れもなく終末を迎えるよりはよっぽど幸せな気がします。

この一ヵ月半……、私は律達のおかげで何度も自分を見つめ直せました。
当然だと思ってた日常を失われる事になって、
本当に大切な物や好きな人を見つける事ができました。
覚悟のようなものもできたように思います。
いえ、覚悟というほどではないかもしれないですけど、すごく当たり前の事に気付けたんです。
結局、遅かれ早かれ私達は死ぬんだって事に。
例え明日に終末を迎えなくても、私達はいつかは必ず死ぬ事になります。
分かってたつもりで、分かってませんでした。
分かっていなかったから、思い出に逃げ込んだり、約束を信じたりしてたように思います。
勿論、思い出や約束は大切な物です。
それらがあるから、私達は生きていけます。
でも……、もっと大切な物があるんだって律に教えてもらいました。
律は過去や未来にこだわらないタイプの人でした。
『終末宣言』より前はそんな律の姿に呆れる事もありましたが、今は違います。
律は『現在』を大切にしてる人なんだって、今の私は思います。

明日……、いいえ、
多分、『終末宣言』が宣言された瞬間、私達は過去も未来も失ったんだと思います。
積み上げてきた物が消え去って、未来は永久に訪れない事を知りました。
だけど、私達にはまだ残ってる物があります。
『今』、私達が生きてるって事。
『現在』、私達が感じてる事。
それだけはまだ奪われてませんし、奪わせたくありません。
それに気付けただけでも、私達は幸福だったんだと今は思えます。

だから、終末には少しだけ感謝しています。
当然、完全に感謝できてるわけじゃありませんけど。
嬉しいけど、嬉しくない。
ありがたくないけど、ありがとう。
何はともあれ、私達は今を生きていく。
そんな気持ちも込めた新曲を、これから皆さんにお送りしたいと思います」

言って、澪が左手を身体の右側から左側に振りしきる。
新曲演奏の合図だ。
五人で視線を合わせ終わった後、大きく頷き合う。
始める。
私達が『現在』生きている証をこの世界に刻み込んでやる演奏を。
澪がマイクに口元を寄せ、大きく口を開く。

「聴いて下さい。
私達、放課後ティータイムの新曲……、
『No, Thank You!』」




静かで穏やかな曲調から私達の新曲……、
『No, Thank You!』の演奏は始まる。
新曲も普段の私達の曲とあんまり変わらないと、観客の皆も一瞬感じるだろう。
だけど、すぐに転調する。
力強く、激しく、荒々しく。
私達の想いを身体中で相棒達にぶつけていく。

思う。
明日、世界は終わる。
多分……、じゃない。きっと確実に世界は終わる。
私達は終末を迎え、一人残らずこの世界から消え去ってしまう。
死んでしまうんだろう、間違いなく。
私は……、私達は、ずっとそれが恐かった。
いや、終末なんて関係なく、
いつか自分がこの世界から消え去ってしまうって現実が恐かったんだろうと思う。
何かを残せるなら死ぬ事も恐くない……、
って考えもするけど、本当に何かを残せる人は数少ない。
夢は武道館なんて話はしてたけど、それがどれだけ大変な事か私は知ってる。
武道館を夢見るミュージシャン志望の子は数多いし、
実際に武道館で演奏できるバンドなんてその中のほんの一握りなんだ。
きっと私は何も残せない。
人は二度死ぬって澪が言ってたけど、
何も残せない私の二度目の死はかなり早く来そうだなって思わなくもない。

澪の歌が始まる。
恋に憧れる女の子の甘い想いを歌っていた澪の『現在』の歌。
今を生きる私達の願いや叫びを込めた歌。
過去や未来じゃなくて、
『現在』を生きてる……、
『現在』以外生きられない私達の精一杯の想いの歌だ。
今、私達は此処に生きてるんだ。
今、私達は強く皆の事を想ってるんだ。
今、お互いに想い合ってるんだって……。
澪は歌う。
喉を震わせて、想いを叫ぶ。
作詞した澪の想いだけじゃない。
私達放課後ティータイムの想いだけでもない。
講堂中の皆の想いを代弁し、それを澪が歌として終わる世界に響かせていく。
世界が終わる事自体はどうしようもない。
過去や未来を奪い去っていくのも気にしない。
でも、私達の『今』だけは絶対に奪わせない。
過去に逃避せず、未来に絶望せず、私達は最期まで笑顔で生き抜いてみせる!

思う。
私は何も残せない。
もしも終末が来なくたって、私の二度目の死は多分早い。
世界の皆はすぐに私の事なんて忘れちゃうんだろう。
私が居なくても、世界は何事もなく廻っていくんだろう。
だけど、構わない。
私は今を生きた。生きられたんだから。
傍目には何の価値も無い人生だったとしても、
少なくとも私の仲間達は……、澪は私の事を憶えていてくれるだろう。
私だって、澪の事は私が死ぬまで心のど真ん中に居てもらい続ける。
何をしてても、何をしてなくても、あいつの事を忘れる事は絶対に無い。
忘れてやるもんか。
私にはそれで十分だ。
偶然に過ぎないんだろうけど、私は澪と出会えて、音楽にも出会えた。
放課後ティータイムを組めて、本当に楽しくて仕方が無い高校生活を送る事もできた。
今だって、終末の前日だってのに、
こんな多くの観客の前でライブをやれてるし、
明日死ぬってのに、笑顔でドラムを叩けてるんだぜ?
すっげー嬉しい……。すっげー嬉しいよ!

唯が何度もミスをした難所を楽しそうに弾き終わる。
梓が何百回も練習したんだろう技巧で確実な演奏に徹する。
ムギが私好みに組あ上げてくれた曲を笑顔で弾いてくれる。
私が皆のリズムを支える。
今回ばかりは皆のために確実なリズムを叩いてみせる。
特に澪はベースと歌の両方を同時にこなさなきゃならないんだからな。
澪の腕前なら問題ないと思うけど、
少しでも澪の負担を減らしてやりたいし、一つ個人的な我儘を通したかった。
澪の歌声をもっと綺麗な音色にしたい。
澪には私のドラムのフォローに回る事を考えず、より完全な形でこの新曲を歌ってほしい。
その見事な歌声をもっと響かせてほしいから。
もっと聴いていたいから。
だから、私はできる限りの精一杯のリズムをドラムで刻むんだ。

私達の演奏は融合し、一つの大きな旋律になる。
その旋律に澪が聴き惚れるような歌声を、想いを、魂を乗せていく。
演奏中、一瞬だけ澪が私の方に視線を向けた。
いつも必死な形相で歌うくせに、その時の澪の表情は満足気な笑顔だった。
多分、私も笑顔を浮かべてると思う。
こんな最高の演奏は初めてだった。
いや、ライブでの演奏はいつも最高の演奏だけど、
今回の最高はこれまでの最高の何倍も最高の演奏だった。
観客の皆も私達の新曲に聴き入ってくれているみたいだ。
「あんまり上手くないですね」と唯に言われた私達の演奏が此処まで来れるなんてな……。
勿論、それは練習を続けてたからってのもあるんだろうけど、
それよりも私達の絆が深まったから私達は此処まで辿り着けたんだって私は思いたい。
この演奏は私達の絆の形なんだって。

そうして、演奏が終わる。
メンバーの誰もが自分に奏でられる精一杯の音楽を響かせた。
私自身も含めて、それぞれに自分達の想いを世界に刻み付けられたはずだ。
私達の絆を見せ付けてやれたはずだ。
沈黙が講堂を包み、私は少し不安になった。
この新曲は求められていた物と違ってたんだろうか?
今の演奏は私達の自己満足だったんだろうか?
観客の皆に私達の想いを届ける事まではできなかったんだろうか?

不意に。
澪が少しだけ私の方に顔を向けながら、左目を閉じて小さく舌を出した。
アッカンベーってやつだ。
それは私に向けられたものじゃない。
唯にも、ムギにも、梓にも、観客の皆にも向けられたものじゃない。
それはきっと終末に向けてのアッカンベーだ。
結局、私達は終末には勝てなかった。
だけど、きっと負けもしていない。
色んな間違いや失敗はあったけれど、
最終的に私達は絶望には囚われなかったし、恐怖から逃避する事もしなかった。
こんなに多くの観客の皆の前でライブだって開催できてる。
だから、「どうだ!」って、澪は言ってるんだ。
勝てない戦いにしても、
この勝負は引き分けだって終末に言ってやってるんだろう。

澪の予想外の行動に観客の皆は呆気に取られてたみたいだったけど、
その数秒後には、歓声を上げて、講堂を包むような大きな拍手を始めていた。
終末や絶望を吹き飛ばしそうなくらいの大きな歓声と拍手だ。
その歓声と拍手は長い間続き、私達に新しい勇気とやる気を与えてくれていた。
もう一曲、皆に曲を届けたい。
ううん、一曲と言わず、十曲でも二十曲でも演奏し続けたい。
何度だって響かせてやるんだ。
私達の旋律と。
私達の想いを。


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最終更新:2011年11月01日 01:12