――<現実>からの<撤退>か、<虚構>への<帰還>か?
■アヴァロンとは?
広義にはシチュエーションとしての戦闘を含む体感ゲームを総称し<アヴァロン>と称する。
飛躍的な発展を遂げた大脳生理学の成果を導入することによって、プレイヤーは視覚や聴覚を経由することなく、
大脳皮質への低周波による直接励起によってゲーム内の時空間を体感する。
プレイヤーは任意に選択された状況下において個人またはその所属する集団単位で戦闘に参加、戦技を競う。
≪フラグ≫と呼ばれる特定の目標または全ての標的を倒すか、あるいはプレイヤー自身が<死亡>することによって終了する。
ゲーム内の現実はプレイヤーによって擬似的に体感された架空の世界に過ぎない。
しかし、その<死>の体験による心理的・生理的影響の危険性は早くから指摘された。
多くの地域で非合法化されながらも、不安定な政治、経済という状況の下、熱狂的ブームを巻き起こした。
そして若者たちの間に、≪パーティ≫と称する非合法集団を形成させ、無数のゲーム中毒患者を生みだした。
A V A L - O N ! *02
けいおん! × アヴァロン SS-2
灰 色 の 貴 婦 人
Glay Lady
Based on the book by
Mamoru Oshii
Kakifly
#03
古い円卓
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Old Table
<親衛戦車連隊>の5人組を痛めつけた後、私たちは律さんの知り合いが闇市でやっているという店に行くことにした。
その名もCAL50……<大鴉>と戦った日には見たくない文字ではあるけど、それほど構えは大きくない小洒落た店だった。
客は私たちの他にはいなかったようで、30がらみの美人、といった感じの人がテーブルに酒瓶とグラスを運んできてくれた。
「一本サービスね」
「ありがとな!」
たちまちバーボンの一本目は空になり、律さんがもう一声かけてもらってきた二本目のバーボンを飲み尽くした
今のところ、酔うということを知らない律さんと、今のところ何の変化も見せない澪さん、そして私の三人はだらだらと飲み続けた。
「……憂、今日どうしてここに呼んだと思う?」
「え?」
三本目のバーボンの封を切りながら、律さんが切り出した。
「あの妙な女の人の話のため……かな」
あのゴタゴタですっかり忘れていたが、あの妙なクライアントのことは気になっていた。
「どんな作戦だったの。あの人の素性は割れた?」
私のグラスに琥珀色の液体を注ぎ、自分に注ぎ、澪さんのグラスにも注いでから律さんが続けた。
「SVDで<大鴉>の頭を正面から撃ち抜く、なんてやり方を見たことがあるか?」
ドラグノフ狙撃銃。
正確にはスナイパースカヤ・サモザラヤドナヤ・ビンドブンカ・ドラグノバというとても長い名称で、通称ドラグノフ。
制式化していた旧東側ではSVDと呼ばれていた。
作動方式は当時ボルトアクションが主流だった狙撃銃の中で、ガス圧利用式の半自動機構を採用した。
ボルトの閉鎖はロータリーボルト・ロッキング方式、通常は4倍の赤外線探知能力を持つスコープを用いる。
このスコープには簡単なレンジファインダーとクロスヘアを照明して薄暮時の照準を助ける小さなランプが装備されている。
SVDは、7.62x54Rと呼ばれる1891年に帝政ロシア軍が制式化したモシン・ナガン小銃用の弾薬を使用する。
こんな旧式の弾薬を使用する理由は、利用できる旧来の弾薬製造施設や大量に備蓄された弾薬を最大限に活用するためだと言われているが、本当のところは判っていない。
SVDを装備する例は<アヴァロン>ではまず滅多にいない。
それはSVD自体の性能の問題というより、<スナイパー>の存在自体が希少なものでしかないからだった。
800以上の遠射を前提にした設計や10発という弾数の少ないマガジンは、一般的なファイターの装備としては全くの不利しか招かない。
「機首の機銃が向きを変えるほんの一瞬の間に、ガナーに二発、続いてパイロットに二発……あんなことやれる奴は……」
「おい……それってまさか」
澪さんの眉間がぴくりと動いた。
「澪だってわかるだろ?」
「あんなことをやってのける可能性のある人間は、私の知る限り二人しかいない……」
律さんが、戦場での澪さんと全く同じ台詞を口にした。
「唯か梓の二人だけだ」
「憂ちゃんもやって見せたよ、正面からFALで<大鴉>のパイロットを殺して撃墜した」
澪さんは首を振って律さんに言った。
「憂ちゃんの戦果がまぐれと言うつもりはないけど、もうこれは可能性の問題だ」
「だいたい……唯も失踪してるし、梓は病院のベッドだろ……」
梓ちゃんが、病院にいる?
私は梓ちゃんと再会したとき、病院から戻ったと話されたことを思い出した。
でも……どうしてだろうか、ここでそれを言ってはいけない気がして、口をつぐむことにした。
それを話したら、何かが壊れる……そんな風に思えてきた。
「でもあいつだったとしたら、そうしたはずだ!!」
律さんが声を荒げて言った。
「唯しかありえない、あいつは唯だったんだよ!」
「それだったらどうなる、私たちのパーティを<大鴉>から救った憂ちゃんは唯だったとでも言うつもり……」
澪さんが急に黙り、私に向き直った。
「唯が行方不明なの、知ってるよな……」
「……ええ」
「<ウンタン>が失踪した後も、ウンタンの名前が一人歩きしたとは思えないんだ」
「唯に匹敵するプレイヤーなんてのは、梓がいない時点で<アヴァロン>には存在しないと思わないか?」
「私はともかく、唯と梓は間違いなく最強の<放課後ティータイム>を文字通り最強に仕立てたんだ」
「おい、澪……」
律さんが制止をかけようとするが、澪さんは顔を赤らめたまま私に詰め寄った。
「なあ、正直に言って欲しいんだ」
「キミは憂ちゃんなのか? それとも……唯なのか?」
私の肩を掴み、澪さんは私の瞳を覗き込んだ。
だいぶ使ったせいで痛んでいたのか、私の髪を結っていた紐がちぎれてまとめ上げていた後ろ髪が降りた。
その姿を見て、澪さんと律さんが表情を変えた。
私は戸惑う。
<大鴉>と向かいあったあの時、私の背後に現れたお姉ちゃんは誰だったのか?
そもそも、あの射撃の時、お姉ちゃんの姿は見ていない。
<大鴉>を撃墜したあの射撃は、はっきりいって私の射撃能力では成しえない神業だ。
あの時、何が起こったのか?
「私は……」
ふと、こんな考えが私の中に浮かんだ。
あの日、お姉ちゃんが私の前から姿を消したのではなく、私がお姉ちゃんの前から姿を消したのだとしたら?
あの日一緒に夕食を作ったが姉ではなく妹だったとしたら、今の私は
平沢唯なのか、それとも
平沢憂なのか。
夜の街に出て泣きながら捜したのは憂、それとも唯?
憂が<アヴァロン>でのパラメータを確かめたのはいつだった? 本当にそれは憂が育て上げた強力な傭兵としてのキャラクターだった?
和さんがいつも寂しげな表情を浮かべるのは……本当はそこにいたのが唯だったからじゃないの……?
律さんが自分のことをりっちゃんと呼んで欲しいと言った理由は?
あの射撃を見て、澪さんが心を開いた理由、本当は何だったのか?
私が梓ちゃんをあれほど愛おしいと思ったのは……最強のソロプレイヤー同士だからだったのではないのか。
店の窓ガラスに映り込んだ髪を下ろした自分の姿を見ようと、私は首を回した。
分けて整えたはずの前髪が崩れ、目の間に髪の房が降りた。
「昔、唯に会いに行ったとき、すごい取り乱して、泣いてたんだ」
「今思い出したら、憂ちゃんが……いなくなってたはずだったんだよな……」
「でもこうやって憂ちゃんがいて、唯はスペシャルAに行って失踪していて……」
「わけがわからない」
もしも……もしもだけれど、平沢憂なんて人間は最初から存在などしていなくて……。
「もういい……やめろ! 憂もそんなもの見なくていい!」
無意識にガラスの向こうのお姉ちゃんと目を合わせる私の肩を掴んだ律さんが声を荒げた。
私はそのままぐいと引き寄せられて、律さんの胸に私の顔が食い込んだ。
律さん……温かい。
「もういいよ、憂……憂までどっか行ったりしないでくれればさぁ……」
「律……憂ちゃん、私……変なこと言っちゃったな。本当にごめん……」
澪さんが申し訳なさそうに俯いて、椅子にぐらりと座り込んだ。
「正直、みんな混乱してるよ……無理もないさ、澪」
律さんがポケットからゴム紐を取り出して、私の髪を撫でながらポニーテールに仕立てた。
「ありがとう……律さん」
「憂はこうした方が似合ってるよ。なんたってしっかり者の妹さん、だろ?」
お姉ちゃんの友達は、みんなこんなにも温かくて、優しい人だったなんて羨ましい。
私も軽音部に入ってみたかったな。
「ういっ!」
突然店のドアが開き、聞き慣れた声が飛び込んできた。
そしてその場にいた全員が一斉にその方へと振り向いた。
「今日は迎えに行くから連絡してって言ったのに、いつまで経っても来ないから捜しに……」
「律先輩に、澪先輩……どうしてこんなところに」
私はこの瞬間を一番恐れていた。
平穏に進んだ発展も後退もない世界。
どちらにも動かなかった私たちの世界の天秤がどちらかの方向に振り切れた気がした。
その方向がどちらかということは、まだ私含め誰にもわからないだろうが。
「梓、お前<ロスト>したんじゃなかったのか!?」
律さんが仰天して、澪さんはもはや言葉も出ない、といった有様だった。
「梓ちゃん……?」
「憂、隠しててごめん」
「先輩、私は一度は死んだ人間です」
「詳しい話はしても仕方がないです。<アヴァロン>の優秀なプレイヤーなら理屈は判るはずですから」
「世界とは、思いこみにすぎないんです」
「たとえばここが現実だとしたら、どんな不都合があるですか?」
「……もう気づいているはずですよ。先輩たちなら」
梓ちゃんが澪さんたちに言葉を投げかける。
お姉ちゃんとの短い再会、自分自身の存在への疑問……そして梓ちゃんが<ロスト>していたという事実。
唖然とする澪さんと律さんを尻目に、梓ちゃんは私の手を取った。
「帰ろう? 憂」
梓ちゃんが私の指にそのたおやかな指を絡めた。
「梓ちゃん、帰る前に……一つだけ聞かせて」
「……お姉ちゃんは、私の何なのかな」
「少なくとも、鏡に映ったような関係じゃないよ」
梓ちゃんはそれだけ答えると、私の手を引いて歩き出した。
――だいじょぶだよ、うい。
――憂が泣きやむまで、ここにいるから、安心して……。
私はお姉ちゃんに泣きながらすがりついた時のことを思い出していた。
この世界は、強烈な既視感に満ちている――。
そして一つの考えが、私の中によぎる。
現実はもう一つあってもおかしくはない、と――。
――<大鴉>のコックピットを撃ち抜くなんて芸当をするとしたら、幾つか満たすべき条件がある。
事前の戦闘で対地ロケットを消費していること、立て籠もる建造物に充分な抗弾性があるか、適切な射撃位置が確保されていること。
そして何よりも、絶対の自信を持つ狙撃手が存在すること――。
昼下がり、私はブランチから一区画ほど離れた通りの角にある小さな喫茶店に梓ちゃんと来ていた。
カウンターの上に置かれたリーダーにIDカードを通す。
こうするだけで軽い食事や喫茶なら済んでしまうのだから、多少目を瞑れば便利な世の中になったものだと思う。
埋没式のディスプレイにメニューが表示される。
私は「今日の珈琲」の中から”炭火焼きロースト”を選んで注文した。
梓ちゃんは”店長のお薦めブレンド”を注文していた。
瞬時に、二つのコーヒーカップが目の前に置かれた。
通りに面した窓際のテーブルについて、コーヒーを一口飲んだ私は顔を歪めた。
香ばしいというより、何かが焦げたような強烈な匂いが、口から鼻に突き抜ける。
そもそも間髪おかずに出てくるコーヒーが”炭火焼きロースト”なわけがなかった。
テーブルの際に置かれた樹脂製のポットを掴んで、ミルクを足した。
なんとか味は飲める程度に補正されたけど、相変わらず毒性のありそうな匂いは抜けない。
梓ちゃんも同じような感じだったらしく、砂糖とミルクを大量に投入していた。
最終更新:2010年01月25日 21:32