○
着替えを終わらせて校門に向かうと、
衣装の上に上着を羽織った皆が私達を待っていた。
「りっちゃん、澪ちゃん、おそーい!」
唯が腕を頭上に掲げながら頬を膨らませる。
そんなに遅くなったつもりはなかったけど、
紀美さんの事を考えたりなんかしてたから、思ったより時間が掛かってたのかもしれない。
そういう意味で唯は私達の事を遅いって言ったんだろうな。
「悪い悪い」と言いながら、私は唯達に荷物を手渡そうとする。
数秒、唯の時間が止まった。
そう見えるくらい、唯は私から自分の荷物を受け取ろうとしなかった。
受け取ってしまったら、遂に私達の別れの時間が始まる。
それを分かってるから、唯は自分の荷物を手に取りたくなかったんだろう。
私は唯に何も言わなかった。
唯の気持ちは痛いくらい分かるし、唯なら大丈夫だろうと信じてたからだ。
もう少しだけ、時間が流れる。
時間は止まらない。
何をしていても、時間を止めようとしても、別れの時間は刻一刻と迫って来るだけだ。
唯もそれは分かってたんだろう。
躊躇いがちにだけど、力強く私から自分の荷物を受け取って笑った。
「ありがと、りっちゃん。
……カチューシャ着けたんだね」
急に話題を変えられてちょっと焦ったけど、私も唯に合わせて軽く笑った。
「まあな。カチューシャは私のトレードマークだからさ。
やっぱりカチューシャ無しじゃ私らしくないじゃん?
前髪が邪魔ってのもあるけどさ」
「そうかなー?
前髪を下ろしたりっちゃんも可愛いと思うんだけど……」
「あんがとさん。
じゃあ、逆におまえがカチューシャ着けてみるってのはどうだ?
予備はまだあるから、いくらでも貸してやるぞ」
「ごめんなさい!
おでこ丸出しだけは勘弁して……!」
唯が自分のおでこを隠すみたいに両手で押さえる。
きっぱり出せ、きっぱり!
と言いたいところだったけど、
私が前髪を下ろすのを恥ずかしいと感じるように、
唯もおでこを出す事に何らかの恥ずかしさを感じてるんだろう。
切り過ぎた髪を誤魔化すためのカチューシャすら断ったくらいだからな。
よっぽど自分のおでこ丸出しに自信が無いんだろう。
だから、私はそれ以上、唯にカチューシャを強要しなかった。
困った時はお互い様ってやつだ。
……何か違う気もするが。
「でも、本当にりっちゃんの前髪下ろした姿って素敵だよ」
そう言ったのはムギだった。
しまった。
ムギはどんな髪型でも恥ずかしがらないから、今唯に使った誤魔化しが通用しない……!
私はムギから目を逸らして、全く違う話題を梓に振った。
「そうそう。
私達の髪型の事なんかより、純ちゃん達はどうしたんだ?
もう帰っちゃったのか?」
梓は私の考えに気付いてたらしく苦笑してたけど、
「そうですね、純は……」と私の振った話題に乗ってくれた。
恩に着るぞ、後輩よ……。
「純は憂と和先輩と一緒に帰りました。
何か今日のライブに触発されたみたいで、
明日、私の家で『No, Thank You!』の楽譜を見せてほしい、って言ってましたよ。
あ、そうだ。
そんなわけなんで、純に楽譜を見せてもいいですか、ムギ先輩?
作曲者はムギ先輩だから、一応許可を取っておきたいんですけど……」
「勿論よ、梓ちゃん。
私達の曲を好きになってくれて、
演奏しようと思ってくれるなんて、こんなに嬉しい事はないもの。
作曲者冥利に尽きるって、こういう事なんだって思うな」
幸せそうにムギが笑う。
私が髪型の話題とは違う話題に変えた事は、全然気にしてないみたいだった。
それは勿論嬉しいんだけど、
純ちゃんが『No, Thank You!』を好きになってくれた事はもっと嬉しかった。
純ちゃんだけじゃなく、今日ライブに来てくれた皆の心に私達の曲が少しでも残ってるといいよな。
明日世界は終わるけど、これから一瞬でも私達の曲を思い出してくれたら嬉しい。
実は前触れがあるものなのかどうかは分からないけど、
もし明日来る終末に何らかの前触れがあったなら、
その瞬間から私は澪と一緒に『No, Thank You!』を口ずさみたいと思ってる。
結局、照れ臭いのもあって、
放課後ティータイムの曲に私がメインで歌う曲は作らなかったけど、実は全曲口ずさめるんだよな。
誰も知らないだろうし、誰にも教えてないけどさ。
だから、最期まで歌ってやろうと思う。
多分下手だろうと思うけど、隣に澪が居るなら安心だ。
澪の綺麗な歌声を見本にしながら、終末相手に歌ってやれるだろう。
「さわ子先生は?」
荷物を手渡しながら、澪がムギに訊ねる。
そう言えば、ライブ後に一番に私達に駆け寄って来そうなさわちゃんの姿を見てない。
「私の衣装の見立てはやっぱり完璧だったでしょ!」
とか嬉しそうに言って来るのが、いつものライブ後なんだけどな……。
ムギは寂しそうに笑ってから、澪の質問に応じる。
「さわ子先生は今から誰かと会う予定があるみたい。
私達が講堂を片付けてる途中に、
「いいライブだったわよ」って言って、講堂から出て行っちゃったの。
これから飲み明かすとも言ってたから、
お友達と会うんじゃないかって思うんだけど……」
相手は紀美さんかな?
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれなかった。
さわちゃんに会えなかったのは残念だったけど、そんなに悔しいわけでもない。
私達とさわちゃんのお別れは、ライブ前にもう終わらせてるんだ。
だから、ムギも寂しそうではあったけど、その表情に悲しさや後悔はないみたいだった。
それにしても、ライブ後に五人だけで集まれるなんて実は思ってなかった。
さわちゃんか憂ちゃんくらい、
私達と一緒に帰宅する事になるんじゃないかと思ってた。
多分、憂ちゃんもさわちゃんも、
純ちゃんや和も私達と一緒に帰りたいと思ってはいたはずだ。
でも、そうはしなかった。
私達を五人だけにさせてあげたいって、
五人だけで話をさせてあげたいって、そう思ってくれたんだろう。
気を遣わせちゃって申し訳ないけど、その好意を無駄にするのはもっと申し訳なかった。
私は心の中で四人にお礼を言ってから、梓に荷物を手渡して校門を後にする。
意を決した表情で、澪達も私に続いて校門を後にした。
帰り道。
私達は今日のライブの反省点や梓の見事だったMC、
音楽室にあった紀美さんの落書きや、
美味しかったムギのケーキの事なんかを話しながらゆっくりと歩いていた。
残り少ない短い通学路を、少しでも長く歩けるように本当にゆっくりと歩いた。
でも、短いと思ってた通学路は、
予想以上に遥かに短くて……、
あっという間に私達がいつも解散する場所……、
いつもの横断歩道まで辿り着いてしまっていた。
胸が激しく鼓動を始める。
澪とは明日も一緒に過ごすけど、
唯、ムギ、梓とは一緒に過ごすわけじゃない。
時間があれば会いに行く事もあるかもしれないけど、
そんな時間があるかどうかも、いつ訪れるか分からない終末のせいではっきりしない。
いっそのこと、このまま五人で誰かの家に居続けるってのはどうだろう?
多分ものすごく広いんだろうムギの家で、セッションし続けるってのは……?
何度も考えてた私達の週末の……、終末の過ごし方が浮かんでは消える。
本当にそうできたら、どんなに楽になれるだろう。
でも、そうするわけにはいかなかったんだ。
一瞬は楽にはなれるだろうけど、すぐに後悔しちゃう事は分かり切ってる。
それは私達が一番したくなかった逃避に身を任せるって事だし、
終末当日にもそれぞれがやらなきゃいけない事が残ってる。
私は澪を大切にする。誰よりも大切にする。
澪は私の想いを信じて傍に居る。答えを二人で探し合うために。
梓は純ちゃんと『No, THank You!』の練習を行う。
私達の想いを少しでも広げるために。
まだ直接聞いてはいないけど、唯は一番大切な妹の傍に居るんだろうと思う。
自分と一緒に居たいのを我慢してくれた憂ちゃんの傍で、
最後の日こそは二人きりで終末を迎えようとしてるんだろう。
ムギも口にこそ出さないけど、最後の日は家族と過ごそうと思ってるはずだ。
終末まで私達と一緒に居たいって言ってくれたムギだけど、
家族をないがしろにできないのもムギって子のはずだった。
少なくとも私の中ではムギはそんな子だ。
だから、もう十分だ。
私達の中で一番自由が取れない立場なのに、ムギはずっと私達の傍に居てくれた。
ムギの家族も長い間待っててくれた。
放課後ティータイムを大切にしてくれるのは嬉しいけど、
ムギはもう自分を大切にしてくれてる家族に目を向けてもいいんだ。
横断歩道の前で動きを止める皆を、私は思い切り腕を広げて抱き寄せる。
小さな私の身体だけど、皆を強く抱き寄せるくらいの事はしてみせる。
「りっ……ちゃん……?」
泣きそうな声で唯が呟く。
怯えてるみたいに震えている。
唯だけじゃない。澪も、ムギも、梓も、多分、私も。
だけど、私は言った。
最後まで笑って終末を迎えてやるのは、私だけじゃなく、全員の決心なんだから。
「唯。お菓子に釣られてかもしれないけど、軽音部に入部してくれてありがとう。
おまえのおかげで廃部を免れたし、おまえの笑顔を見てるのは楽しかったぜ?
私もおまえのおかげで辛い時も笑顔になれてたと思う。
だから、笑ってくれ、唯。私はおまえの笑顔が大好きだ。
私だけじゃない。皆、唯の事が大好きだよ」
「え……、えへへ……。
そっ……だね。そっ……だよね。
楽しかった……もんね。
この三年間、ずっと楽しかったもんね。
笑ってなきゃだよね。
明日の事は恐いけど、でも、何か私、気付いちゃった。
りっちゃんのおかげで気付けちゃった。
これからの事を恐い気持ちの大きさと、
今まで感じた嬉しい気持ちの大きさを比べたら、
嬉しい気持ちの方がずっとずっとずーっと大きいよ! 何かすごいよね!
それが分かっちゃったら、笑ってない方が勿体無いよ!」
「もう……。
唯先輩も律先輩も何を言ってるんですか……」
呆れた声色で梓が呟く。
梓はもう、震えてなかった。
「そんなの当然じゃないですか。
笑ってる方が楽しいんだって、
幸せな気持ちでいた方が素敵なんだって、
それを教えてくれたのは先輩達じゃないですか。
だから、先輩達は責任を取って笑ってて下さい。
私なんか、先輩達のせいでよく「梓、変わったよね」って言われるようになったんですからね。
無理矢理影響を与えた責任を取って下さいよ!」
「あずにゃん、横暴だー……」
「横暴じゃありません!」
梓が言うと、唯の震えも止まり、
唯と梓は私の腕の中で顔を合わせて笑った。
釣られて、ムギも笑い始める。
「嬉しいな。
こんなに大切なお友達ができるなんて、とっても嬉しいな……。
私ね、皆には言ってなかったけど、本当は不安だったの。
桜が丘に入学したのは自分の意思だったんだけど、
知り合いなんてほとんど居ないし、お友達ができるかのかなって不安だったの。
でもね、すぐにりっちゃんと澪ちゃんが軽音部に誘ってくれたでしょ?
最初は単に面白そうだなって思ってただけだったんだけど、
りっちゃん達は楽しくて優しくて……、それがすっごく嬉しかった。
それを思い出すと、明日なんて恐くないよ。
これからも何度も恐くなるかもしれないけど、
皆が傍に居た、皆が傍に居るって思うと大丈夫。
私達はずっと一緒だもんね。皆のキーホルダーみたいに。
私にも見えるよ。今は此処に無い皆の鞄のキーホルダーが。
勿論、梓ちゃんのキーホルダーもね」
最後に澪が力強く腕を広げ、
皆の背中に手を回すと一言だけ言った。
もう多くを語りはしない。
「私達はいつまでも仲間だよ」
当然だ、と言う代わりに私はまた皆を強く抱き寄せた。
皆の体温を皆で感じ合う。
私達は生きた。私達は生きてる。
この生きた証を……、皆の体温を最後の時間まで絶対に忘れない。
少し名残惜しかったけど、私は皆から腕を離す。
別の道を歩いても、離れていても、仲間なんだ。
皆の顔を見回しながら、私は不意に思った。
私と澪は一つだけ皆に隠し事をしている。
皆、気付いてるかもしれないけど、
それを伝えないのは皆の信頼を裏切る事になるのかもしれない。
終末とは違った意味で緊張してくる。
でも、こんな緊張なら悪くない。
私は苦笑して、頭を掻きながら口を開いた。
「あの……さ……。
私と澪の事なんだけど、実は私達は……」
瞬間、唯がわざとらしい欠伸を上げた。
疲れているのは確かなんだろうけど、その欠伸は間違いなく演技だった。
欠伸を続けながら、唯が言う。
「りっちゃんと澪ちゃんが大切な幼馴染みだって事は知ってるよ?
今更それをまた主張するなんて妬けますな、田井中殿。
その続きは二人の仲がもっと進んでから教えてほしいなー。
今日の私に人の惚気話を聞く体力は残されていないのです!」
うんうん、と唯の言葉に同意するみたいにムギと梓が頷く。
何だか拍子抜けだけど、やっぱり唯達も分かってるんだろうな。
私と澪が自分達の関係を模索してて、今は友達以上恋人未満の関係なんだって事を。
抱き合ってる場面も見られたんだ。そりゃ気付くよな……。
自分の口から伝えるべきだと思ってたけど、
それをはもしかしたらお互いに野暮ってものなのかもな。
とりあえず伝えておこうと思ったのは、
隠し事を告白して安心したいっていう自己満足だったのかもしれない。
その私の気持ちを察したみたいに、珍しく唯がすごく優しい表情を浮かべた。
「確かりっちゃんは明日は澪ちゃんと一緒に過ごす予定なんだよね?
明日、りっちゃんと澪ちゃんに何かあったら、月曜日に教えてくれると嬉しいな。
楽しみにしてるね」
月曜日……、来週か。
そうだな……。
明日、澪と二人で何かの答えが出せて、
もしもまた月曜日を迎える事ができたなら、一番に皆に伝えよう。
どんな答えを出せたとしても、包み隠さずに全てを伝えたい。
私が澪に視線を向けると、澪も軽く頷いた。
早く澪と色んな事を話し合いたいな……。
拳骨五発を覚悟しとかなきゃいけないのは、ちょっと気が重いけどさ。
唯達が私と澪に背を向けて横断歩道を渡っていく。
私と澪は静かに皆の背中を見送る。
別れの胸の痛みも今なら耐えられそうだ。
不意に唯が私達の方に振り返って言った。
「じゃあね、りっちゃん、澪ちゃん!
また来週!」
唯に続いて、梓が大きく手を振って叫ぶ。
「明日は律先輩も澪先輩も元気に過ごして下さいね!
また学校で会いましょう!」
「しーゆーねくすとうぃーく!」
「何故英語っ?」
ムギが何故か英語で言って、澪が突っ込んでから穏やかに笑う。
と。
私はホワイトボードに書かれていた紀美さんの言葉を思い出した。
お気楽でお間抜けで世界の最後まで笑う予定の私達が、今言うに相応しい言葉だと思えたからだ。
私は身体中で大きく手を振った。
唯に。ムギに。梓に。澪に。
明日私達は世界と自分達の終わりを迎える。
辛いんだろう。苦しいんだろう。悲しいんだろう。
その恐怖を忘れる事は決してできないだろう。
でも、笑う。笑って終わりを迎える。
それが私達が私達なんだって事だから……。
だから、私は大きく手を振って、声の限りに叫んだ。
この世界と、この世界の全ての人達に向けて。
精一杯に。
「またな、皆!
日曜だからって気を抜いて風邪ひいたりすんなよ!
月曜からはまた皆で遊ぼうぜ!
だから……、だからさ……、皆――」
――よい終末を!
おしまい
※ラジオで流れてる曲は全部世界の終わりっぽい曲です。
※このSSの舞台設定はけいおん!!の番外編1の直後くらいが冒頭という設定です。
※>>662
2期5話ではムギが「い」澪が「お」、2期26話では澪が「い」ムギが「お」になってる
どっちが正しいんだろう
入部した順番なら律「け」澪「い」紬「お」唯「ん」梓「ぶ」なんだろうけど
※>>662の方が書いて下さいましたが、
キーホルダーは2期5話を参考にして書いておりました。
最近、違う話だとキーホルダーの字が違う事もある事に気付きまして、どっちなんだと思ってましたが……。
※>>662の方に書いて頂いたとおりに、
入部した順だとドラマになるんで、そっちを採用しておけばよかったと後悔中です。
もうこのssでは仕方ないので、三年生は全員同じクラスだし、
気分で皆のキーホルダーを付け替えてたって事でどうか一つお願いします。
最終更新:2011年11月01日 01:15