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紬「また暇になっちゃったね」

唯「そだねー……なにか思い出話してよ」

紬「うーん……じゃあ、唯ちゃんが目をさました日の話」

唯「えぇっ」

紬「あれ、だめだった?」

唯「昔話をするかと思ってた」

紬「そればっかりじゃ、唯ちゃんが聞くだけになっちゃうし」

唯「んー……たしかに」

紬「私は唯ちゃんとおしゃべりがしたいから。それじゃだめ?」

唯「ううん。私もしゃべりたいな」

紬「じゃあ、病院で唯ちゃんが目を覚ます前から話すね」

 私は、さめざめしい病院の白を思い出していた。

紬「前に話したと思うけど、唯ちゃんは高熱になって2週間くらい意識がなかったの」

紬「13日めだったかな……ようやく意識が戻って、唯ちゃんが寝言をいうようになったから」

紬「みんなで24時間、かわりばんこに見張って、目を覚ますのを待ってたの」

紬「2日して、りっちゃんが見ているときに、やっと目をさましたわ」

唯「寝言って、どんなこと言ってた?」

紬「どんなって、言葉にならないような感じ……すすり泣きみたいだった」

唯「なんか怖いなあ……」

紬「それで、病院に泊まってた私と和ちゃんが起こされて、みんなにもすぐ電話して呼んだの」

唯「ん、なんかすごくバタバタしてたの覚えてるよ」

紬「うん、大慌てだった。でもすごく嬉しかったのよ」

紬「……だけど、唯ちゃんは私たちのこと忘れちゃってた」

唯「みんなが泣きながら唯、唯って呼んでくれるんだけど、なんのことだかわからなくて」

唯「目にうつる人みんな知らない人だし、ハグとかキスとかされるし、あの時はなんだか怖かったな」

紬「なんだか怖かった、くらいで済んだの?」

唯「うん、まあ意外と……騒がしかったし、かわいい女の子に囲まれてたからかな」

 ガチレズってすごい。

唯「自分が記憶喪失なんだってわかったときも、そんなに……ああそうなんだ、って思ったくらいで」

唯「なにも思い出せないから、何か思い出そうとするとき完全にからっぽで、その時はちょっと怖かったかも」

紬「こっちは大ショックだったのに……」

唯「たとえば、宝くじに当たってるのを知らないでくじ券を捨てちゃったのと一緒だね」

唯「価値があるって知らないものをなくしたって言われても、ぴんとこないよ」

紬「うーん……でも、自分のことがわからないっていうのはさすがに」

唯「もしかしたら、自堕落で死にたいって思ってた人が迎えた転機かもしれない!」

紬「そんなこと考えてたの?」

唯「ううん。でも、最初は記憶なんかどうでもよかったのが本当」

唯「ここにいる人たちが守ってくれるなって思ったし、実際紬ちゃんはそう言ってくれたし」

 唯ちゃんは私にちょっと顔を近付けた。

唯「憂や澪ちゃんやあずにゃんが駆けつけて、記憶がないにしろしばらくお祭り騒ぎだったね」

紬「唯ちゃん、キスマークだらけだったね」

唯「くちびるにしてくれたのは憂だけだったし、和ちゃんに至っては手を握るだけだったんだけどね」

唯「せっかく生還したんだから、もっと全力で祝えってものだよ」

紬「なにもお祝いのつもりでキスしてたわけじゃないし……」

唯「紬ちゃんはどんな感じだった? 私が記憶喪失ってきいて」

紬「うーん……死んだ感じだった。心が、とかじゃなくて、命が」

唯「うっぷ……ごめん、笑っちゃった」

紬「大袈裟じゃないのよ? 一週間はまともに寝れなかったし」

唯「そんなに辛かった?」

紬「辛かった。ふらっと、死んじゃおうって思うことも何度かあったよ」

紬「それくらい、唯ちゃんと過ごした3年間って大事なものだったの」

唯「今は……どうなの?」

紬「……言ってもいい?」

唯「言ってほしいから訊いてるのに」

紬「……あのね、唯ちゃんが記憶喪失になって、いいこともあったって思っちゃう」

紬「今、こうして二人きり……こんな気持ちでいられることとか」


紬「だから、今は少し怖いな……唯ちゃんが記憶を取り戻すこと」

 言っちゃった。

 こんなこと言っても唯ちゃんを困らせるだけなのに。

唯「……私、紬ちゃんと一緒にいられるんだったら、記憶なんかいらないよ?」

紬「だめ。こんなこと言ってるけど、私は唯ちゃんに思い出してほしいし」

紬「唯ちゃんだって、私たちのこと思い出したいでしょ?」

唯「……ううん」

紬「嘘つき」

唯「嘘じゃない! ……みんながみんな、どうでもいいってわけじゃないけど」

紬「だったら、その人たちについての思い出だけでも、取り戻そうよ」

 きっと私は、唯ちゃんの「どうでもよくない人たち」の中に入っているだろう。

 唯ちゃんはそんなに積極的におべっかを使えるような器用な子じゃない。

唯「……紬ちゃん」

紬「うん?」

唯「あの言葉、絶対信じてるよ」

紬「……大丈夫。ずっとずっと、唯ちゃんのこと大好きだよ」

 かたむいていた唯ちゃんを抱き寄せる。

唯「ん……」

 私は大丈夫。

 どんなふうに思われても、想われてなくても、唯ちゃんが大好きだった。

 約束したいのは、信じたいのは、私のほう。

 唯ちゃんの記憶が戻っても、今のように私に甘えて。と言いたい。

 だけど、それはきっと、私だけを恋愛対象におかなかった唯ちゃんにはありえない。

 私はいずれ相談役に成り下がって、ムギちゃんと呼ばれ、永遠の片想いがまた始まるだけ。

唯「だいすき……紬ちゃん」

 唯ちゃんがそっと抱き返してくると、ブラウスに少しだけ、冷たいものがしみた。

 このまま、元に戻ってしまうくらいなら。

唯「……ん? 紬ちゃん、なに?」

 今だけでも、唯ちゃんと恋がしたくなった。

紬「唯ちゃん」

唯「う、うん?」

 好きと言うだけでいい。

 愛してるという気持ちは、言の葉の力を超えて、きっと伝わる。

澪「……なんか近いぞ? お前たち」

 飛び出しかけた心臓はどうにか飲み込まれた。

紬「っいたの!?」

 どうしてこう、肝心な時ばかり邪魔が入るのか。

 いや、もしかしたら助け船かもしれないけれど。

唯「……」

紬「い、いるならいるって言ってよ!」

澪「いや、言ったんだけど……ごめん」

 あぶなく告白を澪ちゃんに聞かれるところだった。

 りっちゃんなら恐らくは黙って見ていてくれた可能性があるけれど、

 澪ちゃんに関しては未知数な部分が多いのだ。

紬「ちょっと……すこしだけ、唯ちゃんをお願い」

 いくらなんでも恥ずかしすぎる。

 顔が熱すぎて涙が出てきそう。

澪「え、大丈夫かムギ……」

紬「トイレに行くだけだから!」

 少しどこかで熱をさまさないと、唯ちゃんを見ることさえできない。

 4つの瞳が疑惑をはらんだ視線を送っているのがわかる。

紬「すぐっ、すぐ戻るから!」

 パニックになりながら、私は部室をあとにする。

 階段を駆け降りてトイレにつくと、個室に飛び込んだ。

『ひっ、誰か入ってきたよ……』

『大丈夫。声を出さなきゃ気づかないって』

『ちょ、そんな……だめっ、ばれちゃう……!』

紬「……」

 おさかんなところの隣に入ってしまった。

『ぁ、っく……ばかっ、激しっ……』

『んー? 動かす早さは変えてないよ?』

『うそだっ……』

『隣に人がいるから敏感になってるんでしょ? えっちだよねぇ、ほんと』

『ち、ちがうってば!』

『うるさいなあ……そんなに隣に人に聞かれたいんだ? それなら……』

『あっ、はっ……やめ、やめっ……は、は、ぁっ……んんーっ!!』

『っ……ふふ、かわいい……んっ、すちゅ』

紬「……」

 トイレットペーパーで拭いたり流したりなどの後処理の音がした。

『ほら、早く出るよ』

『ちょっと待って……こ、こしが』

『おぶさって、早く! ほんとにバレたらどーすんの!』

『わ、わかってるならあんなことしなきゃいいのに……』

『いいから、ちゃんと掴まって。とりあえず保健室に逃げるよ』

『うんっ……』

紬「……ふぅ」

 うらやましい。

 保健室までついてってやろうか。

 でも、今日は唯ちゃんを待たせているところだ。

 澪ちゃんがついているとはいえ、早く戻ってあげないといけない。

紬「幸せにね……二人とも」

 私の心臓も落ち着いてくれた。

 階段を上がって音楽準備室へと戻る。

紬「んっ?」

 鍵をかけられているのか、音楽準備室は開かなかった。

 さわ子先生に借りた鍵を出し、開錠する。

 私はなんだか嫌な予感がしていた。

 唯ちゃんはいたずらっこなところはあるけれど、

 何の理由もなく私を締め出すとは考えられない。

 恐らく、澪ちゃんが悪いことをしているのだ。

 学校に来ると言ったときから、澪ちゃんはヘンだった。

 澪ちゃんだけじゃない。

 りっちゃんも、ただ内緒で訪ねたいという澪ちゃんに、妙に攻撃的にくってかかった。

 りっちゃんは、澪ちゃんが何を狙っているのかわかっていたんじゃないのだろうか。

 澪ちゃんの狙いとは、一体。

紬「……唯ちゃんっ!」

 体中を走り回った悪寒をこらえ、蹴りつけるようにドアを開けた。

唯「紬ちゃん、助けてぇ!」

 奥の死角になっているところから、唯ちゃんの声がした。

 余計なことを考える隙はなかった。

 前のめりに駆け込んで、立ちふさがるように腕を広げる。

 できれば、そこにいる人が澪ちゃんでなければよかった。

 あるいは澪ちゃんがコスプレ衣装でも掲げて悪い笑顔を浮かべていればよかった。

澪「ムギ……」

 けれど、現実はティータイムほど甘くない。

 澪ちゃんは、唯ちゃんを壁に追い詰めていた。

紬「唯ちゃんから離れて」

澪「嫌だって言ったら」

紬「離れてって言ってるのよ!」

 澪ちゃんはつまらなそうに身を引いた。

唯「紬ちゃあん!」

紬「唯ちゃん……」

 猫のように身をかがめて走ってきた唯ちゃんを保護して、

 なおも澪ちゃんを睨みつける。

澪「違うよ、ムギは誤解してるんだ」

紬「何がよ……」

 誤解だろうがなんだろうが、唯ちゃんは本当に恐かったのだ。

 苦しいほど抱きしめてくる腕が物語っている。

澪「私は、唯に思い出させようとしてただけだよ」

紬「どうやってよ」

澪「……どうやって、じゃない。何を、だよ」

紬「……」

 澪ちゃんに気圧されているように感じる。

紬「……何を思い出させようとしてたの」

澪「言わなきゃ……だめか?」

紬「当然でしょう」

 目の前にいるのが澪ちゃんには思えなかった。

 澪ちゃんの格好をして、澪ちゃんの口調をして、私を嘲笑っている悪魔にしか見えない。

唯「紬ちゃん、澪ちゃんさ、私と付き合ってたって言ってた……」

紬「……澪ちゃん、どういうつもり」

澪「どうって……だから思い出させようとしてたんだ」

 唯ちゃんが澪ちゃんと付き合っていたとするなら、私が知らないはずがない。

 そういうことに関して、私は唯ちゃんのことで知らないことはないのだ。

澪「内緒にしてたけどさ。女同士じゃなかなか付き合ってるって言えないし」

紬「……」

 澪ちゃんは一体何を言っているのか。

 とたんに全てが滑稽に見え始めた。

紬「今日来るってことを内緒にさせたのはどうして?」

 唯ちゃんがぴくりと動いた。

 内緒にしていてごめん、と小さくささやく。

澪「……それはちょっと秘密だな」

紬「澪ちゃんが今日来ることを唯ちゃんが知っていたらまずかったのよね」

紬「もしかして、前から唯ちゃんに何か吹き込んでたとか?」

澪「……ムギ、私が唯と付き合ってたっていうの、疑ってるのか?」

 疑うというよりは、まったく信じていない。

紬「悪いけど信じられないわ。こんなの、元恋人の態度じゃないわよ」

澪「べつに、別れてないんだけどな」

紬「……まあ、そうね」

 いいかげん、茶番に付き合うのも飽きてきた。

 これ以上は澪ちゃんが哀れだ。

紬「それで、唯ちゃんは思い出してくれたのかしら?」

澪「いや、それは」

紬「思い出すはずないわよね。存在しない記憶なんだもの」

澪「……おい、ムギ」

 唯ちゃんが私を見つめている。

 私は、もっと頑張れる。

紬「澪ちゃんはねぇ、きっと悪魔の証明だと思ってるかもしれないけど」

紬「唯ちゃんは誰が好きだったか、本人からきいて確実に知ってる人がいるのよねぇ」

 私はすっごく悪い顔をしているに違いなかった。

 澪ちゃんの面をつけた卑怯者を出し抜いてからかっていることに、快感すら感じる。

澪「……だ、誰だよ」

紬「唯ちゃんと付き合ったなら、その人には必ず会わせてもらってるはずなんだけどなぁ」

澪「憂ちゃん……か?」

紬「あんな人を憂ちゃんと間違えたら失礼よ……ふふ、会ってないのかしら?」

澪「……会って、ないけど……」

 澪ちゃんはだんだん傷ついた顔になってきた。

 もしかしたら、本気で唯ちゃんと付き合っていると思っていたのだろうか。

唯「つ、紬ちゃん、もういいよ」

紬「唯ちゃん……」

唯「きっと記憶を失う前の私が、勘違いをさせちゃうようなことを言っちゃったんだよ」

唯「澪ちゃんが悪いわけじゃないよ。私たちの友達なんでしょ?」

 澪ちゃんを見ると、耳を塞ぎつつ頭を守っていた。

 見えない聞こえないのポーズだ。

紬「……でも、澪ちゃんは唯ちゃんに」

唯「恐かったけど、私のせいでもあるよ、きっと」

唯「それより、紬ちゃんのそんな顔みたくないよ」

紬「ご、ごめんね」

 あわててほっぺたをマッサージする。

 さっきまで自分の中でうごめいていた感情に、背筋が寒くなった。

唯「澪ちゃんも、もう大丈夫だよ」

唯「顔をあげようよ。ね」

澪「……」

 澪ちゃんはゆらりと首を振った。

澪「わたし、帰る……」

唯「そ、そう……」

 澪ちゃんがもし本気で付き合っていたと思い込んでいたなら、

 さっきの話はきっとショックだっただろう。

澪「ムギ、帰ったら私の部屋に来てくれ。ちゃんと説明がしたいんだ……」

紬「……うん、わかった」


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最終更新:2011年11月17日 21:25