こうして急遽お泊まり会が開催された。
言い忘れたけど明日は土曜日で学校はない。
さてお風呂に入った人から唯ちゃんTシャツを配られて、
「むらさきいも」とか「レモネード」とか「しろみざかな」とかの烙印を捺されることになった。
私は「くつした」と書いてあったのでとりあえず嗅いだ。
それから唯ちゃんがお風呂に入っていないことを思い出し、夜這いして足を嗅ごうと決意した。
あと衣食住お世話になってしまった憂ちゃんを抱きしめようとも。
だけど床でお昼寝したせいで逆に疲れていたのか、2階のリビングに敷かれた布団に潜った瞬間に朝だった。
もちろん自分がそんなに疲れていたことにもびっくりだけど、もっと驚いたのは唯ちゃんが同じ布団で寝ていたこと。
混乱した私は唯ちゃんを抱きしめて匂いを嗅いだ。
いい匂いがしたけどシャンプーの匂いに他ならなかった。
さて、他のみんなはまだ寝ているらしい。
カーテン向こうの外はまだ薄暗い気さえする。
腕の中で唯ちゃんがもぞもぞ動く。
唯「ぅ、んっ……」
唯ちゃん、ごめんね。
もし起きちゃっても、ちょっとしたいたずらか、寝ぼけているんだと思って見逃してね。
唯「んむっ、ん……」
さあ、寝ぼけたふり、寝ぼけたふり。
なのに離れ際にくちびるを吸っちゃって、こんなに近くで聞いたちゅって音がえっちすぎて、
私はまた唯ちゃんの口をくちびるで塞いだ。
唯ちゃんの頭をかぶり寄せて、下くちびるをはむような形で動きを止めた。
深い繋がりを感じる。
一生、このままでいたいと思う。
唯「はぅ……ふぅ」
唯ちゃんが息を漏らすたびに全身がぞくぞく震えるみたい。
あたたかい呼吸の動きとくちびるの感触が、こんな甘い状況でさえ自己嫌悪を感じさせるほど気持ちいい。
キスが20秒を越えて、勝った、とか思い始める。
あとは、あとは舌さえ入れたら、私がいちばん。
もう唯ちゃんが私のものになった気すらしてくる。
というか、唯ちゃんはもう起きていて私の口づけを享受しているんじゃないだろうか。
半目をあけて確認するも唯ちゃんは目を閉じているようだ。近すぎてよくわからない。
だけど、今ここで唯ちゃんが起きたとしても何の問題もないのは確か。
むしろ唯ちゃんがここで目を覚ましたとすればすぐさま私のくちびるを吸って愛の言葉をささやくだろう。
そうしたら私は唯ちゃんを受けとめてもっとぎゅっと抱きしめるだけでいい。
そうだ、いっそ唯ちゃんが起きちゃえばいいのに。
それで全部、うまくいく。
律「キャベツうめぇー!」
律「……ぐぅ」
……心臓が破裂するかと思った。
くちびるは離れた。
もう二度とキスをする勇気は出ない。
よくもあんな大胆で、いや単に傲慢な考えに身を浸したものだと思う。
好きな人とキスをすると、あんなに思考力がにぶるのか。
私は唯ちゃんを背中向けに転がして、抱き枕にしてまた眠りについた。
朝8時、みんなが起き出した音で私も目を覚ます。
腕の中にいたはずの唯ちゃんはおらず、シャワーを浴びているとのことだった。
紬「……」
私も体がいやな汗でべたべたしていて、後でシャワーを借りたいと思った。
憂ちゃんが用意してくれた朝食を食べてから、シャワーをあびて、昨日の服に着替えた。
お風呂場から出るとお布団はもう片付いていて、りっちゃんを除き、みんながいなくなっていた。
1階から話し声が聞こえるから、下に集合しているんだと思う。
立っていたりっちゃんが、出てきた私にちょいちょいと手招きをする。
朝方のこと、ばれていたんだろうか。
律「今から唯に、昨日の……選んでもらうんだけどさ」
紬「唯ちゃんゆかりの地めぐりに付き添う人ね?」
律「そう。……それなんだけど、できればムギに頼みたいんだ」
りっちゃんは真顔で言った。
紬「意味がわからないです……」
律「だから、腕引っ張ってでも唯にムギを選ばせてほしいんだよ」
紬「唯ちゃんに選ばすように言ったのはりっちゃんじゃない!」
律「あれは場をおさめたかっただけだ」
紬「……とにかく、唯ちゃんの選択を曲げるようなことはしないわ。りっちゃんが何を考えてるのか知らないけど」
律「まあ、大丈夫だと思うけどさ。記憶をなくしてからの唯って、ムギに一番なついてるっぽいし」
その発言は、記憶をなくす前の一番は私じゃなかったようにも取れる。
実際それは私も認めるところだけれど。
私は、うらやましい人の顔を見つめかえした。
律「今朝なんか、抱き合って寝てたしな。いつの間に」
そう言うとりっちゃんは目をそらし、小さく口を動かす。
律「つきあってるのかと思った」
聞こえないようにぼやいたのか分からないけど、確かにそう聞こえた。
紬「……えっ、抱き合ってたって、私と唯ちゃんが?」
とりあえず、件のことに関わるものは知らないふりをしておかないと。
私が起きたときには、唯ちゃんはいなかった。
律「無意識で抱き枕にしてたのかよ。まあ、だからって言うのもあるんだ」
紬「何が?」
律「唯の付き添い。唯のこと、前と変わらない目で見れてるのはムギだけだから」
紬「……」
それはどういう意味、とは訊けなかった。
律「澪は明らかに変わった。憂ちゃんと和は言うまでもないだろ。梓もなんか違う。……私もな」
律「そういうわけだから、頼みたい。……下、おりるぞ」
紬「……わかった」
りっちゃんの後について1階に降りる。
唯ちゃんが、梓ちゃんと憂ちゃんの間で戸惑っていた。
唯「ね、ねぇ紬ちゃん、いったい何が始まるの?」
紬「説明してないの?」
和「だって……緊張して」
幼馴染相手に緊張してどうするの、という指摘はしないほうがいいだろう。
律「唯、ちょっとだけ意見をきかせてほしい」
案の定りっちゃんが進み出た。
唯「意見?」
律「そうそう、実は唯には、これから記憶を取り戻すための旅に出てもらう」
唯「旅!? そんな、私無理だよ、体力ないし」
律「……ちゃんと毎日家には帰れるから安心しろ」
律「唯が記憶を取り戻すたすけになればと思って、唯の思い出の地をめぐるツアーを企画したんだ」
相変わらずそれらしく曲げて伝えるのがうまいりっちゃん。
まだどこに行くかとかも決まってないのに、まるで前から考えていたみたい。
唯「へぇー……」
律「で、一人で行っても迷子になるだけだから、ガイドがいるだろ」
唯「うん、もちろんそうだね」
律「そこで聞きたいんだが、唯はここにいる誰が、ガイドに適役だと思う?」
唯「紬ちゃんだね」
律「うん、空気読めよ」
唯ちゃんが即答しすぎたので、りっちゃんはもう少し粘った。
律「別にムギならムギでぜんぜんいいんだが、もう一度全員を見渡してやれ」
唯「えー……」
りっちゃんの尋ねかたはどこか私に誘導しようとしている節があったし、
そうしないと後々不満が出ると思ったのだろう。
唯「憂とあずにゃんは、受験生だからだめじゃん?」
唯ちゃんがまともなこと言った。
唯「澪ちゃんはすぐ「ぶつ」からやだ」
澪「うっ……」
律「あっはは、自分の身にかえってきたな!」
唯「和ちゃんは……私のことを見てないよね」
和「……」
唯「りっちゃんは、お尻掴まれた時痛かったから大嫌い」
律「だいっきら!?」
りっちゃんが卒倒しかけて、あわてて支えた。
唯「じょ、冗談だよ! でも私、紬ちゃんのほうが好きだから」
律「あ、う、うん……そっか」
唯「紬ちゃんは色んなこと知ってるし、記憶がない私のこと理解してくれるし、あったかくて優しいから」
唯「どこに行くのでも、紬ちゃんと一緒がいい」
紬「……ありがとう」
唯ちゃん、これはもう告白と受け取ってもいいのかしら。
うれしくて私が卒倒しちゃいそう。
でも、唯ちゃんが思ってるほど私はいい人じゃないのにね。
律「というわけで、納得したかお前ら」
澪「……まあ、仕方ないな」
和「ええ……」
そんなわけで私と唯ちゃんは、
平沢唯ゆかりの地ツアーに行くことが決まった。
唯「それで、いつ行くの?」
律「いや、ムギの時間が空いてるときにでも、ちょくちょくと」
澪「唯は半期休学になっちゃったからな。2週間くらい意識が戻らなかったし、仕方ないけど」
紬「わたしも、2週間休んで唯ちゃんにつきっきりになろうかな?」
ちょっと大胆に言ってみる。
唯「そんな、ムギちゃんに休ませるわけにはいかないよ」
紬「冗談、冗談」
唯ちゃんが「うん、休んで!」と言うわけがないのは分かっていたので、笑って手を振る。
もしそう言われたら、一緒に休学するぐらいの心の用意はあったけれど。
梓「何日かは唯先輩の家もバタバタするでしょうから、それが落ち着いてからですね」
和「じゃあ、1週間後くらいまでに、どこを回るかある程度決めておきましょう」
憂「私たちも、思いつく限りの場所を挙げておきますから」
私たちも1週間のうちに、唯ちゃんとの思い出の場所をリストアップすることになった。
そこまで決めて、私たちは唯ちゃんを家に残して寮に戻った。
澪ちゃんの部屋で、お菓子を食べながら作戦会議をする。
律「唯の思い出の場所かあ……」
澪「学校に、楽器屋さんに、あとはアイス屋さん……」
紬「ライブハウスとか、合宿の別荘も」
律「うん、夏フェスの会場とか……今は何もないだろうけど」
澪「……ロンドンとか」
律「無茶言うな」
紬「でも、唯ちゃんがそれで思い出してくれるなら……」
律「……遠いところは最終手段だな。近場から挙げていこう」
それからみんなで30分ほど思案して、ひとまず思いついた場所を並べることにした。
律「まず学校と、私と澪んち」
律「楽器屋と帰りに寄るアイス屋、1ぺん行ったライブハウスと貸しスタジオ、ホームセンターもだな」
律「んー、でっ……と」
りっちゃんが読み上げずになにか一行書いた。
澪「待て律、いま何て書いた」
律「いいじゃん」
澪「唯のことなんだから隠すなよ!」
紙の上に押さえた腕を澪ちゃんが無理矢理ひっぺがすと、「BBC」とあった。
紬「BBC?」
澪「なんだこれ、律」
律「……」
澪「言え」
律「らぶほてる……です」
りっちゃんは言われる前に自ら正座をした。
律「いや、唯が行きたい行きたいって……で私もちょい興味があって……1回だけ」
ちらちらと澪ちゃんを窺うりっちゃん。
ゲンコツを恐れているのだろうけど、まだ左手が動く様子はない。
澪ちゃんは澪ちゃんで黙りどおしなので、私が尋問することにした。
紬「それで、しちゃったの?」
律「ばっ、ばああっ!? んなわけないっ、入っただけだ!」
紬「入ったって、何が?」
律「入れてない! 触ってもない! 神に誓うぞ、同性愛とかダメ系の宗教の神に誓う!」
澪「なんって奴だ……」
律「ごもっともです……いやほんと、これは唯の記憶からも消しといたほうがいいや」
そう言うと、りっちゃんはBBCを
リストから消した。
紬「まあどの道、唯ちゃんが記憶を取り戻したらその事も思い出すけどね」
律「もういっそ封印しとく? 唯の記憶」
そんなことを言うりっちゃんには同性愛の神様の鉄槌を食らわせた。
紬「次は、合宿でいった別荘ね」
澪「ムギ、お前も何か隠したりしてないよな」
紬「隠せるようなことがあったらよかったのに」
澪「おい」
紬「冗談よ」
律「いてて……はっ、思い出した!」
澪「どうした記憶喪失」
律「唯と遊園地行ったことある、二人で!」
澪「……お前らな。付き合ってたのか?」
律「んなわけあるかい! だいたい1年のときだし」
紬「それで、どこの遊園地?」
律「ほれ、あそこあそこ」
紬「ああ、あそこね」
紬「あとでその時のデートコースを聞かせてもらうわよ、りっちゃん」
律「だからデートじゃないっつうの」
澪「なんなら、その時だけ律がおともしたらいいんじゃないか?」
律「うーん……たぶん、あの時と同じように回れるかっていうと、無理なような」
律「それより、初めての二人で行くほうがきっといいよ」
紬「……うん、楽しみにしてる」
朝、お風呂から上がったときに聞かされた話は、澪ちゃんの前では内緒にしたほうがいいだろう。
紬「えーっと別荘と、夏フェスの会場と……次は、京都かな?」
律「ずいぶん飛ぶな……もし京都とか行くことになったら、さすがに私らも旅費出さないとな」
澪「うん、もちろんだけど……それまでは、ムギたち持ちでいいかな。お昼はおごるから」
紬「そんなに気を遣わなくても平気よ、唯ちゃんのためなら溜めたおこづかい、全部つかっちゃう」
律「唯がすっごく太りそう」
かくして、学校からロンドンまでの唯ちゃん思い出の地のリストができた。
澪「少ないな」
律「私らの思い出、こんなもんか?」
紬「じゃあ、BBCを加えて……」
律「よせっ、よせ!」
りっちゃんにペンを奪われる。
まぁラブホテルがリストに入るということは、私と唯ちゃんがラブホテルに入るということで。
そんなの大変だから、ないほうがいい。
律「あーあとほら、梓からの分もあるし。加えて憂ちゃんと和のぶんもあれば、回りきれないくらいだろ」
澪「ムギごめんな、なんだか任せちゃって」
紬「ううん。私、すごく楽しみだよ」
澪「そっか」
律「それじゃあとは、各自思い付いたら私に報告くれな」
みんな頷いて、解散となった。
最終更新:2011年11月17日 21:08