その夜。
布団を敷いて並んで寝るなんてこれまた久しぶりだ。
暗い部屋、布団の中でぽつぽつと言葉を交わす。
唯先輩と会って、たった一日で今までの私が解きほぐされていく。
自分から連絡を絶ってそれでも私は平気だって思ってた。
けど私は強がってただけで本当は寂しかったんだ。
だから唯先輩の優しさとぬくもりが嬉しくて。
こんなに暖かい気持ちになれた。
地元に戻ろうと思ったのだって心の底でこれを求めていたからかもしれない。
唯先輩には感謝してもしきれない。
こんな私でも手を差し伸べてくれた。
梓「あの、唯先輩。聞いてほしい事があるんです」
唯「ん、なにー?」
梓「私が都会で暮らして、今ここに戻って来た理由です」
唯「……うん」
梓「どうしても唯先輩に聞いてほしくて……」
唯「うん、私からもお願い。あずにゃんの事、聞かせて?」
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――――――――
*
暖かい光に包み込まれる。
目を開くと、覆われていた霧が晴れていく。
迷路の出口は見えないけれど、私の手を取ってくれる人がいる。
その手を握り返して立ち上がる事が出来た。
私はまだ歩ける。
出口を探して、その先へ――
梓「…………ふぁあ」
梓「……あれ、唯先輩がいない」
身体を起こして辺りを見回すと、テーブルの上に朝食と書置きがあった。
『あずにゃんへ。ご飯作ったから食べてね! それから今日の夕方以降空けておいてね!』
梓「あちゃあ……」
唯先輩が出掛けるまでに起きられなかった。
日々の不規則な生活と毎日たっぷり寝ていた所為だ……ごめんなさい唯先輩。
とりあえず布団をたたんで唯先輩が用意してくれた朝食を頂く。
トーストと目玉焼きと輪切りの魚肉ソーセージと炒めたほうれん草。
それにデザートのりんご……すごい。
あの唯先輩が朝からこんなにしっかりしている。
……なんて今の私じゃそんな冗談すら言えないけど。
これを食べて、それから私は変わるんだ。
もう一度頑張ろう、今度は多分大丈夫。
梓「それにしてもおいしいなあ」
優雅な朝食を楽しんでいると、台所の方で音がした。
そんなに大きな音じゃなかったけど確かに何かが擦れる音が……。
梓「な、なに……?」
実は唯先輩がまだ出かけてなかったり?
昔の先輩ならありうるけど……。
梓「まさか、ゴ……」
昔の先輩の生活なら数匹出てきそうだけど……。
どのみち確認しなければ。
もしGだったなら一宿一飯の恩義に報いなくてはいけない。
ああぁ……。
私はなるべく音を殺して立ち上がり台所へと向かった。
おっかなびっくり様子を窺うと、台所の隅で黒いかたまりがうごめいている。
それは私と同じくおっかなびっくりこちらを見つめていた。
梓「……ねこ?」
「なー」
黒猫がこそこそしている。
昨日の猫じゃない。
これが唯先輩の飼い猫なのかな。
ていうか私警戒されてるけど大丈夫なの?
置き手紙には猫の事なんて書いてなかったし……どうしよう。
梓「ええと、よろしくね……あっ」
逃げられた。
あんまり構わない方がいいのかな。
もっと猫を見ていたいけど……諦めよう。
なるべく猫を気にしないようにしつつ食器の後片付けを終わらせた。
それから昨日着てた服に着替えて帰り支度。
唯先輩の家に私一人で居るのも悪い気がするから一旦家に帰ろう。
昨日の雨は止んでいて、太陽が透けて雲が光っている。
傘はいらない。
梓「よし、忘れ物ないよね。おじゃましました」
ドアを開けて、こちらをチラ見する猫に挨拶して家を出た。
梓「……あれ」
私鍵閉められないじゃん。
鍵の場所もわからないし見つけても私が持ってたら唯先輩が家に入れないかもしれない。
もう一度ドアを開けるとリビングで伸びていた猫が慌てて起き上がっていた。
梓「ごめんね、おじゃまします……」
仕方なくリビングに戻ると黒猫が私と距離を取った。
申し訳ないと思いつつテレビを見させてもらう。
でも平日の午前中って面白い番組やってないんだよね。
梓「……あ、教育テレビ懐かしいな」
適当にチャンネルを回す。
梓「散歩番組って意外と見れるなぁ」
まあ暇が潰せれば……。
梓「わぁ……欧州の街並みって綺麗だなぁ」
「にゃー」
……。
梓「……ふぅ。あ、もうお昼の時間だ」
あれ、結構楽しかったな……。
梓「外で食べたら家を空ける事になっちゃうしなあ」
等と言い訳しつつ台所を物色。
ごめんなさい唯先輩。
申し訳ないのですが昨日の夕飯の残りを頂きます。
それらを温めてリビングへ持っていってさあ食べようという時、
猫用のケージからペシペシという音がした。
「にゃーん」
黒猫が透明のケースを叩いてるみたい。
中身は入ってないけどこれって自動給餌器なんじゃあ……。
私の朝食に気を取られて忘れたとなると黒猫に申し訳ない気がしてくる。
梓「えっと、キミもお腹空いてるのかな?」
「にゃあ」
猫用のご飯を探して自動給餌器に補給をしてあげると黒猫は早速食べ始めた。
かわいいなぁ。
私もお昼ご飯を頂いて一息つく頃、黒猫は満足そうに寝転がっていた。
いつの間にか私から逃げなくなってる。
少しは警戒を解いてくれたのかな。
そういえばこの子の名前は何て言うんだろう。
……。
梓「……あずにゃん3号」
「にゃああ」
梓「あっ返事した」
梓「ご飯あげたら懐くなんて現金な子だなぁ」
「にゃあ」
あずにゃん3号が私に寄って来た。
実は甘えん坊だったり?
梓「あずにゃん3号」
「んにゃぁ」
名前を呼んでるって分かるのかな?
返事を返してくれるのが嬉しくてあずにゃん3号の方が飽きるまで呼び続けた。
――さて、午後は何をしようか。
テレビ……あずにゃん3号……あ。
梓「ギター……」
オールドキャンディアップルレッド。
色までむったんと一緒のギター。
弦にはピックが挟んである。
梓「ちょっと弾いてみようかな……あれ?」
そういえばムスタングの手前にギー太がない。
空のギタースタンドだけ。
まさか通勤もギー太と一緒にとか……そんなわけないか。
なんでだろ。
梓「とりあえず、ちょっとお借りしますね。ええと……」
軽く指の運動をしてから曲を思い浮かべる。
そこそこの数の曲を弾いてきたけど練習していない今ではほとんど忘れてしまっている。
梓「ふわふわなら弾けるかな」
最初は思い出すようにゆっくりと。テンポは少しずつ上げていく。
……うん、まずまず。
ふわふわ時間はギターを触った時に指ならしとして弾いていたから身体が覚えている。
私のパートも唯先輩のパートも。
唯先輩はずっとギター続けてるんだよね。
昔は私がよく教えてたっけ。
懐かしい。
梓「……ふわふわターイム」
「にゃあ」
梓「ふわふわターイム」
「にゃぁ」
梓「ふわふわターイム」
「にゃぁあ」
ふわふわ時間はちゃんと弾ける。
これなら他の曲も弾けるかも。
梓「……でも指痛い」
久しぶりだからしょうがないか。
だけど楽しいや。
梓「あずにゃん3号も歌うまいね」
「にゃん」
曲に合わせて歌っているような気がした。
ギターの音に慣れてるみたいで嫌がったりしないし。
いつも唯先輩のギターを聞いてるんだろうな。
いいなあ。
私も唯先輩とギター弾きたくなっちゃった。
*
指で弦を抑えるのがつらくなるまでギターに没頭して、その後あずにゃん3号と遊んでると眠くなってきて……。
唯先輩の電話で起きた時にはすっかり日が暮れていた。
唯先輩とは外で待ち合わせする事になり、あずにゃん3号にお別れをする。
先輩は理由も言わずに電話を切ってしまったけどこの時間なら多分夕食だろう。
私もお腹空いてるし。
鍵は結局唯先輩が持っていて、私はスペアキーの場所を教えてもらって家を出た。
唯先輩に指定された場所は繁華街からは少し離れている。
何でこの場所なんだろう。
集合場所に着くと既に唯先輩がいて私に手を振ってくれていた。
唯「あずにゃーん! よかった来てくれて」
梓「別に逃げたりしませんよ」
唯「そんな事言って今まで音信不通だったくせにー」
梓「うぐ……ごめんなさい」
唯「許す! それじゃ行こっか」
梓「どこにですか?」
唯「ついてからのお楽しみ!」
梓「いいですけど……そうだ」
唯「ん?」
梓「猫が帰ってきてるなら何か書置きしておいてください。びっくりしましたよ」
唯「あははごめん」
梓「名前何て言うんですか?」
唯「……え、何の?」
梓「先輩の飼ってる黒猫の名前です」
唯「……あー、名前ね」
梓「はい」
唯「……えと、あ……あ……」
梓「あ?」
唯「あーっと目的地についちゃった! この話は後でね!」
梓「はあ……」
唯先輩に連れられて来た場所は……
梓「ライブハウス?」
唯「そ。私たまに見に来てるんだ~。今日ライブやるからちょっと見ていこうよ」
梓「それならそうと最初から言ってくださいよ」
唯「ごめんごめん」
唯先輩らしいと言えばらしい。
この人のこういう行動は今に始まった事じゃないし。
先輩に続いてライブハウスへ入る。
あまり広くない、というか小さめのライブハウスで天井も低い。
どことなくアットホームな感じのする場所だ。
そんな事を思っている間、唯先輩は受付の人と仲良さそうに話していた。
顔なじみっぽい感じ。
私がチケット代を払おうとしたら唯先輩がさっさと払ってしまい、
お金を渡そうとしても頑なに拒否されてしまった。
梓「なんだかすいません」
唯「いーのいーの、私が連れて来たんだから」
唯「これがチケットでこっちがドリンク引換券ね。あっちのカウンターで交換してもらってきなよ」
梓「唯先輩は飲み物頼まないんですか?」
唯「ええっと、私トイレ行ってくるから後にするよ!」
梓「そうですか……」
言うや否やさっさと人の群れの中に消えてしまった。
私はとりあえずコーラを頼んで、客席の端に移動する。
それを飲みながら改めて室内を見回してみた。
ステージと客席は三十センチ程の段差しかなく、演奏者とお客の距離が近い。
今も弾き語りで一曲終えた歌手がお客さんと談笑している。
店内の雰囲気からしても大体の人が顔見知りや身内なんだろう。
その歌手が最後に一曲歌ってステージから退場した。
一旦ステージと客席共々明るくなり、次のバンド用にセッティングが始まる。
それにしても遅い。
梓「何してるんだろう」
もうすぐ次の演奏が始まっちゃうのに……。
と思っていたら客席の照明が消えてお客さんがステージに注目する。
唯先輩を探すのを諦めて私もステージへ目を向けた。
コーラを噴き出した。
マイクに向かってMCをしていた。
ギー太を担いで。
梓「な……なにぃ……」
唯先輩と目が合った。
私の驚いた顔に満足したのか、ふんすと言わんばかりのドヤ顔を見せつけてくる。
要領を得ない連絡や行動はこのサプライズのためだったわけですね。
私は鼻から垂れてきたコーラを拭いつつもステージを眺めた。
唯「今日は特別な日なので張り切って行こうと思います!」
特別な日?
私と同じく疑問に思った前列の知り合いらしき人が問い正している。
唯「ええとね、今日は私にとって大切な人の誕生日なの! と言う訳で今日のライブをプレゼントします!」
梓「えっ……あ!」
前列の知り合いらしき人達が驚きと歓声を上げつつ客席を見回す。
それに釣られて他のお客さんも。
私も恥ずかしくなって周りや後ろをキョロキョロしてしまった。
唯「それじゃあ一曲目いきまーす!」
曲が始まるとみんなステージに集中し始める。
久々に人から注目されそうになった所為で心臓が痛いし額から変な汗が噴き出す。
すっかり忘れてた……今日って私の誕生日だったんだ。
一応私以外にそれらしい人がいないか確認してみたけどいないっぽい。
という事はやっぱり私の事を言ったんだよね。
私今日誕生日だし。
でも、大切な人って……。
私の事、なんだよね?
いやいやせっかくの唯先輩からのプレゼントなんだからそういうのは後にしよう。
私は一旦考えるのをやめて唯先輩に集中した。
先輩は楽しそうに歌って、食い入るようにギターを弾いている。
ずっと音楽を続けていただけあって昔よりも上手くなっていた。
すごいなあ……今日だって仕事帰りなのに。
私もこうなりたい。
そしてもう一度唯先輩と一緒にライブやりたい。
そう思わせてくれる演奏だ。
再び逸れた意識をステージに戻して、全身全霊で唯先輩を感じる。
こんな風に見るライブはいつ以来だっけ。
最終更新:2011年11月11日 03:26