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日曜日の夕方、唯ちゃん思い出の場所を網羅した地図が出来上がった。
全20枚で、両面印刷して地図帳みたいに作り上げた。
終わりのほうのページに置いた思い出の地
リストは家から近い順に並べられ、
唯ちゃんの寮への引っ越しを表す実線にはなんだか存在感があった。
律「明日ムギは、それを持って唯んちに行くんだよな」
私の脚をマッサージしてくれながら、りっちゃんが確認をとる。
紬「うん、それで商店街のお店をまわるつもり。あんまり期待できないけど」
律「可能性があるなら、いくしかない。憂ちゃんが挙げたところもあるしな」
紬「すぐには何もないかも知れないけど、思い出の場所をまわり続けたら、変化があるかもしれないし」
律「そうだな、何日も通して記憶を揺さぶり続けるってのも、今までやってなかったことだ」
紬「……唯ちゃんの記憶、戻るかな?」
律「戻るさ、きっと」
りっちゃんは私のお尻を揉みながら、フフッと笑った。
翌日は早起きしておしゃれして、朝から唯ちゃんの家を訪ねた。
憂「早いですね、紬さん」
紬「楽しみで楽しみで。私の知らない、唯ちゃんの思い出の場所にも行けるから」
憂「そうそう、これ、各場所のエピソードです」
受け取ったメモには、商店街の各店舗で唯ちゃんが好きな商品などについて書かれていた。
憂「今回は手書きですけど、今日学校に行ったら、梓ちゃんのほうからパソコンで送ってもらうので」
憂「明日にでも、全部のメモが律さんから受け取れるはずです。だから、お昼に来ても大丈夫ですよ」
憂ちゃんは気を遣ったんだろうけど、私はそうもいかない。
紬「ううん憂ちゃん。私はこれが学校のかわりみたいなものだから、昼からなんて悠長にしてられないわ」
憂「それも……そうですね」
紬「唯ちゃんはまだ寝てるの?」
憂「はい。あ、起こしてきてくれます?」
紬「わかったわ。おはようのキスは必要?」
憂「いえ、前はしてましたが……何言わせるんですか」
紬「今はしなくなっちゃったの?」
憂「は、はやく起こしにいってください!」
紬「はいはーい」
憂ちゃんを照れさせることに成功して、唯ちゃんの部屋に向かう。
紬「ん、こほん……お姉ちゃーん、朝だよー……」
すごく似てなかったので普通に起こすことに。
紬「唯ちゃーん、朝よー」
ドアを開けると、退院の日に入ったときよりずっと強い「生活の匂い」を感じた。
唯「ん……ぁっ! んふ」
相変わらずの寝言と寝相。
もしかしたら体力がないんじゃなく、寝ているときにこうだから体力が回復しないだけなのかも。
ベッドのそばに寄り、唯ちゃんの頭を撫でた。
紬「起きてー、唯ちゃん」
唯「すぅ、くか……」
紬「ゆーいーちゃん。ちゅーしちゃうよ?」
冗談めかして言ってみても、胸の奥がじわっと期待をにじませた。
紬「……」
でも、遅くなればきっと憂ちゃんが怪しんで様子を見にくる。
それにもう朝なんだから、いくら唯ちゃんでもキスしたら起きちゃうだろう。
紬「……ほーら、起きて」
唯「んー……」
諦めて、体を揺さぶって起こすことに徹する。
唯「はふ、うい……紬ちゃん!?」
薄目が開いた瞬間、一気に目をさました。
紬「おどろいた?」
唯「驚くよ……はぁー。と、とりあえずシャワー浴びるから、下降りてて?」
紬「うん、二度寝しないでね?」
唯「できないよ!」
驚かせすぎたみたい。
友達とはいっても、自分のベッドで朝起きて頭を撫でられてたら、あれだけびっくりもするよね。
紬「……うん、成功ね」
とりあえず満足してみた。
唯ちゃんを起こすことはできたわけだし、まずはミッションコンプリート。
憂ちゃんにすすめられたソファで待っていると、
シャワーを浴びた唯ちゃんと憂ちゃんが朝ごはんを食べ始めた。
私は途中で食べてきたため見ているだけだけど、
おいしそうにジャムトーストをかじる唯ちゃんを見ているとなんだかお腹がすいてきた。
その後、学校に行く憂ちゃんを見送って、唯ちゃんの着替えを待つ。
商店街のお店はたいてい10時ぐらいから営業開始と遅くなっていて、急ぐ意味はあまりない。
だけどじっとしていられなくて、私は着替えのうちに憂ちゃんに渡されたメモに目を通すことにした。
今日まわる場所は8箇所で、唯ちゃんの体力や門限も考えて夕方にはお家に帰す予定だ。
商店街だけでなく、少し離れた公園にも行くことになっているから、
時間的に余裕がありすぎるということもない。
紬「……ん?」
メモをよく見ると、子供のころからよく買い物に利用しているというスーパーに、奇妙な記述があった。
紬「初恋の相手、鮮魚のサトコさん……?」
よく分からない。
よく分からないけど、このスーパーに寄るのはやめにした。
唯「紬ちゃん、お待たせ」
紬「あ、唯ちゃん……まだ出発には早いわよ?」
着替えて降りてきた唯ちゃん。
服装は普段通り、おしゃれでかわいい感じだ。
唯「え、そうなの?」
紬「商店街のお店がだいたい開くのは10時くらいからだから、今いってもまだ閉まってるよ」
唯「なーんだ。紬ちゃんが早くから来てたから、急がないといけないのかと思った」
紬「唯ちゃんに会いたかったから早く来ただけよ」
唯「その台詞、きざだね」
笑いながら唯ちゃんは私のそばに腰かけた。
唯「私の昔のことについて、聞きたいことがあるんだけどさ」
紬「うん、何でもきいて?」
唯「私って、あずにゃんと付き合ってた可能性があると思わない?」
紬「……それは無いと思うわよ」
唯「だって、二人デートに行った回数はあずにゃんとが一番多かったみたいだし……」
紬「気になるなら、梓ちゃんに聞いたらちゃんとわかるかもしれないよ?」
唯ちゃんは驚いて目を丸くした。
唯「だめだよ! 記憶を失う前の話っていっても、私は私なんだから!」
唯「……もしそうだったら、なんか責任とらなきゃいけない気がする」
紬「えっと」
私はちょっと勇気を出した。
紬「梓ちゃんは、唯ちゃんの恋愛対象に入ってないの?」
唯「それは……すごく微妙」
唯ちゃんはため息をつく。
唯「遊びにいっていろいろ話を聞かせてもらったんだ。記憶喪失の前のこと」
唯「私からも遊びに誘って、あずにゃんからも遊びに誘ってたらしいよ。気兼ねなく」
唯「今、私がそういう風にしても、あずにゃんは心を開いてくれそうにないし、なんか私も萎えちゃう」
紬「そうなの……」
以前の唯ちゃんはそんな梓ちゃん相手でも、強引に心を開いたものだけれど。
あるいは梓ちゃんが、唯ちゃんでも開けられないほど強く心を閉ざしてしまったか。
紬「梓ちゃんとは確かにデートの頻度が多かったみたいだけど、やっぱり絶対につきあってないわ」
唯「どうして?」
紬「梓ちゃんは、そんなに大事な人から逃げるような子じゃないもの」
唯「……私、やっぱあずにゃんに避けられてるのかぁ」
紬「避けてるっていうのとはまた別だと思うよ? ただ、この状況で付き合ってたことを隠してるのはおかしいわ」
唯「でもさ、正直わたしからアプローチかけてたのは確かだよね」
紬「……あれがアプローチだとするなら、唯ちゃんはほとんどの人にアプローチかけてたよ」
唯「あの、私ってもしかして、最低な……」
紬「誰とも付き合ってなかったんだから、ぜんぜんセーフよ!」
唯「そう言ってもらえると助かるけど……」
またため息をもらした。
唯「話をきく限り、色んな子に勘違いさせてそうで……」
私は、りっちゃんが唯ちゃんとラブホテルに行った話を思い出した。
そのあとりっちゃんは、真剣な目で、唯ちゃんがビアンなのか尋ねてきた。
唯ちゃんの行動で勘違いしたとするなら、もっと前にその質問をされているはずだ。
紬「大丈夫よ。そんなにビアンの子で溢れかえってるわけないもの」
唯「うーん……それなら安心かなあ」
というか、友達が友達に恋愛感情を向け始めたときの違和感はとてつもないものがある。
特に注視している私が、そういう気持ちの変化に気付かないわけはない。
紬「仮に勘違いさせてても、唯ちゃんが責任とる必要なんてないよ。覚えてないんだし」
紬「思い出してから言い寄られるようなことがあったら、ちゃんと謝ればいいんだから」
唯「え、言い寄られたらおっけーしちゃうかも」
紬「……そこはまあ、一人に絞るなら」
私にも可能性があるってことでいいの、唯ちゃん。
10時近くになったので、私は唯ちゃんを車椅子に押し倒して出発した。
唯ちゃんが退院してからけっこう経って、体力なんかも元通りだと本人は言うけれど、
私からすれば唯ちゃんはまだまだヘナヘナで危なっかしい。
簡単に押し倒せちゃうくらいだし。
唯「日がでてきてるねー」
紬「暑くなるかもね」
そっと段差をくだって、唯ちゃんに借りた鍵で戸締まりをする。
唯「今年の夏の帽子、買ってないや。まず服屋さんいこうよ」
紬「いいね! これからたくさん出かけるし」
唯「あとは、鍵屋さん」
紬「えっ、鍵屋さん?」
唯「紬ちゃん、うちの合い鍵があったほうがいいでしょ。だから作っちゃおう」
紬「う、嬉しいけど、鍵屋さんあったかな……」
初デートで合い鍵をもらえるとは思わなかったので、裏のテンションがやたら上がってしまった。
唯「でね、憂がね……」
紬「へぇ、こっちはりっちゃんが……」
きりきりと車輪が回る音にかぶせて、唯ちゃんはずっと喋っていた。
聞き覚えのある話し声がまったくしない、ある種ふたりきりな空の下。
私、唯ちゃんとデートしてるんだ。
唯ちゃんが乗った車椅子を私が押して、これはもう手を繋いでるのと同じことだよね。
こんなに幸せだと、みんなに悪い気までしてくる。
唯「紬ちゃん紬ちゃん、服屋さんだよ」
商店街につくと、一番端にあった服屋さんを唯ちゃんは指差した。
紬「あれは去年できたお店だから、今日は寄らないの」
唯「私たちで一度も行ったことないの?」
紬「うん、一度も。行ってみたいとは言ってたんだけどね」
唯「そっか。でも他の服屋さんに寄るんだよね?」
紬「そうよ。唯ちゃんのTシャツとかが売ってるところ」
商店街の中程まで歩いて、目的のお店「ONODA」に到着する。
唯「ここ?」
私が車椅子を止めると、唯ちゃんが見上げてきた。
紬「うん、子供のときは、ほとんどがここの服だったんだって」
唯「ふうん……とりあえず入ってみようか」
車椅子をたたんで脇に持ち、唯ちゃんに続いて小さな店内に入った。
「いらっしゃーい。アラ、唯ちゃーん!」
所狭しと並べられた服の奥から、青のアイラインが鮮烈なおじさんが駆け出して、
大袈裟に唯ちゃんに抱きついた。
紬「……唯ちゃん、伏せて」
私は車椅子を振り上げ、おばさんなのかおじさんなのかわからない人に斬りかかった。
「あら、お友達? え、もしかしてカノ……じょっ!?」
皮一枚で避けられた。
ひとまず唯ちゃんから引き離すことには成功した。
でも私はこの人を殺さなきゃならない。
唯ちゃんを汚して、唯ちゃんの心を傷つけたこいつを。
唯「紬ちゃん、ストップ」
紬「……えっ」
唯「この人、悪い人じゃない」
紬「……うん」
とりあえず車椅子が歪んでしまうのもなんだし、一度おろしておくことにした。
「ゆ、唯ちゃん? なんだか訳がわからないわよ?」
唯「ごめんなさい。でも、紬ちゃんを怒らないでください。ほんとはすごくいい人ですから」
「そりゃあ、唯ちゃんの彼女さんなんだからいい人でしょうけどぉ……って、なんか他人行儀ね唯ちゃん」
唯「……はい」
紬「えっと、先ほどはすみません。実は……」
私は唯ちゃんの記憶喪失について、おじさんに説明を試みた。
「ふーむ。高熱で記憶喪失ねぇ」
唯「はい、だからおじさんのことも……」
「おじさん言うな。お姉様でしょ」
唯「……覚えてないんです」
唯ちゃん、華麗にスルー。
「まあいいわよ。なんだあ、最近来ないと思ったら入院してたの」
「うちのTシャツに飽きちゃったのかと思ってたわ。よかったよかった」
おじさんの手が唯ちゃんの頭に伸びたので、手刀で叩き落とした。
「嫉妬深い彼女さんね」
紬「……ぁ、その、初めまして。遅ればせながら」
「フン、よろしく。なんだ彼女じゃないのね」
おかまおじさんは鼻を鳴らした。
「私がここに女の子を連れてきたときは、その子が彼女だよって言ってたのに」
唯「覚えてないもので……」
「いいのいいの! それより唯ちゃんなんかカタイわよ、アタシの前ではもっとくつろいでいいのよ?」
「あ、申し遅れました店主のホモ田です。って違うわよ、小野田よ、小野田! ウッフフフ!」
この人、店を出す場所を間違えてる。
紬「ホモ田さん、唯ちゃんとは昔からの顔見知りなんですよね?」
ホモ「……なんかあんた可愛くないわね。ていうか、なんでウチ来たのよ」
紬「実は今、唯ちゃんの記憶を取り戻すために、唯ちゃんの思い出の場所を巡っている所なんです」
唯「ここが一ヶ所目だよ、ホモおじちゃん」
ホモ「あらそう……? なんか素直に嬉しいんだけど、その呼び方は違うからやめろバカ」
ホモ「まあいいわ、つきあったげる。適当に思い出話でもしようかしらね」
ホモ田さんはくねくねして体をほぐすと、奥の倉庫の前に椅子を2つ置いた。
ホモ「掛けなさい。店番がてら話してあげる」
私たちは頷くと、カウンターの中に入り、並んで椅子に座った。
ホモ「そうねぇ……唯ちゃんと初めて話したのは幼稚園のときね。私はまだ30だったわ」
ホモ「もともと唯ちゃんのお父さまお母さまがわりとよく来てて、唯ちゃんと、憂ちゃんも一緒に来てたわね」
ホモ「二人が服を選んでる間に、唯ちゃんたちが私に話しかけてきたの……」
ホモ田さんが語るのを聞く限りでは、およそ知り合った経緯は、
普通に学校のクラスメートと仲良くなることに等しかった。
ホモ田さんがおかまだからでも、憧れじみた感情があったわけでもない。
まぁ、あってたまるかというものだ。
最終更新:2011年11月17日 21:11