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その日の帰り道は皆がちぐはぐだった。
だって明日はライブ本番だもんね。緊張するのは当たり前。

そんな風に考えていたから、あずにゃんが澪ちゃんに別れの挨拶をしなかったのも無理はないと思った。

澪ちゃんと別れて二人っきりになると、あずにゃんは一層険しく物思いをするような表情だった。
これじゃあいけない。

だから、思いっきり抱きついてみた。


「……唯先輩、なんですか」

あれれー? 余計に険しい顔になっちゃった。

「大丈夫だよ、あずにゃん。明日はきっと上手く行くから」

そう言うとあずにゃんはちょっとポカンとして、それからくすくす笑い出した。

「あー、笑ったぁ。良かったー」

「すみません、つい。……私が考えていたのは明日のライブのことじゃなかったんです」

変に勘ぐっちゃったのかな。
それから急に真剣な面持ちになって、あずにゃんは言った。

「唯先輩は、澪先輩のこと、どう思ってますか」

「へっ?」


質問の意味も、その意図さえもさっぱり判らなかった。

「えと、どう思ってるかって」

「唯先輩にとって澪先輩はどんな人ですか」

どんな人、なんだろう。
澪ちゃんはとっても頑張り屋さんで、たまに怖がりで、普段は凄く優しいけれど、怒ると怖くて、でもやっぱり優しくて……。

「んー、……よくわかんないや」

それが私の本音だった。
澪ちゃんは私には少し複雑な女の子だ。

「じゃあ、律先輩やムギ先輩はどうですか」

あずにゃんが興味深そうな目を私に向ける。

「律ちゃんはね、元気の素みたいな感じ。一緒に居るととっても楽しいなぁ。ムギちゃんはひなたぼっこって感じで、とっても温かいよ」

「……なるほどです。唯先輩って、人を見る目がおありなんですね」

なんだか褒められちゃった。
私、何か良いこと言ったのかな。
あずにゃんはまたなにやら思案顔で、空を見つめている。

「そしてあずにゃんはいつも抱いていたい猫のような―――」

「はいはい、今日は暑いんですから」

勢いに任せて抱きつこうとしたのに、軽く流されてしまった。
ちょっと寂しい。


それからあずにゃんと別れて、家に着いた。
なんだかいい匂いがしたから、今日はカレーだって判った。

「たっだいまー、ういー」

「おかえり、お姉ちゃん。いま晩御飯できるからね」

「んー。いつもありがとー」

「えへへ」


二階の部屋に上がって、制服から普段着に着替えた。
ギー太に服を着せたりして遊んでいると、あっという間に御飯の時間になっていた。


「お姉ちゃん、明日ライブなんでしょ?」

「うん、そだよ」

「頑張ってね」

「もっちろん!」

憂の美味しいカレーを食べてからお風呂に入って、またギー太と遊んだ。帽子まで似合ってしまうギー太って凄い!
そうしているうちに寝る時間になったから、電気を消してベッドに入った。

あれ、結局練習しなかったなあ。ま、いっか。
何の夢を見るのかなって考えてたら、すとんと眠りに落ちていた。


その晩はとても悲しそうに泣いている澪ちゃんの夢を見た。

大丈夫? 何故泣いてるの?
私は尋ねるのだけど、澪ちゃんは俯いて静かに涙を流すだけだった。
私は居ても立ってもいられずに、その手を握りしめた。
柔らかな輪郭の細い指や、恐ろしいくらいに白い手首が目に焼き付く。

澪ちゃん、なんで泣いてるの?
澪ちゃんのこと、もっと教えて―――

そこで目が覚めた。
珍しく憂に起こされずにベッドから抜け出せた。
窓外の東の空に向かって、今日は上手くいきますようにと、こっそりお祈りした。


――――

本番まであと10分。
舞台袖に繋がる楽屋で、ムギちゃんの持ってきた紅茶をぐいっと飲み干した。

「唯、そんなに飲むとやってる最中にトイレ行きたくなるぞ?」

少し緊張気味のりっちゃんがぎこちなく笑って言う。

「大丈夫だよー。その時は澪ちゃんに代わってもらうもん」

ねっ、と澪ちゃんに笑いかける。
でも耳に入らないくらい上がっちゃってるみたいで、澪ちゃんはどこか遠くを見つめている。

「こりゃあ心配だな、澪のヤツ」

りっちゃんが心配そうに呟いた。


いよいよステージに入った。
ほとんど音色は変えないから、すぐにセッティングは終わった。
ふと目をやると、澪ちゃんが固まっている。

「澪ちゃん、どうしたの?」

声をかけると、初めて私がいることに気づいたように、こちらを向いた。

「ちょっと、怖く、なって……」

「大丈夫だよ」

私は澪ちゃんの手をとった。
夢に見たとおり、とても綺麗だった。

「ほら、こんなに固くなるまで頑張って練習したんだから。ねっ?」

指先に触れると、澪ちゃんの頑張った跡が確かに残っていた。

「……そうだな、ありがとう」

澪ちゃんの緊張していた顔が綻ぶ。
その表情に胸が高鳴って、私は嬉しくなった。

「……好きだよ、唯」

静かに、でも確かな響きを伴って、澪ちゃんが言った。
私はなんだかくすぐったいような気持ちになった。

「うん、私も澪ちゃん大好きだよ!」

ぎゅうと手を握りしめると、澪ちゃんも握り返してくれた。

「そろそろ幕上がりますが、セッティングのほうは?」

音響さんの方から声がかかった。

「澪ちゃん、平気?」

「あ、えーと……、うん。大丈夫」

「大丈夫でーす!」

「それじゃあ本番よろしくお願いしまーす」


それまで会場にかかっていたBGMがふっと消えて、観客の話し声も止んだ。
それから、幕が上がる。お客さんの入りは良いみたいだ。
気合い入っちゃうな。

「いっくぞー! ワン、ツー、スリー、フォー」

私は、Eのコードを掻き鳴らした。


りっちゃんの激しいタム回しの後、一拍置いてのスネア。
息を合わせて鳴らした新曲の最後のコードも、やっぱりEだった。

――――ああ、終わっちゃった。


ほんの30分。
言いたくないけど、出来の悪いライブだった。

「放課後ティータイムでした!」

幕が下りて、私は座り込んでしまった。


楽屋に戻って、私はムギちゃんから指先の手当を受けた。
ライブ中に思い切りピッキングをミスして、指が弦に当たってしまったのだ。
血が出てずきずき痛み、演奏は酷いものになった。

「ゴメンね、皆。今日はダメダメだったよ」

「こんな日もあるって。歌は良かったぞ」

「そうです。とっても声が出てて、迫力ありました」

りっちゃんやあずにゃんが慰めてくれたけど、気持ちは上向きそうになかった。
すぐ傍のステージからは、私達より遥かに上手いバンドの演奏が漏れ聴こえていた。
まるで五人の間にあいた会話の隙間を埋めるように。



その後、音作りやバランスの取り方の勉強に、皆で客席に演奏を聴きに行こうという話になった。
私はそんな気になれなかったから、楽屋に残ることにした。

「じゃあ、行ってくる。気が向いたらな」

「うん」

りっちゃんを先頭に、四人は行ってしまった。
残されたのは私と、指先の痛みだけだった。


しばらくすると、なんだか情けなさが込み上げてきた。
ミスは悔しいけれど、それ以上に、簡単にへこんでしまう自分の弱さが嫌だった。
じっと指先を見つめた。ちゃんと動いてよ、って呟いた。

「お疲れ様、唯。飲み物買ってきたぞ」

不意に声がかかる。
びっくりして顔を上げると、澪ちゃんだった。

「見に行ったんじゃ、ないの?」

「なんとなく、唯が気になってな」

ありがたく飲み物を貰った。
一口飲むと、お腹の中にすうっと冷たさが広がって、嫌な気持ちが薄まっていくみたいだった。


「澪ちゃん、あの」

「どうした?」

「……くっついても良い?」

「はは、いつもは許可なんて取らないくせに。……いいよ、くっついても」

「ありがとう……」

私は澪ちゃんに抱きついた。
それから、胸に顔を埋めて少しだけ泣いた。
何も言わず、澪ちゃんは頭を撫でてくれた。慰めの言葉は要らないってことを、ちゃんと判ってくれているみたいだった。
それが嬉しくて、またちょっと涙が出た。

「私さ、いつも本番前とか、唯に助けられてばっかりだったから。今こうしているのが唯にとっての支えになってたら、良いな」

「……うん、そうだよ。ありがとね、澪ちゃん」

「お互い様だよ」

そして二人で、色んなことを話した。
今日見た夢や、昨日あずにゃんが言っていたこと。

「私、澪ちゃんのことよく知らないなあって思ったの。知り合って、友達になったのに」

「よく知らない、か。……でも大抵の人間関係って、そういうものだと思う。
 私も律とは長い付き合いだけれど、お互いに知らないことはきっと沢山あるし。
 誰かとどんなに強く抱きしめ合ったって、結局は身体の間に隙間が出来るみたいにさ、
 お互いを完璧に知り尽くしているような関係なんて、ありえないんだよ」

「でもね、私、澪ちゃんのこともっと知りたいなって思ったんだ。どんなにくっついても、全然足りないくらいに!」

「……そ、それは私としても、嬉しいことだな」

「……えへへ。言うだけ言ったら、なんか恥ずかしくなっちゃった」

私の顔、たぶん今かなり真っ赤だろうな。目の前の澪ちゃんの顔に劣らずに。
もっと色んな表情の澪ちゃんが見たい。そう思ったとき、ある考えが浮かんだ。

「そうだ、澪ちゃん――――」

すべてのバンドが終わって、イベントはお開きになった。
上手かったよと声を掛けてくれる人も居たけれど、素直にその言葉を受け取ることは出来なかった。
だってその人たちのほうがとっても上手かったんだもん。

一通り挨拶を終えてから、五人で歩いて帰る。
昨日の帰り道とはうって変わって、皆が今日のライブについて口々に感想を言い合った。

「今日のコーラは甘さ控え目で良かったわ」とムギちゃん。

「いやいやアレ絶対薄められたコーラだって」とりっちゃん。

「ベースとドラムはタイトに聴こえましたね」とあずにゃん。

「バスドラとスネアの音の切れが良かったみたいだから」と澪ちゃん。

皆は少し興奮気味のようで、会話の種が尽きることもなく、機材についての話から凄い頭をした観客の話まで、まとまりなく喋った。
そのうち、いつの間にやら日が落ちていた。りっちゃんやムギちゃんと別れて、昨日澪ちゃんと別れた道までようやく着いた。

「あっという間にさようならですね、澪先輩」

あずにゃんが昨日はなかった別れの挨拶をする。
そうだ、あずにゃんにも言わなきゃ。

「あのね。今日はあずにゃんと一緒じゃないんだ、私」

「なんでですか?」

「ほら、明日休みだから。澪ちゃんの家に泊めてもらおうと思って」

「えっ……」

あずにゃんが本当にびっくりしたみたいに澪ちゃんを見た。

「そうなんですか、澪先輩」

「ああ、そうだよ」

澪ちゃんが頷く。
あずにゃんは、なんだか少し気落ちしたように、呆れてしまったようにクスリと笑った。

「いいなあ。先輩たち、楽しそうです」

「あずにゃんも来ない?」

私が聞くと、あずにゃんはちらっと澪ちゃんを気にしてから、

「嬉しいですけど、今日は遠慮します」ときっぱり言った。

「じゃあな、梓。また学校で」

「あずにゃん、ばいばーい!」

「はい、今日はお疲れ様でした。さようなら」

あずにゃんと別れて、私たちは歩きだした。
夏の夕闇に包まれた道はどこか素敵な場所へ連れていってくれそうだった。

「唯、晩御飯は何にしようか?」

「うーん。澪ちゃんの家にお世話になるだし、お構いなく!」

「実は、今夜は誰も家に居ないんだ」

「えっ?」

澪ちゃんのお父さんとお母さんは、仕事の都合で職場の方に泊まり込みになってしまったらしい。
どうしよう。一晩中澪ちゃんと遊んでいたって誰にも怒られないなんて!

「だから、夕飯は唯の好きな物。なんでもいいんだ」

「やったー! じゃあねじゃあね……」

ケーキにクッキーにアイスにポテトチップス……、色々な物が頭の中に浮かんでは消えて、最後に一つだけ残った物があった。

「……澪ちゃんの好きな物がいいな」

「せっかく遊びに来てもらうのに、私が決めていいのか?」

「だって、澪ちゃんのことがもっと知りたいんだもん」

そう言うと、澪ちゃんは少し不意を突かれたように沈黙したあとで、柔らかく笑ってくれた。
それが嬉しくて、胸がほわりと温かくなった。


「あっ、憂に電話しておかなくちゃ」

携帯で自宅にかけると、0.02コールくらいで憂が出た。

「お姉ちゃん! いまどこなの!?」

「わわ、耳が痛いよーういー」

「ご、ごめんね」

私はライブが終わって帰る途中であること、今夜は澪ちゃんの家に泊まることを伝えた。

「そうなんだ……。せっかくお料理作って待ってたのに……」

「うー……、ごめんよぅ」

「ううん、気にしないでね。澪先輩の家ではお行儀良く、しっかり挨拶だよ!」

出来た妹だ、と隣で会話を聞いていた澪ちゃんが呟いた。

そろそろ歩き疲れたなあと思いはじめたとき、
「着いた。ここが私の家だ」と澪ちゃんが言った。

そういえば澪ちゃんの家に来たのって初めてだったっけ。
また一つ、澪ちゃんのことを知ったんだ。

「たっだいまー」

「お帰り。って、私の家だからなここは」

「えへへ、お帰り澪ちゃん!」

「……うん。ただいま、唯」


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最終更新:2011年11月15日 23:55