――――

 1週間後まで何もないのも寂しいので、週中頃、私は唯ちゃんにメールを送った。

紬『やっほー』

唯『やっほー! どうかしたの?』

紬『会えないけど、元気かなって』

唯『そうそう、聞いて! 今なんか、きてるの!』

紬『何かあったの? 思い出したりした!?』

唯『わかんないんだけど、リコピンってあるじゃん、ニンジンの』

紬『リコピンはトマトで、ニンジンはカロテンだと思うわ』

唯『あ、トマトのリコピン。でリコピンがね、頭の中ぐーるぐーるして、笑いが止まんないの!』

唯『トマトのリコピンって! つむぎちゃん、わたし死んじゃうよー』

紬『生きて! 笑顔で死ねることはとっても幸せだけど生きて!』

唯『うん、大丈夫』

紬『あ、スベっちゃった……』

唯『また紬ちゃんに助けてもらっちゃった』

紬『複雑です』

唯『あ、それで結局リコピンって?』

紬『リコピンッ』

唯『はなみず出ちゃった』

紬『とっても綺麗よ、宝石みたい。これほどの輝きは私でも見たことのない、まさに世界が憧れる美宝石……』

唯『紬ちゃんはネタに走ると寒いからやめようね』

紬『ありがとうございます。リコピンはね、りっちゃんの持ちギャグなの』

唯『持ちギャグですか……』

紬『今度会ったときにふってみるといいわ』

紬「……りっちゃんりっちゃん、ちょっと」

律「わっ、なんだムギこんな時間に……」

紬「実は唯ちゃんが……」

律「なにっ」

唯『あ、なんかりっちゃんからメールきた』

紬『何かあったのかな?』

紬『唯ちゃん?』

紬『あ、あれ? 怒っちゃった?』

唯『おこってない』

唯『だめ しぬ』

紬『……おやすみ』

唯『見捨てないで』

紬『……リコピン』

 数時間後、唯ちゃんは「腹筋が6つに割れた」といってお腹の写真を撮って送ってきたので大変だった。

 唯ちゃんはわかっててやってる。

 そうだ、私を誘惑しているんだ。

 わたしのことが好きなのよね、ねぇ唯ちゃん。


 金曜日、私たちはまた唯ちゃんの家に集合した。

唯「やっほう、みんな」

 唯ちゃんは元気そうにゴロゴロしていて、私たちの名前をひとりずつ呼んでいった。

律「なんか、ふつうに調子よくなってきたじゃん、記憶力」

唯「でしょ。放課後ティータイムの曲、ぜんぶ歌えるよ」

律「よしっ、じゃあ一曲!」

紬「りっちゃん。先にみんなが気付いた思い出の場所を合わせようよ」

 唯ちゃんの歌いたい気持ちも、りっちゃんが聴きたい気持ちもわかるけれど、

 これで歌えなかったら、唯ちゃんがどんなに申し訳ない気持ちになるかも考えてほしい。

紬「和ちゃん、憂ちゃん」

澪「梓も、ちゃんと持ってきてるか?」

梓「もちろんです」

 みんなでリストを出し、テーブルの上に並べる。

 ざっと見た感じ、100箇所くらいだろうか。

 近所のスーパーや駄菓子屋さん、公園といった今すぐ行って帰ってこれるところから、

 電車に乗らないと行けないテーマパーク、日帰りともいかない温泉旅館やスキー場。

 海外も当然のようにあった。

 私たちがあとから加えたファストフード店や交通量調査のバイトをした交差点や、

 こっそり二人で行ったというデートスポットもたくさん追加され、

 梓ちゃんがいつの間にか唯ちゃんと行っていた映画館や水族館やプラネタリウムなどのベタにムーディな場所など、

 回りきるのに2週間なんて当然足りず、2ヶ月でも怪しいところだった。

澪「……ふつう、歴史人物でもここまでゆかりの地はないぞ」

唯「うーん、なんとなく壮観だね」

憂「お姉ちゃんの歴史だね!」

梓「ロンドンだのメルボルンだの、本当に行くつもりですか?」

律「そりゃあ、必要とあらばな。ていうか梓、お前は唯とデート行き過ぎ」

紬「つきあってたとか?」

梓「ち、ちがいます……よ?」

 半分くらいは付き合ってる気分だったかも、という顔の梓ちゃん。

 正直、りっちゃんや澪ちゃんから聞かされたデートの様子を思うと、

 唯ちゃんはみんなと半分くらいは付き合っているつもりだったと言っても妄言にはならないと思う。

 唯ちゃんに、好きな人は、と訊くとそう訊いてきた人の名前をだいたい答えたというけれど、

 もしかしたら本当に、「好きな人は?」だなんて訊いてくる人たちほぼみんなを、

 そういう意味で好きだった可能性もある。

律「うん、まあ、違うから安心しろ」

 りっちゃんがばっさりいって、唯ちゃんの顔をちらっと見た。

唯「む?」

律「……にしても、これだけあると回りきるのに何日かかるかな。特に遊園地だ水族館だは、学校終わってからじゃ無理だし」

 確かに、それは気になるところだ。

 みんなや唯ちゃんの都合もそうだけれど、あまり時間をかけるのは良くないと思う。

 こうして暮らしているうちにも、「記憶を失った平沢唯の記憶」はどんどん作られている。

 そしてだんだん不自由がなくなって、唯ちゃんが過去の記憶に興味をもたなくなったら、

 きっともう記憶は戻らない。ような気がする。

紬「……わたし」

唯「ん? 紬ちゃん、どうしたの?」

紬「わたし、休学するわ」

 そうするのが、私にとって一番いいことだ。

憂「紬さん……」

 後悔をしたくない。

 それだけの理由でいうなら、私は今すぐ、そうしなければならなかった。

唯「つ、紬ちゃん? そんなことしなくて大丈夫だよ、私ぜんぜん待つから」

紬「ううん、急がないとだめ。それに、これは唯ちゃんのためっていうより私のためだから」

紬「唯ちゃんは気にしなくていいの」

 頬を包んで、親指で撫でる。

唯「よくわかんないよ……」

紬「大丈夫」

 私はみんなを見回す。

律「え、あ、ムギ。なにもそこまでしなくてもいいんじゃないか。夏休みまで待てば、時間はたっぷりあるし」

紬「それで間に合わなかったら、一生後悔するもん」

梓「ムギ先輩? 間に合うとか間に合わないとか、何の話ですか?」

紬「遅くなったら、唯ちゃんの記憶が戻らないかもしれないって思うの」

 私は、さっき考えたことをみんなに伝えた。

澪「唯の自分の記憶に対する興味か……」

和「唯は移り気だし、戻らないかもって思ったらすぐ諦めそうな気はするわね」

唯「そ、そんなことないよ……」

 唯ちゃんはまだ私に遠慮を続けた。

唯「紬ちゃん、私は私なんだよね? なのに記憶、そんなに焦って取り戻さないといけないの?」

紬「ごめんね。急がないと、唯ちゃんが本当に今までのこと忘れちゃいそうで、不安なの」

憂「……お姉ちゃん、甘えたほうがいいよ」

 最初に賛同したのは憂ちゃんだった。

憂「紬さんはもう決めちゃったんだよ。お姉ちゃんがだめって言ってもきかないんだもん」

憂「お姉ちゃんはもうきっと、紬さんに協力してあげる側にさえ立たされちゃってると思うんだ」

 私は唯ちゃんに見せるように頷いた。

 今の私は、唯ちゃんのためというよりは、私の気持ちを本位に動いている。

 それは、唯ちゃんがガイドとして和ちゃんを選ばなかった理由によく似ているように思った。

和「私も、ムギにちゃんとした覚悟があるなら、唯が止めても無駄だと思うわ」

梓「……はい」

 和ちゃんと梓ちゃんが続く。

 多数決で決めるとすれば、私の休学はもう決定だ。

澪「……」

紬「唯ちゃん。いいって言って?」

 私はひざまずいて唯ちゃんの手をとる。

 唯ちゃんはためらいがちに視線を返した。

唯「……もし、私の記憶が戻らなくても、嫌いにならない?」

紬「なるわけない。みんな同じよ」

紬「唯ちゃんが大好き」

 唯ちゃんはソファから滑り降りて、私と同じ目線の高さになった。

唯「じゃあ信じる。紬ちゃんに、迷惑かけちゃう」

紬「……ありがとう」

 私は唯ちゃんをぎゅっと抱きしめた。

澪「唯が悪いんじゃないからな。プレッシャー感じないで、楽しんでいいぞ」

唯「澪ちゃん。うん、わかった」

 その後、私はいったん一人で1階に降り、メイドに電話をかけた。

菫『お待たせいたしました、斎藤菫です』

紬「こんにちは、菫。わたし大学を半期休学することにしたから、お父様にそう伝えてくれる?」

菫『はい、わか……えっちょっと!?』

紬「よろしくね?」

菫『えっと……その、がんばりますが……』

紬「ありがとう」

菫『おじょ』

 これでよし。

 明日から、唯ちゃんの思い出の場所を巡る日々が始まる。

紬「ただいま、みんな」

律「おう、何の用事だったんだ?」

紬「ないしょ。それより、これからの相談をもうちょっとしましょ?」

 全ての場所をまわるのは当然としても、優先的にまわるべき場所、

 つまり思い出深いだろう場所をみんなに教えてもらわないと。

律「そうそう、思ってたんだけど、拠点はどっちにするんだ?」

澪「拠点?」

律「私たちの寮と唯の家って結構離れてるだろ。ムギが毎日迎えに行くとなると、交通費がけっこう……」

紬「別にかまわないわよ?」

梓「そういうわけにもいきませんって。ムギ先輩は背負いこみすぎです」

和「とにかく、唯がこの家に住むのか、寮に住むのか話し合おうということね」

律「そういうこと。さすがにムギがこっちに居候するわけにもいかないだろ?」

唯「私はいいけど……」

憂「だめだよ。お迎えするお部屋がないし」

 もうちょっとで唯ちゃんと同棲できそうだったけど、さすがに止められた。

梓「行く場所にもよりますよ。寮のほうが近いなら、当然寮から向かったほうがいいですし」

律「じゃあ基本は唯の家で、寮から近いところに行くなら、前日泊まってもらうか」

和「そうすると、まわっていく場所を家から近い場所、寮から近い場所に分けておくべきね」

澪「うん、ちゃんと分ければ唯の移動は1回で済むな」

唯「これはもはや引っ越しですな」

憂「……またお引っ越しかあ」

梓「今回はしょうがないね」

 梓ちゃんが憂ちゃんを撫でている珍しい光景が見れた。

和「それじゃあ、その分類にあたってこのリストのマップ化が必要ね」

律「そうだな……京都やロンドンはともかく、他は位置関係がよくわからない」

梓「え、律先輩メルボルンわからないんですか」

律「南米だろ?」

澪「とりあえず、地図を作るならパソコンが必要だな。唯の家にはなかったんだよな」

憂「はい、うちには……」

律「じゃあ、澪ん家の……って、寮に持ってったんだったな」

梓「私の家にありますが……」

紬「大学の情報室で、みんなで分担したほうがいいわ。これだけあったら大変だもの」

唯「私も手伝う!」

澪「唯って休学中だけど、大学のパソコンにログインできるのかな」

律「知らん。……まぁ、唯はじっとしてろ。土日でちゃちゃっとやっちゃうし」

唯「えーん……」

梓「それなら、唯先輩は私の家でやりませんか?」

 それからしばらく話し合い、私たちは月曜日までに地図を作ることにした。

 リストは3部コピーして梓ちゃんと憂ちゃんと和ちゃんに渡した。

 その場所のエピソードをメモしてもらうためだけど、梓ちゃんに渡したのは別の理由がある。

 私たち3人が地図を作る間、唯ちゃんは梓ちゃんの家を訪ねることになった。

 そこで梓ちゃんが持っているリストから気になる場所があればチェックして、自分でも調べてみてほしいと伝えたのだ。

 特に意味があるわけではない、厄介払いに近い行為だけれど、唯ちゃんは喜んでいた。

 かわいかった。

 さて、今度はお泊まり会には発展せずに、電車で寮に帰ることになった。

律「おっぷす」

 澪ちゃん、りっちゃん、私と改札を通ろうとすると、りっちゃんの前で改札が閉まった。

律「残高不足か。ムギ、ついてきて」

 そしてなぜか私まで、券売機に連れていかれた。

紬「りっちゃん、お金ないの?」

律「いいや。ちょっと澪に隠れて聞きたいことがある」

 りっちゃんはポケットから出したスイカを財布に戻しながら言った。

律「ちょっと、耳貸せ」

紬「う、うん」

 少し膝を曲げて、言われるままにりっちゃんの口元に耳を寄せた。

律「唯って、レズなのか」

 早口に、変に切羽詰まったようにりっちゃんはそう訊いた。

紬「……どうしてそんなこと訊くの?」

律「いいから、どう思う? はやく答えてくれ、澪に怪しまれる」

 私のほうこそ無駄な問いかけをしたなと思う。

 りっちゃんが何を根拠に疑ったかなんて、簡単に想像がつく。

紬「ちがうと思うわ」

紬「って……そう言われたら、りっちゃんはどうなっちゃうのかな?」

律「な、なんだよ」

紬「なんで唯ちゃんが、りっちゃんの思ったような人でなきゃいけないの?」

 でも、その理由がわからない。

 りっちゃんは、どうしてそんなことをわざわざ疑いたいんだろう。

律「べ、別にいいだろ、それより真面目に答えろって。大事な話だぞ」

紬「大事な話? どこが?」

 友達の恋愛のことだからとても大事な話なんだけれど、私はとぼけておいた。

律「っ……すまん、もういい。行こう」

紬「……むぅ」

 逃げられてしまった。

 りっちゃんにとっては、唯ちゃんが同性愛者なのかどうかは、すごく大事な話らしい。

 その理由には、なにか限りない可能性があるような気がするのだけど。

律「ムギー! はやく来い!」

紬「あっ、ごめんね、今行く!」

 とにかく、今はそれより唯ちゃんの記憶。

 目先の百合にとらわれては、いずれ大きな百合を逃すに違いない。

紬「……」

 いや、きっと、それは百合というよりも。

澪「まったく、500円そこらもないとか恥ずかしいな」

律「やー、ごめんムギ。帰ったらちゃんと返すな」

紬「う、うん。わかった。……」

 帰りの電車内、唯ちゃんがいないだけなのに、私はずっと寂しいような気持ちだった。

 この気持ちはいいのだろうか。

 そして本当なのだろうか。

 私は、許されない恋愛に手を染めていて、まもなく、その熱い海に飛び込もうとしていた。


7
最終更新:2011年11月17日 21:09