放課後ティータイムの曲を全て演奏し終わり、
大歓声と大きな拍手に包まれた頃には、午後の十時を過ぎていた。
歴史に残るようなライブにできたかどうかは分からない。
それは観客の皆がそれぞれに胸の中で感じてくれる事で、
私達が勝手に決められる事じゃないんだと思う。
開催した側が歴史に残るライブを自称するなんて変な話だ。

だけど、少なくとも私達軽音部にとっては、
自分の歴史に残る最高のライブだったのは間違いないと思う。
完璧な演奏だったわけじゃない。
観客の皆には分からなかったかもしれないけど、
いくつか細かいミスもあったし、演奏する曲の順番やMCも少し失敗があったと思う。
決して完璧にはなれない私達の最後のライブ。
でも、それが今の私達の精一杯の姿で、ありのままのライブだった。
私達が私達のままで開催できたライブなんだ。
終末が近付いても変わりたくなかった私達の姿が、
いつまでも変わらない五人で居たかった私達の姿が観客の皆の心に少しでも残れば、
それだけでこのライブを開催した意味もあるって感じられる。

最後の曲のふわふわを演奏し終わった後、
私達はムギの持って来てくれていたケーキを切り分けて、観客の皆に配る事にした。
私達のライブに参加してくれたせめてものお礼として、
最後の私達の我儘に付き合ってくれた感謝の想いを込めて、一人ずつに丁寧に配る。
五人に分かれて、ケーキを配布していく。
私が担当した箇所は信代やいちごが座ってる客席がある方だった。
ケーキを配った後、私は信代とハイタッチを交わし、
そのまま勢いで信代の旦那とも軽くハイタッチを交わす。
それを見ていた周囲の皆が次々と手を上げていく。
皆、私とハイタッチがしたいらしい。
つい嬉しくなって、私は一人ずつと手を重ねていく。
ありがとう。
皆、これまでも、これからも、ずっとありがとう……!
胸が震え、涙が出そうになったけど、
決して泣かずに笑顔でハイタッチを交わしていく。

ほとんどのケーキを配り終わった後、
私が担当する最後の席にはいちごがマラカスを手に持って無表情に待っていた。
本当に持って来てたんだよなあ、いちごの奴……。
舞台上から見つけた時には驚いたけど、
いちごの隣の席の人も迷惑には思ってないみたいだったし、
逆に私達の演奏のアクセントになるようなマラカス捌きを見せてたから、それでいいかと思った。
勿論、舞台上までいちごのマラカスの音が聞こえてたわけじゃないけど、私だってドラムの端くれだ。
いちごの身体の動きを見れば、私達の演奏と合わせたマラカス捌きだったって事くらいは分かる。
一度も合わせた事も無いのに、そんなにも私達の曲と合わせられるなんて、
よっぽど私達の曲を好きでいてくれたんだろうなって思う。

私は軽く微笑んで、いちごと視線を合わせる。
視線が合った一瞬後、いちごは足下にマラカスを置くと、私の胸の中に飛び込んできた。
予想外ないちごの行動だったけど、
私はすぐにいちごの身体を受け止めてから強く抱き締めた。
不思議だな。私も丁度いちごに抱き着きたい気分だったんだ。
いちごは私の背中に手を回す。
私はいちごの耳元で「ありがとう」と囁く。
私の胸の中でいちごも「律も」と震える声で呟いた。

抱き合っていた時間は、十秒にも満たなかった。
いちごが私から身体を離すと、
私の用意してたケーキを受け取り、席に座って食べ始めた。
それからいちごは私から目を逸らして無表情な顔をしてたけど、
その頬は少しだけ赤く染まっていて、その肩は少しだけ震えていた。
小さく息を吐いてから、私はいちごの肩に手を置いて、「またな」と言った。
多分、涙の別れは私といちごには似合わない。
ケーキを食べながら、いちごは無表情に頷いた。

ケーキを客席の全員に配り終わると、軽音部の皆は舞台上に集まった。
結構切り分けたはずだったけど、
ムギの持って来たケーキは二ホール余っていた。
一ホールは私達の分にするとして、
残りの一ホールをどうしようかと考えていると、急に唯が名乗り出た。
「一ホール全部を食べてみたい」というのが唯の主張だった。
本気で食べる気なのか……。
でも、別に断る理由も無いから、
「やれるもんならやってもらおうか」と言って、
私は残ったケーキの一ホールを唯に提供してやった。
流石の唯とは言え、途中で諦めるだろうと思っていたら、
見る見る内に本当に一ホールを一人で平らげやがった。
すげーよ、こいつ……。
一種の化物みたいなもんだな……。

だけど、一ホール食べ終わった唯は、しばらく舞台上から動けなくなってしまった。
そりゃそうだ。一人で一ホールも平らげやがったんだからな。
私達は舞台上に転がる唯を憂ちゃんに任せて、
ケーキを食べた人から各自解散してくれていい事を客席の皆に伝えた。
もう予定は入ってないみたいだけど、講堂をこのまま占拠しておくわけにもいかないからな。
そのすぐ後、皆はケーキを食べ終えたみたいだったけど、誰一人として講堂から出ようとしなかった。
このライブを終えてしまったら、いよいよ日曜日。
……終末なんだ。
楽しい時間を終えて、残酷な現実に目を向けたくないのは私も一緒だった。
でも、そんなわけにもいかない。
どうにか解散してもらおうと私がマイクを持つと、
私が何を言うよりも先に、一人の観客がマラカスを鳴らしながら講堂から出ていった。
あえて目立つように「じゃあ、またね」と大きな声を出して、すぐにその場から居なくなった。
勿論、そうしたのはいちごだった。
皆が帰りやすい雰囲気を作ってくれたんだろう。

でも、このままいちごを一人で帰らせるのは危険だ。
私が走っていちごを追い掛けようとすると、
「またな、律! 私もいちごと一緒に帰るよ!」と春子がいちごを追い掛けて行った。
いちごの行動が春子の躊躇いを消してくれたんだ。
春子だけじゃない。講堂に居る観客の皆の躊躇いや苦しみまで……。
客席の皆が、一人ずつ意を決したように席から立ち始める。
「またね」、「じゃあね」、「ありがとう」、
そんな言葉が上がりながら、講堂から人が居なくなっていく。
私は……、私達はお辞儀をして、そのまま頭を下げ続ける。
いちごに……。皆に、最大限の感謝を込めて。
私に続いて澪と梓、ムギも頭を下げて観客の皆を見送る。
唯も慌てて澪達に続き、憂ちゃんと一緒に観客の皆に頭を下げた。

皆、最高のライブをありがとう。
私達はこの日の事を死ぬまで心に刻むから。
死んだって、憶え続けてやるから……。
だから、本当にありがとう……!
またな、皆……!

こうして、最後のライブは本当に終了した。




講堂の後片付けがそれなりに終わった後、
今日はもう遅いし、明日講堂が使われる予定も無いから、
講堂の後片付けはある程度で大丈夫だって和が言ってくれた。
それに残った講堂の後片付けは、
私達のライブを見に来てくれた先生達が明日やってくれるそうだ。

そんなのは先生達に悪いって私達は言ったけど、
和は微笑んで「先生達も好きでやりたい事らしいから」と返した。
申し訳ない気は勿論する。
でも、先生達の言ってる事も理解できる気はした。
私達はこの学校に三年間在籍しただけだけど、
当然ながら愛着もあるし、卒業する事に寂しさも感じてた。
だから、私達より遥かに長い間この学校に勤めてる先生達の愛着は、
私達の愛着なんか比べ物にならないくらいなんだろうな、って思う。
世界の最後の日も過ごす場所に選びたいくらいに……。
それでも私は何かを言おうと思ったけど、
和はもう一つだけ私達に先生達の言葉を代弁して贈ってくれた。

「若いんだから、思うように生きなさい。
後片付けくらいは先生達に任せてくれていい。
いいライブを見せてもらえたお礼だ」

そう言われちゃ、私も引き下がらないわけにはいかなかった。
そうして、私は和に今は居ない先生達へのお礼を頼んで、
澪と一緒に皆の荷物を音楽室に取りに行く事にしたわけだ。
唯達はもう少しだけ講堂を片付けるらしい。
主にムギの持って来たケーキの箱の後片付けだけどな。
先生達が明日片付けてくれるとは言っても、
流石に自分達の持って来た物くらいは片付けておかないとな。
唯達とはその後で校門で合流する事になってる。

私は澪と手を繋ぎ、無言で音楽室に向かって行く。
二人の間に言葉は必要無かった……わけじゃないけど、
多くの想いが胸の中に生まれては消えてて、上手く言葉にできそうになかった。
ライブ中、澪とセッションしながら、私は気付いていた。
今更過ぎるけど、私は澪の事が本気で好きなんだって。
傍に居たいし、抱き締めたいとも感じてる。誰よりも大切にしたいとも。
これは恋愛感情……なんだろうか?
またそこが分からない。
根本的な問題になっちゃうけど、友達と恋人の境界線は何処にあるんだろう?
傍に居る事や抱き締める事や誰よりも大切するって事は、
別に恋人じゃなくても友達って立場のままで十分にできる事だと思う。
だったら、友達と恋人の境界線って何だ?
やっぱり、アレなのかな……?
キス……とか、オカルト研の中に居た二人みたいに裸で、とか……。
そういう事をしてこその恋人なのかな……?

変な事に思い至ってしまって、私は自分でも分かるくらい顔を赤くしてしまう。
でも、これも澪と友達以上恋人未満の私としては、考えなきゃいけない事だよなあ……。
こればかりは私一人で答えを出せる事でもなさそうだ。
明日、勇気を出して、澪の家でその話をしてみようと思う。
「恥ずかしい事を聞くな!」と五回くらい殴られるかもしれないけど、覚悟を決めて話し合おう。
それこそ私が明日やらなきゃいけない事だ。
にしても、五回か……。
あいつ腕力結構あるから、五回殴られるのは辛いな……。
だけど、澪に殴られるんならあんまり嫌じゃないかな……、って私ゃМか!
……一人でボケて、一人で突っ込んでしまった。
誰が見てるわけでもないのに、何だか気恥ずかしい。
恋愛初心者の中学生みたいだな、ってつい苦笑してしまう。
もうすぐ世界の終わりなのに、こんな事で思い悩めるなんて、すごい幸せな事なのかも。

しかし、関係無いけど、
火曜日にオカルト研の部室に居た女二人のカップルは結局誰だったんだ?
オカルト研の部室に居たって事は、オカルト研の子達の関係者なのか?
それとも学校に侵入した単なる不審者か?
何か不審者だと嫌だから、オカルト研の子達の関係者だって事にしておこう。

そんな事を考えてる内に、私達は音楽室の入口の前に辿り着いていた。
澪がポケットから音楽室の鍵を取り出し、鍵を開けて音楽室の扉を開く。
電気を点けると、音楽室に異変が起こってる事にすぐに気付いた。
私達がライブに向かう前とは、音楽室の中の様子がかなり変わってしまってたんだ。
席の配置が若干変わってるし、
片付けていたはずの音楽室の備品が何個か無造作に転がってる。
私達より後に出たのはさわちゃんだから、
さわちゃんがやったんだと考えられなくもなかったけど、それは違うはずだと私は感じていた。
ああ見えてさわちゃんはしっかりした音楽の先生だ。
意味も無く音楽室を散らかすような事は絶対にしない。

だとしたら、不審者……?
その考えに至った私は身構え、澪を庇うように自分の身体を前に出した。
明日死んでしまうとしても、澪に危害を与える事は絶対に赦せない。
誰が相手でも、どんな不審者が襲い掛かって来ても、
澪だけはこの身に代えても護ってやるんだ……!
息を呑んで、音楽室の中を見回す。
誰か潜んでないか?
音楽室の中に他に異変は無いか?
私達の荷物は無事なのか?
慎重に、用心深く音楽室の様子を丹念に探っていく。
瞬間……、

「あっ……!」

不意に澪が驚いた声を上げる。
口元に手を当てて、異変を見つけたらしい箇所を指し示す。
私は更に身構え、澪が指し示したホワイトボードに視線を向け……、
って、ホワイトボード……?
ホワイトボードを目にした私は一瞬にして力が抜けてしまい、その場に軽く倒れ込んでしまった。
どう反応したらいいのか分からなかったからだ。
ホワイトボードには大きな文字で、
『DEATH DEVIL参上!! by.クリスティーナ』と書いてあった。

何をやってるんだ、あの人は……。
考えてみれば、音楽室を出た後、さわちゃんは扉に鍵を掛けたはずだ。
こんな御時勢だし、鍵を掛け忘れるなんて事はないと思う。
という事は、音楽室に侵入できるのは鍵を持ってる人間だけになる。
本来なら部外者のクリスティーナ……、紀美さんだけど、あの人も元軽音部なんだ。
何となく記念でスペアキーを作ってるなんて事は……、あり得る。
超ありそう。何と言ってもあの人も『DEATH DEVIL』なんだからな……。
でも、そう考えれば、音楽室がちょっとだけ散らかってるのも納得できる。
きっと懐かしくなって、昔の軽音部の思い出の品なんかを探したりしてたんだろうな。

私は小さく苦笑しながら探ってみたけど、
どうやら紀美さんも含めて、音楽室の中には私達以外に誰も居ないみたいだった。
紀美さん、もう居ないのか……。
挨拶したかったなとは思う。
でも、紀美さんが学校に来てくれてたって事は嬉しかった。
多分だけど、紀美さんはラジオが終わった後で、私達のライブを観に来てくれてたんだろう。
私達のライブがある事を、さわちゃんが紀美さんに伝えてくれてたんじゃないかな。
勿論、単に懐かしくなって音楽室に顔を出してみただけかもしれないけど、
本当に私達のライブを少しでも観てくれていたら嬉しい。

何となく、もう一度ホワイトボードに目を向けてみる。
よく見ると『DEATH DEVIL参上!!』以外にも色々細かく書いてあるみたいだ。
『ラジオもヨロシク!!』とか、『ヅラクター給料上げて!!』とか、
私達に言えた事じゃないけど、かなりフリーダムな落書きだな……。
だけど、そんな中にも紀美さんの気遣いが見て取れた。
その落書きは私達の落書きとは重ならないように書かれてたからだ。
私達の落書きにも何かの想いが込められてるかもしれないって思ってくれたんだろう。
今は単に取り留めの無い唯の落書きがあるくらいだったけど、
そんな事にも気の回る紀美さんの優しさが何だかとても温かい。

「これ……、いいな……」

ホワイトボードの上に何か気になる言葉を見つけたらしい。
すごく嬉しそうな顔で澪が呟いた。
澪の視線の先には紀美さんらしい洒落の効いた言葉が記されていた。
私も思わず笑顔になって、後ろから澪の背中に抱き着いた。
しばらくそのまま二人でくっ付いて笑顔を浮かべ合った。


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最終更新:2011年11月01日 01:14