「さて、308。あいにくながら作戦はまだ終わっていないんだ」
本来私を必要としていた状況になったのか、澪さんは職業的な口調で言った。
「どういうことです?」
「セーブポイントは市街地に戻らないと発見できない。市街地に戻ったら、仕事があるんだ」
私は虚を衝かれて一瞬言葉を失ったが、言われてみればこれは盲点だった。
私は荒野にセーブポイントがあるものとばかり思っていたが、システム空間に近い特性から、むしろそんなものが設定されていない可能性の方が高いはずだ。
熟知しているようでも、<アヴァロン>には未だ未知の領域が数多く残されているのかもしれない。
この<ドッグズヘッズ>が良い例だった。彼女らは形態においても、その考え方においても従来のパーティとは大きく異なっていた。
「セーブポイントまで到着できなければ、全て水の泡だ」
このパーティはプレイヤーキラーに狙われている?
「……狙われているんですか」
「おそらく端末で精算しているときに目をつけられた。次ぎにアクセスした時に尾けられた形跡があったんだ」
「連中の狙いは?」
「戦場から一度姿を消して、再び現れたパーティが生還して莫大なポイントを精算する……308ならどう考える?」
「荒野においしい話があると判断して、戦場で揺さぶりをかけ機を見て現実側で締め上げて吐かせる、かな」
「前回のアクセスではセーブ前に二人殺られた。これは私たちの交戦規定に反する」
「端末を替えても追ってくるかもしれない。決着をつけたいが相手が判らないし、あの娘たちはこの手の戦闘が苦手なんだ」
前方にうっすらと針葉樹林が見えてきた。接続点だ。
「まかせて、私はザコの専門家だから」
大物を墜とした後の撤退は難しい。
私たちは市街地に入り、あとはセーブポイントを目指すのみだった。
一刻も早くセーブポイントに辿り着きたいのが人情だけど、焦りは必ず警戒心に綻びを作り出す。
普段はなんてことないブービートラップに引っかかって吹き飛ばされたり、舐めてかかった歩兵の背後に歩兵戦闘車が控えていたり、という話は数え切れないほどある。
<ドッグズヘッズ>は大物相手のウルフパック戦術に特化しすぎていて、撤退戦闘などという姑息な戦闘に熟練する余裕がなかったらしい。
でも、こういった撤退時に危険な殿をつとめるのは、いわば傭兵の日常業務と言ってよい。
後衛についていた私は一度パーティを追い抜いてから、素早く歩道に乗り上げたトラックの下に潜り込んだ。
こんな小細工が通用するかどうかは判らないけど、追撃してくる相手を迎撃するにはもってこいの場所だった。
両足を大きく開いて、伏射の態勢に入る。
ほどなくして接近してくる5つの人影が前方の車道に見えてきた。
追撃に夢中だからか、それとも単純に未熟だからか、背後に建物のない、抜けのいい車道の中央に密集して走っている。
これでは狙撃してくれと言わんばかりだ。
小さなお弁当箱ほどもあるFALのマガジンは銃を水平に構えたときに地面に当たることがない。
私はピープタイプのサイトを覗き込み、フロントサイトのポストに先頭を進む人影に合わせた。
接地した下半身はがっちりと固めて強固な発射台となっていたが、肩の力を抜いて、トリガーにかけた指も添えただけ。
撃つ瞬間までは、筋肉の緊張を最小限に抑えなければいけない。
もうはや追撃者と私の距離は目測でFALの必中距離の400を切っている。
しかし、私はさらに接近させ、200まで引き寄せるつもりでいた。
30口径ライフルは標的の正中線を捉えてば死亡と判定されるが、今は敢えて外さなければいけない。
単に殺るだけでなく、「マーキング」して欲しい、と澪さんに頼まれたからだ。
高い遠射性能を持つと言われるFALの照準調整は、実はそれほど精緻なものではない。
フロントサイトの調整、リアサイトの左右調整には専用の工具やドライバーを使用しなければいけない。
リアサイトの距離調整はボタンを押しながら100メートル単位で調整ができる。
これはもともと、戦場であれこれ調整するようには設計されていないためだ。
微調整の効く照準装置よりも、操作性を優先する合理主義がヨーロッパ製歩兵銃の基本であり、FALはその典型と言える。
ちなみに私のFALのサイトは常に300に固定されている。
戦場での平均的な交戦距離は200~500なので、微調整は経験で充分に補正できるからだ。
先頭の男の顔がぼんやりと判別できる距離まで接近し、私は銃床を肩に引き寄せて、照準をその影に合わせた。
さらに接近を待って、照準をやや右下に下げた。
重いトリガーを絞ると、轟音と共に男が路上に転がった。続いて4、5回轟音が響く度に、追撃者がもんどり打って倒れる。
「害虫駆除は台所に立つ者の勤め、ってね……」
膝撃ちをやってのけた。
初めからそうするつもりじゃなかったけれど、その5人が「顔見知り」であることに気づいて、撃つ直前に狙いを変えることにした。
「私は、復讐心たっぷりで、執念深いんだよ」
「つくづく嫌な性格かも……」
誰も聞いてなどいないことを、私は黄昏の空に向かって呟きかけた。
突然襲った激痛に彼らはリセットを叫ぶこともできずに車道を転げ回り、今頃は端末のベッドにお漏らしでもしている頃だろう。
その姿を思うと、思わず口元に笑みが浮かぶ。
FALを肩に担ぎ上げて、私はセーブポイントに向かって太腿の痛みも忘れて走り始めた。
お楽しみは、これからです。
端末のベッドで覚醒した私は、太腿の痛みが引いてくるまでゲームマスターと話していた。
「憂ちゃん、なんだかご機嫌ね?」
「今日は結構な働きしちゃったんで、うきうきしてるんですっ」
太腿がひりひりする程度になり、私はベッドから降りて急いで服を着た。
「それじゃ、また来ますね、先生!」
「次のアクセスを待ってるわ。じゃあね、憂ちゃん」
私は廊下に飛び出し、ロビーに駆け込んで先にログオフしているはずの澪さんたちを捜していると、奥のトイレに人垣ができていた。
「もう追い込んだの?」
「はい、青い顔して左足を引きずってトイレに入った5人組がいたので」
その中で横隊を組んだ黒髪美少女の一人が言った。
喋った! と私が仰天すると、くすくすと笑って答えた。
「私たちだって喋りますよ。無駄な話は他の人よりちょっとだけ少ないってだけです」
「膝撃ちをやったんですね」
「判りやすかったでしょ?」
戦場で受けた傷はその部位にも寄るけれど、私がさっきそうだったように覚醒後もしばらくは痺れるような痛みを残す。
無言でトイレの扉を睨みつけていた澪さんが振り返り、私の顔を見つめた。
「そうは見えなかったけど……308、結構怖い人だったんだな」
「私怨が入ってるんで」
私も澪さんを見返しながら言った。
「私もあいつらに尾けられて襲われたんです。地下鉄の中で」
「なるほど」
澪さんが言った。
「人の上前を撥ねようなんて連中のやることは虚実を問わないわけだけど……」
「参加する?」
「せっかくだけど、私は参加しないです」
不審な表情を浮かべる澪さんに答えて言った。
「私、暴力が嫌いですから」
「やっぱり怖い人だな、君は」
澪さんが小さく肯いて、美少女5人組が突入をかけようとした途端、背後からよく響く声が飛んできた。
「おっ! なんだホウワじゃないかっ!」
振り向いた澪さんが、近づいてくる律さんを見て驚いた。
「りっ……ガーランド、どうしてここに?」
「そりゃこっちの台詞だよん。二人揃ってどうしたんだ?」
「私のクライアントだよ」
ほお、と妙な声を洩らしてから澪さんの方を向いた。
「この娘たち、生徒か?」
「うん、そんな感じ」
慣れているという感じか、美少女5人組はガーランドにニコニコしながら手を振った。
日本人形でいるのは戦場に赴くときだけとは、なかなかやるな、と思いながら私は二人のやりとりを聞いていた。
が、一向に終わる気配がないので私は声をかけた。
「ちょっと待って二人とも、久しぶりの談笑はやることをやった後に、ね」
おうそれだ、と思い出しようにガーランドが私に向き直った。
「一体何の騒ぎ?」
私は、かくかくしかじかの経緯をかいつまんで話した。
「うっし、そういうことなら私も一枚噛ませてもらうか!」
「最近、立て続けに端末帰りを襲われる傭兵とかが増えてるんだ。何とかしなきゃって思ってたところでさ」
「あと、今日の私は機嫌が悪い!」
「おい!」
澪さんが突っ込みを入れた。
流石は名コンビといったところか、私はある種の感動さえ抱いていた。
「俺もだ」
「俺も」
「ひゃあえっ!?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げて後ずさった。
いつの間にか私たちの後ろに、大柄な男の人が二人立っていた。
「あ、ごめんごめん。今日一緒に戦場に行った傭兵のコガと林って奴ね」
律さんが悪びれた風に二人を紹介した。
「驚かせちゃってごめんなぁ」
林さん凄い形相でが私に謝り、コガさんが私にニコリ……とはどう考えても思えない顔をして見せた。
「いえ……とんでもない」
見たところ悪人ではないようなのだけれど……また凄い傭兵がいたものだ、と私は心の中でため息をついた。
「私たちの出る幕はなさそうだな」
澪さんが言って、美少女5人組の横隊は少し後退した。
これで美少女5人組に踏んだり蹴ったりされるチンピラ5人組、というシュールな構図は消え去った。
……私は何を考えているんだろう。
「ガーランド、大丈夫?」
澪さんが心配そうに言うが、律さんは笑顔で答えた。
「まあ見てなっ!!」
そう言った直後、律さんがトイレの扉を蹴りつけた。
バタン、とドアが吹き飛ぶように開き、中にいた<親衛戦車連隊>の5人組が声を上げた。
「なんだテメええ……ら……」
急に声に勢いがなくなり、5人の表情が凍り付いた。
私と澪さんと美少女5人組、律さんは威圧するタイプの外見ではない。
が、コガさんは正直言って何を考えているのか判らない怪人のような人で、林さんに至っては地底獣国か人外魔境としか形容できないような顔をしている。
無理もない。
「これから、お前らを痛めつけるっ!!」
律さんが宣言した。
「しかーし、痛めつけられたお前らはこう考えるはずだ。戦場だろうが現実だろうが徹底的につきまとって、借りを返してやるってな!」
「そこでまた私たちが痛めつけたんじゃきりがない!」
左膝を抱えた5人組は黙って聞いていた。……それ以外にすることがあるとは思えないけれど。
「この悪循環を断ち切る方法はひとつしかない。復讐心が湧いてこないほど徹底的にお前たちを痛めつける!」
ビシッ、と指をさして声高らかに律さん。
「頭さえ無事なら、またゲームできるからな」
澪さんが5人組に冷たい声で言った。
「そゆこと。でも、今度お前らを戦場で見かけたら、問答無用で30口径を膝にブチ込む! この娘の308、痛かっただろ?」
私を顎で示しながらそう訊くと、5人組がカタカタと人形のように首を縦に振った。
「ちなみに私の30-06はもっと痛いよん。一割増しで強力なんだ」
嬉しそうに笑った。
「サーティキャリバー・クラブにようこそ。歓迎するぜえっ」
律さんたちは言ったとおりのことをやった。
私はその様子を眺めながら、まだお姉ちゃんのことが頭から離れずにいた。
2話 おわり
最終更新:2010年01月25日 21:27